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2011年2月 の投稿

北斎漫画を読む

カテゴリー:日本史(江戸)

著者 有泉 豊明、    出版 里文出版
 ヨーロッパでもっとも知名度の高い日本人は、葛飾北斎だと書かれていますが、本当でしょうか・・・?
 北斎に『北斎漫画』という全15編(冊)の画集があったなんて、知りませんでした。今では、北斎というと『冨獄三十六景』のほうが有名ですが、江戸時代には、『北斎漫画』も同じほど人気を集めていたというのです。
 この『北斎漫画』には、当時の人々の好みの粋(いき)や、戯(おどけ)、知的ユーモアがふんだんに用いられている。
 マンガ(漫画)という言葉は、北斎が『北斎漫画』で初めて用いた言葉である。当時、「漫筆」という言葉があったので、それを応用してつくった言葉と思われる。
 今では世界で通用するマンガというのは、なんと江戸時代に北斎がつくった言葉だったのですね・・・。
 北斎漫画は、知的レベルがかなり高いものです。平和で道徳的レベルの高い、粋(いき)で洒落(しゃれ)や滑稽を好む、教養の高い当時の民衆に向けて発せられた作品であり、現代の漫画のルーツである。ふむふむ、そうなんですか・・・。
 『北斎漫画』は、文化11年から文政2年の5年の間に刊行された。
 「龍の尾で・・・絃(げん)を解(と)く」で劉備玄解くとなる。というように、「三国志演義」が大人気であることを前提とした絵が描かれている。
 そうなんです。私などは、いちいち絵のナゾを解読する文章を読んで、やっと意味が分かりますが、当時の江戸人は、それを一人で理解してニンマリしていたというのです。実にハイレベルの絵です。
 このころの江戸人のさまざまな顔の表情が活字されています。あまりにもよく出来ていて、現代の日本人にも、いるいるこんな顔の人がいるなと思わせます。さすがに、たいした描写力です。
 あとがきに、「北斎漫画はこんなに面白い本だったのだ」と書かれていますが、まさしくそのとおりです。そのうち、現物を手にとって眺めてみたいものだと思いました。
(2010年10月刊。1800円+税)

モスクワ防衛戦

カテゴリー:ヨーロッパ

著者  マクシム・コロミーエツ、   大日本絵画 出版 
 
 ナチス・ドイツ軍がスターリンを不意打ちにして電撃的に侵攻して、モスクワまであと一歩のところまで迫りました。このモスクワ防衛戦はロシア大祖国戦争のなかで格別の位置を占めています。
 1941年9月30日から翌1942年4月20日までの6ヶ月以上にわたって展開したモスクワをめぐる戦争である。そこに投入された独ソ両軍兵力は、将兵300万人、大砲と迫撃砲2万2000門、戦車3000両、航密機2000機。戦線は1000キロメートルをこえて広がった。この本は、1941年までの初期の戦闘状況のなかで戦車戦に焦点をあて、写真とともに紹介しています。
 赤軍の戦車部隊がモスクワ防衛戦で演じた役割はきわめて大きい。ドイツ軍攻撃部隊に相当の損害を与えた。しかし、ソ連軍の戦車部隊の活動には多くの否定的な側面もあった。戦車部隊の司令官は配下部隊を指揮する経験が浅く、熟練した人材が不足していた。そのため、戦車は練度の低い戦車兵が操作・操縦し、戦車の回収と修理部隊の作業も十分に効率的とは言えなかった。
 また、上級司令部が偵察も砲兵や歩兵の支援もなしに戦車を戦闘に投入することも少なくなかった。これは人員の兵器の損害をいたずらに増やすことにつながった。
 ドイツ軍の司令部の報告書にも同旨の指摘がなされている。
「戦車搭乗員は、士気のたかい選抜された者からなっている。だが、このところ良く教育された、戦車を熟知している人材が不足しているようである。戦車自体は優秀である。装甲もドイツ製のものを上回っていて、良質な近代兵器と特徴づけられる。ドイツの対戦車兵器はロシアの戦車に対して十分効果的ではない。
 兵器・装備が優秀で、数量も優勢であるにもかかわらず、ロシア人はそれを有効に活用できていない。部隊指揮の訓練を受けた士官の不足に起因するようである」
 指揮官の不足はスターリンによる軍の粛清の影響が大きかったのでした。まったくスターリンは罪つくりな人間です。
 赤軍のT-34戦車、そして戦車兵の顔がよく分かる写真に見とれてしまいました。
 先に紹介しました『モスクワ攻防戦』(作品社)が全体状況は詳しいのですが、視覚的にも捉えたいと思ってこの本を読んでみました。
(2004年4月刊。2000円+税)

だまし絵のトリック

カテゴリー:人間

著者  杉原 厚吉、  化学同人 出版 
 
 人間の目は簡単に騙せるものなんですよね。たとえば、エッシャーの不思議な絵を見て、思わずこれはどなっているのだろう・・・・と、謎の世界に引きずりこまれてしまいます。
 無限階段という絵があります。階段が口の字型につながっている。この階段を登っていくと、いつのまにか元の場所に戻っている。登り続けても、同じところをぐるぐる回るだけで、終わりがなく無限に登り続ける。
この本の著者は、だまし絵に描かれている立体は本当につくれないかという疑問に挑戦しています。これが理科系の頭なのですね。そして、方程式を編み出し、コンピューターを使って作図するのです。たいしたものです。偉いです。どんなひとなのか、末尾の著者紹介を見ると、なんと私の同世代でした。大学生のころ、すれ違ったこともあるわけです。すごい人だなあと改めて感嘆したことでした。
 だまし絵の作り方がいくつも解説されています。簡潔なだまし絵ほど美しい。うむむ、なるほど、そうですね・・・・。
 人は写真を見たとき、そこに奥行きの情報はなく、タテと横だけに広がった二次元の構造であるにもかかわらず、欠けた奥行きを苦もなく知覚でき、旅の思い出にふけることができる。それは、人が生活の中で蓄えた、立体と画像の関係に関する多くの手がかりを総合的に利用して、奥行きを中断しているためと考えられる。だから、だまし絵の錯覚は生活体験をたくさん踏んで、立体とその絵の関係をある程度理解してからでないと起こらない。小学校に入る前の子どもはだまし絵を見ても不思議がらない。このくらいの年齢の子どもは、ピカソの絵のようにつじつまのあわない絵を平気で描くことができる。
 うむむ、そういうことなんですか・・・・。なるほど、ですね。
 著者は2010年5月に、アメリカへ行って、錯覚コンテストなるものに参加し、優勝したそうです。そのときの映像がユーチューブで見れるというので、私ものぞいてみました。不思議な映像がたしかにありました。ピンポン玉のような球体が坂道をのぼっていきます。同じ平面にあるのに、その窓を横から一つの棒が貫くのです。とてもありえない映像なのですが、謎ときがされていて、なーるほど、なーんだ、そうだったのか・・・・という感じです。
 エッシャーの絵を方程式とコンピューターで解説するなんて、その発想に頭が下がりました。
(2010年9月刊。1400円+税)

FBI式、人の心を操る技術

カテゴリー:未分類

著者 ジャニーン・ドライヴァー、  出版 メディアファクトリー新書
 人間の何気ない仕草に、実はその人の心の動きがあらわれている。なるほど、そうなのかなあと思う指摘がいくつもありました。
嘘の得意な人間は、たいてい相手の目を見続けることも得意だ。嘘つきは目を見ないというのは誤解だ。そうなんですね。まったく油断も隙もありません。
 それより大事なことは、相手がいつもとは違った動きをした瞬間を見逃さないこと。
恐怖に飲み込まれそうなときでも、自分のホンネ以上の自信をかもし出す訓練をする。これが利益をもたらす。本物の自信が身につくまでは、自信のあるふりをしている。これが大切だ。なるほど、そういうことですか・・・。
 友好関係を築くのにもっとも大切な感情は、共感だ。求められるのは、他者の言葉に真摯に耳を傾け、その価値観を理解し同じ感情を持つことのできる能力。これがあると、やがて相手も自分を尊敬するようになり、さらに大切な信頼関係が生まれる。うむむ、これって大切な指摘ですよね。私もそうだと思います。
 会って最初の7秒で第一印象は決まる。自己紹介は必ず強く。名前を皆に覚えてもらえるように、はっきり言う。それも1回だけでなく。
 相づちを打つのは、ほどよく、心を込めて。へその向きが、その人物の意志を読みとくときの最も重要な要素である。
人は不快感や不安を感じたとき、本能的に局部を隠す「イチジクの葉」のポーズをとる。身体のどこかとどこかを触れあわせる行為は精神的なストレスが高い場面で自分を落ち着かせようとして、無意識に行っているケースがほとんどだ。自分を触る仕草は、緊張、自信の欠如、あるいは退屈を示すシグナルだ。自分自身をなだめたり、落ち着かせるためにとる行動なのだ。 自分を触る仕草をしないように心がけること、それだけでも集中力が高まり、鋭敏になる。
相手が度を超した怒りを見せ始めたとき、言葉や肉体による暴力を受ける危険を感じたら、目をそらすこと。腹部やノドや局部を隠し、体を小さく見せる。自分からは話しかけない。そして、ゆっくりと出口へ向かう。どうしてそこまで怒り狂っているのかを尋ねてはいけない。怒るのは間違ったことだと理路整然と諭してもいけない。その時点で、相手は理性的に考えるのが不可能な状態にあるのだから。
他人の理不尽な怒りに出会ったら、何より自分の安全を優先しなくてはいけない。
ふむふむ、なるほどなるほど。いろいろ参考になる指摘がありました。FBIというんだから、うさん臭い。そう思わないで読んでみました。とても実践的で大切な指摘が満載の本でした。
(2010年7月刊。740円+税)

戦場の街、南京

カテゴリー:日本史

著者  松岡 環、  出版  社会評論社
 1937年に日本軍が南京で大虐殺事件を引き起こしたのは歴史的な事実です。それがあたかもなかったかのように主張する日本人が今なおいるのは残念でなりません。虐殺された人が正確に30万人なのかどうか、私にはよく分かりませんが、いずれにしても何万、何十万人という罪なき人々を日本軍が次々に殺戮していったことは、多くの日本軍兵士がつけていた日誌によっても裏付けられています。
 この本は、そのような日誌のいくつかを掘り起こし、中国側の記録と照合しています。
 著者は、12年間に日本軍の元兵士250人以上を訪ねて歩いて証言を聞取っていったとのことです。大変な苦労があったと思います。加害者が生の事実をありのまま素直に語るとは思えないからです。
 多くの日本兵士が日記をつけていました。これは学校教育の成果であると同時に、日本帝国の天皇の赤子(せきし)としての自覚を高めるための軍隊教育の成果でもあった。
 家族への情愛にあふれた手紙を書く一方で、日本軍兵はいったん中国に向かうと残酷な行為を平気で行った。中国の部落に宿営するたびに食料を徴発した。徴発とは泥棒することである。
 日本軍は、兵站基地を十分に計画して設置せず、戦争に直接関係のない民衆から野蛮な略奪によって膨大な軍隊を養おうとした。日本軍は村落を直過するたびに、穀物や家畜を奪い、家屋に容赦なく火を放った。
 無錫に侵攻した第16師団寺兵第33連隊は許巷の村民223人を村の広場に集めて機関銃で撃ち殺し、まだ死に切れない人をふくめて死体を焼いた。1937年11月24日のことである。 日本軍の兵士たちは、中国人を殺すことに後ろめたさはなく、「考えている間もなく、とにかく殺した」と述懐する。
 第16師団の中島今朝吾師団長は、「捕虜はとらぬ方針」なので、部隊の兵士たちは片っ端から元兵士や中国人を殺していった。 7、8百という数の捕虜を「処分」するのには相当に大きな壕が必要で、そんなものはなかなか見つからない。そこで、百、二百に分割して搬送し、適当な場所に連れて行って処分することにした。
「一日に第一分隊で殺した数55名。小隊で250名」
 このように書かれた元兵士の日記があり、書いた本人がそれを見ながら捕虜250人は機関銃で殺したんやろうなと語っています。
さらに日本軍は、南京に残った中国人の女性に対する性暴力を働いています。その被害にあった人は7万人とみられているのです。日本軍は国際安全区のエリアにまで乱入しました。
 日本軍の将接や軍幹部は下級兵士の性暴力を容認したばかりか、自らも性暴力に積極的に加担した。
「南京に入る前から、南京に入ったら女はやりたい放題、ものは取り放題じゃ、といわれておった」と元兵士は語る。
 強姦、強殺が多発した原因は、決して軍紀の弛緩というものではなく、不作為の作為ともいえる日本軍全体の暗黙の容認があったということ。
 このような掘り起こし作業も元兵士の高齢化によって次第に困難になっています。その意味からも貴重な本です。そのころ生きていなかったから関係ないということは許されないと思います。だって、祖父や父たちのしたことなんですから・・・。
(2009年8月刊。2200円+税)
 先日開かれた法曹協議会で、刑務所内でも収容者の高齢化がすすんでいること、不況を反映して窃盗や詐欺などの財産犯が増えていることが報告されました。60歳以上の収容者の比率は平成13年に8.2%だったのが平成21年には14.3%となった。また、万引や無銭飲食などの財産犯が36%から40.5%に増えた。覚せい剤の33.6%とあわせて4分の3を財産犯と薬物犯とで占めている。
 全国の刑務所の収容者は平成18年に3万3千人でピークとなって、その後は減少している。平成21年は2万8千人となり過剰収容の問題はなくなった。
 私は、いまもホームレスの若者の自転車盗の担当しています。3日も食べていなかったので、自ら110番して捕まえてもらったというのです。

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