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2009年1月 の投稿

働きアリの2割はサボっている

カテゴリー:生物

著者:稲垣 栄洋、 発行:家の光協会
 春になると、我が家の庭にも丸っこい可愛らしいマルハナバチがやってきます。ところが、大きな体をちっぽけな羽で飛びながら支えられるはずがない、という航空力学の難問とされていた。しかし、そのマルハナバチの飛翔能力は空気の粘り気をも計算に入れた高度で複雑な飛行原理によるものであって、その解明がいま進められている。
 コウモリは日本では昔から良いイメージの生き物だった。コウモリは発した超音波が反射して戻ってくるエコーをキャッチして物の位置を判断している。
 ガの体が毛でおおわれているのは、コウモリの音波を吸収してエコーを出さないようにするため。ガの体のフワフワに、そんな意味があったのですね。
 カタツムリはブロック塀を食べる。殻の材料になるカルシウムをブロック塀から摂取している。カタツムリは海の中に住んでいた巻貝の仲間が地上生活に適応して進化した貝。海の中の貝は海水に含まれるカルシウムを摂取できるが、陸上にすむカタツムリは石灰岩などから摂取するしかない。カタツムリは水中にすむ貝と違って肺呼吸をし、生まれたときに殻を背負って、大人と同じ形をしている。
 ナメクジは、さらに乾燥から身を守る殻をなくした地上生活の最新進化モデルだ。
 ウンカはセミの仲間。イネの汁を吸う。ウンカははるか中国大陸からジェット気流に乗って飛んでくる。
 秋の野山に目立つのは、大型のジョロウグモの巣。黄色と黒色のカラフルなジョロウグモは、秋の女王とも呼ばれる美しいクモだ。その規模は、おなか側から見ると怒った人の顔のように見える。ハハーン、そうなんですか、今度、よーく見てみましょう。といっても、寒くなったら姿を消してしまいました。いずれまた姿を現すでしょう。
 ジョロウグモの巣をよく見ると、ごく小さなクモが数匹、居候している。実は、この小さなクモはジョロウグモのオス。巣の真ん中でよく目立つクモは、すべてジョロウグモのメス。成体になったオスは、メスの巣にやってきて、メスのクモが成体になるのを待つ。メスが成体になるとすぐに交尾をする。
 えっ、まさか、交尾をしたあと、オスはメスに食べられてしまうのではないでしょうね……?
 身近な生き物たちにまつわる知らない話が満載の面白い本です。
(2008年11月刊。1300円+税)

反・貧困

カテゴリー:社会

著者:湯浅 誠、 発行:あざみの会
 全国2008キャラバン和歌山の記念講演を小冊子にしたものです。現代日本のかかえる深刻な問題がとても分かりやすく説明されています。わずか60頁たらずの小冊子なのですが、読み終わると小さな冊子が、とてもずっしりと重たく感じられます。それほど重量感のある素晴らしい講演内容でした。
 著者は結論のところで、「溜め」を社会全体で作っていくことを強調しています。私も本当にその通りだと思います。たとえば、人間関係がたくさんあって豊かであるというと、自分はがんばる、がんばれる、生きていればそのうちいいことがあるさ、と思える。そういうのは精神的な「溜め」があるということ。この「溜め」が全体として失われている。それが貧困だ。
 「溜め」があるかないかで、たとえ同じトラブルが自分の身に起こっても、その受ける影響というのは全然ちがう。
 生活困窮者は、ほとんど自分が悪いのだと思っている。しかし、社会の「溜め」がなくなってきているから、そんな人が増えているのだ。だから、社会全体の「溜め」を増やす、そういう人たちの居場所を増やす必要がある。それが家族であったり、地域や市民団体のつくる居場所であったり、労働組合であったりする。
 だから、貧困の問題を解消しようと思ったら、自分たちの職場や学校や家庭の「溜め」を増やしていかないといけないのだ。いやはや、ホント、ホント、本当にそうですよ。
 韓国には「希望の電話129」というのがあり、129番を押すと生活保護を担う部署につながる。うはー、そ、そうなんですか……。日本にも、こういう電話があるといいですよね。
110とか119だけじゃなくて、生活ピンチです、ホームレスになりそうです、というときにSOSを発することのできる電話があったら、どんなにいいでしょうか……。
 東京都内で働く契約社員の平均年収は340万円で、正社員だと平均年収が530万円。そうすると、正社員は自分は1.5倍とか2倍の給料をもらうに値する人間だということを常に証明しなければいけないことになる。つまり、低処遇の正規や非正規の人が増えていくと、正社員に要求される水準は高まっていく。このため、超長時間労働が広がり、うつ病とか過労自殺、過労死が過去最高になった。
 正社員が勝ち組で、非正規が負け組なんて大嘘だ。現実に起きているのは、過労死するほど働くのか(正社員)、あるいは働いても食べていけない(非正社員)のか、過労死か貧困化というような究極の2者択一を迫られる労働者が増えている。どちらも負け組だ。
 日本のホームレスは、40代とか50代の健康な中高年が圧倒的多数を占めている。ヨーロッパでは、ホームレスは基本的に依存症の問題である。だからヨーロッパから日本に視察に来た人は、健康な人がなぜホームレスになっているのか信じられない。それは、日本にはセーフティネットがきいていないから。たとえば、雇用保険に入っていないので、失業保険をちゃんともらえない。
 生活保護基準以下で生活している人が600~850万人もいる。これは大阪府の人口より多く、東京23区の人口に匹敵する。
 貧困は労働市場が増えたため、増えている。その人たちの貧困を放置しておくと、「ノーと言えない労働者」となって職場に戻ってくる。そこで、労働の自由化というのは、貧困の問題とは労働市場が壊れた「結果」であると同時に、労働市場を壊す原因にもなっている。
 今の日本では年収400~800万代の人々が年々減っていて、中間層が年々減っている。純金融資産1億円以上の富裕層は、今や日本に150万人もいる。そして、生活保護を受けている人は154万人なので、両者はほとんど同数だ。
 世の中に実際いるのは、ほどほどにまじめで、ほどほどにいい加減で、だけど「生きていけてる人たち」と、ほどほどにまじめで、ほどほどにいいかげんな人たちなのです。
 そうですよね、そんなフツーの人たちがお互いを支えあって生きているのが、人間社会なのだと思います。
 それにしても、今回の著者を「村長」とした「年越し派遣村」の発足と活動には目を見張りました。まさに政治を大きく動かしました。ホームレスになっている(なりかけた)人が、500人も日比谷公園に集まり、その支援活動に2000人近い人がボランティアに駆けつけたのを知って、まだまだ日本も捨てたもんじゃないな、と思いました。
 派遣切りなんて、やめさせましょうよ。人間を使い捨てする企業って、いったいどこに社会的な価値があるのでしょうか。日本経団連御手洗会長の他人事みたいなセリフは絶対に許せません。
(2008年12月刊。500円+税)

民主党

カテゴリー:社会

著者:伊藤 惇夫、 発行:新潮新書
 著者は民主党の事務局長を4年つとめた人です。ですから、インサイド・ストーリーとしても面白く読めます。
 民主党の「わかりづらさ」のひとつは、わずか10年の間で、めまぐるしく体制が変わっていったことにある。民主党には、旧・新・現の3つの時期がある。
細川政権の末期(94年)、自民党を離党して連立政権に参加するのにもっとも積極的であり、最後の土壇場で寝返ったのは山崎拓だった。この事実は覚えていい。うへーっ、そうだったんですか・・・。
 「旧」民主党は「ゆ党」とも呼ばれた。野(や)党でも与(よ)党でもない。その中間のゆ党だというわけだ。な、なるほどなーるほど、言い得て妙ですね。
 小沢一郎はなぜ新進党を唐突に解党したのか。それは党内の批判勢力と妥協するより、思い切って解党したうえで、自分に絶対服従を誓う信奉者を100人ほど引き連れ、梶山静六官房長官との間でひそかに進めてきた「保保」連立を実現しようとしたのだ。ふむふむ、そういうことだったのですか……。
 当事者の大多数が決して積極的に望んではいなかったのに、紆余曲折を経ながらも、1998年4月に「新」民主党が誕生した。衆議院93人、参議院38人の計131人だった。近づく参議院選挙で生き残るための選択だった。
 その直前まで小沢を「悪魔」と罵っていた野中広務・官房長官は小沢一郎に土下座した。そこで、小沢一郎は崩壊寸前の小渕政権救出に乗り出した。この時点での小沢一郎は自民党の救世主だった。このあと、野中広務は次のように言った。
「相手が同じ人間だと思わなければ、土下座くらいできる。一度、連立に取り込んでしまえば、こちらのもの。小沢とその周辺の数人以外は、やがて自民党に呑み込める」
民主党が考えるより、自民党ははるかにしたたかだった。小泉首相ブームが起き、小泉首相の派手なパフォーマンスばかりが目立つ中で、民主党はカヤの外に置かれた状態が続いた。
 菅の民主党と小沢の自由党が合併した(03年7月)。これは追い詰められた者同士が、ワラをもつかむ思いで相手に救いを求めた結果であって、決して前向きの選択とは言えない。
 民主党の議員の多くは、組織体を構成しているという意識が希薄である。民主党の代表の座は、決して居心地のいいものではない。小沢以外の4人すべて、理由はいろいろあるが、任期途中で代表の座を追われている。
 なぜ民主党代表は頻繁に交代するのか? それは民主党を構成する議員の大半が「風頼み」であり、他力本願だから。民主党には、「連合」意外に目立った支援組織がない。頼るべきは風であり、その如何は、看板(代表)が小綺麗で客を呼び込めるかどうかにかかっていると考えている。大半の民主党議員にとって、代表は「追い風発生装置」に過ぎないから、みんなで代表を守り、もりたてていこうという意識はほとんどない。ふむふむ、この詩的には納得しますよね。
 いま現在の民主党は若手中心、結党後に当選した者が多い。しかし、民主党の幹部の大半は政党変遷者である。そして、いまの民主党を動かしているのは旧党出身者である。小沢一郎は、民主党から新生党、新進党、自由党そして民主党に渡り歩いてきた。
結党から10年たった民主党の党員は4万人ちょっと。サポーターにしても22万人ほど。党員は年会費6000円、サポーターは年2000円。ただし、代表選ではサポーターは党員と同じ1票がある。
 民主党は税金でまかなわれている党だ。その131億円の収入のうち、国から貰う政党交付金は110億円。国への依存率はなんと84%。
 そして、議員1人に月65万円も支給される立法事務費がある。民主党全体では15億になる。
 なんということはない。民主党は国民の税金で成り立っているのだ。うへーっ、こんな、おかしな政党ってありませんよね。これではまるで「国立」政党ではありませんか。私は、政党交付金は直ちに廃止すべきだと思います。もちろん、企業団体も禁止すべきです。有権者一人ひとりからの献金しか政党は受け入れるべきではありません。アメリカも、基本的な考えはそうなっているでしょ。
(2008年12月刊。700円+税)

ちひろの絵のひみつ

カテゴリー:社会

著者:ちひろ美術館、 発行:講談社
 私の大好きないわさきちひろの絵がどうやって描かれているのか、その謎を少しばかり解き明かしてくれる本です。ちひろ美術館で買い求め、売店の隣の喫茶コーナーで、昼食代わりのスープをいただきながら読み始めた本です。
 ちひろが主として用いたのは、透明水彩絵の具だ。透明水彩絵の具は、顔料の粒子が細かく、水を加えて薄く塗っても色が鮮やかで延びもよいのが特色。重ね塗りすると、下の色が透けて見えるという性質もあるので、一度塗ったら塗り直しが効きにくい。
 ちひろの絵には、ボカシの手法が効果的によく用いられていると私は思います。
 潤筆法とは、筆に水を多く含ませて、絵具をにじませる。絵の具が乾く前に別の色を置くと、色が混ざり合い、複雑な色調が得られる。たらし込みとは、たっぷりと水を含んだ筆で、たとえば茶色を薄く塗り、その色が乾かないうちに濃い茶色を置く。濃い色が薄い色に滲みこんで乾き、偶然的な色のたまりができる。
 ちひろは水彩絵の具の水に溶ける特性を生かし、やわらかで清楚な、独特の色調を生み出した。絵の具が乾かないうちに筆を走らせて流れを作ったり、水気を吸いとったり、ときには意図どおりに色が広がるように画用紙を傾けたり、広がりを止めるためにドライヤーで乾かしたり、絵の具のにじみをコントロールするために、さまざまな工夫をこらしている。
 ちひろは左利き(ギッチョ)なのですね。ちひろが絵を描いている写真を見て初めて知りました。ちひろは左利きだったから、右側から外光を取れるように画机を配置し、左側にはパレットや筆、筆法などの画材を並べ、中央の大きなスケッチブックの上に画用紙を広げて絵を描いた。東京のちひろ美術館には、ちひろのアトリエが一室そのまま再現されています。
 混色には、パレットで色を混ぜ合わせたり、乾いてから色を重ねたりする方法もあるが、ちひろは紙の上に水分がある状態で色を重ねて、互いの色を滲み合わせることが多かった。ちひろの絵の配色に着目してみると、補色を効果的に用いた作品が多く見られる。捕食とは、紫と黄、青と橙、緑と赤のように色相環で反対側の位置にある色を言う。同系色の色同士は調和しやすいが、画面に緊張感を欠きやすい。ワンポントとして補色を加えることで、画面の印象は大きく変わってくる。
 ちひろの絵は、視覚でとらえた色よりも、心で感じた色を表現することに、より重点が置かれている。とくに背景の色の選び方は大胆だ。たとえば、牧場にいる子どもたち。普通なら緑色の草原のはずなのに、ちひろは赤で描いた。そして、何ら違和感がない。
 黄色い背景の中に座る少女は、黄色い背景が夏の日差しを感じさせると解説されています。ムムム、なるほど、黄色は夏の太陽光線を感じさせます。
 ちひろの絵に登場してくる子どもたちの目もすごく印象的ですよね。
 ちひろが描く子どもたちのほとんどにまゆ毛や白眼が描かれていない。白眼を描くと、視線の方向が限定されてしまう。眉毛を省略し、あえて黒眼だけを強調して描くことで、夢見るような子どもの無垢な表情が引き出される。
 目を黒く平板に描くだけでは、マンガのキャラクターのようになってしまう。ちひろは子どもたちの心の動きに合わせて、それぞれに眼の色の濃さを変えたり、目のふちを示す線に強弱をつけ、生き生きとした表情を生み出している。
 ちひろの眼の描き方は、瞳に黒や茶、灰色などで色を入れる場合と、線だけで描く場合の大きく二つに分けられる。良く見ると、まぶたや目じりの線の強弱の付け方、瞳の形などが一つ一つ違う。ちひろは、子どもの性格や年齢、心の動きに合わせて描き分けた。
 ちひろは瞳を最後に描き入れることが多かった。絶筆になった赤ちゃんの絵も、最後に瞳を入れて達成させた。そのときの瞳の色は、淡いグレーだった。
 画家を志してから、ちひろはどこへ行くにもスケッチブックをたずさえて、鉛筆を走らせた。絶えず周囲を観察し、形を捉えようとする画家の情熱は、表現を支えるデッサン力として実を結ぶ。
 やっぱり、ちひろの絵っていいですよねー……。大好きです。
 正月休みに、一泊の人間ドッグに入りました。40歳になってから、年に2回うけています。日頃読めない分厚い本を6冊持ち込み、一心不乱に本を読みふけるのが楽しみです。泊まりは今はホテルです。山の中にポツンと建つリゾート・ホテルです。地元のホテルからハゲタカ・ファンドに買収され、今は韓国資本です。そのせいか、お客にも韓国人が多く、ホテル内にはハングル文字が目立ちます。夕食はバイキングです。私は、これが苦手です。ダイエットをしていますので、控え目に食べようと思うのですが、バイキングだと小皿にいくつも、何回も盛りつけて食べられるので、どれくらい食べたか分からなくなります。お風呂には露天風呂もあり、見上げる半月が皓皓と輝いていました。
(2008年8月刊。1600円+税)

甲骨文字に歴史を読む

カテゴリー:中国

著者:落合 淳思、 発行:ちくま新書
 中国の殷(いん)王朝は、今から3000年以上も前に存在した実在の王朝である。文字史料である甲骨文字によって、殷王朝の社会、税や戦争などを知ることが出来る。甲骨文字は、形こそ大きく違うが、現在の漢字と同じ構造をしている。甲骨文字は、亀甲や牛骨に記されている。
 当時の中国には、黄河中流域にも象が生息していた。占いだけでなく、殷墟遺跡から象の骨も発見されている。
 甲骨文字でつかわれた数字は十進法であり、桁(けた)の概念も存在している。
 殷代には、工業や土木建築の技術が進んでおり、数千人の人員を動員することがあるため、数字を使う機会も多かった。
甲骨文字には時刻の表記も見られる。ただし、時刻というより、時間帯といった方がいいだろう。殷代には季節は春と秋のみ。1年はあったが、季節が循環するものとみていた。ただし、暦は正確なものがあった。
 中国の殷代に、奴隷は社会階層をなすほど存在しておらず、戦争捕虜しかいなかった。
 殷代の王は、祭祀権、軍事権、徴税権、徴発権を持っていた。
 巨大な城壁の建築は、一般の農民を徴発して行った公共事業によって作られた。
 殷の最後の紂王は、暴君の代表とされていて、酒池肉林で有名だ。しかし、甲骨文字によって殷の歴史を見ても、紂王が暴君であったという証拠は見つからない。
 殷が滅びた原因は、実際には酒ではないのだが、そのあとの周王朝は酒によるものと主張した。事実よりも、戦勝国である周王朝の宣伝が「歴史」として定着したのだ。それに何百年もかかって尾ひれがついて、最終的に「酒池肉林」という伝説が形成された。
 ふむふむ、そういうことだったのですか。なるほど、なるほど、これって、よくあることですよね。それにしても3000年も前の甲骨文字をスラスラと解読し、それを歴史の事実に当てはめていくという作業は大変なことだろうと思います。学者って、すごいですよね。いつものことながら、感心してしまいます。
(2008年7月刊。720円+税)

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