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2011年9月 の投稿

自衛隊のジレンマ

カテゴリー:社会

著者   前田 哲男 、 出版   現代書館
 いやあ知りませんでしたね。
 3.11のとき、航空自衛隊がモタモタしているうちに津波で戦闘機18機をふくめて28機が冠水して全滅していたというのです。この航空機の損害は、なんと2300億円です。ええーっ、嘘では、ご冗談でしょ、と言いたいです。近くの海上保安庁からは2機が離陸して観測任務についていたというのですから、1時間のうちに緊急発進できなかったはずはない。著者はこう指摘しています。まことにもっともです。こんな重要な失態は報道されず、震災での救助活動ばかりを報道したマスコミって、信用ありませんね。プンプンプン・・・。
 自衛隊の海外派遣任務というのは、すべてワシントン発の外圧に日本政府が従う構図によってつくられてきた。
 アメリカ高官から「旗を見せろ」とどやされてインド洋に海上自衛隊補給艦による無料ガソリンスタンドを開業(私たちの血税を惜しげもなくばらまきました)、次に「軍靴で踏みしめろ」と言われてイラク戦争に陸上自衛隊の土建会社を設立したという具合だ。いずれも、国民合意のもとで送り出されたものではない。
ただ、護憲派にも怠慢がある。九条を維持するなかで、どのようにして日本の安全を守るのか、それを正面から議論してこなかった。こうすれば日本国民の安全と安心を守れるという選択肢を示す努力を怠ってきた。
 なるほど、そうなんですよね。遅まきながら日弁連も今、政府の防衛計画大網をきちんと議論しようと呼びかける意見書を準備しているところです。
 紅海に近いジブチに自衛隊は海外恒久基地をもつことになった。そこには、交替要員や後方隊員までふくめると総勢1000人もの日本人がいる。「専守防衛」のはずの自衛隊がそこまでやっていいのか・・・?
 これは明らかに憲法からの逸脱ではないのでしょうか。そもそも、ソマリア沖の「海賊」取り締まりのために、海上保安庁ではなく自衛隊が出動するというのも疑問です。
 マラッカ沖の「海賊」対策のときには、JICAと海上保安庁が主役で、うまく対処できたという実績があるのです。ソマリア沖の海賊を逮捕して日本の裁判所で裁判しようとしても通訳の確保から難しいという問題があり、東京地裁では裁判が進行できずに困っている。そんな話を東京の弁護士がしていました。
 いま、日本の防衛費は年間5兆円。これは世界第4位。海上自衛隊は、今や空母まで持っている。「ひゅうが」は護衛鑑ということになっているが、外観上はヘリ空母にしか見えない。イギリスの『ミリタリー・バランス2011』には、空母1、巡洋鑑2、駆遂鑑30、フリゲート16、潜水艦18と記載されている。これが「世界の常識」である。
 日本の軍事費の伸びは中国の軍事費の伸びをはるかに上まわっていて、中国を批判する資格はない。
自衛隊は、自らのHPには英語で陸軍と明記している。
アメリカの原子力空母「ジョージ・ワシントン」は横須賀港を母港にした。これは出力120万キロワットの原子炉が首都・東京のすぐ近くに浮かんでいることを意味している。
 アワワ・・・、恐ろしいことです。こんな既成事実が積み上げられてはいますが、それでもなお九条はしばりとして生きています。
核兵器は保有できない。長距離爆撃機は持てない。もっぱら攻撃を目的とする空母などの攻撃的兵器を持つこともできない。
 もし日本に九条がなく、自衛軍があったら、韓国と同じようにアメリカの下でベトナム侵略戦争に加担させられ、日本の青年が多く戦死していたであろうことも間違いない。
 日本の国を九条とともにどうやって守るか、アメリカとの対等な外交関係を回復するにはどうしたらよいか・・・。日本の自衛隊の現実を私たちはもっと知ったうえで大いに議論する必要があると思いました。
 一読に値する本としておすすめします。
(2011年7月刊。2000円+税)

がん患者

カテゴリー:人間

著者   鳥越 俊太郎 、 出版   講談社
 まずは表紙の写真に目が惹きつけられます。大腸がん発覚から5年、手術を4回も受け、ステージ4のがん患者とオビにありますが、上半身裸の著者の肉体は健康そのもの。顔色も良すぎるほどで、ボディビルの選手権大会にこれから出るのかと思わせるほどです。
 しかし、本を読むと、やっぱりがん患者としての苦難の日々が書きしるされています。そこには嘘もハッタリもありません。かなり率直な心情が吐露されていて、思わず没入していきます。
著者には持病の痛風があった。それでも、1年365日ビールは欠かさなかった。そのビールがおいしくなくなった。これが異変の第一だった。
 私は3年前からビールを飲んでいません。ダイエットの第一歩としてビールを止めました。夏でも、冷えたミネラルウォーターを美味しく飲んでいます。まず、日本酒をやめ、次に白ワインをやめ、そしてビールをやめたのでした。逆にいうと、焼酎(主としてお湯割り)や赤ワインを外で飲み、自宅では専ら果実酒です。少し甘いのがいいのです。書面を書きながら、少しずついただいています。
 さすがに著者はマスコミ界で生きてきた人です。がん告知の瞬間からテレビカメラの前に立つのでした。これはなかなか真似できることではありませんね。
 大腸がんと分かったとき、カメラで自分自身も腸の内部を見ることができる。そのサーモンピンク色の美しさに著者は驚いています。
 私も人間ドッグには定期的に入っていますので、写真で自分の腸の内部を見ていますが、本当にきれいなものです。これは、たとえ「腹黒い」人間でも変わらずピンク色なのである。それは、そうでしょう。同じ人間なのですから・・・。
著者の大腸がんは馬蹄形に肉が盛り上がり、中央部のへこんだ部分は黒く濁った色をしている。盛り上がった、ちょうど火山の外輪山の部分からは、赤い血が幾筋が見える。これぞまさしく、まごうことなきがん部分である。
 入院中の著者の写真があります。さすがに精気のない、疲れて、さえない表情をしています。本の表紙の顔写真とはえらい違いです。それにしても可愛らしい美人の若い看護師さんにあたったようで、うらやましい限りです。
 著者の武器は二つ。好奇心と集中力。根っからの好奇心人間。努力ということばが大嫌いの生来怠け者である。そして性格は能天気。好奇心は人間の強力な武器だが、これだけでは世間は渡れない。もう一つの武器が集中力という特技だ。
私自身はコツコツ努力型で、これまでの人生を乗り切ってきました。好奇心と集中力は似ていますが・・・。
 著者は無事に大腸がんを摘出したかと思うと、次は肺、そして肝臓へもがんは転移していたのでした。著者は抗がん剤を飲みつつ副作用に苦しむことはなかったようです。そして、漢方薬によって免疫力を高める治療も同時に受けています。
 そして、今では仕事量は前の3倍。さらには週に3回事務に通って筋力トレーニングに専念しているそうです。
生活の質を確保しながらのがん患者として前向きに生きている様子の伝わってくる,
爽やかな読後感の残るいい本でした。
(2011年8月刊。1600円+税)
 日曜日に庭に出てナツメの実を取りました。張りに刺されるような気をつかいながらでしたが、小さなザル一杯分が集まりました。1年後のナツメ酒が楽しみです。
 珍しくツクツクボーシが鳴いていました。いよいよ夏も終わりでーす。ピンクの芙蓉の花に黒アゲハがとまってせわしげに蜜を吸っています。もうすぐ酔芙蓉の花も咲いてくれることでしょう。朝のうちは白い花、午後からは酔ったように赤い(ピンクの)花を咲かせてくれる花です。

泥のカネ

カテゴリー:社会

著者   森 功 、 出版   文芸春秋
 ゼネコンの談合は、裏金をつくり出し、総工事費の3%が政治家と暴力団に流れていきます。大型公共工事というのは、みんな私たちの血税ですから、いわば税金で暴力団を養っているようなものです。ここにメスを入れなければ、暴力団はいつまでたっても日本からなくならないと思います。
 市長や市議会議長、そして警察署長を先頭にデモ行進をし、暴力団事務所の前でこぶしを振り上げて唱和するだけでは決して暴力団をなくすことは出来ません。みんなそれを知っているのに、市民の前でポーズだけとってマスコミがもっともらしく報道するという構図が長く続いていますが、私にはどうにも解せません。
民主党の元代表である小沢一郎は、数いる実力派の国会議員のなかでも抜群の集金力を誇ってきた。その資産形成に対する熱の入れようは類を見ない。小沢一郎は政治資金管理団体「陸山会」をはじめ、政治団体を駆使し住宅用地やビル、マンションを買いあさってきた。普天間基地の移設候補地の近くにも土地を所有している。
 ところで、政治団体には法人格がない。そのため、政治団体が購入したといいながら、不動産の名義人は小沢一郎個人になっている。まるで政治資金による資産の形成だ。
 小沢一郎の所有報告書によれば、歳費などの収入をふくめて小沢一郎の個人的な資金の移動は1年を通して平均3000万円ほどでしかない。しかし、秘書用住宅敷地の購入には現金4億円が動いている。そして、銀行から4億円を借りてそれで土地を買ったかのように見せかけた。
 小沢一郎の秘書だった大久保は西松建設に対して、こう言った。
「おたくらが取った胆沢ダムは、小沢ダムなんだ。今後も協力してくれないと困るよ」
 小沢事務所による「天の声」に怯え、建設業者たちは、せっせとゼネコンマネーを小沢一郎に貢いでいた。
 鹿島建設東北支店と小沢事務所の両輪が東北談合組織の頂点に君臨し、公共工事を歪めてきた。
 田中角栄は建設族議員のドンであり、中央の大型公共工事の受注額の3%を製磁献金する「3%ルール」を確立した。
 2005年5月、水谷建設の本社事務所に見るからにヤクザが一人乗りこんできて、拳銃を2発、社員の足元と天井を目がけて発射した。ところが水谷建設は被害届を出さなかった。そのため、発砲そのものは不問に付された。水谷建設が発砲事件を伏せたのは、世間体を気にしたせいだけではない。裏社会との蜜月に慣れているからだ。建設業界とアングラ勢力との腐れ縁は、そう簡単には断ち切れない。
 建設業界では、談合担当者のことを「業務屋」と呼ぶ。談合組織には、運営委員会社という名称の中核メンバーがいる。大手の業務屋を筆頭に、ランク上位10社程度がそれにあたり、調整機能を果たす。
私も一度、この業務屋をしていたという人の経験談を聞いたことがあります。それはそれは苦しい話でした。メモを一切とらないでコソコソと談合をすすめていく。談合破りを許さない仕掛けもある。そして、いつも日陰の身として生活しているというのです。まったく非人間的な生活のようです。
  太田房江が大阪府知事選挙に立候補し、当選したときには、大阪中の業務屋が一堂に会して応援した。
 日本の政界では、建設業界の政治献金の多くが選挙に費やされ、ゼネコン業界そのものが集票マシーンとして機能してきた。ゼネコンの選挙応援は、まず「選挙人名簿」の作成から始まる。1社平均250票の集票力だ。ゼネコンの談合担当者は、正式な選挙応援要負ではなく、あくまで裏部隊だ。
政治家へ渡るのは、必ず成功報酬、つまりあと払いだ。先出しの話には危なくて乗れない。
ゼネコンは中古重機を海外で売って、設けた利益の大部分が裏金になる。たとえば1億円のブルドーザーの帳簿価格は4千万円。これを4千万円で売れたようにして、差額の5千万円ほどが宙に浮き、それが裏金になる。これを裏帳簿取引、B勘定という。
 小沢一郎という人は民主党の元代表でありながら、国会を通じて釈明するということをまったくしていません。これって国民をまったくバカにしていますよね。
(2011年6月刊。1500円+税)

アシカ日和

カテゴリー:生物

著者   鍵井 靖章 、 出版   マガジンハウス
 かわいい、かわいいアシカの写真集です。
 好奇心旺盛、自由きまま、そして基本的にはぐうたらな生活。そんなアシカたちの住むアメリカにあるアシカ島にまで出かけて撮った、心いやされる写真集です。眺めているだけで、心が和みます。ストレスがスーッと発散していきます。なにをそんなにアクセクしているの?つぶらなアシカの瞳が問いを投げかけてきます。そうなんです。流れにまかせて目をつぶっていればいいのです。そのうち、きっといいことがあるでしょう。
 アシカ科の特徴は前あしと後ろあしで身体を支えて歩くこと。アザラシ科は、あしを使っては歩けない。
 アシカには耳があるが、オットセイにはない。とは必ずしも言えないようです。
 アシカは頭が良くて、ひとなつっこい性格。生まれたてのアシカは体長75センチ、体重は6~10キロほど。9歳以上のオスのなかには体長3メートル、体重は500キロになるものもいる。
 子どもアシカは、とりわけ好奇心が旺盛で、とても遊び好き。ヒトデを口にくわえておもちゃにしたり、仲間に見せびらかしたり。つぶらな大きな目で近寄ってきます。
 手を差し出すと、あまかみしたり、髪の毛を引っぱってみたり。ところが、メスや子どもにあまりに接近しすぎると、ブルと呼ばれるコロニーのボス(オス)がやってきて威嚇する。これは本当に怖い。
 子どもは安全な岩場に隠れ集まる。大人は海底で仲間同士、集まって楽しむ。
 アシカは泳ぎながらも眠る。海中で、うつらうつら、ユラリユラリと漂います。ときに家族を枕に眠る。波の音を聞きながら気持ちよさそうに眠る。
 アシカ島には400頭ものアシカがいる。アシカは100メートルは潜ることができる。母アシカが子どもにお乳を与えるのは1年から3年に及ぶ。アシカは、最大時速40キロで泳げる。
 いやあ、よく撮れたアシカの写真集です。そのほのぼの、おとぼけ顔には心が洗われます。価値のある1500円でした。
(2011年6月刊。1500円+税)
 上京した折、久しぶりに上野の西洋美術館に入りました。古代ギリシャの彫刻を鑑賞したのですが、ビデオ解説によって、次第に動きのある像へ進歩していったことが分かり、現物を見て実感しました。実に生き生きとした躍動感あふれるアフロディテ像など、見ていると心まで洗われる思いでした。
 隣のギャラリーで水彩画展があっていたのでこちらものぞいてみました。心の静まりを感じる落ち着いたタッチの風景画です。私も画が描けたたらいいなと思いました。小学生のときにスケッチ大会で銅賞をもらったのは今でもうれしい思い出として残っているのですが・・・。

ひろしま

カテゴリー:日本史

著者   石内 都 、 出版   集英社
 1945年夏に広島に生きていた女性たちがそのとき着ていた衣類が鮮明な写真でとられています。
 柳田邦男の解説を紹介します。
 写真家・石内都は徹底的に現物にこだわるが、そのこだわり方が特異だ。
 撮影の対象に選ばれた資料の大部分は、女性のワンピース、ブラウス、スカート、上着、肌着など、一人ひとりの「生と死」の物語を静かに語るもので占められている。石内が伝えようとしているのは、それらのものを受用していた人間の実在と心模様だ。
 衣類の一枚一枚のデザインから、花柄や水玉などの模様、布地に至るまですべてに1945年夏という時代性が投影されている。そして、より注意深く見ると、多くは若い女の子自身の好みで、あるいは母親の娘に対する愛しさをこめて、手作りでこしらえたものであることが分かる。焼け焦げてボロボロになったところや、黒い雨に打たれて全体が黒くなっているものもある。
 写真の一点一点をじっくり見ていくと、広島の原爆被災は「死者約20数万人」などという表現では表面的でしかなく、一人ひとり様々な悲劇が20数万件も起きた事件なんだというとらえ方をしないと、真実に迫ることはできないのだと分かってくる。
 大量殺戮の原爆は、着るものひとつも手繕いして大事にしつつ生きていく心豊かな生活文化のあり方までをもこの地球上から抹殺しようとしたものだったのだ。
 なるほど、この指摘はあたっていることが、写真でよみがえっている衣類のひとつひとつを眺めていると実感として分かります。
 一見の価値ある、貴重な写真集です。
(2008年4月刊。1800円+税)

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