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2011年4月 の投稿

パタゴニアを行く

カテゴリー:ヨーロッパ

著者   野村 哲也、 出版   中公新書
 
 パタゴニアとは南アメリカ大陸の最南端にある地方です。
 自然の豊かな写真に魅了されますが、住んでいるのはほとんど白人。つまり、先住民は絶滅させられたわけです。虐殺だけでなく、白人が持ち込んだ病気に抵抗力がなかったようです。
背の高い(男性180センチ、女性170センチ)先住民は、巨人伝説を生み出しました。混血によって美人も多いようです。
 それにしても豊かな海産物、そして果物も豊富です。
富士山によく似た山もあります。
 お城の山と呼ばれる山は面白い変わった峰を抱いています。
 海に出ると、クジラ・ウォッチングも出来ます。クジラたちが潮吹きをすると、卵をたくさん食べたあとのオナラの匂いを立てることを知りました。たまらない臭さのようです。
 ペンギンもあちこちいます。ペンギンはリーダーのいない動物。誰が偉いという感覚がない。みんな平等に泳ぎまわる。
 夜になると、満天の星空が手にとれるような近さで迫ってきます。
 15年間にわたって世界中を旅した著者が一番気に入っているというパタゴニアの素晴らしさがよく伝わってくる写真集です。
(2011年1月刊。940円+税)

日本のロマネ・コンティはなぜ「まずい」のか

カテゴリー:ヨーロッパ

著者   渡辺 順子、 出版   幻冬舎ルネッサンス新書
 
 去年夏にフランスはブルゴーニュ地方へ出かけ、ロマネ・コンティのブドウ畑を見学してきましたので読んだ本です。
 ワインはボトルの大きさに比例して価値も価格も上がっていく。なぜなら、ボトルが大きければ大きいほど、ワインはゆっくり、かつじっくりと熟成し、生命が長くなるからだ。しかも、生産者は、品質のある年にしか大きいボトルを造らない。だから、通常のボトルに比べて味も格別である。ワインの大きいボトルは、希少価値も高いためオークションに出ると、ワインコレクターは競って手に入れたがる。
 ロマネ・コンティを飲むなら、ワインを愛する人たちと喜びを分かちあいながら、最高のシチュエーションで飲みたいもの。どうせ高いだけで、そんなにうまくはないだろうという気持ちで飲むのとでは、当然のことながら味わいもちがってくる。飲む側がワインに敬意を持ち、万全の態勢でのぞんではじめて、その本当の魅力を見せてくれる。
これは、まさしくそのとおりだと私も思います。ロマネ・コンティこそ飲んだことはありません。(ぜひ一度は飲んでみたいと思っています)が、やはり、レストランでこのワインは造り手がこんな人で、いつもの年よりこんなに味わい深いですよという講釈(能書き)を聞いていると、そうか、そんなに美味しいワインなのか、ありがたくいただこうという気になり、いつも以上に美味しくいただけるのです。食べ物も飲み物も、やっぱり雰囲気と、見た目が大切です。
 ロマネ・コンティは1年に6000本しか生産されない。12本入りの箱だと、わずか500ケースでしかない。だから、初めの卸価格が20万円ほどだとしても、流通階段で何倍も値上がりしていく。日本ではネットで買うと1本100万円というのですから、驚きです。
 ところで、ロマネ・コンティはラベルがシンプルで偽造しやすく、高価で売れるため、もっともフェイク(にせもの)がつくられている銘柄である。
 うひゃあ、ロマネ・コンティと思って飲んだら、そうじゃなかったということもあるのですね。そしたら、それを飲んだら当然、まずいと不満を言う人も出てくるでしょうね。
 ワインのオークションに参加できない人が事前に入札するのをアブセンティという。オークションでの売れ行きは、写真の出来ばえに大きく左右される。年代もののワインなら、できるだけホコリを積もらせたまま撮影し、古さが際立つようにするなど、万全の注意を払う。
 プレミアムワインとは、ロマネ・コンティのような高いワインのこと。それに対して、カルトワインとは、主としてアメリカはカリフォルニアのナパ・ヴァレーつくられている高品質かつ高付加価値のワインのこと。カルトワインなるものがあることを私は初めて知りました。
 カリフォルニア・ワインもフランスに負けないような高品質のワインを輩出しているようです。まあ、しかし、なんといっても、ワインは、かの地フランスで、ゆっくり休暇をとって、仕事に追われない日々のなかで味わうのが一番です。日本で、仕事のあいまに、あくせくしながら飲むものではありませんよね。
 それはともかく、日本女性がこの分野でも活躍していることを知って、その姿には頭が下がります。
(2011年2月刊。838円+税)

花ならば花咲かん

カテゴリー:日本史(江戸)

著者    中村 彰彦 、 出版   PHP研究者
 
 福島はフクシマとして世界的に有名になってしまいました。全部うれしいことではありませんが、この本を読むと会津藩の人々ってたいしたものだと感嘆させられます。
今は原発事故でまき散らされた放射能の被害で大変なわけですが、いずれフェニックス(不死鳥)のように、よみがえってくれることを大いに期待しています。それにしても、東京電力と原子力安全・保安院の杜撰さは絶対に許せません。「絶対安全」だなんて大嘘をよくもついていたものです。日本社会を目茶苦茶にしたのですから、取締役以上の責任者は懲戒解雇にすべきでしょう。退職金なんて支給したら許しませんよ。
会津清酒、会津人参、会津漆器、本郷焼といった地場産業の改良と振興が、すべて田中三郎兵衛という会津藩大老の発想から生まれたというのは珍しい例である。江戸時代中期、天明の大飢饉などに苦しみながらも会津藩を立て直し復興させていった、奉行、家老そして大老となる田中三郎兵衛玄宰(はるなか)の一生を見事に描き切った小説です。さすがは作家です。私は2日間、ずっとずっとこの本にかかりっきりで読みふけってしまいました。おかげで頭の中は、すっかり江戸模様、それも会津藩仕様になっていました。
会津藩家老、大老職にあること26年、寛政の改革を指導し、最大57万両に達していた借入金のうち50万両以上の返済に成功し、あまたの地場産業を興し、藩士の子孫教育のための日新館を軌道に乗せた。そして田中玄宰に対しては明治以降も各界で顕彰していった。うひゃあーっ、これってすごいことですよね。
明治31年、全国漆器・漆生産府県連合進会は賞状を授与した。
明治41年、東京帝国大学の山川健次郎総長はエッセイのなかで次のように書いた。
「玄宰は大胆で果断に富み、勇気あふれて、しかも一方にはきわめて細心、かつ用意周到であった。私は偉大な人物と言うをはばからない。会津の今日あるもまったくこの人のためで、もしこの人がなかったならば、会津はどうなっていたか分からない」
 大正4年、大正天皇は即位の大典のとき、玄宰を征五従に叙した。
 会津の酒造業者は、会津清酒のうちの最高品質の大吟醸酒を「玄宰」と命名した。そして、いま、会津若松市では「NPO法人はるなか」が活発に活動している。
 そのような人物を、その出生から死に至るまで、実に生き生きと描き出す作家の筆力に感嘆しながら、至福のひとときを過ごすことができました。私と同世代の著者ですが、これまでも『天保暴れ奉行』、『名君の碑』、『知恵伊豆に聞け』、『われに千里の思いあり』などを読み、感嘆・驚嘆してきましたが、また、ここに一つ増えました。
(2011年3月刊。1900円+税)

サイゴン・ハートブレーク・ホテル

カテゴリー:アジア

著者   平敷  安常、 出版   講談社
 
 私の学生時代はアメリカによるベトナム侵略戦争反対を叫ぶ日々でもありました。同世代のアメリカの若者が、あのブッシュ(息子)もクリントンも徴兵の対象となりましたが、二人ともベトナムには行かずにすませました。しかし、ベトナムの人々は逃げようがなく、戦わざるをえませんでした。だから、大変な犠牲者を出しています。私は今でも、ベトナム戦争はアメリカの帝国主義という誤った政策のために起こされた無用な侵略戦争だったと考えています。このベトナム侵略戦争でトクしたのはアメリカの軍需産業と、それに結びついた支配層だけだったのではないでしょうか。
 ベトナム侵略戦争の実態を報道するため、たくさんの日本人記者がベトナムに渡り、果敢に取材活動をして、多くの有能な記者が生命を落としました。著者は、同僚として、それらの亡くなった記者をふくめて、当時を思い起こし、現在を記しています。
 PTSDの治療法は難しい。薬や手術ではなかなか治せない病で、家族や仲間と協力して精神治療を受ける。過去の思い出や忌まわしい記憶の世界に一人で閉じ籠もってはいけない。その悲しい、苦しい、心を痛めている記憶を皆で分けあうことも治療法の一つだ。自分が経験した戦争を克明に回想し、記録していくことで、ベトナム戦争症候群を治していく。なーるほど、そうなんですね。
 男は一生のうちで三つのことを成し遂げなければならない。一本の木を植え、一軒の家を建て、一冊の本を書け。たくさんの本を書いてきた私ですが、実は、まだ一冊の本を書いたという達成感はありません。でも、目下、それに挑戦中です。
 ベトナムにいる日本人記者の優れた報道姿勢やその能力は、アメリカやヨーロッパから来た記者たちから一目置かれていた。質の点で高いと言われていた。
1975年4月29日。サイゴン陥落の前日、サイゴンにあるビルの狭い屋上にアメリカ軍のヘリコプターが着き、非常階段を上り詰めた多くの人々が救助される有名な写真がある。これはアメリカ大使館の屋上から脱出するシーンという説明だったが、実は大使館ではなく、CIAのスタッフや家族の住む宿舎となっている建物だった。一度流れたクレジットの訂正は容易なことではない。
 ベトナム戦争がベトナム人民にとってアメリカによる侵略戦争であったからには、国を愛する人々がスパイになるのも当然のことです。アメリカ軍とその同盟軍としてのベトナム軍に多くのスパイが存在し、活動していました。解放区の村の賢い子どもが送り込まれて南ベトナム空軍のパイロットになり、ついには大統領官邸に爆弾を落としたという実話も紹介されています。そして、日本人記者に協力していた人のなかにもスパイが何人もいたようです。
ベトナム戦争の現実を知るため、私も、学生のころ必死で新聞を読み、本にあたりました。そのころ読んだベトナム関係の本は今も全部手元に残していますが、段ボール箱には収まらないほどです。
そのころ現役で活動した記者だったみなさんが引退しつつあるなかで、貴重な記録となっている本です。
(2010年12月刊。2600円+税)

沖縄決戦

カテゴリー:日本史

著者  新里 堅進    、 出版  クリエイティブマノ   
 
 丸ごと戦場となった沖縄の凄惨な地上戦のイメージがひしひしと伝わってくる劇画です。本土防衛の捨て石とされた沖縄地上戦の顛末の全体像が迫真の画で明らかにされています。現実は、もっと悲惨だったのでしょうが、ここに描かれた絵だけでも、もう十分ですと悲鳴をあげたくなります。
平和な島、日本軍に絶対の信頼を置いていた沖縄の人々が、ある日突然、アメリカ空軍の大規模な空襲にあい、逃げまどいます。そして、アメリカ軍の上陸作戦の前には、とてつもない数の軍艦による艦砲射撃によって地上の市街地は壊滅させられてしまいます。やがて、上陸したアメリカ軍と地下に潜んでいた日本軍との死闘が始まります。
前に紹介しました『シュガーローフの戦い』(光人社)の凄まじい戦闘状況も描かれています。戦史をなるべく忠実に再現しようとした著者の努力によって、沖縄地上戦のすさまじさを十二分に実感できます。それにしても、軍隊とは何を守るものなのかを改めて考えさせられます。
何の武器も持たない住民が逃げまどうなか、それを楯にして軍隊が移動していきます。そして、逃げこめる洞窟が一つしかないとき、軍隊は情容赦もなく、先に入った住民を追い出してしまうのです。
「おまえらを守るために戦っているのだから、出て行け」というのです。おかしな理屈ですが、銃剣とともに迫られたら住民は従うほかありません。
また、沖縄方言で話していると、アメリカ軍のスパイだと疑われて銃殺されたり、アメリカ軍に投降しようとすると裏切りものとして背後から射殺されたり、日本軍の暴虐非道ぶりは目に余るものがあります。
そして、抵抗なく上陸し、すっかり安心して進軍していたアメリカ兵も、内陸部にさしかかったとき日本軍の頑強な抵抗を受けると、たちまち総崩れし、兵士たちのなかに発狂する者が続出するのでした。
姫百合部隊の活躍の場面も紹介されています。大きな地下の穴蔵生活のなかで、どんなにか苦しく、つらい生活だったことでしょう。もっともっと長生きして、人生を楽しみたかったことでしょう。青春まっただなかだった彼女らのつらい日々も偲ばれます。
日頃はマンガ本から遠ざかっている私ですが、心揺さぶられるマンガ本でした。一読を強くおすすめします。ノーモア沖縄、ノーモア戦争を改めて叫びたくなりました。
(2004年1月刊。2136円+税)

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