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2012年6月 の投稿

帝の毒薬

カテゴリー:日本史

著者   永瀬 隼介 、 出版   朝日新聞出版
 戦後まもなくの日本の東京で、銀行員12人が一挙に毒殺されるという前代未聞の殺人事件が発生しました。いわゆる帝銀事件です。死者12人、重体4人という大惨事が白昼に都心で起きたのですから、日本全土を震撼させたのは間違いありません。
 つかわれた毒は青酸カリ化合物。遅効性のものです。16人全員にゆっくり飲ませて、まもなくバタバタと死んでいったのでした。即効性の青酸カリではそんなことはありえません。だから、毒性を扱い慣れていなければ、素人でできる犯罪ではありません。なにしろ、犯人自身も実演しているのです。もちろん、自分の分は安全なようにトリックを使ったのでしょう。結局つかまったのは平沢真通という画家でした。
画家にそんな芸当ができるはずもないのに、いったんは自白させて、有罪・死刑が確定したのです。死刑執行にはならず、いわば天寿をまっとうしました。もちろん、刑務所のなかで、です。
 では、いったい誰が犯人だったのか。この本は、七三一部隊関係者しかあり得ないというのを前提としています。
 七三一部隊は、中国東北部、当時の満州で中国人などを拉致してきて人体実験していました。マルタと呼び、医学レポートでは「猿」とも書いたのでした。日本人のエリート医学者たちです。東大や京大の医学部出身で、そのトップは軍医中将にまでなりました。石井部隊とも呼ばれました。戦後日本では医学部教授にカムバックし、ミドリ十字などを設立して、その中枢におさまったのでした。
 みんな墓場まで秘密を持っていけ、と石井軍医中将は戦後、命令しました。
 帝銀事件の「真相」を小説のかたちで明らかにした本として読みすすめました。
 松川事件と同じく、アメリカ占領軍の関わりのなかで、秘密文書が掘り起こされないと、本当の真相は明らかにはならないのだろうなと思いながら読了しました。気分の重くなる470ページという大作でした。
(2012年3月刊。2300円+税)

第三次中東戦争全史

カテゴリー:アラブ

著者   マイケル・B・オレン 、 出版   原書房
 私が大学に入った年、1967年6月に始まったイスラエルとエジプト・シリア・ヨルダンのあいだの6日間戦争は、あっというまにイスラエルが圧勝して終わりました。
 600頁もの大作ですが、この第三次中東戦争の実相を縦横無尽に調べ尽くしていて、まことに興味深いものがあります。結果としてはイスラエルの先制攻撃によって始まりましたが、エジプト側も先制攻撃を企図していました。イスラエルの政府と軍部のあつれきのなかで先制攻撃が始まっているのですが、それに至るまでのイスラエルの首相の苦悩のほども伝わってきます。だって、下手すると、イスラエルという国が地上から抹殺される危険もあったわけですから・・・。
 そして、エジプトです。イスラエルなんてちょろいものという根拠のない楽観論が支配していたようです。十分な軍備と指揮命令が確立しないまま、大量の将兵が最前線に送られ、先制攻撃するつもりが、イスラエルの空軍によって一日目にして壊滅させられ、あとは逃げる一方のところをエジプト将兵は、大量虐殺されていったのでした。ところが、なんと、そのときエジプトのメディアは勝った、勝ったと嘘の報道をして、欺された国民は狂喜乱舞していたのです。まるで、日本軍のミッドウェー開戦についての大本営発表です。
 そして、アメリカとソ連の対応も興味深いものがあります。全体としてはイスラエル支持のアメリカですが、イスラエルの先制攻撃を支持して国際社会から叩かれるのだけは避けたいのです。ソ連は、政府指導部内で対立抗争があり、身軽にエジプト支援には動けませんでした。そして、ソ連が支給した武器を装備したエジプト軍が崩壊して、大きく威信を失うのです。
エジプト支配層は、敗戦の実相が国民に知られると、第二の嘘をつき始めます。イスラエルに負けたのではなく、アメリカとイギリスが直接乗り出してきたから負けたという嘘です。
 支配層というのは、どこでも日本と同じように嘘をつくものなんだと改めて思ったことでした。
 エジプトのナセル大統領は、34歳で権力の座についた。エネルギッシュで断固とした気構えの人だった。スエズ運河を国有化し、ソ連装兵器を取得し、英仏イの三国進攻を撃退し、アラブを統一した。
 ナセルはユーモアがあり、他人に対する気遣いの人として知られた。静かで、妻と子どもたちとの家庭生活はつつましく、職権乱用の収賄が幅を利かすエジプトでは珍しく汚職をしなかった。しかし、1967年ころには、肥満体となり、目がどんよりして精神不安定、被害妄想の気が濃厚で、すぐにカッとなって怒った。ナセル体制下の法律は、あってなきが如き存在だった。
 100%近い得票で再選され、閣議を統裁するナセルは、自分だけがしゃべり、暴言を吐いて怒鳴りちらすことがよくあり、執念深い軍人独裁者に堕していった。
 ナセルとアメル元師とは、親友であり、危険な敵同士であった。アメルは野心満々の人物で、反対者には冷酷だった。エジプト軍の上級幹部は、能力ではなく、門閥、血縁関係、帰属政党によって決まった。さらに悪いことに、中級幹部は、意図的に無能な人材が選ばれた。反抗され、上級幹部に脅威となっては困るからである。将校は忠誠心に欠け、将校同士、一般兵同士の信頼関係も薄かった。
 エジプト軍部のなかに反対勢力が存在した。強固な主戦派である。欠点はあっても、軍はイスラエルと比べて、航空機、戦車、火砲どれをとっても数倍をもっている。この優位性でアラブの勝利は間違いないと信じていた。
イスラエルのラビン参謀総長は、開戦前、神経衰弱によって職務遂行能力を失っていた。 9日間というあいだ、ほとんど何も口にせず、睡眠もとらず、矢つぎ早に煙草を手にして吹かし続けた。疲労困憊し、すっかり衰弱してしまった。
 エジプト軍の保有戦車のうち、想定で20%は戦闘で仕えない代物だった。火砲の4分の1、作戦機の3分の1が同じく使えなかった。そして、部隊のうち所定の位置についたのは半分以下。そこへ配置転換命令が出て、大変な混乱状態にあった。ナセルはアメリカの武力介入を恐れた。そして、ソ連の強力な支援を信じていた。
 アメリカ政府にとって、中東和平のために努力するものは、必ず双方から棍棒で殴られるという結論に達していた。それほど厄介な問題だった。アメリカのジョンソン大統領の脳中は複雑だった。苦境にあるイスラエルを助けたい。同時にアラブ世界の親米政権も支援したい。雪だるま式にグローバル規模になるような戦争は防止したい・・・。
イスラエル国防軍の兵力27万5000。戦車1100両、航空機200機。
 6月5日、午前7時10分、イスラエル軍の航空機が発進した。ミラージュ65機。エジプト軍の基地にいたツポレフ爆撃機が次々に爆発していった。
 この朝、エジプト空軍は420機のうち286機を失った。ところが、エジプトのラジオはまったくの逆の報道をした。1時間ごとに、赫々たる大戦果を報じた。すべてでっちあげ。カイロの群衆は、嘘で固めた戦勝報道に酔い痴れ、拍手喝采し路上で踊り狂った。なんと・・・。エジプト軍の高官たちは、恐れをなくしてナセルに事実を報告しなかった。ナセルが事実を知ったのは、午後4時のこと。そして英米軍が直接関与したというデマを流すことにした。これによって小国イスラエルに手もなくやられたというエジプトの不名誉は小さくなるし、ソ連の介入を求める理由として使える。
 そのうえで、エジプト軍の総退却を命じた。逃げるエジプト軍をイスラエルの空軍と陸軍が襲いかかった。大虐殺の始まりです。あまりの捕虜の多さに、イスラエル軍は、エジプト軍の将校のみを捕虜としました。
 この戦争の推移は、今なお中東世界に尾を引いていると指摘されていますが、この本を読むと、それも当然だと実感します。しっかり分析するというのは、この本のようなことをさすのだと認識させられたことでした。読みごたえ十分の本です。五月の連休中の成果でした。
(2012年2月刊。6800円+税)

百姓たちの幕末維新

カテゴリー:日本史(江戸)

著者   渡辺 尚志 、 出版   草思社
 江戸時代、全国にあった村は6万3千ほど。現在、全国の地方自治体は1800なので、一つの地方自治体に35ほどの村があった計算になる。平均的な村は、人口450人、戸数60~70軒、耕地面積50町、村全体の石高450~500石。
 江戸時代の百姓は、二重の意味で農民と同義ではない。一に、百姓のなかには、漁業、林業、商工学など多様な職業に携わっている人たちがふくまれていた。第二に、農業をすることが即百姓であることにはならなかった。
 農村における本来的な百姓とは、土地を所有して自立した経営を営み、領主に対して年貢などの負担を果たし、村と領主の双方から百姓と認められた者に与えられる身分呼称であった。つまり、百姓とは、特定の職業従事者の呼称ではなく、職業と深く関連しつつも、村人たちと領主の双方が村の正規の構成員として認めた者のことだった。
 百姓たちは、先祖伝来の所有地を手放すことについて非常に大きな抵抗感をもっていた。土地を失うということは御先祖様に顔向けできない大失態だった。
無年季的質地請け戻し(むねんきてきしっちうけもどし)慣行が存在した。
 借金返済期限がすぎて請け戻せず、いったんは質流れになった土地でも、それから何年たとうが、元金を返済しさえすれば請け戻せるという慣行が広く存在していた。質流れから、10年、20年、場合によっては100年たっても請け戻しが可能だった。
 これは、村の掟だった。村人たちが全体として貸し手に有形無形の圧力をかけることによって、この慣行は有効性を発揮した。
 百姓たちがとった没落防止策として、経営の多角化を徹底させることがあった。
 19世紀、とりわけ幕末になると、百姓たちもファッショ運に敏感になってきた。江戸などの大都市での流行が村にも波及し、10年周期くらいで流行が変遷した。
 江戸時代は、今以上に古着が広く流通していた。
 江戸時代の百姓が米を食べられなかったというのは、明らかな誤りだ。年間1石(150キログラム)以上の米を食べていた。近年の日本人の年間消費量は一人あたり60~65キログラムなので、倍以上も食べていた。ふだんは、米と麦、雑穀を混ぜて炊いた「かてめし」や粥(かゆ)や雑炊を食べ、婚礼などのハレの日には米だけの飯を腹一杯食べた。
江戸時代の百姓が肉類をまったく食べなかったというわけでもない。魚、鮮魚はあまり食べなかった。多くの村人が年貢納入に苦労しているときには、それを当人の自己責任に帰してすまさず、村役人が中心となって村として借金し、そのお金を困っている村人たちに融通していた。隣人の苦境を我がこととして、村全体で対策をとった。村人の所有地が貸し手に渡ってしまったあとは、そこからの小作料を納めないと言うことで貸し手に対抗した。
 江戸時代、幕府や大名・旗本は、領地の村々に対して、村全体の年貢納入額と各村人への割り付け方の原則を示すだけで、あとはすべて村に任せていた。実際に村内のここの家々に年貢を割り当て徴収するのは村だった。このように、年貢を一村の村人たちの連帯責任で納める制度を「村請制」という。したがって、領主は、村の一軒一軒がどれだけ年貢を納めているのか、正確には把握していなかった。
 村での年貢の割付・徴収業務を中心的に担ったのは、村役人、とりわけ名主だった。したがって、年貢の滞納者が出たとき、名主は自費で立て替えてでも上納しなければならなかった。
 村々では、村役人に無断で抜地などの不正な土地取引がさかんに行われたため、村役人も土地の所有関係を把握しきれていなかった。土地台帳が実態を反映しなくなっていた。
村人たちは、農産物価格の適正化を求めて国訴(こくそ)を起こした。幕府に訴え出たのです。日本人は昔から裁判が嫌いだったなんて、とんでもない誤りです。すぐに裁判に訴えるのが日本人でした。江戸時代は、実にたくさんの裁判が起こされています。
 百姓たちが代官をやめさせるのに成功した例もあります。老中や勘定奉行などの幕府の要人に対する非公式の働きかけを百姓(名主)がしていたのでした。
 江戸時代の百姓は、脇差を差すことが認められていた。
 江戸時代の村々には、多数の刀や鉄砲が存在していた。百姓一揆は、統制のとれた秩序と規定ある行動だった。一揆勢は、武装蜂起して武士と戦うことは考えておらず、人を殺傷するための武器も携行していなかった。手に持ったのは、自ら百姓であることを明示するための鎌や鍬といった農具だった。身につけた蓑や笠も、百姓身分を示すユニフォームだった。
 百姓一揆は反権力の武装蜂起というより、今日のデモ行進に近い。ただし、処罰を覚悟していた点が合法的なデモ行進とは異なる。
 ところが、19世紀になり、百姓一揆のあり方に変化が見られた。領主に対する要求より、買い占め、売り惜しみなどの不正行為をしたと見なされた富裕な百姓・町人に攻撃の矛先が向けられるようになった。武士に対するたたかいから、庶民内部の争いへと変わっていった。百姓一揆のなかで攻撃対象の百姓・町人の家を襲って建物・家財を破壊する打ちこわし頻発した。そのなかで一揆勢の秩序と規律が乱れ、略奪・放火・暴力行使など、従来の百姓一揆では見られなかった逸脱行為も発生するようになった。
 このように百姓一揆が攻撃性・暴力性を強めるにつれて、鎮圧する領主側との武力衝突も起こるようになった。
 江戸時代の村の様子そして百姓一揆の実態を知ることのできる本です。
(2012年2月刊。1800円+税)

原発事故の被害と補償

カテゴリー:社会

著者   大島 堅一、除本 理史 、 出版   大月書店
 2011年3月11日の巨大地震によって福島第一原子力発電所は壊滅的な打撃を受け、広い範囲に放射能を放出し、今なお多くの福島県民が避難を余儀なくされたまま、故郷に戻れないでいます。
 わずか170頁ほどの薄い本ですが、福島第一原発で起きた深刻な放射能放出、汚染の状況を明らかにしたうえで、その「補償」問題についての視点を確認し、問題点を指摘しています。コンパクトで、読みやすくまとめた本として、一読をおすすめします。
 福島第一原発事故の特徴は3つある。第一は、世界で初めて、地震や津波で起きた大事故であること。第2は、事故を起こした原発が一つではなく複数だったこと。第3は、事故の一定の収束に非常に長い期間を要していること。
 東日本に比べると西日本への放射能降下量は非常に少ないが、それでも福岡で17万ベクレル/㎢となっている。前年は「不検出」だったのに・・・。
 大気への放射性物質の放出は、事故直後の数日間がもっとも量が多く、毎時2000兆ベクトルだった。
 大気だけでなく、海洋への放射性物質の流出も重大である。原発内の汚染水に含まれる放射能は80京ベクレルと推定されている(2011年7月時点)。海洋に流れ出た汚染水に含まれる放射能は、4700兆ベクレルを超えている。
 現在の避難対象区域の設定によると、一般市民も原発で働く労働者並みの被曝を受ける危険性がある。子どもの放射性感受性が成人より3~5倍も高いことを考えれば、心配な事態である。
福島県内にとどまって生活している人々のなかには、もうこれ以上心配したくない、不安をあおられないでほしいと願う人も多いようです。
 「そんなに心配だったら、ここにいなければいい。ここにいるからには当局を信頼し、いろいろ質問すべきではない」という声が出て、それに満場の拍手が湧きあがったといいます。とても心配な現象です。
 補償にあたっての指針は、「半年たったら避難先に慣れて、生活のめども立っているだろうから精神的被害は軽減されるはずだ」という。しかし、生活と失業の基盤を根こそぎ奪っておきながら、半年たてば苦しみも半分になるかのような東電の主張は、もってのほかです。
そのうえ、東電は補償金を払う前に「合意書」に署名させようとした。補償を受けとって以降は、「一切の異議、追加の請求はしません」となっている。
電力会社が、「原子力村」を構成する諸主体とむすびつき、原子力政策に影響をもつやり方には、次の5つがある。第1は、電力会社が直接、政治に対して影響力を行使する。国会・地方議会に電力会社出身社を経営側、労働側それぞれから送り込んでいる。
 第2は、官僚との関係性を強めること。
 第3は、電力会社関係者が政策決定に直接関与するやり方である。
 第4は各種メディアを通じて原子力賛成の世論を形成すること。
 第5は、学者を使って、原子力発電に推進に学問的に権威づけをする。
 ここに、一般マスコミが脱原発をはっきり言わない、言えない根本原因があると思います。
 ぜひ、あなたもご一読ください。
(2012年2月刊。1600円+税)

橋下「維新の会」の手口を読み解く

カテゴリー:社会

著者   小森 陽一 、 出版   新日本出版社
 橋下徹的扇動手法には5つの手口がある。うむむ、どんな・・・・?
 第一の手法は、悪役・悪玉・敵役を意図的に捏造して、そこに攻撃を手中させること。小泉政権も、「悪玉づくり」の名手だった。「悪いのは、教師と公務員だ!」と単純明快な「悪玉づくり」を大きな声でいってくれる人がいると、それだけで落ち込んでいたのが救われた気持ちになる人も多い。そして、これには「あなたは悪くない」というメッセージをふくんでいる。
 第二は、多くの有権者の抑えに抑えているうらみや怒りに働きかけ、それを晴らすかのような幻想を与えること。実際には、むしろ出口なしの状況によりいっそう追い込んでいくことになるのだが・・・・。
 第三に、有権者に責任の所在を明らかにし、政策を生み出すような思考を行わせないこと。
 第四に、思考停止の強制。少し考えれば絶対に矛盾視することを、別に大きな声で言っておいて、世論の方向がどちらへ向くのかを見定めて、どちらでも選べるようにしておくという、有権者を侮辱したやり方である。このとき有権者に少し考える余裕すら与えず、「白か黒か」の二者択一を迫る。
 第五に、紋切り型の連鎖へのはめ込む悪玉連鎖をつくって、橋下自身は善玉として安泰になる。
 なーるほど、そうやって今、多くの人が騙されているんですね。
 「人材の育成」という基本理念を持ち込むと、教育についての考え方が歪んでしまう。
 そして、点数化された学力競争をすればするほど、点数さえ落ち込んでいく・・・・。教育における点数競争は、子どもたちに、何かと大人から学ぶという意欲そのものをなくさせている。
 マネジメントとは、人間が最初は野生だった動物を人間の思いどおりに家畜化する、あるいは家畜を人間の思うとおりになるよう訓練、調教するという意味合いをふくんだ言葉なのである。そうだったんですか。だったら、学校にマネジメントなんかふさわしくありませんよね。
 職務命令や分断支配によって校長の意図が強制される学校では、教師や子どもは実は家畜のように扱われるという事の本質が大阪の条例にあらわれている。
 橋下を支持している人に向かって、「あなたは愚かだ」と言っては連帯できない。橋下の主張の矛盾をていねいに解きほぐしながら、支持者と連帯できるようなしなやかな言葉のやりとりが大切である。「あなたがそう思うのは、よく分かる」ことをまず伝える。その人の思い、言い分をよく聞く。そして、橋下が何をしようとしているのかを論理的に明確にし、それで私たちは本当に得(トク)をするのか、具体的に語りあう。
 橋下を支持する人々の置かれた状態に注意を払い、その願いをよく聞き、寄りそいながら、橋下流の「改革」で本当に幸せになれるのか、よくよく話し込む。
 憎しみをあおるような言葉に気持ちを任せるのではなく、本当に生活を良くするためにはどうしたらよいか、一緒に考えることが大切だ。言葉を言葉で疑い、ウソをひっくり返していく。
 わずか85頁という薄い小冊子ですが、大切な指摘、今すぐ実践したくなるような珠玉の論文でした。ぜひぜひ、あなたもご一読ください。
(2012年5月刊。571円+税)

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