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2009年5月 の投稿

スパイと公安警察

カテゴリー:警察

著者 泉 修三、 出版 バジリコ
 内外のスパイを尾行したり、摘発したり、公安警部としての自慢話が中心の本ですが、その反面、家庭は崩壊し、自律神経失調症になったり、アル中になったりと心身もボロボロになって、いやはや実に非人間的で大変な仕事だということも伝わってきます。
 過激派の手配写真も、実はニセモノがあったりするそうです。逃亡犯を安心させるためのテクニックなんだそうです。そっかー……、と思いました。
 外国のスパイを摘発するため、罪名がないときの別件逮捕を「引きネタ」と呼ぶことも知りました。その引きネタ探しに2年もかけることがあるといいます。ことの善し悪しはともかくとして、何事も地道な基礎作業の積み重ねだということなんですね。
 内閣調査室、外事一課(ソ連KGB対策)、公安三課(右翼対策)、公安特別捜査隊(中核派対策)、外事一課(国際テロ班々長)、など、警部補10年で要職を渡り歩いているとのことですから、それなりに有能だったのでしょう。
この本を読むと、著者は一匹狼的な性格があまりに強く、チームで動くことは苦手だったように思われます。すると、出世も当然のことながら遅れますよね。
 公安畑の警察官の仕事ぶりの一端を垣間見る思いのした本でした。
 
(2009年2月刊。1600円+税)

「発車オーライ」

カテゴリー:社会

著者 東武労組女性労働運動史研究会、 出版 ドメス出版
 東武労組婦人部のあゆみ。これがサブタイトルです。オビに書かれている文章を紹介します。
かつて女性の職業といわれたバス車掌が、ワンマンカーの導入で仕事と職場を奪われた。まったく異なる仕事へ、再び“発車オーライ”した。働き続ける道を切り拓いた女性たちの軌跡をつづる。
 今どきの若い人は、バスに車掌さんがいて「発車オーライ」と叫んでバスが走り出していたなんて、想像もできないことでしょう。でも、そこには、人の手によるぬくもりが、たしかにあったのです。ワンマンバスは、非人間的な労働環境を象徴するものです。
 バス車掌は、最高時に8万人。日本でバス車掌が誕生したのは1919年(大正8年)のこと。この当時、バスは高級な乗り物で、東京市バスの採用試験に集まった女性は、和服姿だった。制服は、フランス人のデザイナーが一人ひとり採寸して仕立てた。
 車掌は、運転手より早く出勤する。バスは木炭車で、下駄履きだった。
 バスには冷房もなく、乗務中は立ちっぱなし。揺れるバスの中で、立ったままで乗車券を切り、お客におつりを渡す。馴れるまで、なかなか出来ない。つい立ったまま居眠りしてしまうこともある。
 乗務が終わると、清算業務がある。足りないときには車掌が負担する時代もあった。
 1979年(昭和54年)、バスのワンマン化が始まった。車掌が配転されはじめた。
 1981年に路線バスは100%ワンマン化された。
田舎のバスは、オンボロ車、ガタゴト走る。つい、この歌を思い出しました。働く人、そして乗客を本当に大切にする社会であってほしいものです。効率一本やり、見せかけのサービスだけというのでは困ります。
 
(2008年11月刊。2000円+税)

刷新!改革新長(京都市長選挙の記録)

カテゴリー:社会

著者 中村 和雄、 出版 京都市政を刷新する会
 2008年春(2月17日)、京都市長選挙でわずか951票差で惜敗した中村和雄弁護士の選挙戦を振り返った小冊子です。ずいぶん前に贈られてきてたのですが、そのうち読もうと思ってツンドクしているうちに、今日に至りました。読み始めると、さすがに京都人はすごいと感嘆しましたので、ここに紹介します。
 951票差というのは、中村候補15万7521票、当選した門川候補15万8472票というのです。本当に、ごくごくわずかの差でした。京都市内の11の行政区のうち、4つの行政区で中村候補が勝っています。政党として中村候補を推薦したのは共産党だけです。いくら京都で共産党が強いといっても、共産党対残る全政党という構図で勝てるはずがないのに、なぜ、ここまで大接戦、僅差に持ち込んだのか、とても興味があります。
 中村弁護士が候補者活動を始めたのは、前年(2007年)5月のことです。それから、市民にはまったく無名の新人が名前を売り込んでいくのですから、大変な苦労があったことだろうと思います。
 京都弁護士会400人のなかの4割160人が中村弁護士を支持してくれたそうです。過半数に達しなかったのは残念です。弁護士の世界も変革は容易ではないのですね。
 中村候補の大健闘は、京都市政における同和行政のあまりにひどい不正の横行に対する広範な市民の怒りを前提としたものでした。京都市の職員が不公正な同和行政がらみで次々と不祥事を起こして逮捕されたりして、その実態が明るみに出て行ったことがありました。
9ヶ月間のあいだ、弁護士としての活動をほとんどしなかったようですが、中村弁護士は「とても充実した楽しい日々でした」と語っています。
 生放送のテレビ討論はやりがいがあった。まさに反対尋問の応用だった。このように語っているのは、さすがに候補者として大きく有権者を惹き付けた中村弁護士ならではの感想です。
 私も若いとき、たった一度だけですが、NHKの朝のテレビで生放送の番組に出演したことがあります。前泊して渋谷にあるNHKスタジオで出たのですが、全国に流されるというのですから、それはそれは緊張しました。
 中村弁護士は、論戦で相手候補を圧倒したので、それで勝負があったはずだけど、政治の世界では正義が必ずしもすぐには勝たない、時間がかかることもあると述べていますが、本当にそのとおりですね。でも、最近の南アメリカの動きを見ていますと、少し時間がかかっても、いずれ近いうちに日本もきっと大きく刷新、本当に変革(チェンジ)するのだと私も確信しています。
 政策・宣伝の分野に関わった人たちの座談会に目が留まりました。チラシづくりの工夫が語られています。
 一番大事にしたのは、単純に一般市場に通用するカッコイイ物を作ろうということ。見たときのストーリー性とか、単純なカッコ良さ。
 そして、中村候補がブログを自分で毎日更新したことが一番よかった。町中を「おーい中村君」と呼びかけるテープで流してまわった。
宣伝、そして、インターネットの活用がますます大切だと思いました。中身は同じでも、装いを刷新したら、さらに大きく影響力は広がっていくのです。
  
(2008年9月刊。

さよなら紛争

カテゴリー:社会

著者 伊勢崎 賢治、 出版 河出書房新社
 この本を読むと、日本の平和憲法こそ、今の日本が世界に誇りうる最大の宝物だということがよくよく分かります。なにしろ、世界の紛争最前線をくぐり抜けてきた人の体験を踏まえての提言ですから、ずっしりと腹にくるほどの重みがあります。
 日本の憲法は、欧米諸国でかなり研究されている。これが世界平和の鍵だという意識で、まじめに研究している人がいる。だから、これを広告戦略として打ち出していけば、もっと大きなムーブメントに成長していくはずだ。ところが、日本国内では、なんと平和憲法(9条)を捨てようという方向に動いている。そうなんです。なんという愚かなことでしょうか。
 日本がテロリストからまだ攻撃されていないのは、憲法9条があるから。日本は中立である。戦争はしない。そう言いきっている国の人間を警戒する理由は何もない。それは、ソニーとかホンダ、ニッサンというような日本製品への信頼と重なり合ってできている信頼感なのだ。なるほど、なるほど、まったくそのとおりですよね。
著者は建築家を表して早稲田大学の建築学科に進学しました。しかし、そこで失望して、海外へ転身したのです。インドで住民組織のリーダーとなったらインド政府からマークされ、国外退去命令を受けてしまいます。
 そして、日本に帰って、国際協力NGOに就職し、派遣された先がアフリカのシエラレオネでした。ここは世界最貧国でありながら、激しい内戦のまっただなか。そこでは少年兵が最も残酷な蛮行を働いていました。司令官も15歳の少年。勇敢に戦えば、15歳でも司令官になって、大人を指揮することになる。面白半分で人を殺し、残酷さを競い合う。始末に負えない。
 4年間、シエラレオネでがんばったあと、著者は次に東ティモールに派遣され、県知事に任命されます。その指揮下に、1500人の国連平和組織軍がいて、平和維持のために4年間がんばったのです。すごいですね。
 そして、さらに元いたシエラレオネに再び派遣されます。そこでは、アメリカ主導によって「平和」がもたらされた。アメリカは、さんざん人々を虐殺してきたRUFを免罪し、そのリーダーを副大統領に迎え入れた。
 著者は、そのシエラレオネで武装解除にあたります。もちろん、まったくの丸腰です。
 よくぞこんなに勇気ある日本人がいたものです。そして、その日本人が日本国憲法9条の大切さをとくとくと説いているのです。じっくり静かに胸に手を当てながら味わうべき言葉です。
紛争が絶えない世界だからこそ、武器を捨てようと日本は呼び掛けるべきなのだ。それは、決して「平和ボケ」ではなく、真に勇気のある言葉なのである。
 素晴らしい本です。なんだか、臆病な私まで勇気が湧いてきた気がしました。
 
(2009年4月刊。1200円+税)

銃に恋して

カテゴリー:アメリカ

著者 半沢 隆実、 出版 集英社新書
 武装するアメリカ市民というサブタイトルがついています。3億のアメリカ人に対して、2億丁もの銃があるというのです。アメリカって、異常なほど銃に頼った国ですよね。
 アメリカでは、銃による年間の死者は自殺を含めて3万人。毎日80人が亡くなっている。うち、殺人被害者は年に1万7000人ほど。1976年から2005年までの30年間で累計すると38万人が銃で殺された。
 2007年4月16日、バージニア工科大学乱射事件は、1人の学生(韓国出身)が30人を射殺した。だから、大学でも学生に銃で武装する権利を認めろという議論があるそうです。ぞっとします。大学内で銃撃戦をやりたいようですが、とんでもないことです。
アメリカは世界最大の武装社会。アメリカ国内の銃は年間450万丁ずつ増えている。2世帯に1丁の割合で銃を持っているが、これは世界最高の所有率だ。ちなみに、世界第2位はイスラム過激派で有名なイエメン。
アメリカでは、2002年から2006年にかけて、銃による殺人事件は発生率が13%も増加した。とりわけ、10代の若者が42%も増えた。とくに若い黒人男性の被害が深刻化している。
銃撃事件による被害についての損失をカウントすると、年間で1200億ドルにも及ぶと推計される。これは、ハリケーン「カトリーナ」の被害と同規模。つまり、アメリカは毎年、カトリーナ級の巨大災害を銃によって受けていることになる。
アメリカで銃規制を叫ぶと、その議員はヒトラーと呼ばれたり、共産主義者と呼ばれる、なんて、ひどい烙印でしょうか。
銃犯罪の被害者となるのは、都市部の住民であるが、彼らは銃規制を強く望んでいる。銃規制に反対するのは、地方や農村部の保守的な住民である。
白人の33%が自宅に銃を持っている。非白人では18%に過ぎない。
銃規制に反対する人々は、「日本のようになりたいか?」と問いかける。日本は警察ががんじがらめに市民を規制し、管理・監督している、自由なき国家だ。そんな国になりたくなかったら、銃を持つのを規制すべきではない、このように説くのです。
うへーっ、こ、これにはさすがの私もまいりました。もちろん日本が警察国家になるというのには賛成できません。でも、だからといって、それが銃規制反対の理由につかわれるというのは大変心外です。
銃があると人々は紳士的になるとか、安全が保たれるとか、まるで根拠のない議論だと思います。アメリカではライフルを買うのに何の規制もない。ただ拳銃を買うのに、ちょっとした証明書がいるだけ。それも第3者に買ってもらえばすむだけのこと。
日本はアメリカのようになってはいけないと思わせる本でした。
ところで、先日の新聞に、アメリカは日米安保条約があるので、日本が外国から万一攻撃されたら日本を守ってくれると日本人は考えているけれど、それは事実に反する、全くの幻想でしかない。防衛省の元高官がこのように語ったという記事がありました。アメリカが守ろうとしているのは、要するにアメリカであって、日本は、そのための捨石としてしか期待されていない。ところが、多くの日本人が依然としてアメリカに幻想を抱いており、一方的に、アメリカ軍は日本人を守ってくれる存在だと信じ切っています。おかしな話です。一刻も早く日本人は目を覚ますべきだと思います。
 
 白樺湖の周囲を歩いていると、影絵・切り絵美術館があります。つい先日亡くなった滝平二郎を思い出しながら、引き寄せられるようにして入ってみました。
 薄暗い室内に、柔らかい明りに浮きあがった影絵がたくさん並べられています。幻想的な絵が惜し気なく並んでいて、ふっと童心に帰ることができました。
 そして、部屋全体が天井まで一面の影絵になっているのです。残念なことに撮影禁止です。ですから、ぜひ、ここでそのイメージを紹介したいのですが、かないません。
 白樺湖周辺の四季折々の情景が、森の小人たちや女の子そしてみごとな草花…これらが後ろからの照明でほんのり照らし出され、目を奪われてしまいます。
 影絵をしっかり堪能したあと、部屋を出たところにある売店ではついつい買わずにはおれませんでした。
 そのあと出会った仲間に、あそこはいいよ、感動、感服したとワンフレーズの小泉みたいなことを言って誘ったことを半ばは後悔し、半ばは感動を分かち合いたいと思ったことでした。
(2009年2月刊。700円+税)

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