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2011年7月 の投稿

津波と原発

カテゴリー:社会

著者    佐野 眞一  、 出版   講談社
 この本を読んで、福島第一原発がなぜ、あの地に立地したのかが分かりました。要するに貧しい地域だったからです。そして、共産党が強くなく、反対運動は強くならないだろうという読みもありました。
大地主の一人である堤康次郎は3万円で買い、原発の敷地を3億円で売った。東電の木川田一隆社長、地元選出の木村守江代議士(後に福島県知事になる)、そして、この堤康次郎の3人で原発誘致は決まった。ボロもうけしたのですね・・・。
 作業員の被曝の許容量は国際基準の20ミリシーベルト。その許容すれすれの人がほとんどだ。だからといって素人では作業がうまくいかないので、全国から経験者を集めている。柏崎や東海の人が多い。最近は、九州からもかなり来ている。
 原発労働は、今は危険手当は1日5万円。ある会社は、日当5万円、危険手当10万円の計15万円という。ある元請会社は20ミリシーベルト浴びると、5年間、作業現場の仕事を補償するという覚書を作業員と交わしている。ここは、人間の労働を被曝量測定単位のシーベルトだけで評価する世界だ。一定以上の被曝量に達した原発労働者は、使いものにならないとみなされて、この世界から即お払い箱となる。炭鉱労働者の炭鉱節と違って、原発労働からは唄も物語も生まれなかった。
 津波は恐ろしい。しかし、それ以上に恐ろしいのが原子力発電所です。日本経団連のトップたちは一斉に、それでも日本は原発が必要だと声をそろえて強調しています。そんな人は、子や孫を飯舘村に住まわせることが出来るのでしょうか。自分と家族だけはぬくぬくと安全なところにいながら、よく言うよと私は思います。
 いったいメルトダウンした燃料棒の始末は誰が、いつ、どうやってするというのですか・・・。住友化学(日本経団連会長の出身の会社)の敷地に引き取るとでもいうのでしょうか。とても、そんなはずはありません。日本の最高の経営トップの無責任さに、泣きたくなります。
原発が安全だなんて、そんな神話にしがみつくのは、この際キッパリ止めましょうよ。
(2011年7月刊。1500円+税)

天平の阿修羅  再び

カテゴリー:日本史

著者  関橋 眞理    、 出版  日刊工業新聞社  
 阿修羅像は、彫刻作品として見ても、空間構成の美しさ、三角のお顔に六臂の腕が、合掌から手が解き放たれて、天空に挙がっていく。そういった時空間が表現されている。バランスの美しい傑作である。鎌倉彫刻のような筋肉隆々の肉体美を見せるものでもないし、ヨーロッパのビーナスのようなものでもない。何もないところに時空間を作り出して行くという表現の素晴らしさがある。
 阿修羅像は、まさしく神々しい仏像の最高傑作ですよね。久しくおがんでいませんが、ぜひまた見てみたいものです。
 模造の阿修羅像は、肉身も裳の部分も朱色の鮮やかな姿で、興福寺にある実物とは印象がまったく違う。しかし、造られた当初はまさしくこの色だった。この色は日本画のエキスパートが一日中ルーペをのぞいて、布と布の間に隠れている色の粒子を見つけ出した。それは執念だ。その人が心の眼で見ている。ぼんやりしている人には見えてこない。
模造とは、単に形を真似るのではなく、使われている材料、構造、制作技術に至るまで、すべてを復元するということ。模造制作の目的は、材料、構造、製作技法を解明し、それを学ぶことによる修理技術者の養成と修理技術の向上である。模造は、現状維持修理を支えるという面をもつ。
 模造のためにつかう道具も、最終的には自分でこしらえる。大工道具は、播州とか新潟東京で主に作っている。彫刻の道具は東京に注文する。計測する道具が必要だが、金属だと図るものを傷めるので、木や竹にして、使い勝手がいいように自分で工夫する。
 像の部品を接着するだけなら誰にでも出来る。肝心なことは、いかに美しく処理できるかということ。プロの仕事はそういうもの。
粘土で原型をつくるとき、師匠が「腕は丸いんじゃない。四角いんだ。丸い腕も本来は四角なんだ。丸い腕でも正面があって、側面があって、背面がある。つまり、球だって四角い。必ず正面があって、側面があって、底面があって・・・・」なるほどですね。
美術院の修理技術者は有機溶剤取扱免許、危険物取扱免許、クレーンの運転免許、レントゲン技師など、各種の免許を取得している。
 奈良の興福寺の阿修羅立像はとても素敵なものですが、実は制作当時は朱色の像で、頭髪も金泥で、まさに茶髪なのでした。まあ、しかし、それはそれでいいものです。
いい本でした。奈良時代の技術が、しっかりしていること、それが現代に再現できるのを知ってうれしくなります。
(2011年2月刊。1000円+税)

リンカン(下)

カテゴリー:アメリカ

著者    ドリス・カーンズ・グッドウィン  、 出版   中央公論新社
 南北戦争が進行していきますが、北部軍の将軍には問題行動が目立ったりして、なかなか南部軍に勝てません。
 それでも、リンカンは、政府と広く全国の両方で派閥の均衡を巧みに操縦するという無類の手腕を発揮した。半島での大敗退で、連邦を救うには並々ならない政策を必要とすることが明白になった事態は、リンカンに、より直截に奴隷制度に取り組む突破口を与えた。
戦場から日々届く戦報は、南部連合がいろいろの方法で奴隷を使役している様子を歴然とさせた。奴隷たちは、軍のために塹壕を掘り、防御施設を建造した。奴隷たちは駐屯地に連行され、御者、料理人、病院の付き添いとして働いたので、兵士たちは雑務から解放されて戦闘行為に専念できた。
 1862年、奴隷解放宣言は、奴隷の身分にあった350万人の黒人に自由を約束した。この宣言書には軍事上の価値があった。北部軍は兵站の問題に直面していた。奴隷の提供する膨大な労働力が南部連合から連邦側に移るなら、とてつもない利益が得られることになる。奴隷解放宣言は、その適用範囲が叛乱軍の戦列の背後にいる奴隷身分の黒人に限られるという点で即効性には乏しかったが、それは、中央政府と奴隷制度の関係を永遠に変革した。それまで中央政府が奴隷制度を保護していた地域で、今やそれは禁止されたのだ。
 黒人連隊を結成しようとする、やる気満々の動きに、リンカンは大々的に賛意を示した。当初は黒人を武装させる提案に抵抗を示したものの、今では、その計画の実施に全面的に打ち込んでいた。
 南部連合議会は、捕虜になった「武装ニグロ」と「ニグロ隊」を指揮する白人士官は死刑か奴隷刑に処すという条例を議決した。したがって、下手すると自由身分あるいは生命まで失う危険があった。
 1863年11月19日、リンカンがケティスバーグの戦場跡で演説したときの状況も紹介されています。このとき、9000人もの聴衆が演台を囲むように半円をなして広がっていた。リンカンの前の演者は、2時間かけて劇的な3日間にわたる戦闘の一部始終を見事に再現した。そのあと、リンカンが演説しはじめた。わずか2分間の演説だった。
 我々がここで語る内容に世界はまず注意を向けないでありましょうし、記憶に留めもしないでしょうが、ここで彼らの成し遂げたことを世界が忘れ去ることは絶対にありえないのです。・・・この国家に、神の道に適った新たな自由の誕生を実現せしめることなのであり、かつまた、人民による、人民のための、人民の政体をこの地上から死滅させないためなのであります。
 聴衆は微動だにせず、言葉なく立ち尽くした。聴衆は、演説のあまりの簡潔さとその唐突な幕切れに息を呑み、その場に釘付けされた。
 リンカンは祖国の物語と戦争の意味を、すべてのアメリカ国民に通じる言葉と現実に置き換えて話した。父親から聞いた作り話を、少年なら誰でも理解できる物語に夜を徹して手を加えた子どもが、今や祖国のために、過去、現在そして未来を編み込んだ理想の物語を完成させたのであった。そして、それは学生たちによって永遠に朗読され、暗誦されることになる。
 常日頃から緊張をほぐすために物語を人前で話すことを習い性にしていた人間(リンカン)にとって、芝居見物は清涼剤であった。リンカンは、定期的に劇場に通い詰めていた。
 リンカンを生涯支え続けたのは、その内面的な底力であった。そして、大統領としての4年間は、彼の自信を計り知れなく増進させた。就任の初日から直面させられた耐え難いほどの重圧にもかかわらず、リンカンが自信を喪失することはなかった。リンカンは周囲にいる者たちの意気を折にふれて鼓舞し、快活さ、やる気、一貫した目的意識をもって同僚たちを心優しく引っぱった。リンカンは最初の過ちに自ら学び、そのおかげでライバルたちの嫉妬を超越し、また年が改まるごとに人間と事象を貫徹する洞察力を深めていった。
リンカンは内閣のなかの内輪もめに気づいていたが、各自がそれぞれの職務を十分にこなしている限り、陣容の改造はまったく不要だと固く心に決めていた。内輪ゲンカを繰り返す内閣たちも、最終的にはほとんど全員が、自分たちのライバル意識と短気に仁慈をもって対応し、ユーモアに訴えで緊張感をやわらげるリンカン大統領に忠節を尽くし続けた。
暗殺犯が3人いて、リンカンだけでなく、副大統領と国務長官の三人を同時に謀殺する企てだったことを知りました。副大統領を暗殺するはずだった男は直前に気が変わった。国務長官は事故にあって寝ていたところを襲われたが、なんとか助かった。
 そして・・・。きちんとしたいでたちの男があらわれて、ホワイトハウス付きの従僕に名刺を渡し、ボックス席に案内された。ひとたびなかへ入ると、拳銃を構え、リンカンの後頭部に狙いを定めて引き金を引いた。
 南北戦争の実情、奴隷解放宣言が出されるまで、そしてゲティスバーグ演説、さらに大統領暗殺・・・。どれもアメリカという国をよく知るうえで不可欠の出来事だと思いながら興味深く、上下2巻の大作に読みふけってしまいました。
 オバマ大統領の愛読書だそうです。本当かもしれないなと思いました。
(2011年3月刊。3800円+税)

プラハ侵略1968

カテゴリー:ヨーロッパ

著者    ジョセフ・クーデルカ  、 出版   平凡社
 ずっしり重たい大判の写真集です。300頁近くの歴史的場面が3800円で手にとって眺め、当時の状況を画像でしのぶことが出来るのですから、安いものです。
 1968年8月は、私が大学2年生のときです。親しくしていた下級生が、私に向かって先輩はソ連のチェコ侵入を認めるのですかと非難めいた口調で糾しました。私がそのころ左翼的言辞を弄していたことから、それでもやっぱりソ連を擁護するのかと問いかけたわけです。一世代前の左翼とは違って、私の周囲にソ連を絶対視するような学生はまったくいませんでした。私は、ソ連の行動を支持するわけではないと答えました。ただ、チェコ国内で一体、何が起きているのか、それこそアメリカCIAの策動でクーデター的に何か起きているのかもしれないという一抹の不安は感じていました。あとになって、そうではなく、あくまでチェコ国民の民主化に願う動きだと知りましたが、当時は何も分かりませんでしたので、ソ連のやることはひどいけれど、チェコの方もどうなってんだ・・・、という心配があったのです。
 この写真集は、1968年8月21日からの1週間、主としてプラハ市内の様子をとらえた写真からなっています。本当に緊迫した街の様子がひしひしと伝わってきます。日本で言えば首都・東京にアメリカ軍が戦車をともなった兵隊が進駐してきて支配するという事態が続いたわけです。チェコの人々はじっと我慢して、ソ連をはじめとする各国軍40万の兵士が退去するのを静かに待ったのです。偉いですね。
 死者100人、重軽傷者900人で済んだのは、今からいうと不幸中の幸いでした。いかにチェコの国民がじっと冷静に対応したかが分かります。なにしろ、ソ連軍の進駐に呼応する予定のチェコ人幹部がきちんと名乗り出ることができず、ずっと裏切り者扱いされたままで権力を握れなかったのです。
暴力回避がずっとアピールされました。そして人々は、路上にいる武装兵士を無視し、言葉を交わさずに広場を清掃しました。さらには、街路名、施設や役所の看板や標識をペンキで塗りつぶしました。よそから来た人間がプラハのどこにいるか分からないようにしたのです。すごい知恵ですね。その写真もあります。
 大きな広場で戦車が立ち往生し、市民がぎっしり取り囲んでいます。これじゃあ、とても武力制圧したとは言えないでしょう。人の波にロシア兵が埋もれてしまっているのですから・・・。そして、ときに戦車が火に包まれてしまいます。それでも、市民は誰も武器を持っていないのです。武器を手にしているのはソ連軍兵士だけ。
素手のまま、ソ連軍戦車の前に立ちふさがるチェコ青年の写真があります。ジャンパーを広げて胸を出し、銃をかまえる兵士に、射てるものなら射ってみろと抗議の声をあげて叫ぶ青年もいます。
 人々は広場から消え、また現れて座り込みを始めます。大群衆が座り込みをしたら、進駐軍の兵士は手も足も出ません。
 『プラハの春』(春江一也。集英社)を読んだときの震える感動を思い出しました。
(2011年4月刊。3800円+税)

地方議会再生

カテゴリー:社会

著者    加茂利男・白藤博行ほか  、 出版   自治体研究者
 身近な存在であるはずの地方自治を黒い雲が覆っています。河村名古屋市長、橋下大阪府知事そして阿久根の竹原前市長が震源地です。この三人は、議会を徹底的に批判し、議員定数の削減、議員報酬の半減などを主張し、これに応じない議会と真っ向から対抗し、住民を扇動する。
 いま、大阪府下の市町村長や議員のなかには橋下知事と対立するのは得策ではないという雰囲気がある。橋下流の政治手法が一種の威嚇効果を発揮している。
 議会は、ほんらい社会のなかにある違った意見や利益を代表する議員や政党が出てきて、意見を調整して合意をつくる会議体であり、社会の多様性を議員の多様性が反映している。言いかえると、議会には、もともと異なる意見がぶつかって、調整や妥協を経て決定に至るという、まだるっこい性質がある。議会民主主義を否定してしまうのは、危険だ。
 議会の意見と知事や市町村長の意見が異なることは当然十分に考えられるし、その対立の出現は、むしろ望ましい事態である。異なる意見と対立は、討論とお互いの譲歩によって解消されていく。
 議会を軽視し、無視するというのは、歴史的にみると独裁者のやってきたことである。
 阿久根の竹原前市長の政治手法には4つの特徴があった。その1つは、敵を明確に設定し、敵を攻撃することによって自らの支持を獲得・拡大する。レッテル張りの政治と表裏一体である。その2は、ジェラシーの政治である。公務員給与が高すぎるという主張が人々のジェラシーを刺激する。その3は、巧みなメディア対応である。取材拒否をしつつ、マスコミを操作した。その4は、散発的ではあるが、わかりやすく具体的な施策を行うことによって支持を獲得する。
 マスコミは、議会論戦を丁寧にフォローするのではなく、絵になる部分、議会の欠席や議場内の混乱などをフォローアップする。そのため、「顔の見える」首長とそれを妨害する「顔の見えない」議会という構図が成立しやすい。
 橋下大阪知事のマスコミ露出度は高い。前任の大田氏が145件、その前任の横山ノック氏が204件であるのに対して701件とダントツの回数である。
 橋下流の交渉術は、合法的な脅し、利益を与える、ひたすらお願いするという三つの法則からなる。橋下知事にとって、言葉は議論を通じて合意を得る「熟議」のための道具ではなく、手練主管、時にはウソも肯定される交渉術の要素なのであって、政治も交渉を通じて自らの構想を実現するための手段なのである。
 先日の条例制定もひどいものでした。条例によって教員の自主性をまったく踏みにじっても平然と得意がる橋下知事のえげつなさには呆れ、かつ怒りを覚えます。同じ弁護士であることに恥ずかしさすら感じてしまいます。大阪府民の皆さん、なんとかしてくださいな。
(2011年4月刊。1800円+税)

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