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2009年3月 の投稿

いくさ物語の世界

カテゴリー:日本史(中世)

著者:日下 力、 発行:岩波新書
 いくさ物語、つまり、軍記物語として、保元(ほうげん)物語、平治(へいじ)物語、平家物語、承久(じょうきゅう)物語の4作品が取り上げられています。いずれも鎌倉時代、1230~1240年ころに生まれた作品です。
過去の戦いをふりかえり、文字化しえた背景には、久しぶりに訪れた平和があった。
 平家物語が成立当初より琵琶の語り物だったとは考えがたい。その文体と語りとを結びつけるのは難しい。1300年ころには、琵琶法師が、「保元」「平治」「平家」三物語をそらんじていた。さまざまな過程で、口頭の芸と交渉をもった軍記物語は、民衆の中に受け入れられていき、かつ、庶民の望む方向へ成熟させられた。正しい歴史事実を伝えるよりも、人々と感動を共有することが求められた。
 軍記文学には年齢の記述が欠かせない。熱病に冒されながら頼朝の首を我が墓前にと言い残して死んだ清盛は64歳。白髪を黒く染めて見事な討ち死にを遂げた斉藤別当実盛(べっとうさねもり)は70有余歳。人々は、その実人生に思いを馳せる。年齢の記述は、その人物の現実社会における生と死を、具体的に想像させる重要な機能も果たしている。とくに年齢が強調されるのは、戦いの犠牲となった幼い子どもたちの悲話。
「平家物語」の一の谷の戦に出てくる敦盛(あつもり)、師盛(もろもり)、知章(ともあきら)、業盛(なりもり)の4人は10代、16歳前後だった。16という年齢は、若くして戦場に散った薄幸の少年たちを象徴するものであった。いくさの無情さが、この年齢に託されている。
 軍記物語が扱うのは内戦に過ぎない。そのためか、勝敗を相対化する社会が内在している。少年平敦盛(あつもり)の首を取った熊谷直実(なおざね)は、武士の家に生まれた我が身の出自を嘆く。勝つことが絶対的価値を持つものではなく、勝者も単純には喜びえない戦いの現実がものがたられている。
 東国から改めて上がる武士たちの行動には、皇室の権威などに臆せぬ小気味の良さがある。「鎌倉勝たば鎌倉に付きなんず。京方勝たば京方に付きなんず。弓箭(ゆみや)取る身の習ひぞかし」
つまり、勝つ方に付くのが武士の常道であることを堂々とこたえた。
 現在を生き抜く計算、功利的な価値観が、武士の行動の原点であった。
武器使用に心得のある者は等しく「武士」である。貴族のなかにも、自らを「武士」と称する人物がいた。力をもつことへの渇望が、社会全体に偏在していた。
 平家が壊滅した一の谷の合戦は、平家群万に対して、源氏軍はその10分の1ほど。にもかかわらず、平家はあっけなく壊滅した。なぜか?
平家軍に対して朝廷側が平和の使者を派遣し、平家側は、それを受け入れようとしていたところに、突然、源氏の軍勢が襲いかかってきたためである。幕府の記録である「吾妻鏡」が、宮廷貴族の姑息な策謀に乗って手中にした勝利を、素直にこう書くはずはない。武士の活券にかかわるからである。「平家物語」には、実際にあった醜いかけひきの影はみじんもない。物語は、この合戦を、勲功に野心を燃やして果敢にふるまう、熊谷のごとき東国武士たちと、その野心に欠けるゆえに悠長な、かつ、駆り集められたゆえに団結力にも欠ける平家武士たちとの戦いとを描いた。
 一方で、集団を誘導する人心掌握術にたけた総大将義経を描くと同時に、他方、集団から守られることなく、非業の死を遂げていく歌人忠度(ただのり)や笛の名手敦盛といった、野蛮な東国人と気質を異にする教養ある平家の人々の姿を描いた。その見事な作劇のため、今日まで歴史記述をも誤らせてきたのだ。うむむ、なるほど、そういうことだったのですか・・・。面白い本です。
(2008年6月刊。740円+税)

ヴェトナム新時代

カテゴリー:アジア

著者 坪井 善明、 出版 岩波新書
 私と同じ年に生まれた著者は、1968年秋にベ平連のデモに参加したとのことです。私もベ平連のデモに参加したことこそありませんが、ベトナム戦争反対を叫んで集会に参加し、デモ行進に加わったことは、数え切れないほどです。ちなみに、ベ平連とは、「ベトナムに平和を!市民連合」の略で、先ごろ亡くなられた小田実氏などが提唱して活発に活動していた市民運動団体のことです。
 ベトナム戦争が終結したのは、私が弁護士になった翌年のことでした。メーデー会場で、そのニュースを参加者みんなで喜んだものです。アメリカがベトナムに50万人もの兵隊を送るなんて、考えられませんよね。ところが、イラクと違って、アメリカは短期間でベトナムを征服し、支配するどころか、ジャングルでの戦いで消耗させられ、5万人以上の戦死者を出し、結局、みじめに敗退していったのでした。アメリカ大使館らしき建物からヘリコプターに必死につかまって逃げていくアメリカ兵たちの映像が強烈な印象として残っています。そして、アメリカを追い出したベトナムがどうなったのか、が問題です。私も、ベトナムには最近一度だけ行ったことがありますので、この本を大変興味深く読みました。
 2007年にベトナムを訪問した外国人のうち、アメリカ人が一番多かった。その中には、ボートピープルとしてアメリカに政治亡命した旧「南」政府関係者の子弟で、アメリカ国籍をとり、ビジネスで活躍している多くの「ベトナム人」が含まれている。いわゆる越僑(えっきょう)である。彼らは武器を持ったアメリカ軍兵士としてではなく、インテルやマイクロソフトなどのIT産業や銀行、投資会社のようなビジネスマンとして大挙してやってきたのだ。
 ベトナム政府としても全世界の越僑管理システムを作り上げたことによる。ベトナム戦争終了後、32年たって初めて、越僑が正式に帰国して定住することが認められた。
 越僑は、2006年には実質100億ドルにおよぶお金を祖国ベトナムへと送っている。
 ベトナムの国際的なイメージを改善するのに役立った2つの大きな政策があった。一つは、1988年1月に施行された外国投資法。外国法人の投資を奨励するための法律。もう一つはカンボジア和平の実現である。
ドイモイ政策が軌道に乗るまでは、赤ちゃんの栄養状態が悪く、小さく、やせ、あまり笑顔を見せず、泣き声にも元気がなかった。ミルクが足りなかった。ところが、ドイモイが軌道に乗ると、ミルクが市場にあふれるようになり、赤ちゃんが元気な笑顔を見せるようになった。今では肥満児問題がベトナムでも目立つようになった。ベトナムに行くと、活気にあふれていて、若者の国のように思えます。。
 2005年8月から、ベトナムの二人っ子政策は廃止され、法律上は子どもは何人でも持てるようになった。
 1990年ころから、アメリカの退役軍人会の一部に、北ベトナム兵士に対する評価が、イデオロギー色の強い、打倒すべき共産主義者だという従来の見方から、同じ戦場で闘った人間同士という具合に微妙に変化した。
 戦場で死んだベトナム兵の日記や手紙がアメリカで翻訳され、それがアメリカで読まれ、戦場では敵味方に分かれて闘った相手だが、兵士としての心情は共通であることがアメリカ人にも理解できたのだ。これが、アメリカとベトナムの国交正常化反対運動を抑制する要因の一つになった。
 ベトナム共産党は、非常に実用的(プラグマティック)な態度をとる政党である。小国であるがゆえに、国際社会の力学に弱く、自国に有利になると判断できる強い国に付いて安全を図るという態度が徹底している。経済発展、つまり豊かになることが権力維持のためにも絶対視されて、理念や理想は省みられなくなり、ひたすら経済発展つまり権力維持という目標を追う集団になっている。理念の欠落という致命的な知的弱さがある。
 共産党指導部の構成は、軍と公安が強い勢力を持っている。公安相は序列2位にあり、160人の中央委員のうち、軍人が18人(11%)、公安が7人(4%)を占めている。
 ベトナムの国会議員には、専従議員と非専従議員の2つあり、圧倒的多数は非専従議員である。専従議員でも、月給3万円ほどでしかない。
裁判官の身分保障は十分ではない。裁判官の人事権は司法省が握っているため、政府や党の気に入らない判決を書いた裁判官は、その後、不利な扱いを受ける危険がある。
 南北の「しこり」は今も解消されていない。「北」の勝者、「南」の敗者という政治的な関係が厳然として存在する。ところが、南部は北部よりますます豊かになり、その格差は4倍から6倍に広がっている。これが「南」の人々の復讐心を満足させ、「北」の嫉妬や対立感情を刺激している。
 若い世代の中で、党員を志願する人は極端に少なくなっている。現在、共産党員は
350万人いて、これは人口8500万人の4%を占める。「南」では党員になることを、一種の裏切りと考える風潮が根強く残っている。「北」は、「南」を占領した敵だと考えている人にとって、共産党員になることは、敵陣営に移ることと見えるのだ。
 いま、ベトナムでは、日本の存在感は薄く、韓国の進出が目立っている。テレビでは韓流ドラマが大流行している。韓国人がホーチミン市に3万人、ハノイに2万人いる。これに対して日本人は2500人ずつほど。また、ベトナム観光に出かける日本人は年間41万8000人(2007年)。ところが、日本語を勉強しているベトナム人は3万人を超える。ちなみに、日本にいるベトナム人留学生は2500人ほど。
 ベトナムは通用している紙幣をオーストラリアに委託して印刷してもらっている。鉄も、ほとんど生産していないし、石油精製プラントもない。
 ベトナムの表と裏をのぞいた気分になりました。まだまだ大きな難問をいくつもかかえているようです。それにしても、私が行ったときのベトナムの活気溢れる町の様子には圧倒されました。目の離せない国です。
(2008年8月刊。780円+税)

テロの経済学

カテゴリー:アメリカ

著者:アラン・B・クルーガー、 発行:東洋経済新報社
 著者の研究の一つは、テロリストは必ずしも「貧しく、教育を受けていない人たちではない」ということです。私も、その点については、あまり異論はありません。ある程度の教育を受けた人の方が、世の中の不公正さに対する怒りを強く感じ、それを行動に移す確率も高いと思うからです。ところが、この本には、その視点が弱いように思いました。その点に不満はありますが、テロリストの実像について、科学的に実証しようとした点は評価できると思います。
 物質的な貧困や、不十分な教育がテロリズム支持とテロ行為への参加をもたらす重要な原因であるという仮説は、ほとんどの証拠において否定されている。
 それは、そのとおりかもしれません。しかし、ここには、格差、不平等の視点が欠けています。みんながおしなべて貧乏であれば、みんな我慢するし、我慢できるのです。しかし、腹ぺこの人の前に腹いっぱい食べて贅沢している人がいたら、腹ぺこの人の中に我慢できず暴発してしまう人が出てくるのは必至でしょう。
 アルカイダのメンバーの35%が大学卒であり、かつ、熟練を要する職業層の出身が45%もいる。ほとんどのテロ組織は、エリート集団出身者で構成されている。そういえば、ロシア帝政時代のテロリストたち(たとえばデカブリスト)は、みな大学生か大学出身者であり、その多くは貴族の子弟でした。
 ただし、アイルランド共和国軍(IRA)は、教育水準が低い。
 ほとんどの場合、テロリストは生きる目的をなくした人ではない。逆に、彼らは、そのために死んでもよいと思うほど、何かを深く信じている。
 テロ攻撃の88%は、実行犯の出身国で起きている。ほとんどの国際テロリズムが、実際は地域的なものである。事件の9割は、実行犯の出身国とテロ攻撃のおきた場所は同じだった。テロリストと、その犠牲者は同じ国の出身であることが多い。
 イギリス・ロンドンでのテロ攻撃に従事した7人の男性と1人の女性のうち、5人は医師であり、1人はエンジニアだった。
 日本語のタイトルは適切ではないように思います。テロリストについて分析した本ですから……。それにしても、自爆テロはなくす必要がありますよね。そのためには、若者たちが、なぜ、こんなにも自爆テロに走ってしまうのか、もっと真剣に考え、対策を講じるべきだと痛切に思います。
(2008年8月刊。2000円+税)

貧困にあえぐ国ニッポンと貧困をなくした国スウェーデン

カテゴリー:ヨーロッパ

著者 竹﨑 孜、 出版 あけび書房
 社会問題の事後処理方法としての貧困対策に追われていたのが旧来の福祉政策であった。それでは税金をいくら注ぎ込んだところで問題の解消にはほど遠く、際限のない政治をやめるほうが得策だとスウェーデンが思いついたのは、発想の大転換だった。
 いち早く雇用や労働を重視した政治が積極的に展開されてきた。豊かな生活へ近づける労働政策を重視して、貧困を根絶する急がば回れの方式へとスウェーデンの政治は方向転換した。
 そうなんですよね。今の日本のように、正規か非正規かを問わず、労働者が大々的に首切られ、寒空にあてもなく放り出されてしまう政治の下では、貧困がなくなるはずもありません。貧富の格差がますます拡大するばかりです。日本の深刻な首切り旋風のひきがねをひいたトヨタとキャノンの責任は重大です。あれで、日本の内需は大打撃を受けてしまったのです。膨大な内部留保を株主にしか回さないなんて、根本的に間違っています。そして、自公政府が雇用確保についてあまりにも生ぬるい手を打たないことには怒りを覚えます。
スウェーデンは、貧困をなくした生活大国である。スウェーデンでは、生活保護受給者は職のない若者がほとんどで、生活に困ったらすぐに受給できる。そして、短期のうちに自律できる。ところが日本では、働く能力があれば生活保護をもらうのが大変困難です。そして、そのことがかえって自立を妨げています。
 年金は国民を区別しない平等な仕組みであり、財源も租税により、保険料には頼っていない。お年寄りを大切にしない日本の政治は、根本的に間違っていますよ。
 政府は大きいよりも小さい方がいいという主張は、アメリカとイギリスだけの話で、日本はこの2国を追随しているにすぎない。しかし、ほんとうに小さい政府でいいのか?
 そんな小さい政府を目指しているはずの日本の国が抱える借金は、1996年に340兆円、2000年に500兆円、2004年に750兆円、2005年にはついに800兆円となった。
 貧困の目立つのは日本とアメリカであって、貧富の差は激しくなる一方である。これに対して低所得層を引き揚げ、貧富の格差を減らした国の筆頭はデンマーク、続いてスウェーデン、フィンランドである。
 スウェーデンは、デンマークと並んで世界最高の消費税25%を課している。しかし、だから生活が苦しいという非難は出ていない。
 税の国民負担率は、スウェーデンが51.1%、デンマーク49.7%、フィンランド44.%となっている。税金は、実は国民の貯金である。税金で障害の安心を手に入れておくという意識がある。スウェーデンの人々は、貯蓄にはきわめて不熱心である。なんと、税金についての考えが根本的に日本とは違うのですね。
スウェーデンは国家・地方公務員が住民1000人あたり150人にのぼっている。全労働者の35%、およそ3人に1人は公務員として働いている。これに対して日本は、1000人に対して35人でしかない。フランス96人、アメリカ80人に比べても少ない。日本では、公務員攻撃がひどいですよね。あの橋下大坂府知事が急先鋒ですが、身近な公務員をいじめたら財界が喜ぶだけです。
 スウェーデンの選挙の投票率は、1980年代まで90%だったのが、最近は少し下がって80%台である。これに対して、残念なことに日本は60%を割っています。
 スウェーデンは、国際競争の最先端を走るためには良質の労働力がなによりも大切だと考えている。そうなんですよ。不安定で将来性のない非正規雇用では、良質の労働力は得られません。
 スウェーデンには老人ホームがない。在宅介護が自治体の責任ですすめられている。寝たきり老人もいない。いやいや、すごいことです。日本も発想の大転換が今こそ必要です。
 たとえば、日本も、ハコづくりばかりに走ってはいけません。それより、人を大切にするという視点で、すべてをとらえ直す必要があるのです。このことを痛感させられました。
 日曜日、すっかり春景色になった山道を登りました。近くの山寺の臥竜梅が満開でした。風にふくいくとした梅の香りが漂っています。
 帰りに、十文字ナデシコの苗を買って庭に植え付けました。今、桜の木が白い花を咲かせて満開です。サクランボの木です。黄水仙が庭のあちこちに咲いています。チューリップはもう少しです。アスパラガスはまだ頭を出してきません。
 楽しみの春が到来しました。
(2008年11月刊。1600円+税)

継体大王の時代

カテゴリー:日本史(古代史)

著者 高槻市教育委員会、 出版 吉川弘文館
 淀川流域にある今城塚(いましろづか)古墳こそ継体大王のお墓であることは反論もなく定説化している。このころは、まだ天皇と呼んでいなかったので、大王となっています。
 それまでのヤマト王権の大王たちの地域的な基盤は、ヤマトや河内にあった。その北になる淀川水系は、ヤマト王権の本来の領域には含まれていなかった。継体大王を支えたのは、近江、尾張、越前といった畿内東辺の勢力、そして淀川水系の勢力であった。
 継体大王のあと、また大王のお墓は大和川水系の大和、河内に戻っていった。
 古墳時代の前期や中期のヤマト王権は、列島各地に基盤を置く首長たちが首長連合とでも呼んだらいいような政治的まとまりを形成していた。その中心が畿内連合で、その頂点に大王が位置していた。
 5世紀後半からの後期になると王権は、より中央集権的で強力な体制の形成を目指し、各地に盤踞(ばんきょ)していた大首長勢力(旧勢力)の在地支配を弱体化する、あるいは解体するとともに、この時期に台頭してきた新興の中小首長層や広汎な有力家長層(新興勢力)を王権の新しい支配秩序のなかに組み入れようとしはじめた。
 ヤマト王権の動揺期に、それに乗じるかのように九州勢力が強大化し、西日本を中心に日本海沿岸の各地や瀬戸内海沿岸の所々に勢力を拡大していった。
 九州の宇土(熊本県)に産する阿蘇ピンク石(馬門石、まかどいし)製の刳抜(くりぬき)式石棺が畿内や近江に運び込まれた。この阿蘇ピンク石製刳抜式石棺は、中期の王権に批判的な立場の畿内やその周辺の一部の勢力が、九州有明海周辺の勢力との関係のなかで石材を求め、独自の石棺をつくった可能性が高い。
 九州勢力は、一つの強固なまとまりというより、中期的な比較的緩やかな首長連合的まとまりで、畿内を圧倒するに至らず、かえって王権による中央集権的な体制づくりが進行するなかでは解体されるべき運命のものであった。磐井の乱は、そのような性格の戦いだった。ふむふむ、九州人の私としてはとても残念な気はしますが、そうだったのでしょうね。クシュン。
 有明海沿岸の勢力が朝鮮半島との交渉、交易に中心的な役割を果たしていた。これは、江田船山古墳(熊本県)の見事な百済、大加那系の金銅製の装身具を見ても確実である。
 有明海沿岸に産出される石が継体大王の墓に運び込まれていることを初めて知りました。やはり、八女の磐井の乱は、九州勢力の強大さを意味するものだったのですね。よかった、よかった・・・。
(2008年10月刊。933円+税)

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