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2012年2月 の投稿

ノルマンディー上陸作戦(下)

カテゴリー:ヨーロッパ

著者   アントニー・ビーヴァー 、 出版   白水社
 連合軍はノルマンディーになんとか上陸したあと、一路ドイツに向かって快進撃を続けたというのではないことがよく分かります。実際にはヒトラー・ドイツ軍の反撃もあって、しばらく苦戦したのでした。
パットン将軍が最高司令官のアイゼンハワー将軍に対して軍人として一目置いたことは、ただの一度もなかった。パットンは次のように語る。
 「親しく接することで、部下と分け隔てのない関係を築けるというのがアイクの考え方なのだろう。だが、分け隔てがなくなったら、部下を指揮することなど、断じてできまい。私は、あらゆる方法を駆使して、部下の士気向上をはかる。だが、アイクは部下の合意を取りつけようとする」
 パットンは、モントゴメリー将軍も見下していた。
軍医は、傷とそのタイプを見ると、いま我が軍の部隊が前進しているのか、後退しているのか、停滞しているのか、判断がついた。
 自傷行為に走った兵隊が運ばれてくるのは、たいてい戦闘が始まった直後だ。部隊が前進すると、傷の種類は、迫撃砲、機関銃、そのほか小火器によるものに変わる。敵の守りを突破したり、人知を破保したあとは、地雷とブービートラップの患者が相手となる。
 負傷者の過半数ではないものの、心的外傷を負った兵士は、依然として相当数にのぼっていた。アメリカ陸軍がノルマンディーにおいて対処せざるをえなかった戦争神経症患者は3万人に及んだ。
 ドイツのロンメル将軍は、幹線道路を走るのは避けるように忠告されたにもかかわらずオープンカーで道路を走っていて、2機の英軍機スピットファイアに攻撃された。ロンメルは車から投げ出され、重傷を負った。ロンメルは、病院に送られ、以後、この戦争から離れてしまった。
 3日後の7月20日、ヒトラーに対する暗殺未遂事件が起きた。連合軍がノルマンディー防衛戦を突破するのではないかという懸念と、いっこうに現実を見ようとしないヒトラーに対する忌避感情が事件の背後にあった。
 ロンメル元師を中心とするヒトラー反対派も存在した。ヒトラー暗殺、クーデター計画には、実に多くのドイツ国防軍の上級将校が関与していた。しかし、組織としてのまとまりや、効果的な連絡手段があまりに欠如していたため、ヒトラーの生死という肝心要の事実さえ確認がとれず、それは必然的に、初動の遅れと混乱へとつながった。ヒトラーの生存が確認されたため、どっちつかずの態度をとっていた者たちは慌てて自分の尻尾隠しに狂奔した。大半の下級将校はショックを受け、混乱はしていたけれど、この問題に関しては、くよくよ考えないという選択をした。
戦争とは結局、およそ90%が待ち時間である。
 これはアメリカの師団のある将校が日記に書いた言葉である。
 モーリス・ローズ准将は、配下の戦車兵・歩兵共同チームに徹底的な訓練を施した。
 戦場の視察にやってきたソ連軍の軍事使節団は、100万人の元赤軍兵士がドイツ国防軍の軍服を着て戦っている事実を知らされて、顔をこわばらせた。
 イギリスのチャーチル戦車やクロムウェル戦車は、ドイツのティーガー戦車にはほとんど歯が立たなかった。
最前線のアメリカ軍部隊は、処理すべき人数があまりに多かったので、捕虜の扱いがきわめてぞんざいだった。なにしろ、第八軍団だけで、3日間に7000人、第一軍が捕らえた捕虜は6日間で2万人に達した。
 ブルターニュ地方は、フランスにおけるレジスタンスの一大拠点だった。2万人の活動家がいて、7月末には3万人をこえた。うち1万4千人は武装していた。ドゴール派のFFIも、共産党のFTPもブラッドリー将軍の期待をはるかに上回る活躍を見せた。
 そして、ドイツ兵と寝た女性への報傷行為も、ブルターニュ地方のほうがはるかに苛烈だった。髪の毛をむりやり刈り取られたうえ、腰をけられて病院送りとなった。
 8月初め、ヒトラーは、撤退など論外だと言い出した。その内なるギャンブラー体質に、ドラマ性を好む性向が加わり、目の前の地図を眺めて、日々夢想にふけった。名ばかりの師図になっているのに、そうした現実をヒトラーは断じて受け入れようとはしなかった。ヒトラーは自分に都合のよいものしか目に入らなくなっていた。8月7日、ドイツ軍の反撃が開始された。攻撃が失敗したとき、ヒトラーは、こう言った。「クルーゲがわざとやったのだ。私の命令が実行不能であることを立証するため、クルーゲのやつが、敢えてこれをやったのだ」
 パットン将軍のアメリカ第三軍は補給の問題をかかえていた。
 アイゼンハワー最高司令官は、パリを素通りして、そのまま東フランスから一気にドイツ国境に迫るという考えだった。これにドゴール将軍が反発した。
パリを破壊させよというヒトラーの命令を実行する考えだったコルティッツ司令官に対して、前任司令官と参謀長が説得し、やめさせた。
 8月24日、フランス自由軍がパリに入った。アメリカ軍も8月25日朝、南方からパリに入った。パリにドゴール将軍が入るのが先か、共産党のレジスタンス蜂起が先に成功するか、息づまる努力争いが展開された。これはまさに戦後政治の先どりでした。
 1944年後、髪の毛を丸刈りにされたフランス人女性は2万人にのぼった。ドイツ兵と寝たことが理由である。
1944年夏の3ヵ月間にドイツ国防軍は24万の将兵が犠牲となり、20万人が連合軍の捕虜となった。イギリス、カナダなどの連合軍は8万人の犠牲者を出し、アメリカ軍の犠牲者は13万に近い。
 たしかにすさまじい戦争だったことがよく分かる、詳細な戦史です。よくぞここまで調べあげたものです。
(2011年8月刊。3000円+税)

毛沢東の大飢饉

カテゴリー:中国

著者  フランク・ディケーター 、 出版   草思社
 毛沢東は本当に罪深い人物だと思います。この本は、「大躍進」時代に4500万人の死者を出した悲惨な実情に迫っています。
 1958年から1962年にかけて、中国は地獄へ落ちていた。毛沢東は、15年以内にイギリスに追いつき、追い越すという狂気の沙汰へと中国を駆り立てた。1958年から1962年にかけて、少なくとも4500万人が本来避けられたはずの死を遂げた。犠牲者のうちの6~8%、少なくとも250万人が拷問死あるいは尋問を受けずにその場で処刑された。
 一気に共産主義へと駆け上がる試みが、結果的に第二次世界大戦の空爆作戦をはるかにしのぐ、人類史上最大の資産破壊を招いた。総家屋の40%が瓦礫と化した。
 毛沢東の実際は、とりとめのないスピーチ、歴史おける自らの役割への固執、過去に受けた屈辱をくよくよと思い悩むことも多く、会議で感情的に威嚇するやり方に長け、何よりも顕著だったのは人命の損失に無頓着だった。
 惨事の主たる責任は毛沢東にある。毛沢東は仲間たちと駆け引きし、彼らを丸め込み、煽り立て、ときに苦痛を与えたり、迫害したりして、自らのビジョンを必死になって推進した。
 1953年のスターリンの死は、毛沢東にとっての解放だった。
 スターリンは、毛沢東とその山出しの兵士たちをろくに信用していなかった。スターリンは、自分の助けなしに政権を握った者が、自国と国境を接した広大な帝国を支配するような体制を認めるつもりなどさらさらなかった。
 周恩来は毛沢東の上司にいたことがある。毛沢東は、簡単に周恩来への遺恨を水に流しはしなかった。毛沢東は、権力の潜在的なライバルとなる周恩来を寄せつけない一方で、事を仕切るうえで周恩来の手腕を必要とした。毛沢東は日々の雑務や組織の細かい仕事には無頓着だった。そして、周恩来が毛沢東の権力に屈していく光景を目にして、経済分野の指導者たちも、あわてて同調した。
 1958年7月末、毛沢東はソ連のフルシチョフを中南海のプールで迎え入れた。フルシチョフが泳げないことを知ったうえで、毛沢東はプールを何度も往復した。そして、大躍進の成功を次のように語った。
「わが国は、米があまりに豊作で、どうしたものかとお手上げ状態だ」
しかし、フルシチョフは劉少奇から中国の現実を聞いていた。
「中国は飢えている。それなのにお米があり余るほどだという・・・」
毛沢東は鉄鋼に取りつかれていた。イギリスを追い抜くというのは、年間鉄鋼生産量で勝るという意味だった。この「成功」の秘訣は、すべての人民公社の裏庭につくった小型溶鉱炉「土法高炉」だった。
 しかし、土法高炉で生産された鉄は小さく、もろかったため、近代的な圧延装置にかけることは出来なかった。利用可能だったのは3分の1にも充たなかった。
 1958年の現実の穀物生産高は2億トンだったが、中央政府は4億1000万トンと算出した。肥料をたくさん施せば、それだけ生産量が上がるという単純な論法で、大変な無理がまかり通っていた。そして、公称と実際はどんどん離れていった。
 これって、日本でも、よくある話ですよね。私の町にも新幹線が開通しましたが、現実の乗降客は「予測」をはるかに下まわっています。
 1958年4月、早くも飢えと食糧不足が中国全土に広がった。毛沢東のもとには、全国から飢餓、疾病、虐待に関する無数の報告が届いていた。食料や原料の実際の輸出能力を完全に無視して、「より多くの輸入、より多くの輸出」が1958年の中国のキャッチフレーズだった。これは、国際社会に自らの政策の成功を誇示したい毛沢東にはうってつけのものだった。
 しかし、大躍進期には、綿花だけでなく穀物も、さらには工業製品もその生産量は公約とはほど遠いものだった。中国は深刻な貿易赤字に陥った。そして、中国全土が飢饉から抜け出す方法を模索しているとき、中国は400万トン以上の穀物を輸出していた。
 彭徳懐は、何度か毛沢東の大躍進政策を率直に批判した。ところが毛沢東は彭徳懐を糾弾し、その地位を剥奪した。この時点では、劉少奇はまだ、傍観を決めこんでいた。現実に起きていることには見て見ぬふりを決め込んでいた。鄧小平も、国の必要性に比べたら、人民が飢えることなどさしたる問題ではないという考え方に固執していた。
毛沢東は、農村があまりの大豊作に困り果てていると信じ込んだため、農地の3分の1を休耕地にするよう指令した。農民の都市への流出とあいまって、耕地面積は急激に減少した。大躍進期の中国では、家畜や家禽がすべて人民公社のものになったので、人々は世話をする意欲を失い、家畜はほったらかしにされた。そのため、人々も家畜も飢えと寒さと病気で死ぬケースが増えた。家畜の数が激減したにもかかわらず、国は容赦なく買い上げた。
大躍進は、大量の森林を破壊した。巨大病に取りつかれた地方は、大規模プロジェクトに急速に取り組んだ。
1958年、毛沢東は、ネズミ、ハエ、蚊、スズメの四害排除命令を出した。国をあげてスズメに全面戦争を挑んだこの運動は、環境に大きなダメージを与えた。スズメは絶滅寸前にまで追い込まれ、虫が大量に発作して作物に大きな被害を与えた。
 中国共産党の党員数は、次々に粛清されていたにもかかわらず、1958年の1245万人から1961年の1738万人へと、5割も増加した。幹部は偽数字を申告し、粉飾決算した。盗みが横行し、物資が隠匿された。
 ターニングポイントは、1962年1月の会議だった。この席で劉少奇国家主席は、3時間にわたって話し続けた。この難局は自然災害は30%、人災が70%だと語った。
 毛沢東は猛り狂った。毛沢東は、このとき、劉少奇はフルシチョフによると確信した。毛沢東は、じっと好機を待った。
 トップの政策の誤りによって引き起こされた悲惨な事態は、トップが自覚し反省しない限り、そしてトップに自覚させ反省させない限り是正するのは容易でないことを歴史が証明しています。
(2011年11月刊。1400円+税)

東電解体

カテゴリー:社会

著者  奥 村  宏 、 出版   東洋経済新報社
 あれだけの犯罪的大事件をひき起こしていながら、東電の会長は今も、そのまま居座ったままです。なんという厚かましさでしょう。人間(ひと)の心をとっくに失っているとしか思えません。この本も、その点を鋭く追及しています。
 東京電力は福島第一原発の事故で放射能を放出し、多くの人に危害を与えたにもかかわらず、なんらの刑事罰も課せられていない。問題になっているのは損害賠償だけ。人を傷つけてもカネさえ払えばすむ、というような国はどこにもない。
 法人に刑事責任はないのか? もちろん、企業犯罪は成立します。東電の歴代取締役が自己の得ている莫大な取締役報酬を返上したという話はどこにもありません。私は、東電の社員に給料を支払うなとは決して言いません。
 しかし、原発の危険を知ったうえで、それを故意に過小評価して無策・怠慢であり続けた歴代の取締役全員には厳しい責任が当然追及されるべきだと思います。今回の事故のあと東電の取締役が一人も刑務所に入らないというのは日本の検察そして司法の重大な汚点になるとさえ私は考えます。
東京電力は、民間企業としては世界一である。売上高5兆円、総資産13兆円。東京電力のトップが経団連の業議員会議長から副会長、そして会長へというコースをたどることがルール化されてきた。
 電力総連は、加盟組合230組合員数21万5千人。連合に加盟し、民主党を支持し、原発推進を方針としている。これって、労働組合の本来の姿なのでしょうか。せめて、今は脱原発を唱和してほしいものです。
日本航空(JAL)も倒産してその株券はタダの紙切れになってしまった。銀行も債権を放棄した。しかし、東京電力については、減資もしなければ、債権放棄もない。JALと違って、異例の優遇である。 
 国民の税金で損害賠償を肩代わりしてもらって、普通の会社として存続し続ける。そんなバカな・・・。国民の税金で救済されながら、銀行も株主も損をしないで、会社はそのまま存続する。これほど不思議な話はない。
 いったい会社とは何なのか、何のために存在するのか、東電の会長を思い浮かべながら、腹立たしさを抑えきれずに読み終えました。
(2011年11月刊。1600円+税)
 日曜日、天神で映画『サラの鍵』を見ました。本も良かったけれど、映画も素晴らしい出来でぐいぐい画面に引き込まれ、泣けて仕方がありませんでした。
 1942年7月パリで起きたユダヤ人強制連行事件を扱っています。『黄色い星の子どもたち』も同じ事件を扱っていました。
 弟を死なせてしまったという後悔がずっと尾を引いていきます。人間って簡単には過去から逃げきれないのですよね。忘れ去ってしまいたいけど忘れられない。そして、ときに過去は振り返る必要があります。
 映画を見終わって映画館から出ると、小雨がパラついていました。心のほこりが洗い流されたようなすがすがしさを感じました。
 この日は夜寝るとき、映画の場面を思い出し、つい涙がこぼれてしまいました。

脳の風景

カテゴリー:人間

著者   藤田 一郎 、 出版   筑摩書房
 人間の脳は、地球上で一番複雑である。いや、宇宙でもっとも複雑な構造物であると言える。
 小さなキャベツほどの脳の中に1000億個のニューロン(神経細胞)が押し込まれていて、その多くが1000から数万の他のニューロンとつながっている。ニューロン同士のつながり方にはルールがあり、緻密で膨大な配線をつくる。この巨大な神経ネットワークが人間のふるまいや心を生み出す。
多くの動物の洞毛ひげは、個体によらず、同一の種類であれば同じように生えている。
 ネズミのひげは、その一本一本に名前をつけている。
 盲目になった猫は、失った視覚能力を体性感覚や聴覚で補う。マウスも猫も、失明したあと、ものにさわったり音を聞くことで物体の識別したり、その位置を弁別する能力が向上する。
 アザラシが洞毛ひげをつかって水の動きの周波数を弁別する精度は、サルが手のひらで行う触覚の性能に匹敵するほどに高い。
カモノハシは夜間、濁った水中にもぐってエサをとるが、そのときには目だけでなく鼻や耳の穴も閉じている。それでもエサをとれる秘密はくちばしにある。上下のくちばしの表裏には、微弱な電気を感じることのできる電気受容器が4万個、水の乱れを感じることのできる機械受容器が6万個も埋め込まれている。
 スズメやヒヨドリ、ウグイスなどさえずりをする小鳥たちは、自分に固有のさえずりを生まれつき身につけているのではない。学習によって学んでいる。このことは里親実験によって証明された。生まれたばかりの幼鳥をオス親から引き離し、別のオス親のもとで育てると、里親のさえずりに似たさえずりをする。どのオスのさえずりも聞こえないようにして育てると、まともなさえずりの出来ない鳥に育ってしまう。いやあ、これって残酷な実験ですよね。
 生物の脳そして人間の脳の素晴らしい出来具合を知るにつけ、それを十分に活用していないところが、そして年齢とともに不活性化していっていることに、もどかしさを覚えてしまいます。
 それでも、こうやって毎日毎晩、読後感を書いていますので、そのうち何かいいことがきっとあることでしょう。そうですよね、チョコさん。
(2011年9月刊。1600円+税)

カテゴリー:生物

著者   マイケル・ウェランド 、 出版   築地書館
 砂にまつわる話が満載です。よくぞここまで調べあげたものです。残念ながら、砂に棲む蟻地獄(虫)は登場してきません。
 それにしても、地球上に砂は無数(無限)にあります。同じ無数といえば、宇宙の星だってそう言えます。では、地球上の砂と宇宙の星とを比べると、どちらが多いのか。
 うひゃあ、そんな発想をしたことなんてありませんでしたよ。ところが、それを計算してみた学者がいるのですね。すごいものですよね。
 その学者って、有名なカール・セーガンです。彼は、宇宙にある星の数は、地球上の砂浜にある砂つぶ全部より多いと言ったのです。本当でしょうか?
 実はこの本によると、どちらも10の20乗くらいだというのです。あとは砂の定義次第というわけです。ええーっ、宇宙の星のほうが圧倒的に多いんじゃないかと思っていました。だって、広大無辺の宇宙の星が、地球というちっぽけな天体にある砂つぶほどもないなんて、イメージがこわれてしまうじゃないですか・・・。
 乾いた砂は、気味が悪いほど液体とよく似た動きをする。濡れた砂は、水が多すぎない限り、どちらかというと固体に近い性質を示す。
 砂は、わずか1%の水を加えるだけで驚くべき固体に変容し、水の含量が10%をこえてもこの特徴は変化しない。粒子と粒子の間の空間に水と空気の境界面があり、その面積が大きいので表面張力が働いて粒子どうしがくっつく。うむむ、なんだか分かったようで・・・。
 砂に埋まった人は、コンクリートで固められたのと同じ状態になる。固まった砂地獄から足を抜くのに必要な力は、中型の自動車を持ち上げるのと同じだと推定されている。解決策は身体をくねらせること。先日、イタズラのつもりで砂の落とし穴に埋められて新婚カップルが亡くなったという事件が起きましたよね。砂って、怖いんですね。
薪の調達、過剰放牧、過剰耕作などが近年の「砂漠化」の原因の90%を占めている。
 地球の砂漠化が進行しているようで、私も心配しています。
(2011年8月刊。3000円+税)

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