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2013年4月 の投稿

アメリカの国防政策

カテゴリー:アメリカ

著者  福田 毅 、 出版  昭和堂
アメリカの国防政策の継続性を考慮するうえで避けては通れないのが、ベトナム戦争の影響である。科学技術信仰や戦争の合理化といった傾向は、ベトナム戦争にも明確に見出すことができる、ベトナム戦争後には、二度と第三世界の泥沼の内戦には関与すべきではないという風潮が強まり、米軍は戦略の焦点をソ連との大規模通常戦争へと回帰させた。この結果、技術重視や非対称戦の忌避という傾向が助長された。冷戦後に顕著となった米兵死傷者に対するアメリカの敏感さも、ベトナム戦争の影響によるところが大きい。
 アメリカ軍は、アフガニスタとイラクでは迅速な「レジーム・チェンジ」(政権変更)に成功した。しかし、政権打倒後の治安維持には失敗し、軍事における革命(RMA)の限界が露呈された。
 冷戦後のアメリカの軍事的優越は、その経済力に大きく依存している。
 兵員1人あたりにして、アメリカはヨーロッパ装備庁(EDA)参加国の5倍の金額を装備調達と研究開発に費やしている。先端軍事技術の領域で、ヨーロッパ諸国がアメリカに太刀打ちできない一因はここにある。アメリカが兵士1人あたりに投入する資金の額は、年を追うごとに増大している。
アメリカ軍の最大の特徴は、遠隔地への兵力投射能力にある。
 アメリカ軍と他の軍隊との最大の相違点は、兵力を海外に無期限に展開し、作戦を継続する能力にある。この能力の核心は、戦闘部隊の迅速な展開能力、グローバルな基地ネットワーク、大量の物資を調達し前線部隊に輸送する兵站能力があげられる。
 「招かれた帝国」という言葉が示唆するように、アメリカ軍の前方展開を望んだのは、アメリカよりも、むしろヨーロッパ諸国や日本であった。
ベトナム戦争と異なり、1991年1月に始まったイラクとの湾岸戦争(砂漠の嵐作戦)は、典型的な正規戦であり、この戦いにアメリカ軍は圧倒的な兵力を投入して勝利した。アメリカ軍内に存在していた非正規戦や限定戦争を軽視あるいは嫌悪する風潮は、湾岸戦争後に強化された。そして、兵器のハイテク化の重要性が再確認された。
 湾岸戦争の成功によって、航空作戦の可能性に対する楽観的見解が広まった。アメリカは「世界の警察官になることはできない」が、唯一の大国として世界に関与し続けるとブッシュ政権は断言した。
 クリントン政権は、ソマリアでの失敗の責任を国連に転嫁しようとした。クリントンがブッシュと異なるのは、アメリカ軍の優位を維持しつつも、国防費をさらに削減することは可能だと主張した点にある。
 ワインバーガーもパウエルと同じく、アメリカ兵の命はきわめて重視していたが、他国民の命の保護を強調することはあまりなかった。
 1993年ハイチや1994年のルワンダで軍事介入をアメリカに躊躇させたのは、1993年のソマリアの記憶であった。ボスニアの内戦でも、アメリカは地上戦への関与を避けた。
 1990年代後半になると、アメリカ軍の海外展開能力が低下しつつあるのではないかとの懸念が広まった。主として二つの要因による。第一は、同盟国や友好国がアメリカ軍への基地提供を拒むケースが増加したこと。第二に敵対的勢力がアメリカ軍の接近を拒否する能力を向上させつつあること。
 アメリカ軍の位置づけの経過を系統的にたどることのできる本です。それにしても、戦後68年たってもアメリ軍基地が国内いたるところにあって、それを不思議と思わない日本人って変ですよね。これで本当に独立国なのでしょうか。そして、右翼・保守の人々がこんな日本国を愛せと押しつけるのって、何なんでしょうか。不思議でなりませんね。この本は大変な労作だと思いました。
(2011年6月刊。3800円+税)

縄文土器ガイドブック

カテゴリー:日本史(古代史)

著者  井口 直司 、 出版  新泉社
縄文土器は、なんといっても燃えあがる炎のような見事な形が印象的ですよね。ところが、この本を読むと、いえ写真もあります、いろんな形の土器があり、しかも、地域によって形状は大きく違うというのです。見て楽しいガイドブックでもあります。
 九州の縄文土器には豪快な隆起性に富んだ装飾文様は見られない。
 西日本の縄文土器は、文様が簡素化、省略化している。容器づくりの点で技術的に優れていて、これは実用性を優先させた合理的な思考による。薄く作ることに比重をおき、容器としての機能を高めることに労力をかけている。
 これに比して、東日本では技巧をこらし、精緻さを増しながら文様が発達する。東北地方の縄文土器は美と実用性とが一体化し、洗練された装飾文土器として完成する。
 関東地方の縄文土器は大陸文化の影響がもっとも伝わりにくい地域の土器群だった。日本列島ではじめて誕生した土器は、深鉢形をしていた。中期になると、浅鉢が増え、後期には、皿・注口付・壺が増えて弥生式との差が少なくなる。
 縄文時代には、茶わんや皿に類する小形の食器類の土器が存在しない。土器類であった可能性が考えられる日常雑器としての茶わんや皿が深鉢形土器とセットで普通に存在することはなかった。
 土器がまず創造され、それを使ううちに煮炊きにも使用されたのではないか。煮炊きのために土器が誕生したのではないと考えるべき。
 たくさんの写真と解説によって、楽しく縄文土器について学ぶことができました。
(2012年12月刊。2200円+税)

バルザックと19世紀パリの食卓

カテゴリー:ヨーロッパ

著者  アンカ・シュルシュタイン 、 出版  白水社
フランス大革命はレストランを流行させたのですね。
 「食卓」の重要性を意識していたバルサックは、偉大なる食通ではなかった。エキセントリックな「食べる人」だった。バルサックは、ほとんど食事をとらずに長時間にわたって執筆に没頭した。そして原稿を書き終えると、そのお祝いに、はかり知れぬほどのワインやカキ、肉料理やヴォライユの料理に身をゆだねた。
 バルサックは、8歳から6年間を寄宿舎で過ごした。幼い生徒にとって、食事は喜びではなく、屈辱だった。バルサックは親からプレゼントをもらえず、孤独を感じていた。寄宿舎で過ごした数年間、バルサック少年は食事のかわりに読書に情熱を傾けていた。
 バルサックは17歳で代訴人(弁護士)事務所の見習いとなった。この事務所で、バルサックは家庭内の悲喜こもごもに出会い、それが、あとで小説のネタとなった。
バルサックにとって不幸なことに、使う金額以上に稼げたことが一度もなかった。この大作家は最期まで、借金のために牢屋に入れられるのではないかと心配しながら生活していた。
バルサックは書くのが早かった。債務者たちにせつかれ、豊かな想像力に駆り立てられ、仕事に取りかかるやいなや扉を閉ざす。日に18時間も働き、2ヶ月には名作の原稿が完成していた。
創作に打ち込んでいるあいだは水しか飲まず、果物で栄養をとっていた。バルサックは、かなり濃いコーヒーを大量に飲んでいた。眠気を追い払い、自身を興奮状態に保ち想像力を増すためだった。
 バルサックは借金のためではなく、国民衛兵として使えるという義務を何度も繰り返し怠ったため、牢獄生活を余儀なくされた。
フランス大革命の前、上流階級の人々は1日に3回の食事をしていた。朝6時から8時のあいだに何か詰め込み、午後2時にディネをとり、夜9時以降に夜食をとっていた。
 これに対して、農民や職人は一日2回の食事ですませていた。夜食は、夜会や感激に行く特権階級に限られたものだった。
当時の人々は膨大な量の酒を飲み、水を飲むのはまれであった。
 夕食会は3時間をこえてはならなかった。さっさと片づけることがとても重要だった。
 フランスでシャンパンへの趣向が高まったのは非常に遅い。イギリスよりも、はるかに後のこと。ポンパードール夫人はシャンパンを高くし評価した女性の一人であり、彼女がワインを流行らせた。
夕食のとき、料理を次から次に給仕するのを、バルサックは好まなかった。というのも、この方式だと食べることが大好きな人々にとって、ものすごく食べることを強いるし、最初の料理で食欲が収まってしまう小食の人たちには、もっとよいものをなおざりにさせてしまう欠点があった。
 フランス大革命のころの食習慣を知ることができました。バルサックの奔放な生き方には圧倒されます。
  (2013年2月刊。2200円+税)

動じない心

カテゴリー:人間 / 社会

著者  宮城 泰年 、 出版  講談社
京都に聖護院があることは知っていました。昔、日弁連の夏期研修に参加したとき、聖護院別荘(ホテル)に泊まったこともあります。日弁連元会長中坊公平氏の関係するお寺だと聞いていました。
 聖護院は京都にある本山修験宗。山伏の総本山。これは知りませんでした。
 白河上皇が熊野詣するときに先達をつとめた功績で聖護院を賜ったとのこと。山伏を統括し、江戸時代には本山派修験と称して、修験道の一大勢力となった。今でも、毎年、100人ほどの山伏が列をなして吉野から熊野に向かい、厳しい奥駈修行をしている。
 現在の山伏にプロは少ない。本山修験宗で200人、全教団をあわせてもプロは1000人ほど。ほとんどの山伏は、ふだんは会社員であったり。こんな在家信者が全国に1万5000人ほどいる。
 1931年(昭和6年)生まれの著者は25歳のときに山伏となった。以来、50有余年。
山伏とは、山に伏して修行する者のこと。自然の中に入ると、とりわけ山中では、五感はいやでも研ぎすまされる。黙々と歩いていると、いつのまにか雑念が消える。すると、肉体的には疲れていても、感覚は鋭敏になる。わずかな枝葉の動きや物音もたちまち目や耳に入るし、土や風が運んでくる匂いも分かる。空気の変化は肌で感じるし、ひょっとしたら言葉にならないあの妙な感覚を、第六感が察知してくれる。
 昔も今も、行者は山に入ると、「サーンゲ、サンゲ、ロッコンショウジョウ」と唱えながら歩く。掛け念仏だ。サンゲとは懺悔。この世に生を受けてから今日までの罪過を神仏の前にさらけ出すこと。ロッコンショウジョウとは、六根清浄。眼、耳、鼻、舌、身、意の六つの気管を指して「六根」という。
 掛け念仏を一心不乱に唱え、足を一歩でも前へと進める。すると、いつしか身も心も掛け念仏に同化していく。このようにして掛け念仏の意味する境地へと自然に引き上げられていくのが、山の持つ力なのである。
 ひたすら歩く。全神経を足元に集中させる。みなに遅れまいと必死についていく。そうやって無心になれる。山伏の装束は買える。15万円から25万円くらいで買える。
法螺貝は大きな見だが、それにしても出る音はさらに大きい。また、山中では空気が澄み、適当な湿度があるので、音の通りがとてもよい。だから、優に5キロメートルは届く。そんなことから、法螺を吹くには、針小棒大、つまり物事を実際よりも大げさに言うという意味がある。しかし、それは決して嘘をつくことではない。
 動じない心とは何か?
 それは動かされない心であり、また自在に動ける心でもある。動じる心とは動かされる心であり、同時に自在に動けない心である。動揺や迷いは人生に付きもの。自分を動揺させているもの。迷わせているものが何か、その正体をしっかり見きわめることが大切になる。 正体のひとつは、真実を見きわめられずまどわされる心、もうひとつは我執やこだわりから道理を受け容れられない心である。
 五感が曇っていると、見るもの聞くものが正しく受けとれず、真実でないものに惑わされる。心に真実、真理の芯がなければ、空洞のまわりの堂々のめぐりとなり、果ては自分の不満や苦しみを他人や物事のせいにして避難する。
 自分を動揺させ侵す対象を心と五感を研ぎすまして正しく唱え、真実を受けいれる心をもてば、いっときの動揺であっても軸を失い、倒れることはない。軸のある心は倒れることなく、自在に動かせるのだ。
 いったん「動じない心」を獲得しても、放っておけば心の迷いやチリはすぐに積もる。ときどき掃除する必要がある。それが「六根清浄」である。山は、これにまことにふさわしい場所なのである。
 山伏の行の意義が分かりました。
(2012年12月刊。1500円+税)

日米地位協定・入門

カテゴリー:社会

著者  前泊 博盛 、 出版  創元社
読めば読むほど、腹の立ってくる本です。いえ、この本の著者に対してではありません。この本に書かれている内容が問題なのです。
 いったい、はたして沖縄は日本なのか。なぜ、戦後70年たっても、アメリカ軍はまだ日本にいるのか。いやいや、日本は、これで本当に独立国家なのか・・・。
 胸に手をあてて、自問自答するとき、いずれのこたえも「ノー」でしょう。残念ながら、「ノー」と答えざるをえません。でも、本当にそれでよいのかと問い返されたら、もちろんそれでいいはずはありません。バカにするんじゃない。そう言ってやりたいじゃないですか。
 アメリカが日本を守ってくれるかなどという疑念をもつこと自体、アメリカに対して失礼である。これは、外務省の内部文書に書かれているものです。驚くではありませんか。これでは、日本は文字どおりアメリカの属国ですよね。
 オスプレイは日本の上空で平均150メートルで飛ぶことが認められている。と言うことは、日本の法令で定めた150メートル以下でもオスプレイは飛べるということですよね。だって、「平均」ということは、それ以下の高度でも飛べるということですからね。これって、恐ろしいことですよね。
 そして、野田首相は「アメリカ軍にどうしろ、こうしろとは言わない」と国会で公式答弁してしまいました。情けない日本国首相です。そして、今の安倍さんは、もっとひどいです・・・。
日米地位協定とは何か?
アメリカ占領期と同じように、日本に軍隊を配備し続けるためのとり決め。日本におけるアメリカ軍の強大な権益についてのとり決め。
 1952年、日本は独立した。しかし、それは、看板だけとりかえて、実質的には軍事占領状態が継続した。
 アメリカ軍関係者は一切の入国手続を省略して自由に日本に出入りすることができる。日本にあるアメリカ軍基地に出入りするときに自由なだけでなく、基地からの出入りについても、完全にノーチェック。だから、日本政府は、日本国内にアメリカ人が何人いるか把握することができない。日本のなかにアメリカ人がいて、あるべき国境がないというのですから、日本ってまるで植民地ですよね。
 日本にいるアメリカの将兵が3千人しか移住しないのに、日本政府はアメリカに対して8千人分の移住費用を支払う。もちろん、これは税金。
広大な横田基地は首都・東京にある。そして、首都圏の上空には「横田ラプコン」といわれる巨大なアメリカ軍の管理区域がある。だから、日本の民間航空機は無理な急旋回と急上昇を余儀なくされる。
アメリカ軍将兵が犯罪をおこしたとき、公務執行妨害、横領・詐欺などについては起訴率ゼロ、まったく罪に問われていない。もっと重大犯罪であっても、常にあまりに寛大すぎる判決が出るのみ。
アメリカ軍の飛行機が日本国内で事故を起こしたとき、基本的にアメリカ軍の指揮下にあって、日本国民もアメリカ軍の命令に従われなければならない。とんでもないことですよ。こんなこと、絶対に許せません。ところが、現実には日本の司法は、政府と同じようにアメリカ軍の前にひれ伏すばかり。
 日米安保条約を解消するのは簡単なこと。終了の意思を日本政府がアメリカ政府に通告したら、1年たつと自動的に終了する。
そんなバカなことと思う人には、フィリピンとイラクの実例が紹介されています。いずれも、アメリカ軍が渋々ながら撤退していきました。フィリピンでは、アメリカ軍基地跡は経済的に大繁栄しているとのことです。同じことは沖縄でもあります。おもろ町周辺の近代な町並みは、基地跡地ですよね。
 前に末浪靖司氏の本『対米従属の正体』(高文研)を紹介しました。その後も、続報が続いていますが、有名な伊達判決をひっくり返すため、最高裁の田中耕太郎長官が駐日アメリカ大使に裁判の内情を全部バラして、指導を受けていたのでした。先日の新聞によると田中長官は当然のことをしているだけ、アメリカ大使と話すことが裁判官としての守秘義務に反するとは思っていなかったとのこと。信じられない感覚です。
そして、この本によると、同じように最高検察庁もアメリカの指導するとおりに論告していたというのです。守秘義務をふみにじり、日本の主権を裏切った司法界のリーダーたちは許せません。今からでも遅くありません。必ず資格剥奪処分をすべきだと思います。こんな人たちが愛国心をもてと若者に説いていたなんて、まるでマンガです。腹が立って仕方がありません。高血圧の人にはおすすめしませんが、日本人の必読文献だと思います
(2013年4月刊。1500円+税)

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