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2012年7月 の投稿

最高裁回想録

カテゴリー:司法

著者   藤田 宙靖 、 出版   有斐閣
 学者出身の最高裁判事は、何を見、何を聞き、何を考えたか、と本のオビに書かれています。著者の最高裁判事としての在任期間は2002年(H14)9月から2010年(H22)4月までです。
 最高裁判事に学者からなるのは、要するに、一本釣りのようです。ある日突然、最高裁の人事局長から電話があったのでした。弁護士の場合には、弁護士会の推薦手続が必要です。最高裁判事になるのは65歳ころが多いように思います。
最高裁判事の宿舎は塀の上に有刺鉄線と警報機を巡らせ、庭の各所を照らす照明器具に囲まれた物々しい要塞。専用車で、この宿舎と最高裁のあいだを送り迎えされる。これはほとんど「囚われ人」の日常生活である。最高裁判事は朝8時半に宿舎に専用車の迎えが来て、9時過ぎに最高裁に到着する。昼は昼食が裁判官室に運ばれてくる。途中3時にお金をのみ、あとは5時まで記録よみ。自宅に5時半には帰着する。トイレは裁判官室内に専用のものがあり、外に出る必要はない。そこで、一日に500歩しか歩かない日もある。そこで、著者は毎朝4時半すぎに起床して45分間ほど周辺を歩いた。
 最高裁の裁判官会議は、原則として毎週水曜日の朝10時半から開かれる。裁判官会議に出席して何よりも驚いたのは、その時間の短いこと。毎回せいぜい30分から1時間。なかには、会誌の定刻前に終わったこともあった。
これって、まさしく最高裁が事務総局によって牛耳られていることを意味しています。そして、著者は、それでよしと合理化しています。いちいち検討するのは時間的にも能力的にもできるわけがないというのです。まあ、実際はそうなんでしょうが、本当にそれでいいのでしょうか、疑問です。
2週間に1回、15人の裁判官のみで昼食をとるということもある。同じ小法廷の裁判官同士のあいだでも、審議の際を覗けば、日常的に顔を合わせることはほとんどない。
 最高裁の内部構造ははなはだ複雑を極めていて裁判官室から小法廷にたどり着くのも容易ではない。
最高裁に係属する事件の95%、つまりほとんどは、持ち回り審議案件で占めている。残り5%が重要案件として、評議室における審議の対象となる。
 最高裁に来る事件は毎年6000件。これに特別抗告などの雑件をふくめると9000件にもなる。小法廷への配点は機械的になされる。
 最高裁では、判決を言い渡しするとき、主文のみということであった。しかし、これは刑事規則の明文に反するという指摘もあり、判決理由の要旨も読みあげるようになった。理由を読みあげなかったのは、法廷の適正な秩序の維持という目的によるものであった。
 裁判官と調査官の共同作業によって裁判したというのが実感。
 最高裁判事を7年半つとめて、つくづく思うことは、裁判、とりわけ最高裁の判決というのは、しょせん常識の産物だということ。学者は分からないことは分からないと言ってはいけないが、裁判官は、本当には分からなくても、ともかく決めなければならず、判断を先送りすることができない。
最高裁の多数意見というのは、その性質上、常に、ある程度の妥協の産物であることを避けられない。今日、最高裁は、むしろ最高裁の意向を意識するあまりに下級審の裁判官が萎縮してしまうことのないよう意を払っている。
 ある年齢以降、「出世」を逃げていくものと、地家裁や支部を転々とするもののグループに分かれていき、後者から前者へ移行するのは困難だという現象もたしかにあるような気がする。これは組織体のなかでの協調性と、リーダーシップの有無についての所属庁における評価いかんではないかと思われる。器用な人間はトクをするし、不器用な人間はやはり損をする。しかし、これは、裁判所に限らず、組織一般に見られる現象である。
最高裁判事の日常生活や評議の様子がちらりとうかがえる本でした。
(2012年4月刊。3800円+税)

みんな悩んで、教師になる!

カテゴリー:社会

著者   佐藤 博・山崎 隆夫 、 出版   かもがわ出版
 教育という仕事の喜びややりがいを奪うものが、今日の社会と学校にあふれ、教師たちを追いつめているのではないか。教師を生きることの困難は、若い教師たちだけの問題ではない。
 公立学校教師の病気休職者は、2009年度に8500人、その6割の5400人が精神性疾患による休職。この神経疾患による休職者は、1993年ころから2.5倍へと急増している。そして病気休職者全体の増加分のほとんどが、「精神性疾患による」休職者となっている。
ベテラン教師であっても生きづらい日々を重ねながら命を削るようにして毎日を送っている。私のよく知る同世代の教師も定年前に退職してしまいました。教師には喜びもあるけれど、無用かつ大変なストレスがかかっているのです。
 初任者研修が、助けあうものではなくなっている。お互いに足をひっぱりあい、批判しあうものになっている。自分の学級がいかにうまくいっているのかアピールする人がいて、自分が指導主事や教育委員会にいかに目立つことができるかを誇示する場になっている。
 管理職や指導教官による「不当な圧力」ともいえる「指導」があり、「対応のしかた」がある。これが新任教師を苦しめ、教師という仕事から夢を奪い、教師を続けることをためらわせている。そして、保護者からの「クレーム」の問題もある。
もっとも強く若い教師を苦しめているのは、失敗や試行錯誤を含めた一人ひとりの教師の、瑞々(みずみず)しい個性的な実践を暖かく見つめる視点がないこと、それらが支えられていないこと。あるいは、不十分ではあっても、さまざまな困難に打ち勝ちながら、子どもと友に成長していく教師への「しなやか」で「ゆるやか」で「人間的な」まなざしが、教育の現場や社会に欠けていること。
人間的完成を呼び覚まし励ましてくれるような会話の流れる関係や言葉が、職員室の中心にあったら、どれだけ若い教師を大きく励ましてくれることだろうか。
教師と子どもを競争で追い立て、支配し、学校を人間が育ち生きる場にしていない今日の状況を変えることがいま切実に求められている。
 いま、国家が全力をあげて教師を蔑んでいる。国が蔑んでいるものを国民が信用するはずがない。だから、うまくいくものもうまくいかない。そして、それをどんどん責め立てて追いつめていく。だから、誰がやってもうまくいかないようなシステムにされてしまっている。この構造そのものが、教師の直面する困難の基本にある。教師はいま、上・下・横・内から責め立てられている、上は教育委員会、校長、副校、主幹。下は肝心の子ども自身からの反抗で、なかなか言うことを聞いてもらえず、さまざまな問題行動が起こり、秩序が乱れて収まらない。そのため、今度は横から、つまり保護者から、いろいろな批判や苦情を言われる。信頼されない。連絡ノートにびっしり要求を書いてくる。「先生、辞めたら」とまで言われる。ついには職員室の内側まで競争にさらされ、同僚からも指導力を問われたり、非難されたり、陰口を言われたりする。
 教師を大いに励まし、横の連携を強めてもらってこそ、子どもたちは安心して教師と一緒に生活できるし、学びあいができます。今の日本の教育は、本当に心配な状況にありますよね。
(2012年3月刊。1500円+税)

ウイルスと地球生命

カテゴリー:生物

著者   山内 一也 、 出版   岩波新書
 2000年、ウイルスが人間の胎児を守っていることが明らかにされた。それまで、病気の原因とだけ見られていたウイルスが、実は、人間の存続に重要な役割を果たしていることが示された。ええっ、ウイルスって役に立つものだったんですか・・・。
 ヒトゲノムの9%は人内在性レトロウイルス、34%がレトロトランスポゾン、3%がVNAトランスポゾンだということが判明した(2003年)。
トランスポゾンとは、生物の間を自由に移動できる、いわば「動く遺伝子」であり、その大部分を占めるレトロトランスポゾンは数千万年前に感染したレトロウイルスの祖先の断片とみなされている。われわれ人類のもっている遺伝子情報の半分はウイルスに関連したものになる。ということは、ウイルスは、単に病気に原因というだけの存在ではありえないということを示している。
 ウイルスは30億年前には存在している。これに対して最古の猿人は700万年前、ホモ・サピエンスが出現したのは20万年前にすぎない。
人類(女性)は、妊娠すると、それまで眠っていた人内在性レトロウイルスが活性化されて大量に増えてくる。そして、この内在性レトロウイルスのエンベロープ・たんぱく質が胎盤を形成するのに重要な役割を果たしていることが実証された。
ウイルスは、細胞外では単なる物質と言える。しかし、細胞の中では、自主性をもった生物として振る舞う存在である。そして、無生物との間には、常識的なはっきりした線を引くのは難しい。
生物とウイルスとの大きな違いは、細胞の有無と増殖様式。ウイルスには細胞は存在しない。生物は、二分裂で増殖する。しかし、ウイルスは部品組み立て方式である。
 エイズの原因であるウイルス(HIV)には、二つのタイプがある。そして、全世界に広がったのは1型のHIVであり、20世紀のはじめに西アフリカでチンパンジーのウイルスにひとりの人間が感染して、それが人間のあいだに広がった。2型のHIVは、アフリカ産サルであるスーティマンガベイのウイルスに人間が20世紀半ばに感染したもの。これは西アフリカの中だけで広がっている。
 子孫を残すために共生するウイルスが貢献している側面は、哺乳類よりはるか以前に地球上に出現した昆虫に既に見られる。
 海に存在するウイルスを推算すると、少なくとも海水1ミリリットル中に、深海で100万個、沿岸だと1億個のウイルスが存在する。海洋全体では、10の31乗個のウイルスが存在する。ウイルスは、海洋の至るところで、さまざまなプランクトンに感染することで、地球規模の炭素循環に多大な影響を与えている。
 深海底から採取した堆積物に、1平方メートルあたり28兆個のウイルスが存在していた。また、ウイルスの活動は、地表の温度上昇を防ぐ雲の性瀬にも影響を及ぼしている。ウイルスは、硫化物の循環を介して地球の気候変動にも関係している可能性がある。
 人間の腸内には100兆個もの最近がすみついているが、ウイルスはそれを上まわる数で共生している。それが腸内細菌とどのような相互作用をしているのか、まだ未知の領域である。
ウイルスって、人間にとって有害なだけの存在かと思っていました。実は違っているんですね。ほんとうに、世の中って、知らないことだらけですよね。
(2012年3月刊。2800円+税)
 土曜日に、先日うけたフランス語検定試験(1級)の結果通知のハガキが届きました。61点でした。初めて5割を超えることができました。信じられない成績です。もちろん合格基準点は82点ですから、あと20点以上も上回らなければいけません。それにしても、続けていると少しずつ良くなるのが、うれしいものです。
 フランス語の授業のとき、原発はすぐなくすべきだと言ったら、みんなが電力不足が心配だからと反論してきました。そんなのウソだ、政府と電力会社にだまされてはいけないと言い返せず、悔しい思いをしました。まだまだです。

花晒し

カテゴリー:日本史(江戸)

著者   北 重人 、 出版   文芸春秋
 私と同世代の作家です。惜しくも3年前に亡くなっています。なかなか、じっくり読ませる時代小説です。いずれも短篇なのですが、話はずっと続いていきます。
 女がひとり、深川で生きていくにはね、暗くなっちゃあいけないんだ。気持ちが落ち込んでいても、明るく振る舞うんだよ。暗い気分で、暗い素振りじゃあ、ますます沈んでしまう。自分もそうだけど、周りのみんなの気が沈み、人が離れっちまう。辛いときこそ、明るく振る舞うんだ。そうすれば、人がよくしてくれる。いいかい。覚えておくんだ。けどね、明るいだけじゃ駄目だ。気張って意気地も見せないとね。大事なのは、明るさと意気地さ。そうすれば、あんたなら大丈夫だ。しっかりと生きていける。
なーるほどですね。いい言葉ですね。
 娘をたぶらかしてなぶりものにする悪徳武士(サムライ)に小気味よく復讐する話があります。胸のつかえがおります。そして、芝居がかった噂によって近所の稲荷に参詣人をたくさん集めて景気を盛り上げる話があります。
 実際、江戸の人々は神社やお寺に物見高く大勢参集していたようです。娯楽の少ないとき、人々の好奇心を満たす対象だったのでしょうね。
 そして、人が集まるところには店が立ち並ぶのです。稲荷鮨がどんどん売れるのでした。しっとりとした江戸情緒をたっぷり味わえる時代小説です。
(2012年4月刊。1500円+税)

朝の霧

カテゴリー:日本史(戦国)

著者   山本 一力 、 出版   文芸春秋
 いつも、うまい時代小説を書く著者が、いつもの江戸時代ではなく、少しさかのぼって戦国時代を舞台として書きました。
 四国は長宗我部元親が覇者になろうとしていたころを舞台とした時代小説です。
 戦国時代は武田信玄のように、実父を早々に追放して若くして実権を握った武将がいました。兄弟間の殺し合いはありふれていました。おとなしく従っているように見せかけて、実は敵に内通しているという武将はいくらでもいたのです。そこには信義よりも力の世界があったのです。
 長宗我部元親と競争していた武将・波川玄蕃は長宗我部の配下に入って、めきめきと頭角をあらわします。あまりに活躍し目立つと主のほうは面白くありません。いつ自らの地位が脅かされないとも限らないからです。下剋上の世の中なので、従であっても力あるものが上に立つ主(あるじ)を打倒する心配が常にありました。
 とうとう長宗我部は、この波川玄蕃を切り捨てることを決意します。実妹の夫であっても、自らの地位の安泰の方が大切ですから・・・。
 いつものことながら、しっぽり読ませてくれる本でした。
(2012年2月刊。1500円+税)

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