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2012年4月 の投稿

飼い喰い

カテゴリー:生物

著者  内澤 旬子  、 出版  岩波書店 
 壮絶としか言いようのない3匹の豚の飼育体験記です。しかも、うら若き(?)女性一人で1年間にわたって仔豚3匹を育て、立派な肉豚として屠蓄場に送り、飼っていた豚をみんなで食べたのです。
 すごいです。とても、私には真似できません。そして、なにより、3匹の豚に名前をつけ、その個性を描き分けているのです。いやはや、彼らの、なんと人間的な、いえ人間そっくりの性格でしょうか・・・・。
 3匹の豚のうち、もっとも図体が大きい豚は最下位にランクされ、エサに十分ありつけずに肥育レベルが遅れてしまったほどです。要領よくひたすら食べ続けていた豚は、もちろん肥え太ります。そして、他人(他豚)を押しのけてまで食べまくる豚は意地きたなく生きのびます。そして、ついに3頭の豚を一挙に死に至らしめて人間様が食べようというのです。それも、フランス料理、韓国料理そしてタイ料理でいただくのでした。すごいですよ。
 雑誌『世界』に連載されていたそうですが、私はこの本を読むまで知りませんでした。勇気ある女性のおかげで、日頃食べている豚について、いろいろ知ることができました。
 豚は生後半年ほど、肉牛は生後2年半ほどで屠蓄場に出荷され、屠られ、肉となる。
 日本で現在もっとも一般的なかけあわせパターンは、仔豚を安定してたくさん生む、つまり繁殖性の優れたランドレース種(L)と繁殖性に加えて産肉性、つまり手早くふくふくと肉をつけて太ってくれる大ヨークシャー種(w)をかけあわせた雑種第一世代豚(LW)を子取り母豚(ぼとん)とし、さらに止雄豚としてサシが入るなど、肉質の優れたデュロック種(D)をかけあわせたLWDである。
 母豚は、少なくて8頭、多いと13頭の子豚を生む。生まれてすぐに、上下4本の犬歯の先をニッパーで切る。大きくなったとき、ケンカしたり作業員を噛んだりして危ないからだ。豚はよくかむ。豚は土も食べる。
豚は3キロ食べて、1キロ太る。70キロの枝肉をつくるのに115キロの生体重にするとして、345キロのエサを食べて、980キロの糞尿を出す。人間の14倍もの糞尿を出す。豚を110キロまで育てるのに、その3倍の330キロの餌を食べさせている。そして、消費者に肉として売れるのは、だったの23キロだけ。1年かけて育てた豚が、わずか2万円でしか売れないなんて・・・・。
一つの囲いの中に、何頭か豚を入れると、必ずケンカして序列を決める。
それにしても豚たちはよく寝る。一日のリズムのようなものも特になく、気がつくと起きてごつごつと餌箱に鼻をぶつけるようにして餌を食べ、水を飲み、また、ごろりと横になる。まさに、喰っちゃ寝なのだ。豚の道具は、鼻と口がすべて。
豚はきれい好きで、糞尿する場所を決めている。水浴びのときを選ぶように放尿する。ところが、身体を分まみれにするのも大好きなのだ。
夢は自分の名前まで認識していた。3頭の豚は、著者の声と他人の声と完全に聞き分けていた。しかし、自分の名前まで把握していたのは夢だけだった。3頭の豚の名前は、伸、秀、そして夢でした。
豚をかわいいって思ったらダメなんだよ。ペットじゃないんだから、割り切らないと・・・・。
 これは著者が豚を飼いたいと言ったときの養豚家の人に言われたセリフです。そうですよね。
 そして、3頭の豚を著者が口にしたときの描写がすごいです。
 噛みしめた瞬間、肉汁と脂が口腔に広がる。驚くほど軽くて甘い脂の味が口から身体全体に伝わったその時、私の中に、胸に鼻をすりつけて甘えてきた3頭が現れた。
 彼らと戯れたときの、甘やかな気持ちがそのまま身体の中に沁み広がる。帰って来てくれた。夢も秀も伸も、殺して肉にして、それでこの世からいなくなったのではない。私のところに戻って来てくれた。今、3頭は私の中にちゃんといる。これからもずーっと一緒だ。たとえ肉が消化されて排便しようが、私が死ぬまで私の中にずっと一緒にいてくれる。
 うむむ、なんとなく分かりますよね、この気持ちって・・・・。
 生き物とは何かを考えさせてくれる、とてもいい本でした。
 著者は乳がんで何回も手術したそうですが、これからも元気で今回のようないい本を書いて紹介してくださいね。
(2012年2月刊。1900円+税)

国家救援医

カテゴリー:アフリカ

著者   國井 修 、 出版   角川書店
 世界中の無医地区に出向いた日本人医師のすさまじい体験記です。こうしてみると、日本人の男子も、なかなか捨てたものではありません。これまで日本人女性の海外での活躍ばかり目立っていましたが(なでしこジャパンも)、日本人男性もやりますね。著者の大活躍に、心から拍手と声援を送ります。
 1962年生まれということですから、ちょうど50歳。まさに働き盛りの医師です。
 ユニセフ(国連児童基金)の医師として世界中を駆けめぐり、これまで110ヶ国で医療活動に従事してきたそうです。いやはや、超人的な経歴です。
私がこの本を読んでもっとも驚いたことの一つは、人道援助のつもりで送られた粉ミルクが現地の子どもたちの生命を奪っているということです。
飢餓で栄養不足の子どもがいることを知って、粉ミルクを送りたいと思うのは人々の善意からです。ところが、粉ミルクを溶かす水に問題があります。殺菌のために水を湧かせばいいのですが、災害現場には煮沸する手段・道具がありません。乾燥した粉ミルクでさえ細菌は繁殖できるのです。まして、汚染された水を粉ミルクに混ぜたらどうなるか。汚い水に混ぜて作ったミルクを子どもたちに与え、そこで残ったミルクを暑い環境に放置して、数時間後、また翌日飲ませたらどうなるか。さらに哺乳瓶や乳首を消毒もせずに使い続けると、どうなるか。うひょう、こ、こわいです・・・。
 その結果として、粉ミルクを使用した子どもは母乳保育児に比べて、死亡率がとても高い。そこで、ユニセフは、援助物資として粉ミルクを供与しないようにした。うへーっ、そうなんですか、ちっとも知りませんでした。善意が仇(あだ)になるという典型ですよね、これって・・・。
 著者は若い人たちについてきて欲しいと訴えています。日本の若者たちに、福島そして世界各地の病める人々のいるところに次々に飛び込んでいってほしいなと私も思いました。
(2012年1月刊。1400円+税)

見えない雲

カテゴリー:ヨーロッパ

著者   グードルン・パウゼヴァーグ 、 出版   小学館
 1987年(昭和62年)に発刊された本を初めて読んだのです。
 ロシアのチェルノブイリで原発事故が起きたのは、その前年の1986年4月のことです。同じような原発事故がドイツで発生したときにドイツ国民にどんな影響をもたらすのかが、実によく分かります。先に、この本のマンガ版を紹介しましたが、その元になった本があると教えられて読みました。すでに黄ばんでいましたが、内容は古くなっていないどころか、まさにフクシマのあと日本が直面している事態が描かれていると感じました。
 そして、何より大切なことは、役人を信じないということだ。
そうですよね。政府も東電も信じられませんよね。「今すぐには健康に影響はない」なんてことしか言わなかったのですからね。そして、日本国民には知らせなかったデータを、いち早くアメリカには通報していたわけです。日本って、アメリカの属国でしかないというのは、悲しい現実です。
主人公の女の子は放射能のせいで頭の髪の毛が抜けてしまいます。夏の真っ盛りなのに、帽子やスカーフをかぶっている。そんな被爆者が周囲から差別され、誰も近寄らない。離れたところから好奇の視線を投げる。軽蔑したり、意地悪したり、心を傷つけることは誰もしない。隣に座ろうとする人もいない。こうやって被爆者は罪もないのに社会的に孤立させられるのですね。
 目には見えない放射能の恐ろしさですから、立ち入り禁止の生まれ故郷に戻る人々がいます。日本の福島でも同じことが起きています。この本では、故郷に戻った祖父が次のように孫に話す場合があります。
 「知らせなくてもいいことまでマスコミに知らせたのが、そもそもの間違いだった。連中は、なんでも大げさに書きたてる。そんなことさえしなければ、こんなヒステリーが生じることもないし、誇張やプロパガンダにまどわされることもなかった」
 今の日本の政治家の多くが同じ考えなのでしょうね。本当に嫌になります。民は由らしむべく、知らしむべからず、というわけです。でも、病気になる確率は若い人ほど大きいのが現実です。そして、年寄りだから、もう病気にならないということでは決してありません。
 脱原発の運動がもうひとつ盛り上がりに欠けるのが残念です。原発を推進してきた政治家が「身を削る」と称して、比例定数削減を狙うなんて、火事場泥棒のようなものですよね。まずは政党助成金を廃止して、国民(個人)の浄財(カンパ)以外に政党はお金を受けとれないようにすべきではないでしょうか。私たち日本人は、もっと怒るべきだと思います。
 この本がベストセラーになったおかげで、ドイツは脱原発へ大きく舵を切りました。それほどのインパクトのある本です。
(1987年12月刊。780円+税)

贈与の歴史学

カテゴリー:日本史

著者   桜 井  英 治 、 出版   中公新書
 年貢契約説というのを初めて知りました。
領主には百姓を保護する義務がある。それに対して、年貢は百姓がその御恩に対する忠節・奉公として納入したもの。だから、年貢の減免要求はあっても、年貢そのものを廃棄しようという動きはまったく見られなかった。
 調(ちょう)の本質は、氏族や官人に分配することではなく、神に対する贈与にあった。
 初穂を特徴づけるのは額の少なさだった。まさしく寸志だった。収穫の3%という低率だった。古代の税は人への課税から土地への課税へと大きく変化した。そのとき、神への捧げ物としての本来的性格は失われた。
 室町幕府の意思決定は、評定会議にせよ、大名意見制にせよ、有力大名の全会一致を原則としていた。専制的な将軍として知られた足利義教でさえ、この原則は無視できなかった。
 有徳銭(うとくせん)は、金持ちにのみ賦課された富裕税のこと。一定以上の財産をもつ者にのみ賦課された。
 いま、アメリカでオバマ大統領が試みている金持ちへの課税ですね。日本でも共産党が提唱していますが、民主党も自民党も強く反対しています。私は必要だと考えています。
 有徳人に徳行を求める民衆意識こそ、中世後期において有徳銭を支えていた主要な倫理的基盤であった。
 有徳銭が民衆に対する間接的贈与であったとすれば、土倉・酒屋などの金融業者に責務の破棄を求めた徳政一揆は、いわば民衆に対する直接的贈与を求めた運動に位置づけられる。富める者は、その富を社会に還元しなければならない。本当に、そのとおりです。アメリカでは大金持ちが自分たちに適正な課税(税率アップ)を求めていますが、日本の超大金持ちから、そんな声は聞けません。残念です。
 中世の日本は、文書の発給や訴訟など、さまざまな場面で、礼銭(非公式の手数料)が求められた社会だった。このような非公式の礼銭収入が実質的に役職に付随する唯一の収入源となっていた。
 中世の人々は、損得勘定、釣りあいということに非常に敏感だった。損得が釣りあっている状態を「相当」、釣りあっていない状態を「不足」と呼ぶ。
 手紙の末尾は、相手の身分に応じて書き分けねばならなかった。謹言、恐々謹言、恐惶謹言、誠恐謹言。ちなみに、拝啓とか前略という書き出し文言は中世日本にはない。
 13世紀後半、それまで米で納められていた年貢が、銭で納める形態に変化した。これを年貢の代銭納制という。この出来事は、中世日本の経済にとって、最大の事件だった。
 年貢の代銭納制は、日本列島に膨大な商品の流れを発生させ、本格的な市場経済が展開するようになった。
 中世後期の日本では、銭を贈答に用いることに抵抗を示さなかった。今日の日本でも現金が平気で贈答されるが、これは日本の特殊性だ。
 ええーっ、そうなんですか。たしかに、結婚式その他で、私たち日本人は全く平気でお金を包んでいますよね。そして、その相場表がマナーの本にのっています。
 中世とは、年始から歳暮に至るまで、一年を通じて際限なく贈答儀礼がくり返されていた時代である。
 私たちが、今日、平気でしていることって、意外にも世界的には珍しいことのようです。しかし、それは中世以来の伝統でもあるというのです。いろいろ知らないことって多いですよね。
(2011年11月刊。800円+税)

60年代のリアル

カテゴリー:社会

著者  佐藤 信 、出版 ミネルヴァ書房
 このコーナーで取り上げている本は、わたしが読んで面白かったもので、あなたにも読んでほしいな、ぜひおすすめしたいなというものばかりなのです。でも、この本はちょっと違います。歴史認識としての間違いが定着するのを恐れて、あえて取り上げました。つまり、読んでほしいというのではなく、こうやって誤った歴史認識が定着していくかと思うと悲しいという意味で紹介します。まあ、私がそう言うと、かえって読みたくなる人が出てくるかもしれません。それはそれで、お好きなようにしてくださいとしか言いようがありません。
 この本は『朝日ジャーナル』バックナンバーを読んで東大闘争を語るというものです。ところが、私の学生のとき、『朝日ジャーナル』は、いつも一方的に全共闘の肩を持ち、いかにも偏見に満ちていると感じていました。少なくとも『朝日ジャーナル』だけ読んで東大闘争を分かったつもりで語ってほしくないと心底から思います。
 当時(1968年から1969年ころのことです)、「ジャーナル全共闘」という言葉がありました。大学に出てこなくて下宿や自宅にひきこもっていて、『朝日ジャーナル』を読んで東大闘争の本質をつかんでいる気になった全共闘シンパ層を指した言葉です。彼らは、たまに大学に出てくると、それこそ「革命的」言辞を吐き、「東大解体」そして試験粉砕を叫んでいました。そのくせ、授業粉砕に失敗して再開された授業には乗り遅れないように出席したのです。「東大解体」を叫んでいた東大生が、授業再開後に東大を中退したという話を私は聞いたことがありません。それどころか、全共闘の元活動家で東大教授になった人が何人もいます。
 この本で「『朝ジャ』は、そもそも新左翼に同調的なわけでもなんでもない」と書かれていますが、これは明らかな誤りだと思います。「同調的」どころか、「新左翼」(全共闘)をあおりたてていたと私は理解しています。
 1968年11月12日、東大の総合図書館前にあかつき部隊の黄色いヘルメットをかぶった500人が石段に並ぶ。そこに全共闘が殴りかかっていく。だが、いくら勇ましくとも、最前列の者しか相手を殴ることはできない、やがて殴る手が止まると、あかつき部隊の笛。あかつき部隊というのは、東大民青支援のためにつくられた「外人部隊」、つまり他大生の部隊のことだ。
 これは、まるでマンガです。当時の写真も何も見ないで、見てきたような嘘の典型です。そのとき、その場に居たものとして、本当に残念です。もちろん、この本の著者がこんな場面を想像したのではなく、きちんとした出典があります。宮崎学の『突破者』と島泰三の『安田講堂』です。「あかつき部隊」なるものが存在したことは私も否定しません。しかし、島泰三は、その場にいなくて、写真だけを見て、その場にいた私たち駒場の学生を「あかつき部隊」と、『突破者』をうのみにして見なしているのです。
 当日は「500人が石段に並ぶ」なんていう規模なんていうものではありません。数千人の学生が、院生、教職員ともに現場にいました。石段ではなく、池の周辺の平地です。全共闘も数千人規模、民青・クラ連その他もいて、数千人の壮絶なぶつかりあいがあったのです。素手で殴りあったのでもありません。長い長い木のゲバ棒そして鉄パイプ、さらには薬品まで投げかった凄惨な修羅場だったのです。そんな、あかつき部隊のリーダーの笛一つでどうこうできる状況でもありませんでした。その一端は小熊英二の『1968』は紹介されています。このような現場状況を示した写真も、島泰三の本だけではなく、何枚もあります。
 こんな大嘘が堂々と定着して、それが歴史的事実になるとしたら、その場にいた学生の一人として、本当に耐えられない思いです。ぜひとも『清冽の炎』(花伝社)を読んでください。
(2012年3月刊。1800円+税)

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