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2011年12月 の投稿

TPPの仮面を剥ぐ

カテゴリー:アメリカ

著者   ジェーン・ケルシー   、 出版   農文協  
 ニュージーランド・オーストラリアにTPPが導入されてどうなったのか、ニュージーランドの大学教授が怒りを込めて告発しています。
 TPPは通常の自由貿易交渉ではない。TPP交渉は例外的なものだ。自由な世界市場というものが馬鹿げたものであることを率直に非難してきた当の政治指導者によって、10年間でもっとも野心的な自由貿易のプロジェクトが促進され、矛盾がいっそう増加している。
 バラク・オバマは大統領になる前(2008年8月)、市場モデルの非人間性を次のようにこきおろした。
 「20年以上にわたって、共和党員はもっとも金持ちの人間にもっともっと与えよ、そして繁栄が他のあらゆる人々に滴り落ちることを期待しようという、古い、信用の失われた共和党の哲学に賛同してきた。あなたは自分自身に頼れ、という。健康保険がない?市場がそれを決める。自分のことは自分で。貧困に生まれた?たとえ頼るべきつまみ革がなくても、自分自身の努力によって脱出を図れ。自分で自分の失敗を背負うべきだ。我々がアメリカを変えるべきときだ。それが私がアメリカ大統領に立候補した理由だ」
 オバマは本当にいいことを言っていましたね。ところが、どうでしょう。大統領になったら、持てる「1%」の方にぐんぐんすり寄っていってしまった気がしてなりません。
 TPPには、たった一つ確実なことがある。アメリカの貿易戦略と交渉上の要求が、交渉の形態と最終的な合意の見通しを決定する。アメリカとの自由貿易交渉の歴史は次のことを明らかに示している。つまり、どんな美辞麗句を並べようとも、アメリカは交渉のなかでアメリカ市場を猛烈に保護する一方で、アメリカに対する譲歩を引き出す手段とみなしている。
 外国からの直接投資を利用した農産物輸出は、やり方が良くないと農村社会の荒廃を招き、農村の貧困と不平等を固定してしまう可能性がある。貧しい農民は農場を追われ、農場所有権の著しい集中を引き起こした。かつての小農地所有者たちは、地方に残って厳しい条件で働く新たな無産階級となったか、それとも都会に移住して、さらなる大きな苦労を負った。
 新たな輸出志向地域の経済基盤の変化は、しばしば単一栽培(モノカルチャー)の拡大を招き、経済的および環境的な危険と犠牲を伴った。
 オバマ政権がサービス輸出の3倍増を目ざしていることは、TPPに対する商業的アプローチを示唆している。アメリカが自由に対して残っている「障壁」を標的にしようと試みていることは、各国政府が時刻のもっともセンシティブなサービスを規制する権限を保護するような各種の壁を、将来的に除去するようにプレッシャーをかけてくるということ。
 TPPは、ほんの手始めに過ぎないだろう。これらの協定には約束を延長し、規則を見直すために契約前から定期的な交渉の新ラウンドが含まれるのが常である。それは、サービス市場を支配する大規模企業(有力なアメリカ企業)によって設計された、そのような企業のためのハイリスク戦略である。これは、民主的支配にとって受け入れがたいコストとなり、社会的な義務の合法的な追及を危うくする。
この本は、このようにTPPの危険性をニュージーランドなどで現実化した問題をふまえて実証的に鋭く告発している本です。とりあえず交渉の場にのぞみ、不利になったら撤退すればいいという考え方があります。しかし、これはごまかしですし、危険です。アメリカの言いなりになって良いことはひとつもありません。
(2011年11月刊。2600円+税)

FBI美術捜査官

カテゴリー:アメリカ

著者   ロバート・K・ウィットマン 、 出版   柏書房
 美術品泥棒は、美術犯罪の技量が盗み自体より売却にあるという事実にたちまち直面する。闇市場において、盗難美術品は公にされている価格10%で出回ることになる。作品が有名なほど売るのは難しい。時間が過ぎるにつれ、泥棒はしびれを切らし、早く厄介払いをしたいと思うようになる。そこで、7500万ドルの値のつく絵を75万ドルでの取引に応じたりする。
 美術品犯罪において、窃盗の9割は内部犯行である。
潜入捜査はチェスに似ている。対象について熟知し、常に相手の一手先二手先を読まなければいけない。最高の潜入捜査官が頼るのは、自分自身の直感にほかならない。こうした技倆は教えられて身につくものではない。天賦の才のない捜査官には潜入は無理だ。友になり、そして裏切るという仕事をこなすには、営業的かつ社交的な才覚に恵まれているか否かにかかわる。
 潜入捜査官には偽の身分が必要になる。ファーストネームはそのまま本名を使うのがベストだ。嘘はできるだけつかないというのが潜入調査の鉄則。嘘をつけば覚えるべきことが増える。覚えるべきことが少なければ、それだけ落ち着いて自然に振る舞える。ラストネームは、平凡でごくありふれていて、インターネットで調べても簡単には特定できないものがいい。
 潜入調査は多くの点で営業とよく似ている。要は、人間の本質を理解することであり、相手の信頼を勝ちとり、そこにつけ込む。友になり、そして裏切るのだ。
 5つのステップがある。ターゲットの見きわめ、自己紹介、ターゲットとの関係の構築、裏切り、帰宅。
 うひゃあ、こんなステップを淡々とこなすなんて、常人にはとてもできませんよね。少なくとも私には、とうてい無理です。
第一印象はきわめて重要だ。相手に対しては、最初から親しみやすい雰囲気をつくっておきたい。何より表情が大切だ。いやがる相手に近づくには、その人物の良い面を見つけて、そこに焦点をあてる。世の中に根っからの悪人はいない。
 潜入調査の最中に不安に感じたら動かないこと。悪党に車に乗るようにいわれて気後れを感じたら、とにかく言い訳を思いついて逃げる。何よりも自分自身が役のなかでくつろぐこと。ミスを犯せば死ぬことになる。
 潜入調査にかかる負担は肉体的にも精神的にも半端なものではない。常に気を張って、ときに事件をかけ持ちするなかで、複数の人格を切り換えるというのは、ストレスがたまる。動きがなく、ひたすら取引を待つ時間となると、なおさらだ。
 FBI捜査官はターゲットと親密になる過ぎないよう、感情をコントロールする訓練を受ける。その理屈は正しい。しかし、感情を抑えこんだり、教科書どおりのやり方では、まともな潜入捜査はできない。自分の本能に従い、人間らしくあること。これが難しく身も心も疲れ果ててしまうときがある。
 誰の手も触れていない原画なら表面は均一のくすんだ光を放つ。手を加えられた絵画は絵の具がむらのある光を放つ。
 前にマフィアに潜入したFBI捜査官の体験記を読みましたが、それこそ命がけでしたし、その潜入を許したマフィアの親分は発覚後すぐに消されてしまったのでした。
それにしても美術品の盗難事件って世界中でよく起きていますよね。
(2011年7月刊。2500円+税)

究極のクロマグロ完全養殖物語

カテゴリー:生物

著者   熊井 英水 、 出版   日本経済新聞出版社
 日本は年間50万トン以上のマグロを消費するマグロ大国である。
 世界ではクロマグロ、メバチ、キハダなど175万トンものマグロが漁獲されている。その
27%を日本が消費している。クロマグロに至っては、8割が日本人の胃袋におさまる。
 大トロが取れるのはクロマグロとミナミマグロだけ。世界のミナミマグロの9割を日本が消費している。
 クロマグロでは、342キロの北海道・戸井産のものが3249万円で競り落とされた。
 マグロはスズキ目サバ科マグロ属。近畿大学水産研究所がクロマグロの増養殖研究に本格的に取り組みはじめたのは1970年のこと。うへーっ、今から40年もの前のことなんですよね。私はまだ大学生でした。そして、マグロの完全養殖に成功するまで32年もかかってしまった。
 マグロの体、ヨコワには鱗が細かく、とにかく皮膚が弱い。少しでも擦れると、もうダメ。そして酸素不足にも弱い。クロマグロは、ハマチに比べて体重あたりの酸素要求量が3倍も大きい。すぐに酸欠死する。
 クロマグロは5歳で成熟し、産卵可能な個体となる。ふだんは雄雌の区別はほとんどつかないが、産卵期になるとオスは全身が黒化し、メスは腹側が銀色に輝き、測線のブルーがなお鮮やかに変わり、激しい追尾行動が始まる。
 1979年に初めて産卵に成功。1ヵ月間に160万個の卵が採取できた。次は稚魚に育てるのが課題となる。
 マグロは夕方から夜にかけて産卵する。そして11年間、産卵しなかった。1994年に12年ぶりに産卵をはじめた。しかし、今なおどうして産卵を再開したのかは分かっていない。
 マグロは稚魚の前で動くものを餌として攻撃する性質がある。生簀が狭すぎるとマグロは衝突死する。光に敏感なマグロは車のヘッドライトに驚き、暴走、激突死していた。
 マグロの力強い遊泳力が養殖において致命傷となった。大きい図体に似合わず、本当に臆病な魚でもある。マグロの激突死を避けるため、生簀を大きくし、そのうえ夜間電照をして明るいところで育てた。
 2009年に沖出しした稚魚は19万尾。そのうち4万尾がヨコワとなり、生存率20%を記録した。卵から計算しての生存率も0.5%となった。 
 クロマグロを育てるのに15倍の生餌が必要。つまり、200キロのマグロを育てるには、3トンもの餌が必要である。いま、人口配合飼料となっている。
 2004年9月、近大産のクロマグロの3尾を大阪・奈良の百貨店へ初出荷した。
 全身9割がトロのトロマグロ。大トロが100グラムあたり1800円、中トロが980円、赤身が680円。いずれも天然本マグロの元値でたちまち完売した。
 クロマグロは、どの魚よりも早く泳いで餌を捕獲できるように進化してきた。スピードは時速20~30キロで泳いでいて、絶対に止まらない。睡眠時には、何かしらのセンサーを働かせて障害物をよけている。
 マグロは生まれてから死ぬまで、一生泳ぎ続けている。口を開けたまま泳ぐことで、常に新鮮な水をエラを通して酸素を取り入れている。マグロの体は徹底的に泳ぎに特化しており、尾ビレは強い推進力を生み出すため、大変発達している。
 カツオはスズキ目サバ科であり、れっきとしたマグロの仲間である。
いやあ、マグロのことを改めて知ることが出来ました。すごいですね。ぜひ近大産のマグロを一度は食べてみたいものだと思いました。
(2011年7月刊。1600円+税)

フォー・エベレスト

カテゴリー:社会

著者  石川 直樹 、 出版   リトルモア
 8848メートルのエベレストの頂上に2度も登った人の体験記です。すごいですね。シェルパの研修学校訪問記もあります。それにしても、高山病って本当に恐ろしいものですよね。
 5000メートルを超えると、多かれ少なかれ、ほとんどの人に高山病の症状が出る。そして、ゆっくり、その標高に身体が順応していく。人間の体は高所の薄い空気に対応するため呼吸が速くなる。その分、体から水分が失われる。だから、毎日、数リットルの水を飲み、何度もトイレに行くのが順応を助けてくれる。
 高所では1日3リットルの水を飲むのが常識。しかし、それも苦しい試練ではある。スポーツ飲料が一番のみやすい。高山病になると、食欲不振、食欲減退、頭痛、倦怠感、顔がむくむ、嘔吐などの症状が、ひどいときには一度にやってくる。
 昼間、眠ると高山病になるのでパソコンに向かって仕事していた、という記述があります。そうなのでしょうか・・・。
 シェルパは男性ばかりでなく、たまに女性もいる。エベレスト登頂した女性のシェルパもいる。ちなみに女性初のエベレスト登頂者は日本の田部井淳子氏。
 エベレストは英語の名前。チベットではチョモランマ。ネパールでは、サガルマータ。
 ネパール側からエベレストに登るのに1人1万ドル(100万円)がかかる。シェルパやヤクや食費などの費用をふくめると、1人300~600万円が相場。個人ガイドを頼むと1000万円以上にもなる。
 標高5300メートル地点にあるベースキャンプでは、朝7時にシェルパがテントまでおしぼりとミルクティーを持ってきてくれる。
 ベースキャンプでの楽しみは、ぬくぬくすること。ベースキャンプにはトイレがある。それより上のキャンプ地にはトイレがないので持ち帰る。袋に入れて外に置けば一晩で凍ってしまう。小はピーボトルと呼ばれる小便ボトルにする。
 なーるほど、ですね。でも、おしりを出したら寒いことでしょうね。
エベレストの頂上で撮った写真があります。さぞかし気持ちのいい光景だと思いますが、それに至る苦労を思えば、この写真で満足するしかありません。
(2011年10月刊。1200円+税)

新、倭館

カテゴリー:日本史(江戸)

著者  田代和生    、 出版  ゆまに書房   
 鎖国時代の日本人町、というサブ・タイトルのついた本です。
江戸時代、日本は完全な鎖国をしていたわけではない。朝鮮半島に、10万坪、500人の日本人の住む町「倭館」があった。全員が男性である。そこの人たちは江戸幕府公認で貿易に従事していた。
 対馬藩がニセの国王印をつかっていたことを知っても、江戸幕府はそれを貿易のために黙認した。
 そうなんですよね。長崎のオランダ出島だけでなく、また琉球朝貢貿易だけではなかったのです。
 朝鮮半島の南端の釜山に10万坪という広大な敷地をもつ「倭館」が存在した。そこに 400~500人が住んでいた。江戸時代の全期間のみならず、明治期の初めに至るまで、外国の地にあった唯一の日本人町である。もちろん、幕府公認だった。
 江戸時代には、長崎出島にオランダ商館と唐人屋敷、そして鹿児島城下に琉球館があった。
 釜山にあった倭館の歴史は古く、そして長い。創設は15世紀の初め、朝鮮王朝が渡航してきた日本人を応接するために客館として都においたことに始まる。
 新倭館(草梁倭館)は、現在の釜山の市街の中心、龍頭山公園の一帯にあった。
対馬島を支配してきた宗氏の出自は、実ははっきりしない。もともとは惟宗(これむね)という姓で、平安時代以来、九州太宰府の在庁人の流れをくむ一族であった。対馬へ渡って次第に武士化していき、自ら島主を名乗って、宗姓に改めた。
 米の生産がほとんど望めない対馬では、使船の経営権を宗氏の家臣団や特権商人に割り当てる方式(使船所務権)が中世から続いていた。家臣へ土地を与えるかわりに、船(交易権)を与えるという対馬らしいやり方がとられた。
 寛永6年(1629年)ころ、対馬藩の内部は一枚岩ではなかった。実力派の重臣、柳川氏が主家である宗氏と対立していた。柳川氏は、肥前にある宗氏の飛地領2800石のうち1000石が与えられていた。それも家康の直命だった。これは、一大名家の陪臣の地位を越えている。
 対馬では、日朝関係をとりしきるうえで、公文書を偽造していた。対馬での印鑑の不正使用を証明する模造印14個の木印が最近発見された。
 朝鮮国書の偽造は、徳川時代よりさかのぼり、豊臣時代にはじまったことが証明された。柳川氏が偽造を幕府に通報して大問題となったが、結局、幕府は、なんとか従前どおりの日朝外交を継続できるよう、宗氏の温存をはかった。
 新倭館は33年間にわたる移転交渉の末、丸3年の歳月をかけて駿工した。この誕生は、強い政治力とあわせて、豊富な資金力が可能にした。
 対馬藩の知行高は無高(むだか)。麦を石高に換しても2000石にならない。
 三井(越後屋)は、巨額の融資をして深江屋を丸抱えし、一種のダミー商社として、もっぱら対馬経由の絹織物買いを開始した。
 あの三井が対馬経由で中国産品を輸入していたなんて、初めて知りました。
 そのころ日朝間では活発な外交、貿易、交流がなされていたことを実感させてくれる本です。
(2011年9月刊。1800円+税)

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