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2011年12月 の投稿

なぜシロクマは南極にいないのか

カテゴリー:生物

著者  デニス・マッカーシ   、 出版  化学同人   
 ガラパゴス島に生息する「ダーウィンフィンチ」は、適応放散の非常に分かりやすい例だ。元は一種だったフィンチが食材を争う必要性を最小限にするために、今では10種以上に分化している。
 鳥の求愛のさえずりは、適応放散を進めるもっとも重要な要素だ。フィンチのひなは求愛の歌を父親から習う。そしてメスは、自らが歌うことはないが、つがいの相手を選ぶときに、そのオスの歌が自分の親の歌と似ているかどうかを選ぶ基準にしている。ある集団が違う島に住みはじめると、その遺伝子だけでなく歌にもさまざまなバリエーションができはじめる。隔離された二つのグループの歌は急速に異なっていき、再び出会ったときには互いの集団の間では繁殖ができなくなっている。これはダーウィンの「種の起源」のきっかけとなるフィンチの違いです。
 性交は進化の非常に強力なエネルギーになる。二つの個体の遺伝子を混ぜあわせ、新たなやり方で分配する機会になるからだ。性交によりさらなる多様性が生まれ、その種は変化したり都合が悪かったりする環境に適応しやすくなる。
 太平洋の真ん中に住む鳥たちが飛ぶ能力を失うという傾向は、飛ぶことにどれほどのエネルギーが必要なのかをあらためて示してくれる。多くの種にとって島という環境は、進化の重要な刈り込みである働きを二つ減らしてくれる。捕食者と、食物をめぐる過酷な競争だ。その結果、島に住む鳥たちは、大陸に住む親戚がもし大陸にもっと楽な条件がそろっていたら、そうなるという姿をしている。つまり、島で進化し、やがて島の鳥の中で多数派になる飛べない側系統(胸筋が弱くなり、翼が小さくなる)は、大陸の個体群でも芽生えているが、大陸ではこうした小枝は結局、主にコヨーテやネコなどの捕食者によって切り落とされてしまう。キウイの祖先は、1000万年前に飛ぶ能力を失った。
 ニューギニアでは、それぞれの谷に別の部族がいた。それぞれの部族は別の言葉を話し、服装の習慣も子育ての傾向も、迷信も性道徳も、病気も遺伝的な異常も違っていた。そのバリエーションは非常に多く、ニューギニアには1000もの言語がある。ヨーロッパ全体でも50しかないのと対照的だ。隔離された部族に生まれた人々は、生まれた場所から15キロメートル以上離れた場所には行こうとしないことが多い。
 人間は地域によって遺伝的な差がない。これは注目すべきことだ。無作為に選んだ2匹のチンパンジーには、無作為に選んだ2人の人間の2倍の遺伝的な差異がある。我々人間は驚くほど単一な種なのである。
 化石の証拠によると、我々の最近の祖先である霊長類ホモ・エレクトゥスはアフリカで進化したが、170万年前にその中からユーラシア大陸に移住したものがいて、東南アジアまで到達した。
 ミトコンドリアの進化の樹からもっとも早く分岐した系統はみなアフリカで発見されているので、イブはアフリカ人だと考えられている。アフリカは人口が多く、原人が遺伝的に非常に多様だったため、個体が有効に適応するチャンスが多かったのだ。
 ユーラシア大陸のすべての地域の人類に、アフリカから70万年前と10万年前の2度にわたって遺伝子拡散が押し寄せ、あふれかえった。ヒト科動物の一番の特徴である、非情に大胆で冒険好きな性質と、身体的な移動能力が非常に高いことが組み合わさり、遺伝拡散を維持し、人類としての特質を広めた。
 人類は総合的な運動選手として第一級の能力をもっていて、ほかの脊椎動物をほとんど寄せつけない。これは人類の突出した均一性を維持する鍵となる能力だ。
 陸上での移動能力は非常に高く、放浪する本能があり、困難な障害に立ち向かい、新たな道の領域へと進んでいく大胆さがあるおかげで、長年、遺伝的に隔離された地域ができなかった。だから大きな差異が出ず、人類全体が同一になった。これほど広い地域で同一性を保っている生物は人類のほかに発見されていない。
 この指摘は私にとって極めて新鮮でした。そうなのか、人類って世界中どこでも一種しかいないから、混血しても何も問題が起きないし、それどころか良性遺伝することが多いんですね。このように、生物学は私たちが何者であるか教えてくれる大切な学問なんですね。
(2011年8月刊。2000円+税)

3.11 メルトダウン

カテゴリー:社会

著者   日本ビジュアル・ジャーナリスト協会 、 出版   凱風社
  3月11日の直後からの写真が紹介されている貴重な写真集です。
 3月12日とか14日の写真もありますので、遺体が路上で収容されるのを待っている状況も撮られています。そして吹雪のなかを人々が食料や水を求めて歩いています。ガソリンがないため車が走れないのです。少し落ち着くと、仮埋葬(土葬)され、お寺に真新しい骨壺が並びます。
 全校生徒108人のうち68人が死亡、6人が行方不明になった大川小学校では、児童がつかっていたランドセルやカバンが大量に並べられています。見るだけで涙がにじみ出てくる情景です。
 そして原発事故。4月1日に浪江町で撮られた写真には、1ヵ月近くも捜索されず放置されていた遺体の一部(男性の足)が写っていました。なにしろ、ここは原発から20キロ圏内なのです。無人となった浪江町を牛たち、豚たちの群れが歩いています。牛舎のなかには餓死寸前の牛がいて、モオーッと叫ぶ姿が写し出されて哀れを誘います。
 なにしろ20マイクロシーベルトという高濃度なのです。見えない放射能の恐ろしさが伝わってきます。
 目を背けたくなる、でも、見なければいけない貴重な写真集です。
(2011年7月刊。1800円+税)
同窓会の最後の話です。
 大学2年生のとき、6月が東大闘争が始まりました。クラスのなかにもセクトの対立抗争が持ち込まれました。私のクラスでは全共闘のほうが多かったと思います。メンバーというよりシンパ層が多いということですが、アクティブなメンバーが何人もいました。
 あらかじめ東大闘争のころの写真をメールで送っていたのですが、それに言及する人はほとんどいませんでした。当時の対立抗争を語るのはまだタブーのようで、幹事から、たびたび今日はその話はしないようにと制止の声が飛んでいました。
 それでも、私の本(『清冽の炎』1~5巻。花伝社)をネットで探して1万円で買って読んでいるという人もいました。
 学生時代に何をしていたのか、それがどうつながっているのかは、みんな知りたいことですよね。あの東大闘争を歴史の闇に埋もれさせたくはありません。
 私のブログを見てくれている人もいました。あれだけ大量の本を読んで、本当に理解しているのかと訊かれて、一瞬、答えに詰まりました。まあ、この書評を書けるくらいは理解しているということなんですが・・・。

森の奥の巨神たち

カテゴリー:生物

著者   鈴木 直樹 、 出版   角川学芸出版
 タイの森に棲むアジアゾウの生態がロボットカメラも駆使して、よく撮られています。
 象って、家族愛がすごいんですね。みんなで赤ちゃん象を守り育てていくのです。17歳になったらオスの象は一人立ちします。自由気ままな一人暮らしを楽しむのです。でも、一人立ちしてすぐのころには、元いた母親の群れに戻って甘えることもあるといいますから、まるで人間と同じだなと、つい苦笑いしていました。
 著者によると、動物園で飼われている象と野生の象とでは、まったく別の生き物といってよいほど違う存在だということです。飼われている象は、本来持っている機能、能力、知識のかなりの部分を失っているということです。
 象を森の中に追いかけているうちに、彼らの持っている、人間ですら共感できるほどにはっきりした誇りや意思、さらには細やかな愛情に接することができた。
 象は、まったく人を恐れない動物である。象は、遠い昔から人間のやることをずっとみてきていて、その力を見切っているようである。親から子どもへ、「人間って、たいしたことない」というのを知識として教えている節がある。
 子象の写真がたくさんあります。ほのぼのとした光景です。子象が母親に甘え、子象がイタズラをして大人象たちから叱られているとしか思えない写真まであります。子象たち同士も仲良しで、一緒に遊びます。
 ロボットカメラを使って、人間では撮れない貴重な場面がいくつもある、楽しい象の写真集です。
(2011年10月刊。3200円+税)
同窓会の話の続きです。
私のクラスでは法曹界にすすんだのが私一人だけなのです。珍しいと思います。ちなみに駒場寮の6人部屋からは3人が法曹界にすすみました(私のほかは裁判官2人です)。
銀行員商社マンになった人が多数でした。長い人で累計21年、短い人でも6年くらい海外にいましたということでした。20年も海外にいて、日本のことがよく分からなくなったといいますが、そのとおりだろうなと思いました。団塊世代は、世代の人数比の割には社長が少ないとよく言われます。社長は50代前半ということが大会社でも珍しくはありません。今回は欠席でしたが、一人だけ大会社の現役の社長をつとめています。もう長いよね?と訊くと、いやまだ3年だよ、大会社の場合、社長は6年くらいはやるものだからというコメントが返ってきました。
参加者に現役の社長が何人もいました。大手商社から独立して社長になったり、子会社に移って社長になったりした人たちです。さすがに社長の貫禄がありました。それでも、副社長のときは気楽だったのに、社長となると大変だとこぼしていました。なるほど、そうなんでしょうね。(続く)

沖縄と米軍基地

カテゴリー:社会

著者    前泊 博盛 、 出版   角川ワンテーマ21
 日本人が全体として真剣に考えるべきテーマだと改めて感じ入りました。沖縄におけるアメリカ軍基地の問題は決して沖縄という一地方のものではなく、日本という国はどういう存在なのかを考え直させるものなのです。本当のことなど知らないほうが良いし知ったところでどうなるものでもない。多くの日本人がそんな気持ちになっているのが「日米安保」と沖縄のアメリカ軍基地問題ではんないか。まことにそのとおりだと私も思います。
 アメリカの国防長官は、普天間にあるアメリカ軍の飛行場を視察したあと「こんなところで事故が起きないほうが不思議だ。ここは世界一危険な飛行場だ」と言った。そうなんですよね。ところが、自民党政権そして今の民主党政権も、そのことを表明しないのです。なんという薄っぺらな「愛国心」でしょうか。日本人の生命・身体そして領土の安全を守る気概がまったく感じられません。
沖縄で起きたアメリカ軍の航空機事故(450件)の19%を「普天間」が占めている。アメリカ軍機の事故発生率は、民間機の80倍となっている。海兵隊の事故発生率は4.55。これは陸軍1.98、空軍1.64、海軍2.55に比べて、ずば抜けて高い。アメリカ軍の基地を移転・建設するために反対運動をしている住民が機動隊などと激突して血を流せば、いったい「日米安保なるものは何らか何を守っているのか」という根本的な疑問に日本政府は答えられなくなる。
アメリカ軍がすすめようとしている再編・変革の狙いの第一は、アメリカの国防予算の削減である。そして、アメリカ軍と自衛隊を融合させ、自衛隊を後方支援部隊として強化、活用する方策を打ち出している。アメリカ軍を沖縄からグアム島に移転する費用のうち日本が負担しようとしている3兆円は、日本側が負担しなければならないという法的な根拠は何もない。
 うへーっ、恐れいりますね。3兆円もの巨額の税金を法的根拠もなく、アメリカ様に差し上げようというのですから、それこそ開いた口がふさがりません。
 東日本大震災で復興資金をどうやって捻出するのかという議論をしているのに、もう一方では気前よく3兆円もアメリカへくれてやるというのです。信じられない野放図さです。こんなことがまかり通るのなら、復興計画なんてやる気があるのか根本的な疑問を感じます。
 いま、日本の軍需産業の規模は2兆円。三菱重工、IHI、東芝、日立などで戦車などの軍事兵器を大量に生産している。
 このあたりがまったく報道されていませんよね。「死の商人」は日本にも存在しているのです。
 沖縄に大量に駐留しているアメリカ軍海兵隊について、アメリカ連邦議会(下院)の歳出委員会は次のように述べた。
 「アメリカが世界の警察だという見解は、冷戦の遺物であり、時代遅れだ。沖縄に海兵隊がいる必要はない」
 シンクタンクの所長も次のように断言する。
 「中国脅威編は、予算が欲しい国防総省のでっちあげ。沖縄に海兵隊は必要ない。アメリカ軍に普天間基地の代替施設なんか不要だ」
 さらに、この所長は日本人に疑問を投げかける。
 「沖縄では少女暴行事件のあともアメリカ兵による犯罪が繰り返されているが、アメリカはこの問題に本気で取り組もうとしていない。日本の政府や国民は、なぜそれを容認し、アメリカに寛大な態度を取り続けているのか。アメリカ軍基地は世界中に存在するが、こういう状況を容認しているのは日本だけなのだが・・・?」
 うむむ、ここまで言われてしまうと、私たち日本人って、いったい恥を知る民族だったはずなのですが、なんと答えたらよいのでしょうか・・・。
 さらに同所長は指摘しています。
 「中国に関するあらゆる情報を分析すると、中国は自ら戦争を起こす意思のないことが明らか。中国の脅威なるものは存在しない。それは、ペンタゴン(国防総省)や軍関係者などが年間1兆ドルにのぼる安全保障関連予算を正当化するために作り出したプロパンガンダにすぎない」
 軍需産業という利権の力に私たち日本人も目をくらまされているわけです。
 ところで、アメリカ軍がいるために沖縄経済は成り立っているという見解に対して鋭く反論しています。
 アメリカ軍基地オアシス論。基地がなくなったら、沖縄はイモとハダシの極貧生活に逆戻りするというものです。アメリカ軍基地は9000人の雇用を提供している。これは県庁職員を上回る。520億円の従業員所得をうみ出す。
 基地内外の4万人の住民は700億円の消費支出をうんでいる。そして、アメリカ軍の400億円もの財・サービスを県内企業が受注している。
 しかし、沖縄県の試算によると、アメリカ軍基地が撤去されると、莫大な経済効果をもたらすというのです。生産誘発額は209倍、雇用誘発者数は252倍。そして、これは、実はフィリピンで既に立証されていることである。
 なんだ、なんだ。アメリカ軍基地って百害あって一利なしという存在なんだ。このことを知って、これまで以上にアメリカ軍は沖縄だけでなく日本全土から出て行けと叫びたいと思いました。ご一読をおすすめします。実に充実したタイムリーな新書です。
(2011年9月刊。724円+税)

隠される原子力、核の真実

カテゴリー:社会

著者  小出裕章  、 出版  創史社   
 著者は私と同じ、団塊世代です。高校生のとき、茨城県東海村に商業用原子発電所「東海一号炉」が誕生し、原子力の開発に命をささげようと決意したのでした。
 そして、夢に燃えて東北大学工学部原子核工学科に入学。ところが、原子力を学びはじめてすぐに、その選択が間違っていたことを悟った。
 なぜ、電気を一番使う都会に原子力発電を建てないのか?
この疑問こそ、原発問題の本質を鋭く衝いたものです。京湾の埋立地「お台場」(かつての夢の島)に原発を作れるのに作らないはなぜなのか?
 その答えは、とても単純なもの。原発は都会では引き受けられない危険をかかえたものであるから・・・。
 「原発は安全」。国と原子力産業は、このように言い続けてきた。仮に作業員がどんなにミスをしても、原子力ではフール・プルーフ(誤っても安全性は確保)になっているので、安全だ。しかし、3.11は、そのことがまったくの嘘だということを明らかにした。
 放射線の被曝によるリスクは低線量にいたるまで直線的に存在し続け、しきい値はない。最小限の被曝であっても、人類に対して危険を及ぼす可能性がある。被曝量が少なければ安全だというのは根拠のない妄言である。
 日本がヒロシマ・ナガサキをかかえた被爆国であることは言うまでもない。しかし、アメリカはネバダの核実験場で核実験を繰り返し、周辺住民が被曝した。同じことはマーシャル諸島についても言える。さらに、旧ソ連のセミパラチンスクでも起きた。
 石油がいずれ枯渇するというが、実際には50年はとれる。少なくとも、予想可能な未来において化石燃料が枯渇しない。
 高速増殖炉は、技術的、社会的に抱える困難が多すぎる。一度は手を染めた世界の核開発先進国はすべて撤退してしまった。
 原子炉「もんじゅ」は1994年に始動した。しかし、17年たっても、今もって1キロワット時の発電すらしていない。すでに、この高速増殖炉には、1兆円もの巨額のお金を捨ててしまった。こんなでたらめな計画をつくった歴代の原子力委員会の委員は誰一人として責任をとらなかった。全員を刑務所に入れるべきだ。
「もんじゅ」を開発した技術者はすでに定年でいなくなった。15年も動かなかった機械を動かすなど、普通ではありえない。
 ところが、高速増殖炉を動かすことができれば、そこから核分裂性プルトニウムの割合が98%という超優秀な核兵器の材料が生み出される。政財界の一部が原発にこだわれるのは、核兵器の材料づくりという一面があるからだ。この意味でも原発は本当に怖いものです。
 原子力発電所は都会につくれない。そこで東京電力は自分の給電範囲内に原発をつくることができなかった。原発が絶対に安全だというのなら、大事故のときには国が援助するという原子力損害賠償法は不要だし、原発を都会につくることも出来た。
 標準の100万キロワットの原発は、1年間の運転で1000キロ、広島原爆に比べると  1000倍ものウランを燃やす。当然、燃えた分だけの死の灰ができる。
 原子力発電所は、正しく言うなら海温め装置である。というのも、300万キロワットのエネルギーを出して、200万キロワットは海を暖めている。残りのわずか3分の1を電気にしているだけ。メインの仕事は海温めである。100万キロワットの原発は、1秒間に70トンの海水の温度を7度も上げる。
 うひゃあ、すごい温度上昇です。これって海中の生物にいい影響を与えるはずはありませんよね。
 原発から出る使用済み核燃料は、100万年にわたって人間の生活環境から隔離しなければならない危険物である。しかし、100万年後の社会など、今の私たちに想像すらできない。
いまある国は日本をふくめてすべて消滅しているでしょうし、人類そのものが存在しているかというかだって分からないですよね。このことひとつとっても原発には反対せざるをえません。
(2011年6月刊。1400円+税)
 東京で40年ぶりに大学時代のクラスの同窓会があるというので、参加してきました。当日は20人が参加したのですが、実は顔に見覚えのある人は半分もいませんでした。私は学生時代、セツルメント活動に没頭していて、あまり真面目に授業に出ていませんでしたので、そのせいかと思うと、そうでもないことが分かりました。今は立派に会社社長をしている人が、大学ではほとんど授業に出ていなかったと告白する人が何人かいて、なるほど、それにしても原因なのかと思いました。
 今では、もっとも講義を受けておけば良かったものを反省しきりなのですが、そのころは生意気盛りでしたから、大学の講義なんて本を読めばカバーできるなんて、小馬鹿にしていたのです。いま思うと、顔から汗が吹き出しそうなほどの恥ずかしさを覚えます。
 クラス46人のうち、2人が亡くなっていて(うち1人は大学2年生のとき)、あとは健在なのですが、消息不明と言うか、応答拒否という人も何人かいて、全員の住所・氏名を完成させるのはなかなか困難だと幹事が報告していました。

(続く)

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