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2009年12月 の投稿

マッカーサー

カテゴリー:アメリカ

著者 増田 弘、 出版 中公新書
 マッカーサーの率いるアメリカ軍は1941年末、フィリピンのマニラからコレヒドールへ拠点を移して籠城したが、日本軍の猛攻を受けると、マッカーサー自身はごく一部の側近を連れてフィリピンから逃亡した。同胞を見殺しにしたわけである。有名なアイ・シャル・リターンは、このときの言葉だが、それはIであってWeではない。つまり、我々ではなく、あくまで私、なのであった。そして、このあと、日本軍による「バターン死の行進」と呼ばれるものが起きる。マッカーサーの脱出劇は、本人たちが助かったものの、屈辱と汚点を残したことは間違いない。
 しかし、マッカーサーはフィリピンに再上陸した。そして、フィリピンで占領改革を実験することができた。つまり、日本占領の前にマニラである程度の予行練習をしたのである。
マッカーサーのフィリピン脱出を支えた陸軍将兵15人は、バターンボーイズと呼ばれた。
 歴代の数ある司令官の中でも、マッカーサーほど部下との間に強い関係を築き上げ、他者に排他的で大きな派閥をつくりあげた人物は類例がない。
マッカーサーは、アメリカ陸軍史上最年少の44歳で少将となった。1930年、第八代目の陸軍参謀総長に就任した。50歳の陸軍大将は最年少記録だった。
保守主義者のマッカーサーは、社会主義的なニューディール政策を掲げる民主党のルーズヴェルトとは合わなかった。
 マッカーサーは決して自己の非を認めず、絶えず責任を他者に転嫁する。そのためには強弁や虚言も辞さない。うへーっ、嫌ですね、こんな人物には近づきたくありません。
 アメリカで弁護士であったホイットニーが、マッカーサーの心証を良くしたのは、法律業務に精通していたから。ホイットニーは、たたき上げの経歴や山師的な性格、目的のためには手段を選ばず、直感鋭くマッカーサーへ接近する露骨な姿勢を示した。
 マッカーサーが戦後、厚木基地に飛来してくる直前、その先遣隊に対して日本側の対応役を務めた有末精三中将は、「芸者は何人いるか?」と尋ねた。マッカーサーが芸者など決して許さないことを知っていたアメリカの大佐は、「芸者はいらない」と返事した。
 9月2日、東京湾上のミズーリ号の甲板上で、日本降伏調印式が挙行された。この情景をハルガー大将は、「ちっぽけな国の形容しがたいほどちっぽけな代表団11人が、まるでチンパンジーが人間の服を着た格好で調印した」と書いた。
 アメリカ映画の『猿の惑星』で登場する『猿』のモデルは日本人だそうです。いやはや、なんということでしょう……。ちなみに、この原作はフランス人作家が書いたものと聞いています。
 ホイットニー率いるGSは、占領行政の心臓部である第一生命ビルで、マッカーサーやサザーランドと同じ6階に居を定める栄誉を与えられた。
 1945年9月27日、昭和天皇はアメリカ大使館にマッカーサーを訪問した。決してマッカーサー側から天皇を招いたのではなく、天皇側から自発的に会見を望んだ結果であった。マッカーサーは誰も会見に参列させず、天皇と天皇の連れてきた通訳を挟んで2人きりで話し合った。しかし、カーテンのうしろに隠れて盗み聞きしたものが二人いた。ジーン夫人と副官エグバーグだった。
 マッカーサーは、天皇が戦争犯罪人として起訴されないように単眼するのではないかとの不安を持っていた。しかし、天皇は命乞いするどころか、戦争遂行の全責任を負おうとする潔さを示したため、マッカーサーは感動する。マッカーサーは、日本の歴史に通じ、天皇制に好意を寄せ、天皇の権威を利用して円滑な占領行政を企図した。
 GSのホイットニーに激しい敵愾心を燃やしたのがG2(参謀第二部)部長のウィロビー少将である。ウィロビーは、バターンボーイズの威光を背景として、参謀部の生粋の軍人グループを統率し、GSの実施する非軍事化・民主化政策を徹底的に批判した。
 ウィロビーは、ソ連との対決に備えることを最優先するよう主張し、この観点から、日本の旧軍人や政治家・財界人らの保守勢力を根こそぎするようなパージ政策に強く抵抗した。ウィロビーは、日本の旧軍要人と緊密な関係を結ぶ一方、日本の警察に対しても影響力を行使した。片山・芦田の二代にわたる中道政権を支えるGSに打撃を与えるため、情報と公安警察を握るウィロビーG2が水面下で動いたことは間違いない。
 マッカーサーは1949年7月4日のアメリカ独立記念日に際して、「日本は共産主義進出の防壁である」と声明し、翌1950年1月の年頭の辞において、「日本国憲法は自己防衛の権利を否定しない」と声明した。日本は再軍備してはならない、日本は太平洋の中立国となるべきであると強弁していた一連の発言とは、明らかに矛盾する。
 いずれの場合にも備えて、わが身に保険をかけるのがマッカーサーの本性なのである。
 マッカーサーは、朝鮮戦争の緒戦で、情勢判断を誤った。そして、海・空軍を持って中国全土を攻撃する権利をアメリカ政府に要求し、さらには蒋介石総統が申し出た3万3000人の台湾軍を朝鮮で使いたいと要請した。トルーマンは、いずれも拒否した。
 マッカーサーは、国際的な司令官という立場を過信しており、誰からの忠言ももはや耳に入らなかった。
 マッカーサーがトルーマン大統領によって司令官を解任されて日本を離れるとき、日本人が20万人以上も道を埋めて見送ったそうです。そして、サンフランシスコでは50万人ものアメリカ人が出迎えました。ところが、やがてマッカーサー熱は急速に冷めていったのです。結局、マッカーサーはアメリカ大統領にはなれませんでした。
 490頁ほどの新書版ながら、マッカーサーという尊大かつ矛盾した「偉大な」司令官について、とても勉強になりました。
 
(2009年3月刊。1100円+税)

国境なき医師が行く

カテゴリー:アフリカ

著者 久留宮 隆、 出版 岩波ジュニア新書
 すごいです。偉いです。勇気があります。感嘆しました。40代の日本人男性医師が国境なき医師団(MSF)に加わり、アフリカに渡ったのです。この本では、アフリカ西海岸にあるリベリアの首都モンロビアに3カ月間あまり滞在したときの体験記がつづられています。いやはや、すごい体験記です。勇気のない私にはとてもまねできそうもありません。
 アフリカに渡ると、まもなく(著者は5日目)下痢するとのこと。すると同僚の医師に笑顔で「アフリカへようこそ!」と告げられたそうです。やっぱり、水が合わないのでしょうね。そして、仕事の疲れからか、脱水症状になり、危うく死にかけたのでした。
 もちろん、仕事をきちんとこなしています。日本にいるときには、手術は週に3日か4日、そして1日に2例か3例。ところが、リベリアでは、1日に5例か6例、それを週のうち5日間ぶっ通しでこなすのです。門外漢の私にも、そのハードさはなんとなく想像できます。はっきりいって、体力の限界に挑戦しているようなものでしょう。夜に産科の緊急手術が入ることがあるので、昼休みの1時間は貴重な睡眠時間だったというのですから、そのすさまじさが伝わってきます。
 そして、英語が十分に話せず、手術器具や薬品も十分ではないなかで、仕事に追いまくられるのですから、それはそれは大変です。
 そのうえ、医療チーム内には不協和音が生じます。アメリカやらフランスやら、いろんな国の人々が善意で参加しているのですから、そのまとまりをつくるのにも一苦労だったようです。そんな困難に耐えて、何カ月もよくぞがんばっていただきました。心から声援の拍手を送ります。パチパチパチ……。著者の次の言葉には、思わず襟を正されました。
 外科手術そのものに関しては、20年のキャリアを持っているから、どんなケースであっても集中し、あるレベルの精神状態にもっていく訓練はできているつもりだった。高校生のときからずっと剣道をやってきて、現在、五段。手術室に向かう心持ちは、剣道の試合にのぞむときのそれに通じるところがある。
 剣道の試合では、いかに自分の気持ちを落ち着かせるかが肝心だ。起こりうるさまざまな場面を想定し、どんな状況にあってもあわてふためくことのないよう、自分の中でシミュレーションして向かう。
 手術も同じで、どのような症例に臨んでも、気持ちを落ち着けて精神を集中することが必要だ。
 なるほど、なるほど、よくわかります。形こそ違いますが、弁護士にしても同じようなことが言えます。
 アフリカで診察したほとんどすべての患者に共通して言えることは、大変たくましいというか、苦悩すべき状況に対して受容する心の準備がとてもよく出来ているという印象を受ける。彼らの経験してきた戦争の悲惨さから比べれば、病気やけがなどは大したことではないのかもしれない。それでも、その気構えは、大したものだと言わざるを得ない。
 日本人の男性にも、こんなに勇気のある人がいて、しかも20年ものキャリアを持つ医師がアフリカに飛び込んで行ったというのです。心から敬意を表します。
 日本の若者のなかに、続いてくれる人が出ることを願います。
 
(2009年9月刊。740円+税)

忘れられない脳

カテゴリー:人間

著者 ジル・プライス、 出版 ランダムハウス講談社
 いやはや、こんな人も世の中にはいるのですね。日常のこまごまとしたことまで全部を覚えていて、忘れられないという人がいるなんて、信じられません。
 人間は「自分は何者なのか」という自己観念を形成するうえで、記憶は強く影響している。一般的に、人は膨大な記憶のなかから一部の記憶を抽出して、あるいは蓄積した膨大な記憶のかなりの部分を捨て去って、自己を規定していく。そして、その自作の物語を絶えず軌道修正し、巧妙に作り変えながら生きている。
 ところが著者は、すべての記憶を忘れることができないため、自在に自己修正することができない。自然な作り変え作業ができないのだ。
 その記憶は、さながら生活を再現するホームムービーのようだ。なにかのきっかけで記憶がよみがえる。次にどんなことがフラッシュバックしてくるのかは分からない。そして、走り続ける記憶を制止することもできない。その情景の一つ一つがあまりにも鮮明なので、楽しかったことも辛かったことも、いいことも悪いことも、記憶がよみがえるだけでなく、そのときの自分の感情も追体験させられる。当時の喜怒哀楽がそのまま乗り移ってくる。だから心を落ち着かせて生活するのが、とても難しい。
 うへーっ、すごいですよね。こんな人が世の中にはいるのですね……。
 著者は、特定の日を示されると、瞬時にその日のある時刻に行くことができる。そのとき、何をしていたか、そのころ何が起きていたか、ぱっと頭に浮かんでくる。
 これらの記憶は、日付や曜日と密接に結びついている。
 ところが、こんな著者なのに暗記はとても苦手だというのです。
 小学2年生のとき、掛け算の九九ができなくて、算数の家庭教師が必要だった。幾何学は特に苦手で、定理はまったく覚えられなかった。暗記が苦手なのは、絶え間なく浮かんでくる過去の記憶が頭の中を常に駆け巡っているため、物事に集中しにくいからだ。だから、成績はほとんど「可」であり、良と優はわずかだった。
 何でも忘れられない人が、実は暗記を苦手としているなんて、とても信じられませんよね……。不思議な話です。
 著者の記憶力の特徴のひとつは、どんなことでも優劣をつけずに、すべて保存していること。人生における出来事として、すべて同列・同格で記憶にとどめている。
 これは困りますね。やはり物事には優劣があるのですよね……。
 著者は、実は、忘れるという動作や状態自体を嫌っている。あの日に何をしていたのかをすべて思い出せることが気持ちいい。記憶の正確さは非常に重要なことなのだ。几帳面であることについて、強迫観念のようなものを持っている。
 驚異的な記憶力があり、いつでもそれを引き出すことが可能なのに、著者は日記をつけはじめた。それは、紙に書きとめると心が休まるからだ。日記をつけているときは、記憶が暴れまわる状態を自分でも驚くほど制御できる。書くことは、やはり意味があるわけですね。
 自分の記憶を他人に話すことによって他人と記憶を共有することになり、それが脳の活性化につながる。
 著者は44歳のユダヤ系アメリカ人です。いやはや、この世にはこんな変わった人間がいるなんて……。世界は広いですね。
 日曜日庭に出てエンゼルストランペットを根元のところから切ってやりました。霜にあたるとしおれて見苦しくなるのです。
 見通しが良くなったらロウバイが花盛りだったことに気が付きました。広い葉も黄色でロウができたとしか思えない小さな花も黄色です。においロウバイですのでふくよかな香りを漂わせています。
 玄関脇にチューリップを植えました。去年の球根を掘り上げると分球して小さくなっていました。捨てるのはかわいそうなので別のところにまとめて植えてやりましたが恐らく花は咲かないでしょう。チューリップの球根は10個入り280円と安売り中です。80個ほど植えましたので春が楽しみです。
 
(2009年8月刊。1900円+税)

新・日本のお金持ち研究

カテゴリー:社会

著者 橘木 俊詔・森 剛志、 出版 日本経済新聞出版社
 面白い本でした。日本の金持ちの実情を知ることができました。
 弁護士は、所得という点では意外と冴えないことも分かったとされています。なるほど、それは日頃の実感としてよく分かります。
 高額所得者には医師が多いが、それも整形外科、美容外科、眼科などの科目に多いのであって、勤務医の所得はそれほどでもなく、かつ勤務医は所得も高くないうえに労働条件が過酷である。いやはや、実にそのとおりですよね。私は医師にならなくて良かったとしみじみ思っています。
 この本には、資産1億円以上の金持ちの居住マップが東京、大阪、愛知、兵庫、福岡などについて示されていて、そこにある高校も図示されているのが大きな特徴です。
 福岡には、年収1億円以上の金持ちは200人もいない。これは、愛知県や神奈川県の半分以下だ。なるほど、そうかもしれませんね。
 日本の金持ちの二大職業は企業家と医師である。そしてその職業では、同じ職業を子どもも継いでいる確率が高い。
 お金持ちは質素で堅実な消費行動をとっている。その3分の2は「こだわり派」である。
 一般の日本人の場合、商品のへのこだわりが低い「何も考えない消費者」が圧倒的多数であり、7割を占める。しかし、お金持ちは一般人とは逆に商品に対してこだわる。
 お金持ちは商品にこだわるものの、選択に時間はかけない。高価でも、いつもの店でいつもの店員からいつもの決まったブランド品を購入する。うむむ、そうなんですね。私も少しだけ似ています。
 高級ブランド品を販売するなら、そのターゲットには、ちょっと背伸びした中流階層向けに販売戦略を練るのが賢明である。
 本物の富裕層の圧倒的多数の趣味は、投資・資産運用である。
 年収1億円以上の金持ちの平均資産は54億円と巨額である。しかし、親からの相続とは関係がない。日本人は株式への投資が8%と少ない。アメリカでは33%もある。現金預金保有率は53%もある。アメリカは13.5%でしかない。
 お金持ちの6割は、子どもを私立に進学させている。
 お金持ちを分析すると、日本のもう一面が見えてきますね。
(2009年2月刊。1600円+税)

奄美の「借金解決」係長

カテゴリー:社会

著者 禧久 孝一、 出版 光文社
 先日、北九州で開かれた全国クレサラ被害者交流集会のとき初めて本人にお会いし、少しだけ話させていただきました。実直・頑固な信念の男というイメージそっくりの方でした。この本は交流集会の会場で買い、すぐに読んでしまいました。
 実は、私はまだ奄美大島に残念ながら行ったことがありません。一度は行ってみたいと思うのですが、果たせません。ちなみに、石垣島にも屋久島にも行ったことがありません。なんとかして、いずれ行くつもりです。
 著者は、奄美市役所で市民生活係の係長をしています。
 1日に10~20本の電話相談を受け、3~4人の相談者に対応する。
 ケータイは年中無休、24時間体制で稼働している。
 いやはや信じられません。超人的な活動です。身体を壊さないようにしてくださいね。
 多重債務者は社会構造のなかで生まれた被害者である。誰が好き好んでサラ金やヤミ金に足を運ぶか。そうせざるを得ない状況に追い込んだ元凶は、今日の社会構造にある。それなのに、多重債務者は社会を恨むでもなく、悪いのは自分だと思い込んで、10年も20年もコツコツと違法金利による借金の返済を続けている。
 いやあ、この点、まったく同感です。
 妻が夫に内緒で借金をしてしまったとき、「まず、ご主人に相談しなさい」と突き放す弁護士がいる。しかし、それは一番やってはいけないこと。なぜなら、何年ものあいだ、ご主人に借金を隠し続けてきたこと自体が大きな苦痛なのに、「打ち明けなさい」と言われると、さらに新たなプレッシャーを与えることになるから。
 苦しんでいるときに、そんなプレッシャーを与えると、それが自殺の引き金になりかねない。というより、自殺の確率をぐんと高めてしまうことになる。だから、ご主人に打ち明けることを強要しない。本人が内緒にしたいのなら、その希望に沿うようにする。
 実は、私も同じようにしています。もちろん、ご主人に打ち明けることを一応すすめます。それでも内緒にしてほしいと本人が言い張るときには、ファイルに「家族に内緒」と朱書きし、弁護士名での封書は出さず、電話でも弁護士だと名乗らないようにしています。
 奄美では、弁護士が問題を起こして裁判にまでなっています。相談者に対して威圧的であったり、冷淡であってはいけない。冷たく居丈高な弁護士では、怖くて近寄ることができない。人格を全否定するような言い方はやめてほしい。
 大変もっともなことが極力抑えた筆致で説かれています。耳を傾ける必要があります。
 借金整理にあたって、次の三つを約束してもらう。
一つ、ウソをつかない。
二つ、事実を隠さない、
三つ、指示されたことはきちんと実行する。
 この三つさえ守っていれば、借金をすっきり綺麗に整理して、人生の再スタートを切ることができる。
 まさしく、そのとおりだと思います。すんなり読める、いい本です。
 
(2009年11月刊。1238円+税)

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