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2012年7月 の投稿

素顔の伊達政宗

カテゴリー:日本史(戦国)

著者   佐藤 憲一 、 出版   洋泉社歴史新書y
 戦国武将として名高い伊達政宗が大変筆まめな文化人でもあったことを知り、驚嘆してしまいました。なにしろ残っている手紙だけで1260通だというのです。娘にあてた自筆の手紙だけでも328通といいます。すごく筆まめな人だったんですね。ちなみに、織田信長の自筆の手紙は3通、豊臣秀吉は130通、徳川家康は30通です。
 伊達政宗は18歳のときに家督を相続し、翌年、父は戦死してしまうのでした。
 そして、豊臣秀吉の小田原攻めのときに、遅れて駆け付け、あわやというときを迎えたのです。家臣は主戦論と参陣論に分かれて激論をたたかわした末の参陣でした。案に相違して、秀吉からは手厚くもてなされたことは、有名な場面です。
 このあと、政宗は弟の小次郎(秀雄)を手討ちしたことにして逃したのではないかと推測しています。そのとき、母は山形へ出奔し、28年後に政宗と再会した。なんという劇的な再会でしょうか・・・。
秀吉が亡くなったあと、政宗は家康に味方します。ところが、家康は政宗を警戒していたのでした。
 政宗の必要上の動きが家康の警戒心をあおり、心証を悪くした。
 家康にとって、政宗は見方としては頼りになる存在であっても、敵となった場合の恐ろしさは十分に承知していた。そこで、覚書で100万石するとしていたが、脅威になるので反故にして、ほおかむりした。
 伊達政宗は、広く海外にも目を向けていた。家臣の支倉常長を大使とする遣欧使節を派遣した。自分の家臣を自分の建造した船で欧州まで派遣した大名は政宗のほかにいない。これは、政宗がスペイン王国とローマ教皇に対して、当時酢終え印の植民地であったメキシコとの通商と宣教師派遣を要請するために送り出した本格的な外交使節だった。7年に及ぶ海外での旅を経て元和6年(1620年)に使節は仙台に戻ってきた。ところが、当時すでにキリシタン取り締まりが強化されていた。
 1640年3月、常長の嫡男常頼は、切腹を命ぜられ、改易された。
 政宗は和歌をたしなみ、源氏物語などの古典にも親しんでいた。伝統にかなった書法を身につけ、流麗な仮名文字にも定評がある。
 ただし、酒豪であり、酒癖は悪かったようでもあります。
 政宗の知らなかった素顔をのぞいた気分になりました。
(2012年2月刊。890円+税)
記録的な大雨でした。私の住む町は幸いなんともありませんでしたが、周囲は大変でした。なかなか梅雨が明けないため、セミの鳴き声も心なしか弱々しげです。
 筑後川が氾濫したのは昭和28年のことですから、今から60年もの前のことになります。今回はそれに匹敵するほどの大災害でした。自然の脅威をつくづく感じます。
 原発再稼働反対の声が首相官邸を取り巻いているのは頼もしい限りです。人間の無力さをもっとみんなが自覚すべきではないでしょうか・・・。

閉じこもるインターネット

カテゴリー:アメリカ

著者   イーライ・パリサー 、 出版   早川書房
 インターネットで世界が広がったというのは単なる錯覚ではないのか、著者は鋭く問題を投げかけています。
 我々は、ある狭い範囲の刺激に反応しがちだ。セックスや権力、ゴシップ、暴力、有名人、お笑いなどのニュースがあれば、そこから読むことが多い。
 パーソナライズされた世界では刑務所人口が増えているとか、ホームレスが増えているとか、重要だが複雑だったり不快な問題が視野に入ることが減っている。
 アマゾンは、あらゆる機会をとらえて、マーザーからデータを集めようとする。たとえば、ギンドルで本を読むと、どこをハイライトしたのか、どのページを読んだのか、また、通読したのか行ったり来たりしたのかといった情報が、アマゾンのサーバーに送られ、次に購入する本の予測に用いられる。
 グーグルもフェイスブックも、関連性の高いターゲット広告を収益源としている。このように人々の行動が商品となっている。インターネット全体をパーソナライズするプラットフォームを提供する市場で取引され小さな商品に、関連性を追求した結果、インターネットの巨大企業が生まれ、企業は我々のデータを少しでも多く集めようとし、オンライン体験は我々が気づかないうちに関連性にもとづいてパーソナライズされつつある。
 アメリカ人は、とても受動的にテレビ番組を選ぶ。テレビ広告はテレビ局にとって宝の山となる。受け身でテレビを見ているから、広告になっても何となく見つづける。説得においては、受け身が大きな力を発揮するのだ。
 インターネットの草創期には、自分のアイデンティティを明らかにしなくてよいことが、インターネットの大きな魅力だと言われていた。好きな皮をかぶれるから、この媒体はすばらしいとみなが大喜びした。ところが、ウェブの匿名性を排除しようとする企業が数多く出現した。
 今では、顔認識さえできる。被疑者の顔写真をとると、数秒で身元と犯罪歴が確認できる。顔からの検索が可能になると、プライバシーや匿名性について我々が文化的に抱いている幻想の多くが壊れてしまう。顔認識はプライバシーを途切れさせてしまう。うひゃあ、これは怖いです・・・。
最近のインターネットは、いつのまにか、自分が興味をもっていること、自分の意見を補強する情報ばかりが見えるようになりつつある。おもわぬモノとの出会いがなくなり、成長や革新のチャンスが失われる。世論をある方向に動かしたいと思えば、少しずつそちら向きの情報が増えるようにフィルターを調節してゆけばいい。
 うへーっ、これって本当に怖いことですよね。すごい世の中になってきましたね。とてもインターネット万歳とは言えませんよね。
(2012年2月刊。2000円+税)

新採教師の死が遺したもの

カテゴリー:社会

著者   久冨 善之・佐藤 博之 、 出版   高文研
 2004年9月、静岡県で小学校の新任教師となって半年後、24歳の女性教師が自らの命を絶った。9月29日、秋雨の降る早朝、車中で灯油を全身にかぶっての焼身自殺。
本来、教育は子どもたちの人生を左右する。その全人格にかかわるすばらしい仕事。児童教育は知・情・意、とくに心を育てていく大切なもの。教室は人の心の価値基準をつくる大切な場所。にもかかわらず、それに携わっている教師たちが必要以上のストレスを抱え、孤立させられ、追い込まれている。
 それは、子どもや保護者は言いたい放題、同僚の無関心、成果主義に日々追われている上司。さまざまなキャラクターのモンスターが登場する学校というリングに新規採用の教師が一人、セコンドなしに闘う状況と似通っている。
 新採教師の大変さは理解できる。支援してあげるべきだけど、学校にその余力はない。自分が支援しようとすると、今度は自分のほうがつぶれてしまう。
これは女性教師の自殺を知って寄せられた教師の声です。なんという悲しい悲鳴でしょうか・・・。
 教頭は「同じ教室にいて、なんで子どものチャンバラを止められないんだ。おまえは問題ばかりおこしやがって」と怒鳴り、先輩教師は、「おまえの授業が悪いから生徒が暴れる。アルバイトじゃないんだぞ。しっかり働け」と叱りつけた。
 いずれも当の本人たちは争っていますが、このように言われたとしたら、新採教師の心は相当傷つきますよね。たまりませんね。
 現代の教師の苦しさは、まず、対象である子どもの抱える困難であり、子どもとの関係である。子どもは誰しもが素直に真っ直ぐに成長するものではないし、けっして教師の思い通りにならない存在である。それぞれに生育と生活の重さを背負い、発達の困難を抱えて学校に来ている。だから経験を積んでも教師はつねに難しい仕事である。
 学校は、この自死した新採教師に対して、「思い込み激しい。つまらぬプライド強し」として、教師に向いていないと判断していたようです。夏休みに気分転換しようとして企画した外国旅行も、学年主任から「教えてもらっている身だからよくない」と言われて取りやめました。教師って、休みも自由にとれないんですね。
 8月下旬の日記には、「他の先生の協力をあおぐことに疲れた。私の心が傷つき、さらに疲弊してきた。生きているのが、つらい」と書かれていた。
 両親は、娘の死が労災(公務災害)にあたるとして、不支給決定の取り消しを求めて裁判を起こした。そして、2011年12月15日、裁判所は公務災害にあたるという判決を下した。
「学級運営に関する困難な問題に対して、反省と工夫を繰り返し、懸命に対処しようとしていたものであり、結果的には、児童らによる問題行動の内容やその頻度、新規採用教員としての経験の乏しさから事態が改善するに至らなかったという経緯等を踏まえると、クラスの運営については、もはや一人では対処しきれない状況に陥っていたというべきである。そして、このことは学校側においても十分把握することが可能であったし、指導困難に直面するなかで、教師が疲弊し続けていたことは十分察知できたはずである。
 このような事態の深刻性にかんがみれば、少なくとも管理職や指導を行う立場の教員をはじめ、周囲の教員全体においてクラス運営の状況を正確に把握し、問題の深刻度合いに応じて、その原因を根本的に解決するための適切な支援が行われるべきであった」
「新規採用教員の指導能力ないし対応能力を著しく逸脱した過重なものであったことに比して、十分な支援が行われていたとはとうてい認められない」
「そうすると、公務と精神障害の発症及び自殺との間に相当因果関係を肯定することができる」
 このような認定がなされたというのは、日本の教育現場の現実を反映した正当なものであるだけに、悲しいことです。もっとゆとりをもって、相互に暖かく助けあえる教師集団であってほしいものです。そうであってこそ子どもたちは学校で伸びのび育っていくことができます。
 ところでこのクラスには被虐待児がいたようです。虐待されて育った子どもは、周囲そして自分自身、つまりは人間に対する基本的な信頼感がないため、自らの感情をコントロールできず、激しい攻撃傾向があるようです。そのまま大きくなったら、人格異常と呼べる大人になるのでしょうか・・・。
 いやはや、教育の現場の大変さがよく分かりました。
 私の修習同期で親しい仲間である浜松の塩沢忠和弁護士も裁判に関わっています。控訴されたようですので、引き続きがんばってくださいね。
(2012年4月刊。1500円+税)

第一次世界大戦(上)

カテゴリー:ヨーロッパ

著者   ジャン・ジャック・ベッケール 、 出版   岩波新書
 第一次世界大戦、とりわけフランスとドイツとの戦争の実相を両国の学者が共同して描いています。
 1900年の人口はドイツ5600万人、フランス3800万人。いずれも人口数は停滞していた。
植民地征服のかなりの部分は必ずしも明確な経済的理由をもっていなかった。国家の目的は、しばしば国民感情によって直接的な支持を受けていた。単純に経済的次元に限定するのは不十分である。
フランス軍もドイツ軍も、動員のためには準備期間が必要であり、奇襲攻撃など不可能であった。
 ドイツの社会主義者たちは、フランス社会党の指導者との合意の下、1913年3月、軍国主義の反動に対する巨大なポスターを作成した。このポスターは、ドイツ語とフランス語で書かれていた。両国の社会主義政党は、軍国主義の過剰に対しては抗議をするが、祖国防衛には決して反対しないと書かれていた。
 1914年、社会主義者たちに平和への意思を放棄させ、危機に瀕する祖国防衛を受け入れさせたのは、間違いなくロシアこそが主要な侵略者であるという確信だった。
 1914年7月の時点では、フランスのCGT(労働総同盟)や社会民主主義者の幹部たちは戦争の勃発を阻止すべく行動していた。しかし、翌8月1日に、フランス政府が動員令を布告すると、戦争への抵抗は止んだ。フランス世論は、全体としてドイツによる侵略を信じた。自分たちが、何ものによっても正当化されえない侵略の犠牲者であるという確信こそが、動員され出征していく兵士たちの決心を支えていた。彼らにとって、この戦争は脅威にさらされた祖国を守るということだった。
 社会主義者が入閣するうえでの障害はもはや存在しかなかった。社会主義者たちは、緊急事態であるということを理由に、この入閣の誘いを受け入れ、それによって第二インターが禁じていた「ブルジョワ政府」への参画を実行した。
 1914年8月のドイツ人たちは、ほぼ例外なく、攻撃を受けた祖国を防衛することは正当であると考えた。
 1914年9月、軍部がフランス全体を統制下に置いていた。軍部独裁とまでは言えないが、実態はそれに近いものだった。議会のメンバーが前線に出かけて戦況を視察することが不可欠だったが、軍部はこれにきわめて強力に反対した。すべての選挙は、戦争状態の終了後まで延期された。
 軍部の統制下におかれ選挙権も奪われていたフランス市民は、何よりも情報の制約の犠牲者だった。検閲は、政府が反対派を沈黙させるための都合の良い手段となりえた。
開戦後、初めの数ヶ月間はフランスの社会主義者の立場に変化は見られなかった。彼らは神聖なる団結と祖国防衛を支持していた。しかし、戦争が続くなか、動揺する社会主義者たちの数は増える一方だった。
ドイツの司教教書は、開戦を物質的な文化の病的な雰囲気を一掃するものとして歓迎した。ドイツの「戦争文化」は、自らが正当な防衛の立場にあるのだということをドイツが繰り返し主張しなければならなかったという状況にも影響されていた。
フランスの側では、祖国が侵略され、一部占領されているという事実は、極端なまでの暴力的な言説をもたらした。それは、戦争の体験とそこから生まれる強迫観念や幻想を直接反映するものだった。フランス人に対して、ドイツ「文化」の内在的な暴力性を確信させるのに、たいした労力は必要とされなかった。
 一方、ドイツ人は戦場から離れており、自国の地を敵に踏ませていないという誇りから、「敵にあふれた世界」に対して自分たちの文明を守らなければならないのだという信念に固執していた。
 1914年から1918年にかけてのフランス人とドイツ人の日常生活の行動を規定していた要素はいろいろあるが、その最大は犠牲の巨大さである。その実数は国家の秘密事項であり、戦後に判明した。ドイツの死者は203万人、フランスは132万人だった。ロレーヌでは、1914年8月20日から23日までの戦闘で4万人が戦死したが、そのうち2万7千人は8月22日の一日だけの死者である。
 1914年11月末までに、フランス軍は45万4000人を戦死・行方不明・捕虜として失った。それはドイツ軍も同じようなものだった。ドイツ軍は開戦後1年間に66万5千人を戦力として失った。しかし、戦争は死者だけではなく、大量の戦傷者も生み出した。
 フランスでは食糧不足による騒乱や暴動は起きなかった。ドイツは事情が異なり、住民に対する食糧供給は、戦争の長期化とともに最重要の問題となっていた。1917年になると、パリで大規模なデモが行われ、人々を驚かせた。ドイツでは、既に1916年5月にベルリンでデモが開催され、そこでカール・リープクネヒトが逮捕された。1917年5月にベルリンで起こったストライキには20万人の労働者が参加した。
 1917年のロシア改革は、ドイツ国民の士気の回復に大いに貢献した。フランスと同様、ドイツの大衆も士気は低下した。しかし、ドイツ人にとって1917年はフランス人ほど絶望的な年ではなく、むしろ逆に勝利、あるいは平和の到来に対する期待に満ちていたため、士気は全体として依然として維持されていた。最終的にドイツが大戦中に動員した兵力は1300万人に及んだ。
 戦争はまた、機関銃の戦争でもあった。無骨だが頑丈なホッチキス機関銃が使われ、開戦当初の5100台が終戦時には6万台となっていた。1日に600万発の銃弾がつくられ、全体では60億発にもなっていた。5万2000機もの飛行機と9万5000台のエンジンを製造した。1918年には2500台の戦車が実践に投入された。そして、化学産業の申し子である毒ガス兵器もつかわれはじめた。
フランス人は税金を使って戦争をするつもりはなかった。しかし、お金を貸すことは嫌いではなかった。そこで、国債が発行された。戦争終結時にフランスの金保有量はほとんど減っていなかった。それは、個人に対する金の回収運動の成果だった。
戦争の需要はドイツの産業界に莫大な利益をもたらした。さらに、戦時社会の最も顕著な発展の一つが、女性労働の飛躍的な増加だった。
 この本を読んで、最近みたスピルバーグ監督による映画『戦火の馬』を思い出しました。第一次世界大戦も経済事情というより両面のプロパカンダに一般大衆が乗せられ、「祖国防衛」という実体のない叫びの下に、大量の戦死・犠牲者を出していったということを改めて認識しました。いわば、慎太郎・橋下流ポピュリズム政治が結果としてもたらすものを予見させる怖さです。
(2012年3月刊。3200円+税)

脳はすすんでだまされたがる

カテゴリー:人間

著者  スティーヴン・L・マクニックほか 、 出版   角川書店
 この本はタネも仕掛けもないはずの手品のネタバレをいくつもしています。でも、私がこれを読んだからといって、なるほどとは思いましたが、自分でやれるとは思えませんでした。なんといっても、手品を成功させるには繰り返しの練習が必要です。生半可なことではうまくはずはありません。
 あなたが見て、聞いて、感じて、考えたことは、あなたの予期にもとづいている。また、あなたの予期は過去のあらゆる経験や記憶から生まれる。いま現在、あなたが見ているものは、過去にあなたにとって有用だったものである。
 この本の主旨は、知覚された錯覚、自動的な反応、さらに意識する導き出す脳メカニズムがあなたという個人を定義するということだ。知覚の大部分は錯覚なのである。
 目とは、とかく信用ならない代物なのだ。人は見るものの多くを捏造してもいる。脳は処理できない視覚情報を「充填」によって補う。
手品の成否を決めるのは手の器用さだけではない。巧みな演技とコインの残像効果を組み合わせ、注意の対象を移動させることによって、小さな動きに信じがいたいほど強力な暗示を与える。目につく認知上のヒントをいくつも出し、観客がそれを発見するように導く。その技はいたって効果的であり、何度やっても観客はだまされてしまう。
 視覚系は、視野の中心を除けば、解像度はかなり低い。
科学者は手品師にことにだまされやすい。優秀であればあるほど、科学者をだますのはたやすい。なぜなら、科学者とは、真っ正直な人だから・・・・。
脳は自身の現実世界をたえずでっち上げている。
 一人になれるなら、刑務所内の危険や不快な出来事から解放されると思うかもしれない。しかし、それは受刑者にとっては最悪の懲罰なのだ。彼らは現実世界との接触を失ってしまうからだ。独房は拷問の一種である。
手品師は、人間の認知を手玉にとる達人である。注意、記憶、因果推論など、きわめて複雑な認知過程を視覚、聴覚、触覚、人間関係の操作の驚嘆すべき組み合わせによって制御する。
 脳は、二つ以上のことに同時に注意を払うようにはできていない。ある時点では、ある空間的位置にのみ応答するようにできている。
記憶には一つの情報源しかないように感じられるだろうが、それは錯覚だ。記憶はいくつかの下位システムから構成され、それらの下位システムが連携して自分が一個の人間であり、これまでの人生を一貫して生きてきたという感覚を与える。
 記憶は総じて誤りを免れえない。人間の脳は常に秩序、パターン、解釈を求めており、ランダムさ、パターンの欠如、形容しにくさに対する嫌悪感を生まれつき持っている。脳は説明不能とみると、無理にでも説明を試みる。詐欺師は弱者を襲ったり、助けを求めたりして、自分が弱い立場にあることを相手に印象づける。オキシトシンが脳に与える影響により、他人を助けるといい気分になる。「私には、あなたの助けが必要です」というのは、行動をうながす強力な刺激だ。
 手品師もたえず間違いを犯しているけれども、こだわらずに前へ進むので、観客はほとんど気づきもしない。あなたもそうすべきなのだ。うむむ、なーるほど、そうですよね。くよくよしていても損するだけですからね。
 手品師は、ユーモアと共感をもちいて、あなたの守りの壁をとっ払う。そうなんですよね。ユーモアと笑いが、人生をよりよく生きるためには欠かせませんね。なーるほど、そうだったのかと思わせることの多い本でした。
(2012年3月刊。角川書店)

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