法律相談センター検索 弁護士検索
2010年10月 の投稿

今、ここに神はいない

カテゴリー:アメリカ

著者:リチャード・ユージン・オバートン、出版社:梧桐書院
 1945年2月19日、硫黄島。南海の孤島は地獄と化した。散乱する肉塊、死にゆく戦友、肌にしみこむ血の匂い。「地獄の橋頭堡」の生き残り兵が戦後40年を経て初めて明らかにした衝撃の記録。
 これはオビにある言葉です。戦後40年たって初めて書いたというには、あまりも生々しく迫真的で詳細です。本人はメモを書いていたようです。
 アメリカ軍は開戦前、数日で制圧できると楽観視していたが、予想に反して太平洋戦争での最激戦地となった。日本軍は2万人の守備兵がほぼ全滅(戦後、捕虜となった元日本兵は1000人あまり)。アメリカ軍は、それを上回る2万8000人もの戦死傷者を出した。アメリカ軍の損害が日本軍を上回った稀有な戦いだった。
 2月19日に始まった戦闘は、3月17日、日本軍の硫黄島守備は大本営に訣別を打電した。著者は海兵隊第2大隊に配属された海軍衛生兵、19歳であった。
 戦闘部隊員は、顔面に毛をはやすことは許されない。それは、顔面の傷治療の妨げになるからだ。毛が傷に入ってしまうと、感染症を引き起こす。
 上陸する前、隊員の態度に変化がおきた。隊員は静かで瞑想的になり、海を眺めたり、残してきた家族に手紙を書いたりして過ごした。会話もほとんどなく、めいめいが個人的な思いに沈んでいた。あるいは、これが最期の時かもしれないと・・・。
 上陸した直後の海岸はひどい混乱状態にあり、地獄のようだった。そうとしか言いようがなかった。浜辺全体が多数の火を吹くような爆発に見舞われ、地面が膨れて濃い灰色の砂山となり、それが散って灰色のすすけた煙の噴出となるのだった。
 人体、隊員が運んできたヘルメット、ライフル、その他の装備は、浜辺で吹き飛ばされていた。隊員たちは地面に倒れ、動いている者もいれば、じっとしている者、あるいは服から煙が上がっていたり、燃えたりしている者もいた。服に燃えている鉄片が刺さっていたのだ。第26連隊が上陸した区画は400メートルの幅があった。そこは隊員と装備でいっぱいだった。
 日本軍迫撃砲手は、見事な腕前だった。彼らは摺鉢山で、アメリカ兵より高いところで北の方角から撃ってきた。
 乱戦のなか、日本軍が海兵隊員の死体から制服と装備を奪い、制服を着て、海兵隊の防衛線の中に入り込んできた。そして、完璧な英語を話した。
 ええーっ、これって本当のことでしょうか・・・?でも、死んだ日本兵がテキサスの短大で発行された写真つきの学生証をもっていたとありますから、本当だったのでしょうね。
 海兵隊と日本兵は近接して入り乱れながらの接近戦を展開していたようです。著者も、そのなかで2時間半近くも気絶していたことがありました。九死に一生を得たのです。
 重傷を負った隊員が叫んだ。
 「神よ、なぜ、こんなことをお許しになるのですか?」
 著者は答えた。
 「神は今ここにいらっしゃらないんだ!」
 2月23日、上陸5日目にして摺鉢山に星条旗がはためいた。しかし、現実には戦いは始まったばかりだった。
 人により、自分の体の一番守りたいところは違ってくるのに気がついた。ある者は顔が大事、他の者は下肢、陰部、手だった。著者は手を胸の下に置いたり顔の下に置いたりして、手を大事にしたいと思った。死が一番恐ろしかったのではなかった。手足がバラバラになるのが怖かった。
 このような脅威に常にさらされていると、心は体とつながりがなくなっていくように感じた。まず最初にアドレナリンが血中に入り、興奮するが、次に恐怖が来る。このような刺激が続くと、感覚が鈍ってくる。心が次第に機能しなくなり、体が動かなくなる。
 自分の考えをコントロールすることができなくなり、まとめることもできなくなった。手で顔を触ることができるが、感じることができなかった。
 戦友のあごが緩み、口が開き、唾液が口角からあごに流れ落ちている。目に感情の色を失い、見ているものが脳に認知されていないことは明らかだった。
 砲撃を受けたあと、一度ならず泣いている兵隊、ヒステリックに泣きじゃくる隊員を見た。目の刺激に反応しない。命令や質問に応ずるのも、非常にゆっくりだ。
 上陸して3日間は、ほとんど眠れなかった。ベンゼドリンの錠剤をたくさん服用したが、目をつぶることさえできなかった。まぶたを閉じようとしたが、まぶたを閉じる筋肉が動かなかった。
 慣れることのできなかった恐ろしい光景の一つが、降伏を拒み掩蔽壕や洞窟から出てこない日本軍に対して火炎放射器が使われたこと。中にいた日本兵はゼリー状の火炎を浴びて、焼け焦げていく。外に走り出て、体を包んでいる炎から逃れようとする。生きながら燃えている人間の光景と音は、えもいわれぬ嫌なものである。
 硫黄島で死んでいった2万人もの日本兵を心より哀悼したいという気になりました。もちろん、海兵隊の死傷者と同じように、という意味です。残酷な戦場がまざまざと迫ってくる迫真の体験記です。クリント・イーストウッド監督の映画二部作もすごかったのですが、この本も期待以上の内容でした。当時、わずか19歳だった著者が40年後に書いたとはとても思えない内容です。
(2010年7月刊。2500円+税)

スティーブ・ジョブズ、驚異のプレゼン

カテゴリー:アメリカ

著者:カーマイン・ガロ、出版社:日経BP社
 iフォン、iパッド、iポッドを成功に導いたアップルのスティーブ・ジョブズのプレゼンは、すごいもののようです。
 実は、私も一度もみたことがありません(見ても英語のダメな私には、そのすごさが分かりません)。
 それはともかく、裁判員裁判(私はまだ体験していません)ではフツーの市民へのプレゼン能力が求められています。その意味で読み、また大いにひきつけられる内容がありました。
 ジョブズのプレゼン能力はすばらしい。しかし、そんな能力を持って生まれてきたわけではない。努力して身につけたのだ。プレゼンには、わくわくするようなストーリーが必要だし、そのストーリーには力がなければならない。
 体のつかい方、しゃべり方、服装も大事である。そして、練習だ。構想はアナログでまとめる。ジョブズは、まず紙と鉛筆からスタートする。スライドをつくる時間は、全体の3分の1以下におさえる。聞き手に訴えるのはストーリーであって、スライドではない。ジョブズは、ビデオクリップをよく使う。しかし、プレゼンではビデオクリップを使うべきだが、その長さはせいぜい2~3分にとどめる。
 私も思いついたアイデアは真っ白の紙にまず書きなぐります。裏紙利用の白紙が最高です。いくら書いて失敗しても、もったいないと思わないからです。
 人間の頭が楽に思い出せるのは、3項目から4項目である。だから、ジョブズは3点にまとめる。
 私は、いつも指をかざして二つ言いますよ、と言っています。三つあるというと、3番目に何を言いたかったのか忘れてしまう危険があるからです。
 3点ルール。たとえば、毎日、三つのことをすべきです。一つは、笑うこと。第二が考えること。三つめに涙を流すほどに強い心の動きを覚えること。という具合に・・・。
 敵(かたき)役をストーリーに登場させる。そうすると、聴衆は、主人公(解決策)を応援したくなる。
 なーるほど、そうなんですか・・・。
 10分ルール。10分たつと、聴衆は話を聞かなくなる。そこで、話を区切り、休憩時間を入れる。聞き手の脳を休ませる。
 言葉でなく、写真で考えて説明するには、度胸と自信が必要だ。
 一枚のスライドはひとつのテーマに絞り、それを写真や画像で補強する。
 数字は、理解しやすい文脈に入れないと力を発揮しない。理解しやすい形とは、みんながよく知っているものと関連づけること。
 数字を多く出しすぎると、聞き手がいやになってしまう。文脈性が大事。数字を聞き手の暮らしに密着した文脈に置くことが大切である。
 業界の特殊用語は幅広い人々と事由に意見を交換する妨げとなる。
 ジョブズは、いつもやさしくくだけた言葉をつかう。
 退屈なものに脳は注意を払わない。脳は変化を求める。人は、ものごとを目から吸収する人、耳から吸収する人、体から吸収する人の三種類に分けられる。デモをつかうと、三種類すべての人とつながりを持つことができる。
 記憶に残る瞬間を演出するコツは、部屋を出たあとも聴衆に覚えていてほしいことを一つだけ、ひとつのテーマだけに絞ること。
 うっそー、な瞬間をつくりあげる。
 感動の瞬間に向けた筋書きをつくる。
 聴衆と視線をあわせて話す。身ぶり手ぶりもよくつかう。大事なポイントは手の動きで強調する。そして、声は一本調子でなく、声で筋書きを補強する。
 大きくしたり、小さくしたり、しゃべるスピードを変えたりして、しゃべり方に変化をつける。ドラマチックな演出には、間が不可欠である。
 常に自信をもって行動すること。評価の大勢は、最初の90秒で決まってしまう。自分がしゃべっているところを録画して見る。体が発するメッセージを感じ、しゃべり方を確認する。壇上であがらないためには、しっかり準備するのが一番。話すとき、基本的にメモは使わない。
 どれほど周到に用意しても、計画どおりにいかないことがある。これを失敗と認めない。失敗とは、起きてしまった問題に注目して、プレゼン全体を台無しにしてしまったときにしかいわない。小さいことを気に病まないで、先に進めてしまう。さらっと認め、にっこり笑って次に進む。自分も楽しむのだ。
 なるほど、なるほど、そういうことなんだね。同感できる話が満載です。英語ができたら、本物の話を一度聞いてみたいのですが・・・。
(2010年8月刊。1800円+税)

上田誠吉さんの思い出

カテゴリー:司法

 著者 自由法曹団、 自由法曹団 出版 
 
 ミスター自由法曹団というべき存在だった上田誠吉弁護士は、最高裁判所の長官にふさわしい人格、識見、能力だったと衆目の一致するところでした。惜しくも昨年5月10日、82歳で亡くなられました。
 私の生まれた1948年に東大法学部を出て、司法修習生(2期)になりました。上田弁護士は戦後の著名な刑事事件の多くに関わっています。メーデー事件、松川事件、三鷹事件、千代田丸事件、白鳥事件・・・・。
 これらの事件は、戦後日本を揺るがす大事件であったと同時に、司法界においても大変重要な事件であり、貴重な判例を残しました。そして、上田弁護士は弁論要旨だけでなく、数々の著書をモノにし、世に問うています。私が大学一年生のときに読んで、身体中が雷に打たれた衝撃を覚えたことを鮮明に覚えているのが『誤った裁判』(岩波新書)です。国家権力というのは、自己の威信を守るためには無実の人を死刑にしてもかまわないと考えること、一般市民は丸裸にされたときには、きわめて弱い存在であると痛感させられました。それまでは、警察や検察というところは人権と弱者を守るために存在するとばかり思い込んでいたのです。ひどく認識が甘いと思わされました。
その後、上田弁護士は、自由法曹団の幹事長に就任します。41歳のときです。
 上田弁護士は『国家の暴力と人民の権利』(新日本出版社)を世に問いました。私が司法修習生のときでした。感激をもって必死に読み、大いに学ぶことができました。
 そして、私が弁護士になった年(1974年)10月、自由法曹団の団長に就任しました。まだ48歳の若さでした。しかし、既に風格がありました。それから10年間、団長の要職をつとめました。
団長在任中、石油ショックが起こり、石油業界のヤミ・カルテルが摘発されました。東京と山形・鶴岡の消費者がこぞって裁判に起ちあがりました。弁護士1年生の私も末席に加えていただきました。上田弁護士と同じ弁護団の一員となったのです。
この灯油裁判と呼ばれる消費者訴訟は最終的に敗訴しましたが、途中で消費者の権利を認める高裁判決を勝ちとるという画期的な成果もあげています。上田弁護士は、理論的にも、運動においても、中心の柱になっていました。
 上田弁護士の旺盛な著述活動は、その後も続きました。『裁判と民主主義』(大月書店)、『ある内務官僚の奇跡』(同)。後者は、上田弁護士の父親について書かれています。父親は、なんと特高課長つとめたキャリア組の内務官僚だったのでした。中国・上海総領事館の警察部長もつとめています。ですから、上田弁護士も、上海に暮らしていたことがありました。戦後、上田弁護士は、父親から左翼にだけはなるなといって、顔を叩かれたこともあります。ところが、その父親も亡くなる前には松川事件の弁護団の一人になったのでした。
 上田弁護士は、63歳のときに胃がんで胃を全摘しました。しかし、その後も著述活動だけでなく、アメリカに渡った訪米団の団長として、また、警察による盗聴事件を追及して、活躍しました。最後には、自らが住民の一人として無用な道路建設に反対する運動に加わり、裁判の原告になりました。
 この本は、上田弁護士の没後1年たち、「しのぶ会」の開催に合わせて、弁護士やかつての裁判の元原告たちが思い出を寄せたものです。大変読みやすく、上田弁護士の飾らぬ人柄、そして、その能力と見識の高さがにじみ出る冊子となっています。
 上田弁護士は東大法学部に入学するも、学徒出陣の時代ですから、川崎の高射機関に砲部隊に配属されてしまいます。戦後、大学に戻って学生運動に参加するのでした。
 大阪の宇賀神(うがじん)直弁護士が「上田誠吉さんと裁判闘争」と題して、少し長文の思い出を寄せていて、勉強になりました。
 裁判闘争の基本、土台というのは、裁判で問題となっている生活事実をつかむこと、これが大切である。裁判官もまた人間である。人間がものごとを決めるときに寄るべきものは事実の認識であって、そのうえに立って道理を考える。そこでは、事実と道理、対決と説得そして共感が大切なのである。一面では対決であり、他面では説得である。説得の武器は、対決の場面もふくめて、事実と道理である。そのために知恵と力を出す。裁判官の良心を取り戻し、それに灯をともし、その灯を強めていく。それが成功するなら、裁判官は事実を素直に見るようになる。そして、救済を決意する。ここには飛躍がある。裁判所が何を考えているかを読みとること、これが実は弁護士にとって一番苦しい任務なのである。
 上田弁護士をしのび、大いに学ぶべき存在であることを改めて思い知らせてくれるいい冊子です。若い弁護士に広く読まれることを期待します。
(2010年9月刊。価格は不明)

ネット・バカ

カテゴリー:人間

 著者 ニコラス・G・カー、 青土社 出版 
 
 漢字のような表語文字言語を書いている人々と、表音文字であるアルファベットを用いた言語を書いている人々とでは、脳内の回路の発達の様子がかなり異なっていることを脳スキャンは明らかにしている。
 そうなんです。日本人が英語を何年も学校で勉強していても得意とする人が少ないのは、ここに大きな原因があるのです。決して学校の授業が悪いというだけではありません。
 2009年までに、アメリカの大人は平均で週に時間をネットに費やしている。2005年の2倍である。そして、20代の著者がネットに費やす時間は週19時間。2歳から11歳までの子どもは週11時間をネットに使っている。2009年、平均的なアメリカのケータイ利用者・は、月400通のメッセージを送受信している。これは2006年の4倍である。
 ネット使用が増えるにつれ、印刷物、新聞や雑誌そして本を読むのにつかれる時間が確実に減少している。ネットの勢力が拡大するにつれ、他のメディアの影響力は縮小していく。グリーティング・カードやハガキの販売枚数は減り、郵便総量が急激に減っている。
 ネットの影響によって、新聞業界ほど動揺した業界はない。大新聞は、どこも青色吐息です。私の長男もネット派で新聞は読んでいません。「疲れる」というのです。信じられません。
ネットは注意をひきつけるが、結局は、それを分散させる。メディアから速射砲のように発射される、競合する情勢や刺激のせいで、注意は結局、散らされる。
 ネットが助長する、絶え間ない時間の注意散漫状態、ネットの有する感覚刺激の不協和音は、意識的志向と無意識的志向の両面を短絡させ、深い志向あるいは創造的思考をさまたげる。脳は単なる信号処理ユニットになり、情報を意識へと導いたり、そこからまた元の場所に戻したりするようになるのだ。ネット使用者の脳が広範に活動することは、深い読みなどの集中を維持する行為が、オンラインでは非常に困難であることの理由にもなっている。
 オンラインで読むとき、深い読みを可能にする機能を犠牲にしている。コンピューターの使用は、読書よりもはるかに強い精神的刺激を提供する。読書が感覚に与える刺激は常に小さい。与える刺激が常に小さいという、まさにそのことが読書を知的な報酬を与えるものとしている。注意散漫を除去し、前頭葉の問題解決機能を鎮めることで、深い読みは深い思考の一形態となる。熟練した読書家の頭脳は落ち着いた頭脳であり騒々しい頭脳ではないのだ。読書する人の目は、文字を追って完璧になめらかに動くわけではない。その焦点は、いくぶん飛躍しながら進んでいく。
オンラインで絶え間なく注意をシフトすることは、マルチタスクに際して脳をより機敏にするかもしれないが、マルチタスク能力を向上させることは、実際のところ、深く思考する能力、クリエイティヴに思考する能力をくじいてしまう。
 記憶には短期記憶と長期記憶がある。長期記憶の貯蔵には、新しいタンパク質を合成する必要がある。短期記憶の貯蔵にこれは必要ない。長期記憶を貯蔵しても、精神力を抑えることにはならない。むしろ、強化する。メモリーが拡張されるにつれ、知性は拡大する。
 ウェブは、個人の記憶を補足するものとして便利かつ魅力的なものであるが、個人的記憶の代替物としてウェブを使い、脳内での固定化のプロセスを省いてしまったら、精神のもつ裏を失う危険がある。神経回路の可塑性のおかげで、ウェブを使えば使うほど、脳を注意散漫の状態にしていく。きわめて高速かつ効率的に情報を処理してはいるけれど、何ら注意力を維持していない状態におく。
 コンピューターから離れているときでさえ、集中するのが難しくなったという人が増えている。脳は忘却が得意になり、記憶が不得意になっている。人間と他の動物とを分けていることのひとつに、人間は自分の注意力を制御できるという点がある。
 注意散漫になればなるほど、人間はもっとも微妙で、もっとも人間独特のものである感情形態、すなわち共感や同情などを経験できなくなっていく。穏やかで注意力ある精神を必要とするのは、深い思考だけではない。共感や同情もそうなのだ。
インターネットは現代に生きる私たちに必要不可欠のものです。でも、それに頼りすぎていると深い思考・創造力や人間らしい共感・感情などを失う危険があるという指摘がなされています。
 鋭い問題提起をいている本です。ぜひ、あなたもご一読ください。 
(2010年9月刊。2200円+税)

赤ちゃんの科学

カテゴリー:人間

 著者 マーク・スローン、 NHK出版 
 
 赤ちゃんが生まれた。わくわくする人生のビッグイベント・出来事です。私の子どもたちも、ずい分と大きくなりましたが、今でも赤ちゃんのころの写真を大きく引き伸ばして部屋に飾って、ときどき眺めています。赤ちゃんのふっくらほっぺ、つぶらな瞳って、いつ見ても心が癒されますよね。
 メスのゴリラは安産の見本のような動物だ。陣痛が始まると、群れから静かに離れ、30分もすると、産み落としたばかりの我が子を抱いて戻ってくる。お産は自分ひとりでして、群れの仲間たちは出産するメスのことを気にも留めない。ゴリラのお産が楽なのは、母親の身体が大きく、胎児が小さいという生体的な特徴のおかげである。
 これに対して、人間は、18時間も苦痛が続き、他人の助けが必要である。どうして人間は、ゴリラのようなお産ができないのか?
 ヒトの胎児は外に出るために、曲がりくねった産道をなんとか通り抜けねばならない。産道の複雑な構造のせいで、ヒトの出産は苦痛にみちたものになる。産道のなかで、胎児は身体を曲げたり、伸ばしたり、回したり、ヒト以外の霊長類には必要のない複雑な動きを駆使したすえ、やっと生まれることができる。
 ヒトの出産は、まず直立歩行に対応するために大きな変化をとげた。ヒトの分娩が危険な営みになったのは、およそ150万年前のこと、胎児の頭は大きくなる一方なのに、メスの骨盤はある一定の大きさで止まってしまった。
 子宮は、どれだけふくらんでも、絶対に破裂しない。胎児の頭蓋骨は、その弾力性を生かして器用に形を変え、骨板が動いて少しずつ重なりあった結果、胎児の頭の幅は4センチも狭くなる。出口が10センチだから、この4センチは、とても大きい。
 そして、赤ちゃんの30人に一人は、肩にある鎖骨が一、二本は折れた状態で生まれてくる。折れた鎖骨はすぐにくっつき、あとで問題になることはない。
 ヒトの妊娠期間は、本来、21ヶ月であるべきなのだ。つまり、ヒトの母親は、本来なら胎児が9キロ(生後12ヶ月の赤ちゃんの体重)になったときに出産すべきなのだ。しかし、そうすると、頭囲は今より30%も大きくなってしまう。これでは出産できませんよね。
胎盤は多様な機能を果たしている。なかでも重要なのは、母体の血液が胎児のときの出した老廃物を受け取り、尿と一緒に排泄かたわら、水分やタンパク質、脂肪分、糖分、ビタミン、ミネラルなどの栄養分を母親から胎児へと運び、成長をうながす働きである。胎盤は妊娠中ずっと母体の抗体を胎児に送りつづけ、その抗体が外の世界に出たあとも、赤ちゃんを病原体から守る。
 胎児の構造のなかでも、とりわけ精巧にできているのが心臓の内部である。胎児の肺は空気でなく、羊水でいっぱいである。
 胎児は、なぜオンギャーと泣き叫ぶのか?
 冷たく、びしょぬれの不快な感覚、驚き・・・・。そして、泣くごとに肺のなかにたまった羊水を少しずつ追い出して、肺胞を開いていく。
健康な妊婦は、経膣分娩のあいだ、酸化ストレスを抑制する高酸化物質ダルタチオンを大量に分泌し、胎児の身体に送り込む。ところが、ストレスの少ない帝王切開分娩の場合、胎児は母体からダルタチオンを少ししか受けとらない。帝王切開で生まれた子どものほうが、免疫系の疾患であるぜん息にかかる確率がやや高い。
出産の瞬間には、赤ちゃんの体内で大量のテストステロンが放出される。誕生直後にいったん急増したテストステロンは、すぐに減少する。思春期にはいって野放しの放出が起きるまで、その状態が続く。テストステロンが男をつくる。ところが、テストステロンは、妻の妊娠によって減る。
 胎児の五感。胎児の目にうつる子宮のなかは、いつも真っ暗というのではない。赤くなることもある。長波長の赤い光の10%は子宮に届いている。胎児は音も聴いている。胎児は、内耳にとどく低周波の音を聴いて子宮の内外に広がる世界について理解を深めている。
胎児はママの声だけは一日中聞いていても、決して飽きない。妊婦が話しはじめると、お腹の子の動きが鈍くなり、心拍数が下がる。
 胎児は音楽が好き。なかでもリズムが一番好きのようだ。胎児は、妊娠最後の2、3週間に母体の内外の環境から自発的に学習し、話し、言葉や音楽のリズムなどの基本を獲得している。
 胎児はママの食べたもののにおいを嗅いでいるだけでなく、生まれたあとも覚えていて、好んで食べるようになることが多い。
 子宮のなかで学んだ感覚を頼りに、視覚、聴覚、嗅覚、触覚、味覚とフルに稼動させて赤ちゃんはママのおっぱいに到達する。子宮のなかで、いつでも、どこからでもなく聞こえていた声が、いまはママの口から出て、赤ちゃんに届いている。聞き慣れたママの声。この世にみちている奇妙な音のなかから、その安心できる声をたどっていけば、ママのおっぱいにたどり着くことができる。
 新生児は、ただ顔を認識できるだけでなく、記憶することもできる。赤ちゃんは、生まれて4時間後には、すでにママの顔とほかの女の人の顔を区別できるようになる。
新生児をママのおっぱいに引き寄せるような役目をするのは、なんと羊水のにおいである。ママの乳首は、羊水そっくりの科学物質を分泌するのだ。慣れ親しんだ羊水のにおいと味に触れて、心を落ち着ける。
 赤ちゃんに食べ物だけを与えても、人との触れあいが欠けると、発育障害が発生する。体重が増えず、身体的・情緒的発達に深刻な遅れが生じる。ネグレクト(育児放棄)や虐待の犠牲になった赤ちゃんには発育障害が発現する。
赤ちゃんには、本当の父親が誰なのかを巧に隠す技がある。赤ちゃんは、とくに誰にも似ていない状態で生まれてくるのは、理にかなっている。一般的に言えば、男性が自分の遺伝子を残すことに成功してきたのは、赤ちゃんが特に誰にも似ていないおかげなのである。
うへーっ、これってあり、ですかね・・・・。腰が抜けそうなほど、驚きました。まさしく人間の神秘ですね。たしかに、生まれたばかりの赤ちゃんって、しわだらけですよね。すぐにふっくらして可愛い顔になりますが・・・・。もっとも、私の子どもは私によく似ているとみんなから言われて安心しています。
(2009年2月刊。1600円+税)

福岡県弁護士会 〒810-0044 福岡市中央区六本松4丁目2番5号 TEL:092-741-6416

Copyright©2011-2025 FukuokakenBengoshikai. All rights reserved.