法律相談センター検索 弁護士検索
2012年9月 の投稿

インバウンド

カテゴリー:社会

著者   阿川 大樹 、 出版    小学館 
 コールセンターの実際を知ることのできる面白い小説です。私の町にもコールセンターがあります。深夜に淋しい男どもが女性の声を聞きたくて、女性と話すだけを目あてに用もないのに電話をかけてくるとのことです。その電話を切るのが大変です。下手すると、すぐ上部にクレームをつけるからです。
 東京の人が通販カタログを見て注文しようと電話をかけると、それを受けるのは沖縄にあるコールセンターというのが実際にあります。同じことは、アメリカの市民がコールセンターにかけると、それを受けるのはインドにある会社だったりします。日本でも同じです。国内にかけているつもりなのに、電話を受けているのは中国の大連にあるコールセンターだというのは少し前からありました。大連には日本語学校がいくつあって、一度も日本に行ったことがないのに日本語ペラペラの学生がたくさんいるそうです・・・。
インバウンドとは、たとえば通販の申し込み受付のように、電話を受ける仕事のこと。アウトバウンドとは、コンピュータの画面で指示される番号に電話をかけて、世論調査をしたり、インターネットの光回線をセールスする仕事だったりするもの。
まずは話し方の研究を受ける。
アエイウ、エオアオ、カケキク、ケコカコ。
お綾や親にお謝り。お綾や親にお謝りとお言い。
話し方をアナウンサーみたいにするのには、理由が二つある。
その一は、電話の向こうの人が聞きやすいように。その二は、感情が相手に伝わらないようにするため。声の仮面、美しく優しい仮面をかぶるのだ。真心はいらない。
大切なことは、真心を込めて対応してもらったと客が感じることであって、本当の真心は必要ない。毎日毎日、仕事で接する何百人もの相手に真心をもつなんて、そもそもできないこと。不可能だ。真心の代わりに、完璧な技術で客に対応する。客が大切に扱ってもらったと感じるようにプロとしての演技をすることが求められる。
仕事をするときは、本名とは別に芸名を名乗ってする。職業上の名前で電話の対応をする。仕事についたら、本名の自分から芸名の職業人になりきる。
役をこなす俳優になって通販の営業窓口の役を演じるわけだ。
コールセンターでの仕事ぶりを別の会社がアトランダムにモニタリングをしている。不定期に回線をモニターして、日常業務のやりとりを第三者が聞いている。
営業成績を追いかけると、客への応対がぞんざいになったり、むりやり売上を伸ばそうと押し売りしたりして、応接の質が下がってしまう。客からみて、感じの悪いコールセンターになってしまうことがある。
小説としても、なかなかよく出来ていました。読んで、2つもトクした気分になりました。
(2012年7月刊。1300円+税)

フランス・プロテスタントの反乱

カテゴリー:ヨーロッパ

著者   カヴァリエ 、 出版    岩波新書 
 カミザール戦争の記録というサブ・タイトルのついた部厚い文庫本です。
 南フランスに行ったのは、私がまだ50代のときでした。弾圧された異端キリスト教徒として有名なアルビジョワ派の本拠地であるアルビにも行きました。この本は、その南フランスで起きたカトリック教徒によるプロテスタント弾圧のなかで、反乱に立ちあがったプロテスタントの動きを紹介しています。いつの話かと思うと1700年ころのことです。フランス大革命が起きたのは1789年ですから、わずか80年か90年ほど前のことなのでした。
 この本を読むと、キリスト教って本当に寛容な宗教なんて言えないよね、とついつい思ってしまいます。だって、同じキリスト教徒なのに、ローマ教皇の支配下にあるかないかだけで、残酷な殺しあい延々と続けるのですからね。これって、宗教の嫌らしさそのものですよね。
カミザール戦争とは何か。本のオビには、次のように書かれています。
 18世紀初頭、南フランスのセヴァンヌ地方でプロテスタントの農民が宗教の自由を要求して蜂起し、国王軍と戦った反乱について、その指揮官であったカヴァリエが遺した回想記。農民が10倍をこえる正規軍を敵にまわして、いかに戦ったかを生きいきと伝える。
 セヴァンヌ地方というのは、南フランスのマルセイユに近い地方です。
 1598年、アンリ4世がナント王令を発布し、フランスにおける宗教戦争に終止符をうったのでした。ところが、その孫に当たるルイ14世(太陽王と呼ばれました)は、1685年、ナント王令を廃棄し、国内のプロテスタントの徹底的な弾圧に転じたのです。ところが、新教徒人口の密度の高いセヴァンヌ地方では弾圧も抵抗も苛烈だった。2000人ほどの農民が、2万5000をこえるフランス国王の派遣した正規軍と2人の元師を敵にまわして2年あまり、いかに戦ったかカヴァリエは記録した。セヴァンヌの蜂起がなかったら、プロテスタントはフランスで存続しえなかったであろう。
 セヴァンヌ戦争は、プロテスタントたちが未曾有の固い決意をもって、自分の子どもをカトリックのプロパガンダから守ったことを明らかにした。セヴァンヌ戦争は、政治とは無縁で、単に信仰の自由の擁護のみが惹起した戦いだった。
 ルイ14世によるナント王令廃棄のあと、監獄ガレー船はプロテスタントで一杯になった。死刑台と絞首台は、プロテスタントの血で汚れた。これほど恐ろしい残虐行為は、プロテスタントの敵にとって不利になり、それだけプロテスタントに有利になった。というのは、それまではプロテスタントの仲間に加わる気などなく、静かに自分の家で暮らしていた人たちが、もはや誰ひとり安全ではないと知って、ためらうことなくプロテスタントの戦列に加わったからである。そこで、プロテスタントの軍営は人数が増え、強力になった。
フランスの山岳地帯において、第二次大戦中のナチス・ドイツ軍に対するレジスタンス運動さながらの抵抗闘争を展開していたプロテスタントたちの実情がよく伝わってくる本です。
 私も、一度、ナント王令が出たナントに行ってみたいなと思っています。
(2012年2月刊。1320円+税)

ある心臓外科医の裁判

カテゴリー:司法

著者   大川 真郎 、 出版   日本評論社  
 ある心臓外科医が手術ミスをした。執刀医の教授を部下の医師が内部告発して、そのことが明らかになった。当然のことながら遺族は怒り、損害賠償を請求するとともに刑事告訴した。さらに、週刊誌が取りあげ、テレビや新聞も大々的に取りあげるに至った。
 無能な執刀医はそれまでにも幾多の医療ミスをしていたし、手術の前にすべき患者の診察もせずに執刀し、患者の死後、遺族への説明もせずに逃げまわった。
 このような報道はよくあるパターンです。ところが、これがまったく事実無根だったら、どうでしょうか・・・。
 この本は、8年がかりで執刀医にミスはなかった、かえって内部告発した医師のほうが無能であって、まかされた術後管理が悪かったために患者を死なせたのであり、しかも、その医師は別の病院でも医療過誤で訴えらたことがあって、裁判で訴えられて責任を認められていたということまで明らかにしています。
とても大変な裁判だったと思いますが、著者は同じ事務所の坂本団弁護士とともに、その困難な課題をやり遂げたのです。さすがです。
 週刊誌に対する名誉毀損の損害賠償請求にも教授は勝訴します。慰謝料500万円のほか、謝罪文を命じる判決でした。出版社側が控訴し、高裁で和解が成立しました。和解は慰謝料400万円のほか、謝罪広告を週刊誌にのせろという内容です。金額は相応のものと思いますが、問題は謝罪広告です。
 教授の名誉を侵害する記事が3頁にわたって大きく取り上げられていたのに対して、謝罪広告のほうは5年後に最終1頁5段の最下段に小さく載っただけ。これでは、誰も気がつかないようなものでしかありません。やられ損ですよね・・・。
そして、「内部告発」した医師を教授は訴え、勝訴しました。610万円を支払えという判決ですので、すごいと思います。
 ところが、その後、教授が医学専門誌に実名で部下の医師を批判した部分については行き過ぎだと最高裁が判断し、その部分の170万円が差し引かれることになってしまいました。
 さらに教授は、遺族側の弁護士について弁護士へ懲戒請求します。弁護士は代理人であるとしても、遺族の虚偽告訴という違法行為は抑止すべき義務があるというものです。
この点、なるほど代理人弁護士に問題がなかったわけではないと私も思いますが、懲戒相当と言えるかまでは疑問です。結局、弁護士会も懲戒不相当としました。
そして、最高裁は、教授がチーム医療の総責任者であるから患者・家族に対して直接説明すべき義務があるかどうかについて、教授に逆転勝訴の判決を下したのでした。
要するに、説明義務があるといっても、それは総責任者たる教授が自らするまでのことではなく、主治医が十分に説明していれば足りるというものです。これは至極あたりまえの判断だと思いました。
いずれにしても、部下の医師が自らの失敗を上司になすりつけようとして「内部告発」したということです。悪徳、無能医師というレッテルをマスコミによって貼られたとき。それを間違いだと証明することの大変さがよくよく伝わってくる本です。
 そして、それに8年近くもかかったことのもつ重味をしみじみと感じたことでした。
 著者は、日弁連事務総長もつとめた有能かつ識実あふれる人柄の弁護士です。本書を読んで、ますます畏敬の念を深めました。ますますのご活躍、そして後進へのご指導を引き続きよろしくお願いします。
(2012年9月刊。1700円+税)

「清冽の炎」(第6巻)それから(上)

カテゴリー:社会

著者   神水 理一郎 、 出版   花伝社  
 1968年6月に始まり、翌1969年3月まで続いた東大闘争にかかわった学生たち、そしてセツラーの35年後を明らかにしたノンフィックションのような小説の第6巻です。いよいよ完結編となり、その前半です。
2004年のある朝、銀座でコンサルタント業を営む青垣が警察に逮捕された。東大駒場で同窓だった久能は懇意の若手弁護士、聖徳一郎に青垣の弁護を依頼した。一郎が警察署に面会に行くと、青垣は無罪を主張する。
 事件は、ベンチャー企業への融資詐欺。青垣は、北町セツルメントが活動していた磯町出身のカズヤと組んで銀行にベンチャー企業へ5億円を融資させていた。このとき、やはり同窓の芳村の勤めるメーカーが買い付け証明書を発行していたが、芳村は取締役就任を目前にしながら成績が低迷していて焦っていた。
 果たしてベンチャー企業には、どれだけの実体があったのか、銀行が融資した五億円は、どこに消えていったのか。
 青垣の刑事裁判が東京地裁で始まった。担当裁判官は佐助と駒場寮で同室だった沼尾だ。沼尾はエリートコースを歩いている。果たして学生時代の信念を裏切ってしまったのか・・・。
 法廷に被害者のメーカーを代表して証言を求められた芳村は、青垣に騙された、無能な部下をもっていたためベンチャー企業の実態を見抜けなかったと言い放ち、被告人の青垣を厳しく弾劾して自己の非を認めなかった。そして、芳村の部下の一人は、追いつめられたあげく、ホームから転落して亡くなった。
 北町セルツメントで子ども会活動をしていたヒナコは、東京の下町で中学校の理科の教師としてスタートすることができた。生徒指導をふくめて忙しくも充実した教師生活ではあったが、生物学への探究心を抑えきれず高校教師への転身を図った。ヒナコは実直な会社員と結婚して一子をもうけ、教師生活を続けていった。
 一郎は青垣と話しているうちに、1968年に起きた東大闘争のとき、青垣が東大全共闘の活動家だったことを知る。そして、意外なことに母・美由紀も青垣の活動家仲間だったという。美由紀が駒場時代のことを一郎に語ろうとしないのはなぜなのか・・・。
 東大出身の起田たちは、同窓会を開いていた。そこには官僚たちも貴重な情報交換の場として顔を出していた。
団塊の世代が一斉に定年退職し、年金生活に入っています。ところが、年金は切り下げられ、介護保険料は値上げされる一方です。そのうえ、庶民のフトコロを直撃する消費税は税率アップが決まりました。
 なぜ、かつてあれほど反逆精神が旺盛だった団塊世代なのに、今ではこんなにもおとなしく政治の流れに身をまかせてしまっているのでしょうか。今こそ再び声を上げるときではないのでしょうか・・・。眠れる獅子である団塊世代に対して熱いエールを送る本として、いま強く一読をおすすめします。
(2012年9月刊。1800円+税)

二世兵士、激戦の記録

カテゴリー:アメリカ

著者   柳田 由紀子 、 出版    新潮新書 
 第二次世界大戦当時、アメリカにいた日系人がいかに行動したかを概観した新書です。
 明治18年(1885年)、日本政府は官約移民制度をはじめ、ハワイに日本人を送った。それ以降、9年間で3万人が3年契約でハワイに行った。出身地で多いのは広島、山口、熊本、福岡。私の父の出身地(大川市)からも移民が行き、成功して帰国すると、「アメリカ屋」と呼ばれました(今も、その子孫が八女にいます)。
 3万人の官約移民のうち1万4000人が日本に戻り、2000人がハワイで亡くなり、9000人近くがアメリカ本土に渡って、残る1万3000人がハワイにとどまった。残留率は4割。
 1941年12月の日米開戦のとき、ハワイには全人口42万人の4割15万8000人の日系人が生活していた。
 日米開戦により、アメリカ軍は2世兵によって第100歩兵大隊を編成した。「ワンプカプカ」と呼ばれた。「プカ」とは、ハワイ語でゼロのこと。アメリカは日系人を強制収容所に入れた。アメリカに忠誠を誓わない日系人が1万9000人近く、ツールレイク収容所に入れられた。
 戦争が始まると、日本では敵性語として英語が禁じられたが、アメリカは逆に必死になって兵士に日本語を教育した。この情報語学兵の中核になったのは日系2世兵である。
 アメリカの日本攻略の2本柱は、暗号解読と捕虜情報だった。
 アメリカ軍が獲得した5万人の日本人捕虜のうち、5000人の日本兵がアメリカ本土に送られた。
 ハワイ第100歩兵大隊は、ヨーロッパ戦線に送られた。イタリア戦線そしてフランスで目を見張る大活躍をして歴史に名を残した。上陸したとき1300人だった歩兵大隊が、激戦のあと、半分以下の521人までに激減してしまった・・・。
 モンテカッシーノの戦い、ビフォンテーヌの森の戦いが有名です。ナチス・ドイツ軍に包囲されたテキサス兵211名を救出するため、第100歩兵大隊は800名もの死傷者を出したのでした。
 決して忘れてはならない日系人の努力だと思いました。
(2012年7月刊。740円+税)

福岡県弁護士会 〒810-0044 福岡市中央区六本松4丁目2番5号 TEL:092-741-6416

Copyright©2011-2025 FukuokakenBengoshikai. All rights reserved.