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2010年12月 の投稿

誰かボクに、食べものちょうだい

カテゴリー:社会

 著者:赤旗社会部、 出版:新日本出版社 
 
 このタイトル、信じられませんよね。これが飽食日本の現実だというのですから・・・・。
 10月に盛岡で開かれた日弁連の人権擁護大会のテーマのひとつが「子どもの貧困」でした。その会場で売られていた本です。
 日本の子どもの貧困率は14.2%。子どもの虐待の根っこには貧困がある。4人家族で年間所得が254万円以下が貧困ライン。貧困ライン以下の所得で暮らす子どもが
14.2%を占める。子ども7人に1人、30人の学級なら4.5人の子どもが貧困のなかに生活している。
 この本は、困難な状態にある人たちに、あなたが大変な状況にあるのは、あなたのせいではない。どうしたら、この状況を変えられるのか、ゆっくりでもいいから一緒に考えようと呼びかけています。助け合いのできる社会をつくっていこうという呼びかけです。
 乳児保育のための国からの補助金は、10年前と比べて年間630万円も減っている。
 保育料を滞納する家庭が増え、行政の取り立てが厳しくなっている。広島市では、2007年度から滞納している家庭は、市役所の窓口で滞納解消計画を立てないと通園が設けられなくなった。
2008年の夏休み、都内で小学校の男児が買い物袋をさげた通りすがりの人に「食べ物をちょうだい」とねだっていた。この男児の母親は障害をかかえ、自分ひとりの生活もままならない。同居していた祖母が前年春に亡くなってから、男児は給食を食べに学校に来ているような状況だった。夏休みに入って給食がなくなった。プールのために登校してきたときには教職員などがおにぎりをやっていた。カップラーメンを持たせると、「お母さんに持って帰っていい?」と訊く男児。しかし、お盆はプールも休み。ついに通りで食べ物をねだるしかなかった・・・・。
 なんということでしょう。これが、今の日本の現実なんですね・・・・。2学期の始まる前、男児は自分から教師に「ぼく、児童相談所に行く」と言い、そのまま施設に入ることになった。    
ご飯が食べられない。風呂に入っていない。水道やガスが止められている。夏は臭いがするので、教師が生徒の頭をシャワーで洗ってやることもある。その母親は朝8時から深夜まで働いていて、ローンの支払いに追われ、まったく生活に余裕はない。
 まじめな貧困は共感されるが、ふまじめな貧困は共感されず、むしろ攻撃される。 
 そうなんですよね。生活保護を受けているひとがパチンコしていると、目の仇にされ、廃止しろと市民が文句をつけるという現実があります。お互い心の余裕を喪っているのです。女子の若年出産と性産業とのかかわりの背景に、貧困の問題がある。
OECDの30カ国のうち、高校の授業料が無償化されていないのは、日本のほかは3カ国のみ(イタリア、ポルトガル、韓国)。保育園も、1、2歳児は多くの国で無償としている。
フランスは、所得の再分配によって子どもの貧困率を24%から7%に減らした。日本は逆に増やしている。学校で、1クラスの人数は20人でも多いというのが世界の流れである。ええーっ、日本って、そう考えると、本当に子どもを大切にしない国なんですね・・・・。
 子どもが自分に見切りをつける時期が早くなっている。うちは貧乏だから勉強なんかできないよと子どもがいう。貧困と格差の広がりが、今、確実に子どもたちの健やかな成長を脅かしている。
未来は青年のもの。これは、私がまだ青年のころに聞いたなかで一番気に入っていたキャッチフレーズです。子どもは、その青年の卵。まさに国の宝です。その子どもたちを大切にせずして、日本の未来はありません。子どもを飢えさせる政治なんて根本的に間違ってますよ・・・・。プンプンプン、怒りのうちに、この本をおすすめします。
(2010年11月刊。1500円+税)

希望を持もって生きる

カテゴリー:社会

 著者 釧路市生活福祉事務所、 筒井書房 出版 
 
 驚きの本です。サブ・タイトルに「生活保護の常識を覆すチャレンジ」とあります。ええっどういうことなの・・・・?
 釧路市の人口は19万人弱。水産、石炭、そして紙パルプの町として栄えてきた。水産は水揚げ日本一を誇っていたのが、いまや最盛時130万トンのわずか1割10数万トンでしかない。石炭は最後まで残った太平洋炭鉱が閉山してしまった。紙パルプ産業も縮小し、失業と人口減に悩む町になった。
 生活保護世帯は5581世帯。保護率は46.1パミール。平成20年度の保護申請は
888件、保護開始が777件、廃止が485件。母子世帯が16.3%いて、これは全国平均8%の2倍。受給世帯の子どもの割は母子世帯の子ども。
 これまではよくある話です。ここからが違います。釧路市の生活福祉事務所はコペルニクス的転回を遂げるのです。
第一に、福祉事務所になじみのある「就労阻害要因」は何かという切り口から受給者の「自立」をとらえるのではなく、「社会資源・社会参加」という切り口から受給する母子世帯の問題を見る。
 第二に、「点検管理」という伝統的なアプローチではなく、「自尊意識の回復と醸減」という当事者のエンパワメントを意図してアプローチする。
 第三に、「就労一筋」に対して、「中間的就労」という造語表現をつかって、ステップをもうけることに意識付けをする。
 第四に子ども支援に取り組む。具体的には、母子受給世帯のなかの子どもたちに呼びかけて「高校行こう会」をスタートさせた。教える側の一員として保護受給中の人にも参加してもらう。
 このほか、病院ボランティア、公園管理ボランティア、廃材分別作業ボランティアなど、いろいろあります。
 受給者には、確かに認められ大切にされていると感じる経験、人に感謝され誰かの役に立っているとい感じる経験が必要だ。そのことから、人間に備わっている自己回復力のようなものが働き、ゆっくりでも着実に、行動するための活力が湧いてきて、自分から「社会に出てみるのも悪くない」「もう一度社会とのかかわりをもってみよう」と徐々に思えるようになっていく。
 参加を迷っている人に対しては、「ためしに参加してみてはどうですか。参加してみて、良かったらずっと参加していくし、合わなかったら、ほかも紹介できますし・・・・」と話す。すると、たいてい「ためしなら・・・・」と言って参加してくれる。「絶対」という言葉で萎縮して一歩踏み出せないよりは、心も軽く外に出てみることのほうが大切なのだ。
無償のボランティアが受け取る対価は「人の役に立っている」という意識と「ありがとう」という言葉だ。「ボランティアができるなら、すぐに働けるだろう」という声があがることもあるが、結果をあせらず、十分な助走が大切である。
 受給者のなかには、人と話す機会もすくなく、ひきこもりがちになっていた人も少なくない。人は決まった時間に出かける場所や仕事、楽しいイベントなどがあると、前もって準備し、身づくろいもする。誰かに「生活をきちんとしなさい」と言われても気乗りしないが、自分の内側から出る意思で行動するぶん、生活リズムが整い、それが習慣となって身についていく。働くということは、「生活のためにお金を稼ぐ」ことだけでなく、自分を生かし、あてにされ、しゃかいとのつながりを通して自分自身を確認することでもある。
 このように釧路市では、いわば市役所が地域に出て行っているのです。驚きましたね、この発想と行動力には・・・・。
 その中心にあるのは、受給者の自尊感情の回復。就職に必要な資格取得であれ、就労体験的なボランティア活動であれ、受給者の自尊感情の回復を抜きにしては前に進むことはできないのだ。
 まさしく、そのとおりですね。「毎日つらかったけれど、今は人間に戻った気がする」というボランティア体験者の声は本当にすばらしいです。
人を支える生活保護。これが地域に生きる福祉事務所の役割なんだ。なんと素晴らしい言葉でしょうか。
今は世迷言と言われそうなフレーズを口にしながら、そのような釧路をつくる道程にこそ私たちの希望が宿るという信念を貫いていきたい。
 これがこの本の結びの言葉です。心から大きな拍手を送ります。多くの人にこの本が読まれることを願います。岐阜で開かれた第30回全国クレサラ被害者交流集会の相談員分科会の会場で、釧路はまなす会の方の紹介で知って、すぐに買い求めた本です。本当に買って良かったと思いました。ご紹介、ありがとうございました。
(2009年10月刊。1600円+税)

人間はどこから来たのか、どこへ行くのか

カテゴリー:人間

 著者 高間 大介、 角川文庫 出版 
 
 いま同じ日本に住んでいる、同じ日本人といっても、その先祖が日本にたどり着いた経路はさまざま。日本にホモ・サピエンスが到達したのは、3万年から4万年前のこと。主な3ルートのうち、北のサハリンルートから人が入ってきたのはもっとも遅く、2万年前以降のこと。日本にやってきたのと同じ祖先の別の一派がアメリカ大陸を南下して遠くペルーにまで到達した。
 DNA分析によると、たしかに人類は一つなのである。ホモ・サピエンスは、およそ15万年前にアフリカで誕生し、世界各地で進化した。彼ら以外のヒトを駆逐しながら、全世界に広がっていき、置き換わっていった。
 人類(ヒト)の出アフリカは、わずか1回ないし数回の出来事だった。その規模も、一番少ない見積もりで150人、大きくても2000人。それが全世界に広がっていった。うひゃあ、人間ってわずか2000人足らずだったのですか・・・・。いまは、68億人になっています。
人類がアフリカから出たのは、7万年前から5万年前のこと。5万年前には、オーストラリアにいた。アフリカを出たあと、海づたいに食べ物を探しながら歩いていった。ヒトがアメリカ大陸を縦断したのは、かなり早く、1万年もかかっていない。
 人類の旅の締めくくりは南太平洋の島々への移住。その始まりは台湾。6000年前台湾にいた人々が南下を始め、フィリピンの島々を経て、パプアニューギニアに到達した。3000年前にはフィジー諸島などのメラネシアへ。さらに1500年前にポリネシアのハワイ、そしてモアイ像で有名なイースター島にたどり着いた。この旅は周到に計算されていた。船は、常に風に逆らって進み、新しい島が見つからないときには引き返していった。これを証明できるものとして、タロイモやバナナ、ヤシの実などは、南の島の産物ではなく、台湾やフィリピンなどの、アジア原産の植物だということがある。
 ヒトは霊長類のなかで、唯一、性を秘匿し、食を公開した種である。
 ヒトは体毛の薄い裸のサルであり、直立するサルである。人間社会には、食は共同で確保するという大原則がある。狩猟採集民には、食料を配る役目は子どものことが多い。
 人間の育児能力は圧倒的に高い。その例証が双子である。野生のゴリラやチンパンジーでは双子が生まれても育ちにくい。
 ゴリラの出産間隔は4年、チンパンジーは5年、オランウータンは8年。ところが人間は、出産後40日すると妊娠可能になる。だから、年子の兄弟姉妹は珍しくない。ちなみに私も年子の弟です。
 類人猿の母親は、長いあいだ一頭の子どもに母乳を与え続ける。授乳期間中は発情ホルモンが抑制されるため、排卵しないので、新たに妊娠することはできない。
 ヒトの祖先は、隠れる場所が少なく、これといった武器を持たなかったから肉食獣にたびたび襲われた。とくに子どもが狙われた。そのため死亡率の高い人類は、それを補うため多産にならざるをえなかった・・・・。ヒトがアフリカから出ていった背景には、人口増加があったと考えられる。
 人間は他人に何かを尋ねられ、その答えを考えているときには、目を頻繁にそらす。質問した相手の顔をじっと見ていない。それは、自分はちゃんと考えていることを相手に知らせる社会的なシグナルなのだ。無人販売所に目を強調したポスターを貼っておくと、それだけでちゃんとお金を払う人が増える。ええーっ、そんなに人の目を気にするんですか・・・・。
 20歳前後の、これから繁殖を開始しようとする時期の男性が一番殺人が多い。
 人間も、言葉をしゃべる前は歌、オスがメスに求愛のための歌を歌ったり、歌と一緒にダンスしていた。それがどんどん複雑になっていった。そんな歴史があって言葉ができあがった。そうなんですか・・・・。
わずか300頁ほどの本なのですが、とても考えさせられる、刺激的な話がもり沢山でした。あなたもぜひ読んでみてください。
 
(2010年6月刊。590円+税)

倭人伝を読みなおす

カテゴリー:日本史(古代史)

 著者 森 浩一、 ちくま新書 出版 
 
 最近のことですが、奴(な)の国のあった春日市へ行ってきました。ずっと前からぜひ行きたかった須玖岡本遺跡を見てきたのです。
 奴国は1世紀の中ごろは、単独で後漢(中国)に使者を送るほどの大国だった。倭人伝に記されている奴国は、それより200年ほど後の姿である。人口は2万戸あって、北部九州の女王国を構成する国々のなかでは、抜きんでた大国だった。3世紀の奴国は、女王国に属しているとはいえ、卑弥呼が景初3年に魏に遣使したときの大使は難升米(なしめ)だった。難升米は奴国の王か王族とみられ、魏も難升米を丁重に扱い、銀印や官職を与えた。
江戸時代に志賀島で発見された金印については、偽物説もありましたが、いまでは本物と確定しているようです。
 春日市は、まさに、その奴国のあったところです。住宅地のなかに遺跡と資料館があるのですが、よくみると、実は、そこだけではなく春日市の内外はすべて遺跡なのです。かつての米軍基地が今は自衛隊の駐屯地になっていますが、そこも掘ったら遺跡が出てくるそうです。私は、自衛隊の基地なんか移転させて、きちんと発掘してそれなりに再現すれば、吉野ヶ里遺跡と同じほどに有意義な学術的展示場になり、観光客も集めて、一大産業、町おこしが出来ると思いました。自衛隊が住宅地のど真ん中にあるなんて、時代錯誤でしかありません。
壱岐島にある原(はる)の辻遺跡は私も行ったことがありますが、大集落というより小都市といってよいほどの規模です。かなりの広さがあり、中心部に資料館があって、往時を偲ぶことが出来ます。
この原の辻は、壱岐国(一大国。一支国)の国色(首都)であった。伊都国は、今の糸島市にあった。ここには、古墳時代前期の前方後円墳が数多く築造されている。
 卑弥呼の「以死」について、著者は卑弥呼が魏から見放されて自死したと解しています。
 正始8年(247年)に女王国と狗奴国との戦いが始まった。その知らせを受けた魏は、帯方郡から張政を派遣した。魏は倭国に励ましではなく、厳しい言葉を送って倭の人たちに卑弥呼の政治的失敗を周知させた。つまり、魏の政府は、卑弥呼を見限り、卑弥呼の大夫(部下)だった難升米を引き上げて女王国の代表として扱った。卑弥呼も事態を認識して、従容として死を選んだ。このように、卑弥呼の死は自然死ではなく、倭国を分裂させた責任をとらされての自死とみられる。うひゃあ、そ、そうだったんですか・・・・。「以死」にそんなに深い意味が隠されていたとは・・・・。さすが学者ですね、かないません。
 筑後の山門郡は邪馬台国九州説の古くからの候補地である。門脇禎二氏(故人)も著者も、長らく邪馬台国ヤマト(奈良県)説だったが、大和説と決別して、今や九州説に転換した。うれしいですね。やっぱり九州それも山門郡(今のみやま市)に邪馬台国はあったというんですから・・・・。女山(ぞやま)あたりにそれらしき確たるものが発見されないか、待たれてなりません。
 邪馬台国はヤマト、つまり今の大和(奈良県)にあったというのではないのです。ぜひこの本を読んで、あなたも確信を持ってくださいな。
(2010年8月刊。740円+税)

反貧困、韓国の現場から

カテゴリー:朝鮮・韓国

 東海生活保護利用支援ネットワーク 自費 出版 
 
 韓国に日本のサラ金が進出して、被害を及ぼしているそうです。韓国は日本より金利規制がゆるく、しかも破産すると公務員は失職したり、しかも、まだまだかつての日本と同じように多重債務者となった被害者への風当たりは強いようです。
 この小冊子は、韓国のホームレス支援、生活保護支援の状況を東海地方の弁護士や学者そしてケースワーカーなどの有志が訪問視察したときの報告書です。
 韓国の貧困層は、2007年に320万人、全国の6.7%であり、絶対的貧困層が1%ほどいる。相対的貧困率は13%であり、OECD加盟国の中では、日本が4位(15.7%)で、韓国は6位となっている。高齢者世帯の貧困率も日本と同じように増えている。ただ、女性の貧困率はいくらか減っている。
 韓国の中産層は、1996年に568.6%だったのが、2006年には54.7%へ減少している。これも日本と同じで、格差が拡大している。
 継続的貧困層のなかでは、65歳以上の人が48.4%、女性が34.1%を占めている。
 視察団はソウル市内の6階建ての古びたチョクパン(ドヤ)を見学した。なかは薄暗く、廊下も狭い。家賃は月1万5千円。階段の踊り場に洗濯物が干されている。共同トイレは水洗ではなく、清潔とは言いがたい。風呂はなく、4000ウォンの銭湯に行く。部屋は3畳ほどで、最小限の家財道具を置くと、寝れるだけの広さしかない。
公的機関のチョクパン相談所があるが、洗濯機無料利用、シャワー利用、盆と正月に寄付されたものを配布する程度であり、相談機能は果たしていない。
 韓国の失業者も増加し、2010年1月に失業者121万人。これは昨年に比べて36万人も増えている。国民基礎生活保障法による給付を全国民の3%、150万世帯が受けている。
いま、韓国のホームレスの人は全額無料で医療を受けられる。全国に35ヶ所のシェルターと5つの保護センターがある。地方には30ヶ所のホームレス施設がある。当初の150ヶ所から70ヶ所に下減っている。しかし、ホームレスが半減したわけではない。ソウル市内はホームレスが3000人いると発表している。うち2000人がシェルターに、500人が保護センター、そして残る500人がチョクパン(ドヤ)にいるという。
しかし、民間団体によると、ホームレスは全国に2万人とも10万人とも推測している。
韓国がこの分野でも日本と同じような問題を抱えていること、行政がそれなりの手を打っていることなどを少し知ることが出来ました。 
(2010年8月刊。500円+税)

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