法律相談センター検索 弁護士検索
2012年3月 の投稿

あんぽん

カテゴリー:社会

著者   佐野 眞一 、 出版   小学館
 ソフトバンクのオーナーである孫正義の伝記です。一気に読ませる面白い本でした。
 私は、JR鳥栖駅周辺をよく通過しますが、その近くの朝鮮部落で孫正義は子ども時代を過ごしたとのことです。私の住んでいた小都市にも朝鮮部落がありました。そこでは豚を飼っていましたので、リヤカーで残飯を回収してまわっていて、いつも独特の臭気が漂っていました。そして、ときどき密造酒づくりの現場に警官隊が踏み込んでいました。私の家は炭鉱マン相手の小売酒屋でしたから、いわば商売敵だったのです。孫正義の親も、この密造酒づくりでお金を稼ぎ、それを金貸しの原資とし、そこで貯めこんだお金を元にパチンコ店を経営するなどして発展していったようです。
孫正義は、歴とした日本人です。それなのに、今でも「朝鮮半島に帰れ」とかの誹謗・中傷が絶えないといいます。そんな日本人のひがみ・やっかみって本当に情ないですね。
いいじゃないですか。笹川某も言うように「人類、みな兄弟です」よ。全世界の人々が、もっとおおらかに交際し、まじわりたいものです。
 それにしても、この本はよく調べています。なんと、私も関わったことのある山野炭鉱ガス爆発事故まで登場してくるのには驚きました。故松本洋一弁護団長、そして角銅立身弁護士までこの本には登場してきます。その取材の丹念さに改めて驚嘆せざるをえません。
孫正義は、1957年(昭和32年)に鳥栖駅に隣接し、地番のない朝鮮部落生まれ、豚の糞尿と豚の餌の残飯、そして豚小屋の奥でこっそりつくられる密造酒の強烈な臭いのなかで育った。そして今や、世界長者番付で例年、日本人ベストテンの中に入るまでの成功をおさめている。
 孫正義は、1990年9月に日本に帰化した。帰化前の名前は安本正義だった。中学時代、孫は、「あんぽん」といわれるのをひどく嫌った。
 中学生のとき、父親が吐血して入院した。孫は、家族を支えられる事業を興すと腹をくくった。塾を始めようとしたそうです。すごいですよね。私なんか、中学生のときは反抗期にいて、親とはろくに口もききませんでしたが、それは単なる甘えでしかなく、経済的に自立するなんて、考えたこともありません。
 孫は、久留米大付設高校に入学し、中退します。私も、実は、この高校に合格したのですが、地元の県立高校に入学したのでした。男女共学が良かったからです。
孫は、16歳でアメリカに渡ります。なぜか?
 たとえ東大に入っても、国籍の問題で官僚にはなれないと考えたからだ。
 私は面識ありませんでしたが、私の同学年に新井将敬という男がいて、後に自民党代議士になりました。彼も在日でしたが、大学時代は反権力を標榜する全共闘の活動家だったそうです。あとに正反対の自民党の代議士になりました(そしてスキャンダルを起こして自殺してしまいました)。ですから、帰化すれば官僚にはなれたのではないでしょうか・・・。
 現在の孫邸は港区麻布の910坪の土地を占め、地下1階、地上3階建て。その邸宅の建築費(土地代を含む)は60億円。うむむ、これまたすごいですね。
 孫は、アメリカに渡って、大学入学検定試験に合格して、大学に入学した。
 孫は病気から立ち直った父親から潤沢な仕送りを受けて、アメリカで大きく羽ばたいた。
 この本を読んで、孫正義はたいした人間だと再認識させられたのですが、そうではないところもありました。それは、ハーバードも東大も幼稚だし低脳だと悪罵しているところです。ハーバードのことは、何も知らないので論評する資格はありません。でも、東大について、「絵空事のマルクス経済学なんかをいまだに教えているんですから、話にもなりません」というのには、心底からがっかりしました。これでは古代ギリシャ哲学を今の大学で教えてはいけないということにもなりませんか。大金持ちの、おごりたかぶりの発言の典型としか思えず、本当に残念でした。
 マルクスの言っていることに正しい面があると思いますし、マルクスが現在、世界的に再評価されていることを孫は知らないようです。お金もうけ本位で世の中をみてしまうことによって現代社会に依然として大きなひずみ(格差)があらわれていることが、残念なことに孫正義にはまったく見えていないようです。なにもかも自己責任だというのでしょうか・・・?
 孫家の家は、人を傷つけることにも容赦がないという意味では下賤である。
 この点は、この本を読んで残念ながらまったく同感でした。
孫正義が中学生のときに描いた自画像があります。そのあまりの陰鬱さは驚くばかりです。内面にかかえた孤独感がにじみ出ていると評されていますが、まったく同感です。
 ソフトバンクのオーナーである孫正義という人物を知るためには欠かせない本だと思います。丹念な取材と読ませる文章力は、さすがでした。
(2012年2月刊。1600円+税)

マジックにだまされるのはなぜか

カテゴリー:人間

著者   熊田 孝恒 、 出版   化学同人
 手品にだまされて怒る人はいない。まことにそのとおりです。そのだまし方のうまさに驚嘆こそすれ、怒るなんて考えられません。でも、なぜ?
 だまされてお金を巻き上げられて弁護士のもとに駆けつけてくる人は後を絶ちません。騙しの手法は日々新しくなっています。一人でじっと家にこもっていると、うかうか騙されやすいのが現実です。
 人が、なぜだまされることを喜ぶのかという人間のメカニズムは、まだ十分に解明されていない。うへーっ、そうなんですか。奇術には私も楽しくだまされています。
 人間が本を読んでいるのを横から観察すると、眼は滑らかに動いているのではなく、ピクッピクッと、まるで秒針のように、不連続的に動いているのが分かる。実際には、眼は一度とまると、その前後の数文字を読み、それが終わると数文字先に飛び、そこで、またとまるというのを繰り返す。これをサッカード(サッケード)と呼ぶ。視線がとまっているあいだは、そのなかを注意のスポットライトが一文字ずつ字面を追って移動するということがおこなわれている。
 スムーズに眼が動いているように感じるのは、注意のスポットライトが、不連続な眼球の動きを補っているからだ。特徴検索モードとは、行動の目的にそった「構え」を維持し、その構えにしたがって情報を処理するようなメカニズムを働かせることにほかならない。私の速読術というのはひたすら自分の脳を信頼して活字を追うということです。理解できればどんどん読みすすめていくことができます。
 眼が動いた先でとまる直前の0.1~0.2秒ほどのあいだは、サッカード抑制によって眼からの情報が処理されない空白の時間が生じる。この空白の時間を脳はサッカードが終わった時点で得られた情報によって穴埋めしている。つまり、サッカード後の情報が、その0.1~0.2秒前から始まっていたかのように感じる。ヒトが眼を動かしているあいだに起きたことは認識されない。
 我々が見ていると思っている情報のうち少なくとも3割はリアルタイムではない。いわば静止画をプレイバックしているような状態なのである。
 日常生活では、我々は臨機応変に注意モードを切り替えながら、適切な情報処理を行っている。マジシャンは、わざと怪しげな仕草をすることで、観客の注意が特定の場所に向かないように「誤誘導」している。
 高齢者は自ら注意機能の低下を補うために、情報処理の方法を変化させていた。
 過去の知識を活用して目標に到達するという方略を採用した。考慮すべき情報が多くなると、無意識的な直感思考のほうがよい選択に結びつく。
 本を読むときの脳の動きや、見ることと認識のあいだのずれというものがとても新鮮な指摘でした。
(2012年1月刊。1700円+税)
 吹く風はまだ冷たいものの、すっかり春の日差しとなりました。白いコブシの花が満開です。同じく白のハクモクレンそして満開となった紫色のシモクレンを町なかに見かけます。私の家にもシモクレンがあるのですが、うちはまだまだ小さなツボミでしかありません。なぜか例年遅いのです。
 遅いと言えば、チューリップはようやく咲きはじめたもののまだ花を咲かせているのはわずか13本のみです。あとは、まだまだ春はまだ来ていないよという感じです。クロッカスやヒヤシンスもいくつか咲いています。今、見事なのは黄水仙です。これも自己愛を主張しているのでしょうか・・・。

帝国を魅せる剣闘士

カテゴリー:ヨーロッパ

著者   本村 凌二 、 出版   山川出版社
 冒頭に、ある剣闘士の手記が載せられています。闘技場に駆り出され、死ぬまでたたかうしかない剣闘士の心情がそくそくと伝わってきます。大観衆が狂ったように怒声をあびせ、甲高いラッパの響きが耳をつんざく。やがて、「殺せ、殺せ」の大合唱になっていく。それで、剣闘士は、敗者の喉を切りさくのだった・・・。
ローマの闘技場(コロッセウム)は5万人もの大観衆を収容する。そこでは血なまぐさい殺しあいが果てしなく続いていた。
 私はローマの闘技場は見ていませんが、フランスにある円形闘技場の遺跡はあちこちで見ました。初めは野外の円形劇場だと誤解していました。そこでは歌と芝居も上演されていたのかもしれませんが、それより闘技場として殺しの舞台だったことは間違いありません。
 ローマ人よりも前に、カプア人が剣闘士競技を葬儀につきものの行事として挙行していた。
剣闘士は、市場に立つ奴隷であり、血を売る自由人であった。前2世紀には、既に専業化した剣闘士が登場していた。
 剣闘士の競技は600年も続いた。ローマの民衆は剣闘士競技にすさまじく熱狂し、元老院も剣闘士競技を公の見世物として公認した。
 なによりも民衆の関心を集めたのは、戦車競争と剣闘士競技であった。大掛かりな舞台装置には、戦争捕虜が連れ出され、壮絶な大量処刑の流血の見世物がくり広げられた。ローマの公職選挙と結びつき、また実力者の勢威を際立たせる手段として、剣闘士競技は頻繁に開催されていた。
100組の対戦で、19人が喉を切られて殺された。5組の対戦があれば、1人が喉を切られた。10人の剣闘士が闘技場の舞台に出ると、1人が殺されたことになる。
興行主の側からすると、喉切りは剣闘士という資産を損失することだった。それにもかかわらず、彼らは競って多くの死体を民衆に提供した。なぜなら、殺される場面が多ければ多いほど興行主の気前の良さが民衆に伝わるからだ。等級が高く、資産価値のある剣闘士は、めったなことでは殺されなかった。
 剣闘士は年に3回か4回ほど対戦し、5~6年にわたって活動していた。およそ20戦未満で、命を失うか生き残れるかの瀬戸際に立つ。生き残って木剣拝受者になれる剣闘士は、20人に1人くらいの割合だった。
 剣闘士は卑しい身分だったが、命がけの競技なので人気者でもあった。
 ローマ時代のコロッセウム(円形闘技場)をフランスでいくつか見学したものとして、そこであっていた剣闘士の競技の実際を知りたいと思っていました。実に残酷な競技ですよね。何万人もの民衆が熱狂しながら見物していたなんて、信じられません。
(2011年10月刊。2800円+税)

曹操墓の真相

カテゴリー:中国

著者  河南省文物考古研究所  、 出版  国書刊行会 
 『三国志』に有名な曹操のお墓が発見・発掘されたというニュースは、日本でも大きな驚きをもって報じられました。2009年のことです。
 曹操は216年に漢の献帝により魏王に封ぜられ、220年春の死後、魏武王の諡(いな)を得た。曹操は赤壁の戦いでも有名ですよね。映画『レッドクリフ』は、そのイメージをよく再現していました。
『三国演義』では曹操は奸臣(かんしん)として描かれている。旧劇の舞台でもおなじく奸臣とされたため、曹操のイメージは固定している。ところが、毛沢東は曹操を高く評価して名誉回復に努めた。曹操の詩を好み、その気魄が雄大で情緒豊か、宇宙を呑吐する様を好んだ。毛沢東は、「曹操は素晴らしい政治家、軍事家であり、また素晴らしい詩人でもある」と評価した。
曹操は古くからの部下を封賞して抜擢すると同時に、新たに優秀な人材を招聘し、寛容の心で来たる者を大切にした。功績がある者を封賞し有能の士を登用し、広く人材を集めることを通して有効に国家の管理システムを支配し、軍隊を掌握し、自身のブレーンを築き上げた。
 曹操は、中国を統一する大志を抱いていた。そして、天下を兼併するには、軍糧を手にすることが必須であることに思い至った。そのため、屯田制を始めた。屯田制が拡充されると、穀物の生産量は大いに増加し、倉庫は充実した。
 赤壁の敗戦のとき、曹操は54歳、曹操による中国統一事業における悲壮な敗北となった。
この本は曹操墓が発掘されるに至った状況を写真入で詳しく紹介し、曹操の墓だと判断した理由を明らかにしています。盗掘にもあっていたのですが、手がかりはいくつも残されていたのです。
かつて、明の十三陵を訪問したとき、中国には未発掘の陵や遺跡がまだたくさんあること、後世のため発掘には慎重であることを知って感動したことがあります。下手に発掘して貴重な遺跡を台なしにすることがないようし配慮しているわけですが、なるほどその決断は正しいと思いました。たしかに貴重な遺跡を十分な保存技術のないまま掘りあげるべきではありません。
 写真を眺めているだけでも楽しく、『三国志』や『水滸伝』を読んでわくわくしたことを思い出しました。中国のスケールの大きさを実感させられる本です。
(2011年9月刊。2300円+税)

原発事故と私たちの権利

カテゴリー:社会

著者   日本弁護士連合会 、 出版   明石書店
 東電福島第一原発事故が起きて、その収束の目途もついていないのに、早くも経済界そして民主党政権は原発を再稼働し、さらには海外へ輸出しようとしています。自分たちの目先の利益のためには、他の人がどうなっても知らない、次以降の世代なんて関係ないという無責任さには呆れ、かつ心の底から怒りを覚えます。人間としての良心を悪魔に売り渡してしまったとしか思えません。
 溶けた燃料棒はいったいどうやって回収し、どこに保管するというのでしょうか。そして、それができるのですか。回収できたときには東電の本社ビルあるいは会長宅か社長宅の地下室にでも据え置いてほしいものです。
 日弁連は、昨年(2011年)7月15日、原子力発電と核燃料サイクルからの撤退を求める意見書を発表した。10年以内のできるだけ早い時期にすべての原発を廃止することが、その柱である。
 きわめて当然な意見書だと私は思います。ところが、残念ながら世の中はそのようには動いていません。なぜでしょうか?
この本は弁護士が書いたものですので、当然ながら、これまでの原発をめぐる裁判についても語られています。
 人口密集地であり最大の電力消費地である東京・大阪・愛知県には原発がない。これは、原発が危険なものであるから人口密集地には建設せず、過疎地に建設し、送電ロスの負担を甘受しながらも大口の電力消費地に送電しているのが実態である。
 これまでの原発をめぐる裁判で原告(住民側)が勝訴したのは2件のみであり、その2件も、上級審では逆転敗訴となった。
 過去の原発勝訴において、裁判官は司法による救済を求める人々を救済してこなかった。過去の原発訴訟における裁判官のこのような消極的な姿勢が福島第一原発事故の背景にある。裁判官が人権擁護の役割を果たさなかった結果、司法救済の道が断たれた反面、「原子力村」の専横がますます野放しの状態となり、人災とも言える福島第一原発事故を発生させてしまった。
 ところが、原発訴訟のなかで、裁判官は原告敗訴の判決を書きながらも、同時に異例のコメントも付していた。そこでは、原発の問題点に触れていた。これは裁判官の良心の発露とみることもできるし、裁判官の責任逃れということもできる。では、なぜ、裁判官たちは、原発の危険性を認識しながら、住民の請求を棄却し続けたのか?
 「原子力発電所が、その意味において人類の『負の遺産』の部分をもつこと自体は否定しえない」
 「原子力発電は絶対に安全かと問われたとき、これを肯定するだけの能力をもたない。原子力発電所がどれだけ安全確保対策を充実させたとしても、事故の可能性を完全に否定することはできない。ひとたび重要な事故が起こったときには、多量の放射性物質が環境へ放出され、取り返しのつかない結果を招くという抽象的な危険は常に存在している。国民のあいだで、原発の安全性に対する不安が払拭されているとは言えない」
 「原子炉事故等による深刻な災害が引き起こされる確率がいかに小さいといえども、重大かつ致命的な人為ミスが重なるなどして、ひとたび災害が起こったとき、直接的かつ重大な被害を受けるのは、原子炉施設の周辺住民である」
 日本の裁判官の世界は、最高裁を頂点とする司法統制が幅をきかせており、国策を否定するような判決には裁判官が書くのをためらわざるをえない実態がある。
 原告住民側勝訴の判決を書いた元裁判官(現在は弁護士)は、「一部の人たちが強く反対していても、国民の大多数が原発を受け入れていれば、その段階で『危険だから止めろ』という判決を書くのには、かなりの勇気がいる」と述べました。まことに、そのとおりでしょう。ですから、私は佐賀の玄海原発差止訴訟についての原告を募るときには、他人事(ひとごと)ではなく、自分のこととして受けとめてくださいなと訴えています。
この裁判に原告として加入するのに費用として5000円を求めていますが5000円は高いという声があります。しかし、どうでしょうか。自分たちの生活圏を確保するためのものと考えれば、5000円なんて断然安いのです。多くの福島県民のように故郷を追い出されて仮設住宅に住み続けるしかないようになりたくはないですよね。何事もモノは考えようなのです。
 日弁連の公害・環境委員会には、私もかつては所属していました。著者となった弁護士の皆さんのますますのご発展とご活躍を心より祈念します。
(2012年2月刊。2500円+税)

福岡県弁護士会 〒810-0044 福岡市中央区六本松4丁目2番5号 TEL:092-741-6416

Copyright©2011-2025 FukuokakenBengoshikai. All rights reserved.