法律相談センター検索 弁護士検索
2010年11月 の投稿

バンコク燃ゆ

カテゴリー:アジア

 著者 柴田 直治、 めこん 出版 
 
 タックシンと「タイ式」民主主義というサブタイトルがついています。著者は朝日新聞社の前アジア総局長で、タイにも駐在していました。私もタイのバンコクには一度だけ行ったことがあります。微笑みの国、仏教徒の多い寛容な国というイメージをもっていましたが、実はなかなか政争の激しい国なんですね・・・・。
 バンコクには3万2000人の日本人が住んでいる。これは外国の首都の中では一番である。タイに進出している日系企業は7000社。小中学生2500人の通う日本人学校は世界最大級の規模だ。タイを訪れる日本人旅行者は毎年120万人ほど。私の依頼者の一人が長期出張で今バンコクにいて、裁判手続を目下のところ見合わせています。先日、インターネット電話で話しましたが、声は鮮明ですし、料金もかからないというので驚きます。
 タックシンは、タイの憲政史上、最強の政治家であり、歴代宰相のなかできわめて特異な存在である。タックシンは1949年生まれですので、私と同じ団塊世代。
タックシンは警察士官学校に進んで、キャリア警察官になった。そして、警察官のかたわらケータイ電話を扱う企業を起こして成功し、警察を退職。途上国では給料が安いから公務員の副業はあたりまえのこと。
 タックシンが本気で貧富の格差是正を考えていたとは思われない。持てる層から税を取るということはしなかった。タックシン自身が「持て」側の代表だったから。貧困層や農村部への施策は、より少ないコストでより多くの票を集める手段と考えていたのではないか。タックシンは、直接的な収賄をする必要がないほど金を持っていた。そして、タックシンの経済政策の相当部分が自分自身の利益に直結していた。
 都市中間層や教育のある人々のなかにタックシンを生理的に嫌う雰囲気がある。それは、敵とみると逃げ道を残さずに痛めつける攻撃性、資金の豊かさや権力の強大さを隠そうともしない傲慢さがタックシンにはある。都市中間層からすれば、タックシン政権の貧困削減策は、単に人気とりのばらまき政策であり、都市部のインフラ整備などに回すべき政府資金=自分たちの納めた税金が浪費されているという認識である。逆に、貧困層や地方の農民にとっては、タックシン政権は初めて彼らに目を向けてくれ面倒をみてくれた政府だった。
 タックシンは軍事費を削り、将軍クラスが握る闇の利権にも手をつけた。それで、軍の中に大きな不満を生んだ。クーデターの大きな要因は、「軍の都合」である。クーデターの後、軍事費は2倍以上となった。膨張した予算をもとに、将軍たちは兵器リストをつくってショッピングに励んだ。タイの軍は、戦闘集団というより、官僚組織や利益擁護集団の色彩が強い。
 日本政府はタックシンには冷たく、クーデターを起こした軍には温かった。これも、いつものように日本は利権を優先させるわけなのですね。タイの表玄関のスワンナプーム国際空港の総工費1550億バーツのうち730億バーツを円借款でまかなった。日本の援助としても最大規模。ターミナルビルも、日本企業中心の共同体が受注した。
 タイのメディアは裏を取って確認する習慣がない。うへーっ、これって怖いですよね。日本のマスコミがそんなにすぐれているとは思えませんが、少なくとも裏を取ろうとはしていますよね・・・・。
 タックシン政権は、いろいろのグループから構成された。そのなかの有力な集団の一つは、1970年代に学生運動に没頭した活動家たちだった。だから、反対派は、その点をっとらえて、「反主制」というレッテルを貼りたがる。
 タイ騒動の内情をつぶさに知ることの出来る本でした。
 
(2010年9月刊。2500円+税)

倭王の軍団

カテゴリー:日本史(古代史)

 著者 西川 寿勝・田中 晋作 、 出版 新泉社
 
 巨大古墳時代の軍事と外交というサブタイトルのついた本です。古墳から出土した、たくさんの武器・武具の写真があります。なるほど、軍団がいて不思議ではないと思わせます。『古事記』『日本書紀』に登場する応神天皇と仁徳天皇については、実は同一人物の伝説とする見方があり、実は両人とも存在していないという有力学説もある。中国の史書に登場する倭の五王についても、讃と珍については、どの天皇とも決めがたいままだし、この五王の陵墓も定まっていない。
 うへーっ、日本の古代って、まだ分からないことだらけ、なのですね・・・・。
 古代日本の軍団については、史料がないため、その実態はほとんど判明していない。石母田正は、律令初期の軍政について、その大きな特徴は伴造軍(ばんぞうぐん)から脱却し、国造軍(こくぞうぐん)としたことにあると強調した。国造軍とは、国司を頂点とする国単位の行政組織に徴兵・編成・運用までの権限が与えられていたこと。伴造軍とは、有力な豪族の私軍のこと。
 遣隋返使は、日本に軍団なしと報告した。
壬申の乱(672年)は、皇族や畿内の有力豪族を二分する政争であったが、その勝敗は国造軍の動向によって決まった。
律令期の軍団の特質は、兵員の入れ替えや補填のシステムを完成させたところにある。国造が戸籍を管理し、平時に役務と訓練をおこない、有事になると必要数に応じた兵士を送り出す組織をつくっていた。
軍団の主力武器は打刀(うちがたな)だったと復元されている。打刀とは、刀を下にして腰に佩帯(はいたい)する大刀(だいとう)で、古墳時代は直刀(ちょくとう)、中世以降は刃反(はぞ)りがつく湾刀(わんとう)だった。反(そ)りのない直刀や剣は衝撃を吸収できない。手をしびれさせず、そぐように斬るには高い習練が必要だった。
しかし、著者は打刀は主力兵器にならないという考えです。
鉄砲の普及以来の主力兵器は、古代にさかのぼっても刀剣ではなく弓矢であり、矢合戦が戦闘の普遍的な姿だった。
疾走する騎馬による投射戦が発達しなかったのは、馬の頭が邪魔になって、正面を狙えないから。下を短く、上を長く傾けずに持つ日本の長弓を馬上で構えたとき、馬の頭をはさんで反対側は常に死角となる。そこで、馬を静止させた騎射では、馬を横向きにして敵と対峙する。
 巨大古墳時代においても、戦争は弓矢による戦いが主流だったと考えるべきである。
 日本列島には、当時の朝鮮半島と違って、堅牢な防禦施設をもった城塞がみられないという特徴がある。
巨大古墳の発掘を宮内庁が許さないというのは本当におかしなことです。一般人の立入はともかくとして学術調査は認めるべきです。古代日本に騎馬民族が中国そして朝鮮半島から渡ってきたのではないかという指摘がかつてありました。それを知って、私など、胸がワクワクしたものです。ロマンを感じました。
もっともっと古代日本のことを知りたくなる本です。
 
(2009年2月刊。1600円+税)

キャンバスに蘇るシベリアの命

カテゴリー:日本史(戦後)

 著者 勇崎 作衛、 集英社 出版 
 
 終戦後、多くの日本軍将兵がソ連軍によって中国からシベリアに強制連行され、抑留されて働かされました。
 著者は、中国で病院の衛生兵として働いていて、22歳でシベリアに送られました。幸い3年後に無事に日本へ帰国できたのですが、その3年間の苛酷な生活を、なんと65歳になってから油絵を始めて絵描きだしたのです。87枚の絵は酷寒のシベリアでの労働の苛酷さ、非人間的状況を如実にうつしとっています。
 寒冷期になると、収容所の周囲は雪だけで食べるものがなくなる。監視のソ連兵の残飯捨て場に出かけてガラの骨、キャベツの芯、芋の皮などを一所懸命に探してスープにして食べた。支給される食事で足りない分のカロリーをこうやって補った。
 日本兵は、ひどい消化不良と衰弱に加え、寒さのため身体は冷えきって全員が下痢を患っていた。ところが我慢できずに排便しようとして隊列を乱すと、ソ連兵がムチを鳴らして追い立てるのだ。
 冬のシベリアは零下40度。冷蔵庫の製氷室よりも寒い。外での作業で本気を出したら、生きて日本に還ることは出来なかった。
 日本兵の体力検査は、ソ連の女軍医が尻の皮をつまんで引っぱることで決まった。皮下脂肪の厚さで、重労働、軽作業の等級が決まった。シベリア抑留生活のむごさを描いた絵画集は前にも紹介しましたが、こうやってビジュアルになると、その苦労が視覚的にもよく伝わってきます。
 『夢顔さん、よろしく』という本に出てきた近衛首相の息子がシベリアで死んでいったことも改めて実感できました。後世に語り伝えられるべき悲惨な歴史的な事実です。
 
(2010年8月刊。2400円+税)

平安朝の父と子

カテゴリー:日本史(平安)

 著者 服藤 早苗、 中公新書 出版 
 
 まず第一番に驚いたのは、平安朝の貴族の男性は料理が出来たということです。とりわけ、魚や鳥などの動物性食料は、男性が料理するのが古来からの日本の伝統であった。
そして、蔵人の頭(くろうどのとう)は妻が出産するについて、産休をしっかりとっていた。
 うひゃあ、本当でしょうか・・・・。驚きです。
 平安時代には、妹のことを「弟」と書くのは少なくなかった。「オト」と読み、本来なら男女関係なく年下のキョウダイのこと。なんだか間違いますね。
平安初期、9世紀のころには、天皇のキサキは、摂関期に比べて、はるかに多かった。嵯峨天皇のキサキ数は20数人、子どもは50人もいた。
父親が幼児期のときから子育てに参加すると、子どもの知能指数は5以上あがるという研究成果がある。
 10世紀中ごろ、女御や更衣の生んだ子どもたちは7歳まで父の天皇に会うころはなかった。
平安中期、貴族の子息は12~16歳で元服という成人式を迎える。平安前期の9世紀は、上層貴族から庶民層まで16歳が元服年齢だった。その後、天皇から次第に元服年齢が若くなり、上層貴族にも浸透していく。
 男子は、大人になれない下人的隷属者をのぞいて、どんな庶民でも一般的に大人名を付けてもらえるのに対し、女子は朝廷と正式に関係を持つ者しか大人名前は付けられなかった。そして、父の存在が大変に重要だった。
 菅原道真は、突如として大宰府に左遷された(901年)。大宰府の配所に同行したのは男女児二人。成人していた長男は土佐に、次男は駿河に、三男は飛騨に、四男は播磨に流された。妻と成人女子は都に残され、幼少二人の同行が許された。そして、男児は配所で亡くなったが、栄養失調ではないかとされている。道真本人も配流後2年で亡くなる。これも、やはり栄養失調だったのであろうか・・・・。
一夫多妻妾を認める平安中期の貴族層にあっては、妾や数度の関係しかもたなかった女性が出産したとき、女性が強い意志表示をしないかぎり、男性は父としての自覚をもたず、認知さえしなかった。
父の認知がない子どもは、「落胤」(らくいん)と呼ばれた。身分秩序の固定化と、いまだ母の出自・血統を重視する双系的意識のもと、父は子を認知することさえ不可能の場合があった。
父に認知されない「落胤」者は、貴族層にとってさげすみの対象だった。天皇の孫でも、母の出自・血統が低いと、貴族の正式の妻になることさえ難しかった。父の認知によって子は父の血統や身分的特権を継承できるが、母の出自・身分の格差が大きいと、認知さえもらえなかった。
しかし、院政期になると、父系制が定着し、母の出自はあまり問題にならなくなる。
『今昔物語集』では、親が子を「不孝」するとあり、父母が子を義絶することを「不孝」といった。現在の勘当と相違し、さらに「ふきょう」という語は現代では使用されていないようである。貴族の日記類では、「不孝」は、文字どおり親に子が孝養を尽くさない意である。
平安時代の父と子の関係については、知らないことも多く、大変勉強になりました。
 
(2010年2月刊。760円+税)

豊かさの向こうに

カテゴリー:アメリカ

 著者 V.A.ギャラガー、 出版、連合出版  
 
 著者は、アメリカ人はマフィアの妻のようなものだと言います。
アメリカ人の多くは、極貧にあえぐ人々がいる一方で、自分たちがたくさんの物を持っていることがどんなことかを本当は知りたくない。そしてメディアが偏っていて、簡単な真実すら伝えていないことも信じたくない。
 ハイチで人々に正当に選ばれた大統領のアリスティド政権を崩壊させるため、アメリカとカナダとフランスは巧妙に工作した。アメリカに誘拐され、フランスに連れて来られたアリスティドは、マスコミからなぜかと問われたとき、三つの理由があると答えた。
民営化、民営化、そして民営化。民営化とは、政府が所有する企業を資本家に売ることである。
郵政民営化の嵐を経験した私たち日本人にとって、この指摘はとても重要だと思います。アメリカの言いなりになって、なんでも民営化していったら、権力を持たない貧しい人々は大変な痛い目にあうということです。
 ユニセフは、今こそ深刻な貧困に終止符をうつための絶好の機会だとする。なぜなら、世界の繁栄は、史上かつてないレベルにまで達している。ところが、今日、全世界で5億人もの子どもが、これは発展途上国の子どもの実に40%に相当する、毎日1ドル以下で生き延びようとしている。貧困のせいで、助かるはずの子どもが毎年、何百万人も亡くなっている。そして、何千万人もの子どもが飢えに苦しみ、学校に行くことも出来ず、危険な児童労働の搾取を受けている。すべての子どもが最低生活水準を達成するために必要な金額は年800億ドル。これは全世界の収入の0.3%にも満たない。
 IMF(国際通貨基金)の構造調整政策は、国際的な危機や根強い不均衡に各国が対応するために作られた政策である。だが、この政策は、多くの国々での飢餓や暴動を引き起こすきっかけとなった。その恩恵は富裕層に偏り、底辺の人々はかえって貧しくなった。
 ウォルマートなどの大規模小売業者の自由な出店を認めるNAFTAの条項により、メキシコの2万8千もの中小企業が倒産した。NAFTA以降、アメリカでは3万8千人以上の小規模農業経営者が破産ないし廃業した。また、アメリカ国内の繊維アパレル産業において78万人分の雇用が失われた。
 アメリカは、1946年に陸軍米州学校(SOA)を設立した。今、フォート・ベニングにある米州学校は、ラテンアメリカ22ヶ国の5万5千人以上の士官、士官候補生、下士官、政府職員を訓練してきた。その卒業生は、暗殺、拷問、虐殺を指示したり、関与してきた。
 ラテンアメリカでの主要な残虐行為にかかわった66人の将校のうち46人が米州学校で訓練をうけていたことが判明している。
 囚人の恐怖や弱みを観察しろ。囚人をたたせ、眠らせず、孤独にして、裸のままにし、ネズミやゴキブリを独房に入れ、粗末な食べ物を与え、死んだ動物を食べさせ、水をかけ、温度を変えろ。
 これが拷問マニュアルの一端です。いやはや、アメリカって、とんだ文明国ですね。
 この本は、訳者の一人である川人博弁護士から贈呈を受けました。世界の現実、そのなかで果たしているアメリカの負の役割が如実に描かれています。あまり知りたくはないけれど、知らなければいけない現実です。
 
(2010年9月刊。2200円+税)

福岡県弁護士会 〒810-0044 福岡市中央区六本松4丁目2番5号 TEL:092-741-6416

Copyright©2011-2025 FukuokakenBengoshikai. All rights reserved.