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2011年9月 の投稿

未来ちゃん

カテゴリー:人間

著者  川島 小鳥  、 出版  ナナロク社 
 何、なに、この写真集って何なの・・・・。
 3歳か4歳か、そこらによくいるこまっしゃくれたフツーの女の子のスナップ写真のオンパレードです。
 ところが、この女の子、実に伸びのびとしています。いかにも屈託のない表情です。見るものの心をぐぐっと惹きつけてしまいます。
 鼻水たらしてないている顔なんて、今どきこんな強情そうな女の子がいるのかと驚かされます。単に可愛いというのではありません。もちろん憎たらしいわけでもありません。実に、生きているという、豊かな感性が写真の外まであふれ出しているのです。すごいショットをうつし撮っていると思いました。カメラを構えた人をまったく意識している気配がありません。
 表紙の写真は、ケーキでしょうか、フォークで何かを食べている様子がとらえられています。かみつくようにして食べています。おいらは生きているんだぞと叫んでいる気のする写真です。
お花畑を駆けまわる様子、道路で走っているさま、そして真白の雪世界で寝ころがっている状況。どれもこれも生命の躍動感にあふれています。
 それでも、やっぱり惹きつけられるのは泣いている写真です。しくしくと、そしてワンワンと大泣きしている女の子の顔は、小さい女の子だって世の中に主張したいことがたくさんあるんだ。それを感じさせる感動的スナップです。すごい写真集があるものだと驚嘆してしまいました。
(2011年7月刊。2000円+税)

ゲーリー家の人々

カテゴリー:アメリカ

著者   フランク・J・ウェブ   、 出版  彩流社  
 アメリカ奴隷制下の自由黒人というサブタイトルがついています。1857年にイギリスは、ロンドンで出版されていた本です。著者はアメリカ・フィラデルフィア生まれの自由黒人。
 自由黒人とは、奴隷ではないが、アメリカ市民でもなかった。自由黒人は、アフリカから奴隷として連れてこられた人々やその子孫のうち、主人からの解放によったり、自らを買い上げたり、または法律の施行などにより、奴隷の身から開放されたアフリカ系の人々をさす。1790年に実施された初の国税調査によると、黒人の総人口は76万人ほど、うち自由黒人は6万人だった。70年後の1860年には49万人になっていた。
 自由黒人の多くは、白人と黒人との婚外婚による混血だった。白人たちは一滴主義を説き、かなりの量の白人の血が流れていても、一滴でもアフリカ系の血が流れていれば、黒人扱いをし、自分たちの同胞とは認めなかった。また。また母が奴隷である場合は、その子どもは父の人種にかかわらず奴隷とし、黒人と呼んだ。一滴でもアフリカ系の血が混じった兄弟は、白人社会の市民として受け入れられなかった。
 だから、見かけはまったく白人であり、話していても白人そのものであっても、黒人という人たちがいたわけです。この本は、そのことにともなう悲劇も描かれています。
 自由黒人に対する憎悪は、やがて彼らを擁護する奴隷制度廃止論者である白人への迫害としてもあらわれた。1834年8月、白人暴徒たちがフィラデルフィアの黒人地区に行進し、さまざまな暴力をはたらいた。この本は、この暴動事件を背景にして展開していきます。
1852年、ストウ夫人が『アンクルトムの小屋』を出版し、大ベストセラーになった。
この『ゲーリー家の人びと』は、アメリカ社会が見て見ぬふりをしてきた自由黒人の日常を初めて描いている。この本はアメリカではなくイギリスで出版され、イギリス国内ではなかなかの評判をとったが、アメリカでは何の反響もなかった。
人間を奴隷として使って何ら恥と思わないアメリカ市民がついこのあいだまでいたのですよね。そして、不当な差別がまかり通ってきました。その意味では、オバマ大統領の誕生は画期的です。しかし、オバマさんも次期再選へ向けては苦戦しているようですね。イラク、アフガニスタンへの侵略戦争は許し難いものですが、国内経済の立て直しに四苦八苦しているようです。
『リンカン』伝を読んだばかりなので、アメリカにおける黒人差別歴史の深刻さを再認識させられました。
(2011年1月刊。3500円+税)

漢文法基礎

カテゴリー:社会

著者   二畳庵主人、加地 伸行 、 出版   講談社学術文庫
 この本はZ会(増進会)の機関誌に連載されていたものがもととなっているそうです。私も、昔々、Z会には大変お世話になったという思いがありましたので、ちょっくら読んでみようかなと思ったのです。昔に戻って漢詩や漢文の世界に少しばかり浸ってみるのもいいかなという気分もありました。読んでみると、知らないこと、忘れたことがこんなにも多いのかと驚くばかりです。
 高校時代、もう塾には行かなくなりましたが、Z会の通信添削だけはせっせと書いて送ったものです。返送されてくる答案の赤ペン添削が楽しみでしたし、毎号の成績優秀者欄をみて、私もぜひ載りたいと思っていました。
日本人が西洋話を学ぶとき、話すことより読むことを長じていく一つの理由は、訓読の伝統があるから。奈良朝以来、鍛えに鍛えて練り上げられた訓読の技術が知らず識らずのうちに伝承されている。奈良時代、漢文は音読していた。音博士(おんはかせ)という官職があり、この漢字はどう発音するか、ということを担当していた。
 日本語を使って、外国語をそのまま直接に読みとっていくという、世界でも珍しい「訓読」という傑作が完成した。
閑語休題は「さて」と読む。
 一任は「さもあらばあれ」と読む。
 聞説は「きくならく」と読む。
 就使は「たとひ」と読む。
 漢文では、主語は必ずしも置いておく必要はなく、格や動詞の変化がなく、単複の区別もほとんどない。だから、英語には似ていない。
 日本語では、第一にテ・ニ・ヲ・ハ・すなわち助詞が十分に使いこなせなければならない。その次に大切なのが助動詞である。日本語の微妙な表現は、この助動詞の用法にある。
 漢文には、この日本語における助詞・助動詞・活用の三点が欠けている。したがって、漢文を日本語として読むことの真相は、実はこの三者をつけながら読むということなのである。そして、三者をつけたものを送りがなという。
 なーるほど、そういうことなのですね・・・。
 自は、「みずから」と読んだり、「おのずから」と読んだりする。このとき、積極的とか消極的という区別はつける必要がない。
 日本語は、外国のことばをどんどん吸収できることばである。というよりも、外国のものを吸収する必要に迫られていたからこそ、そういうことのできる言語体系となってきた。
 朱唇皓歯(しゅしんこうし)とは、朱(あか)い唇、皓(しろ)い歯、すなわち美人のこと。
 処女とは、処家女、すなわち「まだ家にいる女」ということ。もちろん、女は「むすめ」と読む。まだ家に居る娘のことである。
庶幾(しょき)は「こひねがはくは」とも「ちかし」とも読む。
 「・・・するところの」調の文章は、明治以前にはそう多くなかった。関係代名詞の訳語として採用されてから百年、重要な文章語となった。
世の中には受験勉強をケナしたり、バカにするバカがいるが、彼らは近視眼的に批判しているにすぎない。受験勉強のなかで、日本語がどれだけ練り上げられてきたかを忘れている。
 ふむふむ、そういう見方もできるのですか・・・。なーるほど、ですね。この本を読むと、そうかもしれないと思えます。
 平成になってから漢文を古典の素養として勉強しようという雰囲気の受験生が激減した。なるほど、そうかもしれませんね。でも、漢文っていいですよね。いい調子で漢詩を朗じてみると、気分まで良くなりますよ。受験漢文を久しぶりに再読して漢詩の良さを再発見した気分です。
(2010年12月刊。1650円+税)

特殊部隊ジェドバラ

カテゴリー:ヨーロッパ

著者  ウィル・アーウィン    、 出版  並木書房 
 映画『史上最大の作戦』そして『プライベート・ライアン』で有名なノルマンディー上陸作戦の前に、連合軍はドイツ軍の後方撹乱のためにフランス各地に特殊部隊を送り込み、現地のレジスタンスを応援しつつ活動していたのでした。その部隊名をジェドバラと呼びます。
 アメリカ人のジェドバラ隊員は戦略事務局(OSS)に所属し、イギリス人隊員は特殊作戦執行部(SOE)の出身だった。そして、もう一人のフランス人はドゴール将軍の自由フランス軍に属していた。3人一組で、最大100組の混成チームがフランス各地に投下された。
 高高度で編隊飛行するために設計された鈍重な重爆撃機を勘と経験をたよりに低空飛行させる。目標を見つけると、対地高度180メートルで進入を開始し、失速ぎりぎりの時速約200キロにまで減速させる。そして、一人ずつ落下していく。
 ジェドバラ隊員は、ゲリラ戦では機動性が重要であると教えられ、1ヶ所に長くとどまらず、常に動きまわるように叩き込まれていた。地上では地元のレジスタンス勢力と接触し、彼らの協力を取りつけることになっていたが、レジスタンスについては、ごくわずかしか分かっていなかった。
 ジェドバラ隊員には、当然のことながら道徳心と身体をはった勇気が求められていた。そのほかにも、度胸や自信、健全な判断力、ある程度の抑制された勇猛さ、秘密情報の慎重な扱いなどを示す必要があった。任務を完了するために、隊員たちは機略縦横でなければならなかった。たとえ通信と補給が立たれた場合でも、刻々と変化する状況に順応する必要があった。
 状況をすばやく認識できる機敏な頭脳が必要だった。決断力があって、創意に富んだ頭脳と、精神的なスタミナが肉体的な持久力におとらず重要だった。また、分別と安定した感情と自制心は、ストレスの多い状況下や長期間の孤立状態のときに人ががんばり続けるために必要になる。外国人とすすんで協力する態度と適性は絶対に不可欠だった。洞察があって、説得力に富み、必要とあらば断固主張し、人あしらいに長けていなければならなかった。階級の違いをこえて他人と協力し合えることが求められていた。
 情報網を構築し、運営する方法、偽造文書の使いかた、監視のやり方、気づかれずに誰かをつける方法、つけられているときにそれを見分ける方法、そして、その対処法。すごいですね。こういうのを私も身につけてみたい気もします・・・・。
 レジスタンスのなかにはドイツ軍のスパイも潜入していた。そして、レジスタンス内部で抗争があっていた。パリではレジスタンスの大部分が共産党だった。ドゴール派は、共産党に戦後の政権をとられたくなかった。
 少し前にイギリスの看護師(ケイト・ブランジェット)がフランスに潜入してレジスタンスを支援するという映画(『シャーロット・グレイ』)を見ましたが、まさにそれと同じ活動を描いたノンフィクションでした。
(2011年4月刊。2200円+税)

世界が見た福島原発災害

カテゴリー:社会

著者   大沼 安史 、 出版   緑風出版
 福島第一原発の爆発事故については隠されていること、報道されていない事実があまりに多い気がします。知らされると国民がパニックを起こしてしまうからだと当局は強弁するわけですが、隠されるとかえってパニックも拡大して起きるのではないでしょうか・・・。
 今回の福島第一原発の事故をめぐる日本政府の「情報統制」はすさまじかったし、今なお、すさまじい。新聞だけでなく、電波メディアも翼賛報道を続けた。
 福島第一原発の事故による放射能雲の拡散を世界中の人々の意識に乗せたのはオーストラリア中央気象局の解析をスクープした「ニューサイエンティスト」誌の功績だ。しかし、実は、日本政府も同じような解析データを持っていた。ただ、その解析データを国民の目から隠していた。
 国連もIAEAも、飯舘村の測定値を見て、日本政府に避難を勧告した。しかし、日本政府は勧告を無視した。
 アメリカの原子力規制委員(NRC)は情報書において、核燃料の高熱化と溶解が続けば、溶解放射能物質のかたまりが長期間にわたってなくならず、放射能物質の放出を続けることもありうると指摘した。私が今心配しているのは、まさに、この事態です。いったん核燃料棒は溶けてしまって、どうなったのでしょうか・・・。その処罰は、誰が、どうするというのでしょうか。ここが明確にならない限り、事故対策の根幹は明らかになったとは言えませんよね。
NRC報告書は、「使用済み核燃料プール」から、核燃料の破片・粒子が1.6キロメートル先まで吹き込んだとしています。これが本当なら、大変なことです。その破片・粒子はきちんと回収されたのでしょうか。現在の保管状況は安心できるのでしょうか?
 「フクシマ」事故の深刻さは、かえってアメリカ連邦議会において明らかにされた。
 なんということでしょう。日本の国会は何をしていたのですか。まさか、ずっと内輪もめばかりではないでしょうね。
 日本政府が日本国民に対して隠していた情報は、実はアメリカの関係企業には筒抜けになっていた。
 フランスのアレヴァ社の女性社長(CEO)であるアトミック・アンヌと呼ばれる女性は、フクシマ後の事故処理・廃炉という途方もなく巨大なビジネスのパイを、フランスと英国、そしてアメリカとロシアとのあいだで山分けする考えだった。
世界的な理論物理学者である日系アメリカ人のカクミチオ教授は、フクシマの危険性を次のように語った。
 フクシマは安定しているように見えるが、ちょっとした余震あるいは配管のもれ、作業員の避難などで三機ともメルトダウンを起こしかねない状態だ。
 いやはや、とんだ「安全神話」でした。指先で崖にぶら下がっていて必死にこらえている状態が、今の安定的状態だ、ということです。
 福島の子どもたちは、いまドイツの原発の作業員並みの放射線量を浴びながら、日々、学び舎で勉学にいそしむことになった。つまり「フクシマ」では、なんと「校庭」に「原発」が来ていることになる。こんなたとえは恐ろしいばかりです。
 アメリカは80キロ以内の避難勧告を今もって解除していないとのこと。それだけ放射能の恐ろしさを重視しているわけです。日本政府の、このもたつき、東電をはじめとする日本の財界の開き直りには同じ日本人として底知れない恐ろしさを感じます。許せません。
 世界的な視点で今回の原発事故をみてみる必要があることを痛感した本でした。
(2011年6月刊。1700円+税)
 日曜日に庭仕事をしました。ツクツクボーシの鳴き声も聞かずにセミの季節は終わってしまいました。枯れたヒマワリやカンナなど刈り取ってすっきりさせました。これからチューリップを植えていくための下準備です。東北地方では放射能の除染作業をしている人がたくさんいるんだろうなと、その苦労をしのびながら精を出しました。6時半には薄暗くなり、7時にはすっかり暗くなりました。6月だとまだ明るかったのですが、秋の気配を実感します。
 8月初めにフランスに行ってきました。シャモニー(モンブラン)、アヌシー、グルノーブルをまわりました。私の個人ブログで写真を紹介しています。ご覧ください。太郎さん、ありがとうございます。チョコさんお元気ですか?

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