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2010年9月 の投稿

日本軍の治安戦

カテゴリー:日本史(戦後)

 著者 笠原 十九司 、 岩波書店 出版 
 
 ひき寄せて寄り添ふごとく刺ししかば声もな立てなくくづをれて伏す
 夜間、敵の中国軍陣中に潜入、遭遇した中国兵を抱え込み、自分の体重をかけて帯剣で突き刺し、腸をえぐるようにして切断する。中国兵は呼び声をあげる間もなく崩れるように即死する。
 このように人を殺している瞬間をうたった歌は、日本短歌史のなかでも類を見ない。これは、戦後短歌の代表的歌人である宮柊二の『山西省』という歌集におさめられている。
宮は、銃剣による中国兵の刺殺に慣れていた。
うむむ、なんということでしょうか・・・・。言うべき言葉も見当たりません。
落ち方の素赤き月の射す山をこよひ襲はむ生くる者残さじ
これまた、すごい歌です。これから八路軍(中国共産党の軍隊)の根拠地のある山村に夜襲をかけ、村民ふくめて皆殺しにしてやろうという短歌なのです。よくぞ、こんなことを短歌によんだものですね・・・・。
中国軍民の死者1000万人という被害者の規模について、日本人には想像できないし、受け入れがたい数字だと思っている人が多い。その主な理由は、中国侵略戦争の期間に、日本軍が中国各地でどのような加害行為・残虐行為をおこなったかについて、あまりにも事実を知らないからである。その典型が、華北を中心とする広域において、中国民衆が、長期間にわたってもっとも甚大な被害をこうむった三光作戦の実態がほとんどの日本人に認識されていないことである。
日中戦争において、中国大陸には、いつも日本軍に対する二つの戦場が存在した。中国では、この二つを正面戦場(国民党軍戦場)と敵後戦場(共産党軍戦場)と呼んでいる。日本軍は正面戦場では中国の正規軍であった国民政府軍と正面作戦を展開し、後方戦場では共産党勢力を中心とする八路軍・新四軍・抗日ゲリラ部隊が日本軍に対してゲリラ戦を展開した。
日本の戦争指導体制は、政府と軍中央が対立、軍中央も参謀本部と陸軍省の対立があり、陸軍に対抗して海軍拡張を目論んだ海軍が日中戦争を華中・華南に拡大させるのに積極的役割を果たした。陸軍は陸軍で、軍中央と現地軍との対立・齟齬があり、現地軍が軍中央の統制を無視して作戦を独断専行する、下克上の風潮が強かった。
軍部の暴走を天皇は追認し、むしろ激励する役割を果たした。国家の重要政策・戦略を最終決定した天皇臨席の御前会議は文字どおり会議であって、常設ではなく、戦争の最高指導機関とされた大本営や大本営政府会議も、軍事、外交・経済政策を統合して強力に指導する機能はなかった。しかも、戦争指導は、天皇の統帥権を利用した軍部の集団指導体制になっていたが、国家主権者であり、軍隊の統帥権をもつ天皇は「神聖にして侵すべからず」とされる存在であり、政治や軍事の責任を負わない仕組みになっていたから、天皇に近い軍中央の高級エリートほど天皇を騙(かた)って責任を問われず、回避できる構造になっていた。天皇制集団無責任体制と呼ばれるゆえんである。
富永恭次第一部長(小将)は参謀本部内の下克上の風潮を代表する軍人であり、熱狂的な興奮にかられて武力行使による仏印進駐を主張して独走した。東京からハノイへ出かけ、自分の命令をあたかも参謀総長の命令であるかのように装って、南支那方面軍参謀副長の佐藤賢了大佐とともに第五師団を動かして日本軍の北部仏印進駐を強行した。
ノモハン事件のときには、血気にはやる辻政信少佐(作戦参謀)や服部卓四郎中佐ら作戦参謀のソ連軍の戦力を軽視した作戦指導により、4ヶ月にわたる死闘が続き、2万人もの死傷者を出した。このようにして関東軍を引きずり無残な大敗を招いた実質的な責任者である辻政信は、敗北を導いた責任と罪を前線の連隊長以下になすりつけ、自決を強要した。
辻や富永のような、異常ともいえる強烈な個性と迫力をもった参謀エリートが、常に積極攻勢主義を唱えて周囲を引きずり、陸軍の方針決定に大きくかかわっていた。このようなことは、まさに天皇制集団無責任体制においてこそ可能だった。
1940年当時、中国に派遣されていた日本軍は65個師団、85万人に達していた。これは日本の動員力の限界に達していた。これだけの兵力を中国大陸に投入しても、日中戦争の膠着状況を打開できなかった日本の戦争指導当局は、ヒトラーの率いるナチス・ドイツの電撃作戦の予期以上の進展に引きずられた。
1940年8月から10月にかけての第一次、第二次の百団大戦という大攻勢による日本軍の被害は甚大だった。八路軍による百団大戦で甚大な被害を受けた北支那方面軍は、対共産党軍認識を一変させ、反撃と報復のための大規模なせん滅掃討作戦を展開した。
中国農民が中国共産党の指導を受け入れ、これを指示させたのは日本軍の報復の脅威だった。共産党は、日本軍を直接経験しなかった地域では、ゲリラ基地を建設できなかった。すなわち、日本の侵略による破壊と収奮が、北方中国人の政治的な態度を激変させたのである。華北の農民は、戦時中、共産党の組織的イニシアチブにきわめて強い支持を与え、共産党のゲリラ基地は華北の農村で最大の数を記録した。
多くの中国人は、言わないけれど、日本軍のしたことを決して忘れてはいない。
百団大戦は、北支那方面軍の八路軍に対する認識を一変させ、それまでの治安工作を重点にした治安作戦(燼滅掃討作戦)重視に転換させる契機となった。
共産党軍それ自体の軍事力はたいしたことないが、治安攪乱の立体は、共産主義化した民衆であり、これが主敵であるとみなすに至った。ここに抗日根拠地、抗日ゲリラ地区の民衆を主敵とみなして、殺戮、略奪、放火、強姦など、戦時国際法に違反する非人道的な行為をしてもかまわないという治安戦の思想と方針が明示されることになった。
日本軍の治安戦が統治の安定確保とは正反対の結果をもたらし、未治安地区を治安地区に拡大するどころか、略奪・破壊・殺戮など日本軍の蛮行によって生命・生活が極度の危険に追い込まれた中国農民が、共産党・八路軍の工作に応じて協力し、さらには抗日ゲリラ闘争に参加していったのは当然のことであった。
香川照之が熱演した中国映画『鬼が来た』は、まさにこの状況を活写していました。
大変勉強になる本でした。いつもながら著者の博識と迫力には感嘆します。 
(2010年5月刊。2800円+税)

訴訟に勝つ実践的文章術

カテゴリー:司法

 著者 スティーブン・D・スターク、 日本評論社 出版 
 
 裁判所に提出し、裁判官に読んでもらう書面の書き方について、原則をじっくり教えてくれる本として、大変参考になりました。私も、さらにやさしく、分かりやすい言葉で準備書面を書くように努めたいと思います。
 裁判官は、テンポの速い世界で生活しているので、文書は急いで読むが、まったく読まないのかのどちらかなのである。文章を書きはじめる前に、何が言いたいかについて明快な考えがなければいけない。自分のすすむ方向をまっすぐに定めるためには骨子が役に立つ。
 そうなんです。私も、まずメモ的に骨子を書きなぐっておきます。それなしで筆まかせに書きすすめるということは、まずしません。メモは出来たら白紙に書きます。
 法律文書を書くときには、最初に結論を書くことが大切である。結論をあとで示すと、最後まで書面を読まないと何が言いたいのか分からないし、それが正しいのかどうかを確かめるために、何度も読み直さなければならなくなる。
 大切なことは、まず結論を書く。次に、第一印象は強烈な印象を残すことを忘れない。第三に、初めて読む人が簡単に読める、分かりやすい文章にすること。
第四に忙しい読書も理解力に乏しい読者も理解できること。
弁護士は、ふつう自分たちのことをプロの物書きとは考えていない。しかし、法律家は文筆の一種なのである。
そうなんです。私は、いつも、作家ではない、モノカキだと自称しています。
 文書の作成は孤独な作業である。だから、一日の一定の時間は一人になれるようにすることを確保し、それを日課とする。書くことは運動することに似ている。毎日の習慣にすることで、容易にできるようになる。
 この本の著者は口述で書面を作成すべきではないとしています。
口述で作成した文書には、似たような文章がくり返して出てくる。長い引用があったり、表現が大げさになりがちだ。書くという行為は、口述するというより、自分の中の声を聞くというもので、どちらかというと口述を受けるようなものだ。原稿を見返すときには、必ず印刷したうえで、読み手と同じ読み方をする。パソコンの画面で読むと、印刷したものを読むときより集中力が落ちて、見落としが多くなる。
事件の9割は感情で決まってしまう。自分が気に入った結論に説得力を持たせるため、理性をもって書いている。判例は、その事件に当てはまる理論そのものではなく、その理論を支持するものにすぎない。事実から議論が生まれることはあるが、議論から事実が生まれることはまず、ない。事実が大切なのである。裁判官は事実を知ることなく、判断することはできない。
そして、相手の主張や非難のすべてに一つひとつ答える必要はない。相手の悪口は言わない。相手をけなしたり、倫理的・道徳的な欠点に言及すればするほど、裁判官の目にうつる自分自身の品性をおとしめる危険がある。
注目してほしい文章に下線を引いて強調するのは良くない。そして、脚注は控え目にすべき。具体的で説得力のある見出しを工夫する。見出しは、法律文書の中で唯一、ユーモアをこめると、内容が正確である限り、若干の誇張が許される場所である。
陳述書は、弁護士の書く文書ではあるが、それに署名した人自身の言葉で書かれるべきである。
スピーチのときには、原稿を見ながら話してはいけない。また、結論を先に言ってもいけない。聴衆が話し手を知り、信頼するまでに一定の時間を要する。はじめのうちは自己紹介や個人的なエピソードをゆっくり話すなどして、聴衆が親しみ感じたころに、主題を切り出す。
スピーチの最重要部分は、法廷では講義をするように話すのではなく、一対一で会話するように話す。そして、話しながら動いてはいけない。自信をもって、落ち着いて、協力的な態度をとって話す。どんなに難しい質問をされても、しかめ面などせず、あたかもチャレンジを楽しんでいるかのように見せる。
話す準備ができても、2~3秒間は、沈黙する。聴衆に聞く準備をさせるためである。
280頁ほどの本で2800円というのは高過ぎるかなという気もしましたが、こうやって読んでみると、決して高いとは思えません。文章には多少の自信がある私ですが、大変勉強になり、考えさせられました。
(2010年6月刊。2800円+税)

だれでも飼える日本ミツバチ

カテゴリー:生物

著者:藤原誠太、出版社:農文協
 セイヨウミツバチが大量死しているというニュースが流れるなか、日本在来の日本ミツバチは病気知らずで元気、しかも味わい深くて、一定の病気には薬効もあるというのです。
 そんなけなげな日本ミツバチを飼ってみよう。写真つきで紹介されていますから、私にも出来そうです。でも、やっぱり一度は現物を見てみたいなと思いました。
 日本ミツバチは野生種であり、人間に飼われているという意識はない。日本ミツバチは居住環境が良ければ居続けようとするが、あわないと思うとすぐに逃げ去ってしまう。
 日本ミツバチは病害虫に強く、甘み以外に酸味や複雑な香りもあって、古酒のような味わい。
 外勤の働き蜂が集めてきた花蜜は、貯蔵係の働き蜂に口移しされて巣房に蓄えられる。貯蔵係は、その後も口から出し入れを繰り返して、蜜中の水分を蒸発させて濃縮する。同時に、唾液中の酸素によって花蜜のショ糖がグルコースなどに変えられ、さらに有機酸も生成して、保存・貯蔵性の高い蜂蜜がつくられる。
 祖先がアジアの森林うまれの日本ミツバチは、木々の間をぬってジグザグ飛行するのが得意である。その行動範囲は西洋ミツバチよろ狭く、1~2キロ程度。集団行動よりも、単独行動による訪花が多く、いろんな樹木・草花から、こまめに蜜や花粉を集めてくる。
 日本ミツバチは、押しつぶされるとか、髪の毛に入って身動きとれなくなるなど、よほどのことがない限り、人を襲い、刺すことはない。
 女王蜂の寿命は、自然状態で2~3年。働き蜂の寿命は、成虫になって20~30日。オス蜂は女王蜂との交尾に成功すると、そのまま空で即死する。失敗して巣にもどっても冷遇され、追放されて野垂れ死にする。ミツバチ社会は女系社会なのである。無情です。オスは、どこの世界でも辛いものがあります。
 西洋ミツバチと比べて日本ミツバチは繊細で、脅えやすい。
 オオスズメバチが侵入してきたとき、西洋ミツバチは一匹ずつで迎え撃つため、次々に殺され全滅する危険が大きい。日本ミツバチは集団で迎撃する。何十匹が一斉に取り囲み、45度以上の熱で殺してしまう。ただし、10匹以上のオオスズメバチが侵入してくると、さすがに日本ミツバチもかなわない。
 群れの運営設計をしているのは女王蜂ではなく、働き蜂である。
 ミツバチは急激な温度変化に弱い。暑いときは水を汲んできて羽で風を送り、温度を調整し、常に34度に群内の温度を保っている。
 ミツバチは羽がぬれると起き上がれない。
 ミツバチを扱うとき、手の感覚を鋭くするため、基本的に手袋はしない。
 できる限り白いものを身につけ、髪の毛は帽子で隠す。昆虫は全般的に白い色に敵対反応が鈍く、ミツバチもあまり攻撃的にならない。逆に、ミツバチは黒色に反応する。ミツバチは乱視なので、比較的コントラストの強いものに反応する。
 ミツバチに刺されたら、ヨモギ汁を塗るとよい。
 女王蜂はセイヨウミツバチと交尾することがあるが、それは受精せず、オス蜂を多く生んでしまう。
 よくぞここまで観察したものです。感心しました。
(2010年7月刊。1700円+税)

邪馬台国と狗奴国と鉄

カテゴリー:生物

著者:菊池秀夫、出版社:彩流社
 邪馬台国は、やっぱり九州にあった。九州(福岡)出身の私は、声を大にして日本全国に向かって叫びたいのです・・・。
 弥生時代末期の鉄器の出土状況は、圧倒的に九州が多い。権力の象徴ともいえる軍事力や農耕に使用されていた鉄器の普及は、弥生時代末期に急速に九州北部(福岡県)から中部(熊本県と大分県)に拡がった。そして、九州中部が北部を凌駕するほどにまでなった。
 弥生時代末期から古墳時代初期にかけて鉄器生産の技術が九州北部から畿内に拡がっていった。畿内では、弥生時代の末期に鉄器生産の技術はほとんどなかった。
 いろいろ考えあわせると、邪馬台国は山門郡瀬高町(現みやま市)にあった、ことになる。
 うむむ、これはいいぞ。なるほど。なるほど、そうなんだ・・・。思わず膝を打って、立ち上がったものです。
 弥生時代の九州には、鉄の武器をもつ強力な勢力が存在していた。これは、鉄器(武器)の出土数が九州は1726点(54%)、近畿は390点(12%)にもよる。
 大型の武器(鉄刀、鉄剣、鉄戈)は、北部九州に集中している。鉄刀の87%、鉄剣の77%が北部九州に集中している。
 弥生時代の末期、いわゆる古墳時代の前夜、九州には、大きく分けると5つの勢力が存在していた。九州北部のほとんどを支配していた卑弥呼の女王国連合の国々。熊本県北部の菊池川流域の勢力と熊本県中部の白川流域の勢力。大分県西部の大野川流域の勢力。宮崎県中部の勢力。そして、宮崎県中部の勢力は、後に畿内の大和王権となった。
 宮崎県中部の勢力が北に存在した狗奴国や女王国連合の国々を飛びこえて畿内へ移動したとは考えにくい。したがって、宮崎県中部の勢力も狗奴国の一員であり、狗奴国が女王国連合の勢力を破り、畿内へと移動したと考えるほうが自然である。
 著者は歴史を愛する素人ではありますが、鉄剣等の出土状況から邪馬台国を探るアプローチをするというところは、さすがゼネコン出身だけはあります。
(2010年2月刊。1900円+税)

ソルハ

カテゴリー:アラブ

著者:帚木蓬生、出版社:あかね書房
 著者の『水神』は福岡県南部を舞台とする感動的な本でした。今回は、ぐっと趣きを変え、遠くてアフガニスタンの地が舞台となっています。タイトルの「ソルハ」とは、アフガニスタンの言語の一つであるダリ語で「平和」を意味します。
 アフガニスタンのカブールに生活する、普通の庶民の家庭で育つ少女が主人公です。少年少女向けの物語ですが、実際には、私たち大人にも面白く読むことが出来ます。私も、最後まで一息で読み通しました。
 著者も恐らくアフガニスタンの現地に足を踏み入れたことはないと思うのですが、実際にそこで生活していたかのような臨場感にあふれています。その筆力は、いつもながら感嘆してしまいます。さすが、たいしたものです。
 そして、著者の優しい目線と柔らかい語り口にも、ほとほと感嘆します。
 今、アメリカはイラクから軸足をアフガニスタンへ移そうとしています。オバマ大統領はアフガニスタンへアメリカ軍の増派を決めていますが、それを批判した司令官を更迭してしまいました。アフガニスタンへ少々増派してもどうにもならないという現実を前にして、アメリカの支配層のなかにも隠しきれない矛盾があるわけです。
 他民族を力で抑え込もうとしても、うまくいくはずがありません。アメリカの野蛮な力の政策は必ずみじめに破綻すると思います。
 そうなんです。どこの民族だってプライドがあるのです。この本は、民族のプライドが子どものころより育まれている現実を思い出させてくれます。そんなアフガニスタンへ日本が自衛隊を派遣するなんて、とんでもないことですよ。武力の前にやることがあります。
 アフガニスタンで今もがんばっておられる、ペシャワール会の中村哲医師のがんばりには、本当に頭が下がります。ときどき西日本新聞に掲載されるアフガニスタンにおけるペシャワール会の活動ぶりに大きな拍手を送ります。最新のレポートは、砂漠で米づくりが出来たというものでした・・・。中村先生、安全と健康には、くれぐれもご注意くださいね。
 子どものころの気持ちを忘れそうになっているあなたに、強く一読をおすすめします。
(2010年4月刊。1400円+税)

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