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2012年3月 の投稿

伊予小松藩会所日記

カテゴリー:日本史(江戸)

著者  増川 宏一 、  北村六合光  、  出版   集英社新書   
 日本人の日記好きは昔からのことです。なんでも文字にして残したがる習性は、私にもしっかり受け継がれています。私は今年2冊目の本を編集して発刊しようとしています。写真もふんだんに盛り込んで、読んで楽しい冊子を目ざしています。
 この本は、なんと150年間もの長きにわたって書きつづられてきた藩の公用日誌を読み解いたものです。その苦労のほどがしのばれます。
 舞台は、愛媛県の小松町。藩の人口は1万人。武士はわずか数十人しかいない、ごくごく小さな伊予小松藩の公用日誌です。
 小松藩の家臣のうち武士は60人、足軽は40人。士分として扱われたのは幕末時に  130人。これに足軽や小者をふくめても200人ほど。これが家臣団とされていた。
 家老は1人だけ。喜多川家が家老を世襲した。家老の禄高は400石。藩政は、家老と数人の奉行の合議制によっていた。家老が公用の政務をつづった記録を「会所日記」という。この会所日記は150年間にわたって書きつづけられたが、小藩なので、領内の隅々にまで目が行き届いている。そこで領民の生活の実情を知ることができる。
 小松藩は、大きな商人からだけでなく、公家や近在の百姓からもお金やお米を借りていた。
領民のぜいたくを禁止する倹約令は次のような内容だった。
 ひさし付きの家や瓦葺の屋根を禁止する。
 お寺で三味線や琴で高声をあげ、にぎやかに振る舞うことを差し止める。
 衣類や髪かざりが華美になっている。象牙のかんざし、絹の帯をしめているのは倹約令にそむく。
下級武士については、武家以外の農民や承認との縁組を認めていた。これは、減俸への有効な対応でもあった。
 幕府は各藩に対して藩札の発行を禁止していた。それは、通貨の混乱を防ぐための措置である。しかし、小松藩は、幕府の公許をえないまま、非合法の藩札発行にふみ切った。ただ、藩札には藩の名前は入れなかった。名前も藩札ではなく、「銭預り札(ぜにあずかりふだ)」とした。しかし、印刷と発行には、藩が全面的に取り組んだ。
この銭預り札を発行して、藩の権威で強制的に流通させることによって、藩は領内で通用している銀を吸い上げることができた。そして、銀は、江戸屋敷の費用や大阪での支払いに充てることができた。つまり、消費にまわされた。
藩札発行にふみ切った慢性的な財政危機の一因は、参勤交代の旅費と江戸屋敷の維持費だった。藩の年貢収入の半分はこのために支出された。
小松藩の参勤交代時の行列は総勢110人。随員としての藩士は30人ほど。それでもこれは、全藩士の半分に近い。
小松領内で殺人や傷害、強盗のような凶悪で粗暴な犯罪は起きていなかった。ほとんど、空き巣狙いのような窃盗犯である。平和な藩だったようです。
江戸時代の人々の生活が実感として伝わってくる本でした。
(2011年10月刊。2800円+税)

昔のくらし

カテゴリー:社会

ポプラディア情報館 ポプラ社 2005年3月
このシリーズは、本来は、小中学生の調べ学習に必要な情報を収録したテーマ別の学習資料集であり、本書のほかにも、「日本の歴史人物」「アジア・太平洋戦争」「伝統工芸」など合計15冊からなる。しかし、このシリーズは、大人が読んでもおもしろいので、私は図書館でよく借りてくる。
本書のテーマは「昔のくらし」であり、冒頭にはこう書いてある。「明治時代からあとの人びとのくらしをくわしく紹介。電気やガスがないくらしはどんなだったか、戦争中・戦後すぐはどうだたかが、豊富な写真とイラストでよくわかります。」
なるほど、本文を読み進むと、あるある、昔のくらしが。朝は、すずしいうちに大工仕事をして、昼は暑いので家に帰って行水と昼寝で一服し、陽射しが弱まる夕方にまた大工仕事をして、夜になると縁側で将棋を指しながら夕涼み、最後に蚊取り線香をたきながら蚊帳の中で眠る。
さらに、読み進むと、あるある、昔の台所が。お櫃に入れたお米をお釜に移し、水ガメのお水を加えて、釜戸で蒸す。「はじめチョロチョロ、中パッパ、ぐつぐついったら火をひいて、赤子が泣いてもふた取るな」というのだそうな。おかずはアジの煮つけ、きんぴらごぼう、アサリの味噌汁の1汁2菜を箱膳で召する。
このような明治から高度成長経済時代の入る手前の昭和40年ごろまでの日本の庶民の暮らしが本書の中によみがえる。そして想うことは、昔の人と今の人とどちらが幸せかということである。本書に郷愁を感じるのは、私自身が今の時代に大きな不満や不安を感じていることの反映なのであろう。社会が高度化し複雑化する中で、何やら不正な出来事が横行し、その不正な出来事が、もはや社会システムの一員として立派に市民権を得ているようだ。昨今のニュースはこのような出来事ばかりを伝えている。現代社会は本当に息苦しい。
また春がめぐり来て、花芽が目を覚ます。裁判所の裏口の鴻臚館に通じる遊歩道に早咲きの桜の枝があり、この辺りでは一番乗りで花を開く。このような変わらぬものに接するとほっとする。この桜も変わりゆく人々の姿を変わらぬ視線で眺めていたのであろう。人々の暮らしはこの先、10年後、20年後、どうなるのであろうか。

原発危機と東大話法

カテゴリー:社会

著者   安富 歩 、 出版   明石書店
 3.11のあと、原子炉の数十キロ範囲内にいる人々が、大量の放射性物質が降り注いだことが明らかになったあとでも、平然と日常生活を続けていた。これは、テレビに出てくる東大などの学者が、「今すぐには健康に影響はありません」と言い続けていたことと決して無関係ではありません。人は(もちろん私もそうですが)、自分を安心させたいのです。安らかな気持ちで毎日を平穏無事に過ごしたいという根源的欲求をもっています。ですから、多少の放射能物質を浴びても、「すぐには健康への悪影響はない」と学者がもっともらしく言うと、それを根拠に自分を無理にでも納得させてしまいがちです。
 この本は、非科学的なことを、あたかも科学的な根拠のあることのように自信たっぷりに断言する東大教授を、同じ東大教授がバッサリ小気味いいほど切り捨てる本です。
 現実の東大は、非常に見苦しいところだ。どんよりした重苦しい空気が漂っていて、多くの人が自分でもよく分からない理由で苦しんでいる。本当は苦しいのに「東大にいる以上は、幸福なはずだ」と思い込むことによって、さらに苦しんでいる。この東大関係者を呪縛している鉄鎖の正体こそ、東大話法なのだ。
 では、東大話法とは、一体何なのか・・・?
 原子力発電所は、連続して1年以上も発電し続けられるほどのエネルギー源が小さな原子炉に詰まっている。だから、いったん暴走しはじめると止まらない。放っておいても止まらないうえ、止めようと思って近づくと、放射線を浴びる。止めるためには近づかないといけないのに、近づくことができない。
 枝野官房長官は、原子炉建屋が爆発していたのに、爆発とは言わず、「何らかの爆発的事象があった」と言ってごまかした。
 東大の関村教授は、格納容器が破れているのに、「格納容器の安全性は保たれている」とテレビで言い続けた。
原子炉の危険性をストレートに表現せず、言い換えていると、それを聞かされる国民だけでなく、自分自身をも騙していることになる。そうなると、自分がやっていることが、正しいのか、間違っているのかさえ分からなくなる。
 まわりの人がみんな、正しい、と言っているようだから、正しいのだろうという、きわめて無責任な判断停止が広がっていく。
 東大話法とは、どんなにいい加減でも、つじつまの合わないことでも、自信満々に話すことである。原子力発電(原発)の利用拡大をすすめていたのは、決して「世界」ではない。愚かで強欲な政治家、官僚、電力会社と原子力の御用学者、技術者が一致して推進したものである。
 「原子力村」が原発政策を支え、推進してきた有力な集団であったことが、今ではすっかり明らかになっています。東大出身学者でも御用学者と決して呼ばれない人がいたし、今もいることを知っています。ただ、そんな人がだんだん希少価値になりつつあると知ると、焦燥感を感じてしまいます。
(2012年2月刊。1600円+税)

儀軌、取り戻した朝鮮の宝物

カテゴリー:朝鮮・韓国

著者   慧 門 、 出版   東國大学校出版部
 日本が戦前、帝国日本として朝鮮半島を植民地として支配していたとき、朝鮮の貴重な文書を勝手に運び出したようです。しかも、その貴重な文書のなかには、なんと日本軍が朝鮮の皇后を虐殺したあとの葬儀を記録したものがあったというのです。これを知れば、日本が一刻も早く韓国に返還すべきは当然です。ところが、この返還にあたって韓国の人々の求めにもっとも協力したのが日本共産党の国会議員でした。かつて反共法まであって、反共産主義が徹底していた韓国の人々は複雑な気持ちで共産党の国会議員の助言を受け入れたとのことです。
 日本共産党って、こんな国際交流活動にも力を入れているんですね。偉いものです。民主党の議員もいくらかは関与したようですが、残念ながら共産党の比ではありませんでした。政権与党になると、こんなにダメになってしまうものなんでしょうか・・・・・。
 朝鮮半島の歴代の各王朝は、国家の大小行事を文書または絵で記録して残した。朝鮮王朝も、王室の行動を詳細に記録した。儀礼手続が反復する宮中行事を効果的に進行するため、すべてを文字と絵で製作し、後代に典範として残した。これを朝鮮王室儀軌という。
 福岡の櫛田神社には、韓国の明成皇后を刺し殺したときの日本刀が保管されている。全長120センチ、刃の長さ90センチ。木製の鞘(さや)には、「一瞬電光刺老孤」と書かれている。17世紀の江戸時代に忠吉という匠人がつくった名剣、肥前刀である。この刀は明成皇后の寝殿に乱入した3人の日本人の一人である藤勝顕が櫛田神社に保管を依頼した。
 王妃は殺害されたあと、裸体で局部検査までされたという。平常時には、男性に顔すら見せなかったのに、死んで異国(日本)の男子らの前に裸体をさらしたのである。
ほとんどの日本人はこの明妃殺害事件を知りませんよね。でもこう考えてみてください。日本の皇后に朝鮮の兵士と壮大たちが武器を持って突然乱入し、皇后を殺害し、その遺体をその場で焼却してしまったとしたら、同じ日本人として、下手人の朝鮮人ひいてはこの件とは何の関係もない朝鮮人に対してまで敵意をもつのは必然ですよね。加害者は忘れても、被害者は忘れないものです。
 「朝鮮王室儀軌」は、王室の主要な儀式という行事の準備過程など詳しく記録し、絵画も入れて制作された文書である。朝鮮時代の儀軌は通常は同じものを8部ほどつくられる。王の閲覧のために、高級材料で華麗につくる御覧用と、関連する官署と地方史庫に所蔵しておく分上用に分けられる。
 この本には、伊藤博文を暗殺した犯人である安重根も紹介されています。
 安重根は今でも朝鮮半島では英雄です。
 それにしても良かったですよね、朝鮮半島の貴重な書物が日本から本来あるべき故国に「返された」というのは。
(2012年2月刊。1800円+税)

検事失格

カテゴリー:司法

著者   市川 寛 、 出版   毎日新聞社
 勇気ある告白本です。
 弁護士だけでなく、司法関係者は全員必読の文献ではないかと思いながら読みすすめて行きました。検察庁の体質そして検察官の思考方法がよく描かれていると思います。
今の検察トップは私の同期生なのですが、検察トップの皆さんにもぜひ読んでもらいたいものです。
 初めに著者が検察官を志望したころのことが書かれています。初心って大切なことですよね。
ダイバージョンに大変な魅力を感じ、これを実践できるのは検察官だけだと思って検事を志望した。ダイバージョンとは、迂回という意味。検事や裁判官が判断に迷ったとき、犯罪者が世間からできるだけ烙印を押されないような手続を選ぶことで、その社会復帰を助け、再犯を防ごうという一連の制度をいう。
 学生のころ、検事は不偏不党で公正であるというイメージをもち、そんな検事になりたいと思った。どうでしょうか、現実の検察は必ずしも公正とは言いがたい気がします。
司法修習生のときから、「できるだけ有罪にする」訓練を積まされているから、刑事裁判官が無罪判決を出すのには度胸がいることの下地がつくられているのではないかと思う。
 検察庁は建前と本意が違いすぎる。たとえば、検察教官は、「実務に教唆なし」と言い切る。すべて共同正犯として起訴してしまう。教唆犯という起訴状を見たことがない。
 被疑者を取り調べるときは、被疑者が有罪だと確信して取り調べるようにと指導される。そこには、無罪の推定は働かない。
 検察庁では、被疑者を呼び捨てにする。
 やくざと外国人に人権はない。これが検察庁のモットーだというのです。恐ろしいです。
 千枚通しを目の前に突きつけて、徹底的に罵倒してやる。ええーっ、今どきこんなことをしているのですね。
無罪判決が出ると検事に傷がつく。誰もが責任をとりたくないから、上は下に無理難題を命じるし、下は、その無理難題を拒むことができない。このとき、検事の心理の根底にあるのは保身だ。責められたくない。責任をかぶせられたくない。
自白調書のとり方の奥の手。被疑者が座るなり、お前は聞いていろとだけ言って、すぐに○○の点を認める内容を立会事務官に口授して調書を取らせる。被疑者に言わせる必要なんかない。事務官が調書をとり終わったら、被疑者に見せて「署名しろ」と言うんだ。もちろん、被疑者は署名しないだろう。そのときは、こう言うんだ。これは、お前の調書じゃない。俺の調書だ!とな。オレの調書だから、お前に文句を言う資格はない。さっさと署名しろ。
控訴審議の大半は主任リンチでしかない。問題判決を受けた主任がただでさえ気を落としているのに、後知恵で質問している検事たちの気が知れない。主任がじわじわと追いつめられ、押し黙ることがほとんどだった控訴審議を見ていると、控訴審議はいじめの場だとしか思えなくなる。こんな審議を毎日のようにやっていたら、前向きなやる気よりも、問題判決を受けたら、ひどい目に遭う。問題判決はごめんだという後ろ向きの気持ちが大きくなっていく。こうして、検事は、ただ問題判決を避けるためだけに、法廷でわけの分からない立証活動をしたり、判決を引き延ばすような悪あがきをするようになる。これは知りませんでした。
 年末に問題判決が出ると正月休みに、年度末に出ると検事の移動時期に控訴審議をやらなければならない。だから、検察庁は年末と年度末に問題判決が出ることは徹底的に避けようとする。
 公判検事は、何も用がなくても毎日の法廷が終わったら必ず裁判官室に行って挨拶するように。このように指示される。これを法廷外活動と呼ぶ。
 私も司法修習生のとき、検事が何の用もないのに裁判官室に頻繁に出入りするのを見て、すごい違和感がありました。
検察が不起訴にすると、警察の担当者が検事の部屋に文字どおり怒鳴り込んでくる。「検事さん、今日は勉強させてもらいに来ました。どういうわけで、あの事件を不起訴にしたんですか!」と、ヤクザ顔負けの太い声ですごまれたことがある。
偽証しているのは、検察が請求した証人が圧倒的多数だ、というのが実情である。
 「事件がかわいい」という意味は、事件に身も心も捧げてのめり込み、疑問点を全部洗い出す捜査をして証拠を集める気概があること。
 「狂犬の血」が騒いだ。心底から頭にきて、「ふざけんな、この野郎、ぶっ殺すぞ、おまえ」、と無実の組合長を怒鳴りつけた。組合長が屈服したのは理詰めの質問によるものではなく、その前の暴言だとしか言いようがない。このときから、組合長は検事の言いなりになった。
 2日間は取り調べをせず、「自白調書」をパソコンでつくった。組合長の発言をつなぎあわせて「作文」していた。組合長は、何の文句も言わずに、すべての「自白調書」に署名した。一度も冷静沈着な精神状態で組合長の取り調べにのぞんだことはなかった。
 怒りは日一日どころか、刻一刻と増すばかりだった。
こんな暴言を吐くに至った、当時の佐賀地検の態勢の問題点も紹介されています。こちらも本当にひどい嘆かわしい状況です。
 この本の救いは、実名と顔写真を出していて、自分の間違いを告白していること、亡くなった組合長の霊前でお詫びをし、その遺族から一応の許しを得ていることです。
 それにしても、検察庁というところは想像以上にすさんだ職場ですね。恐ろしいです。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                      
(2012年3月刊。1600円+税)

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