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2008年10月 の投稿

父の戦地

カテゴリー:日本史(戦後)

著者:北原 亞以子、 発行:新潮社
 召集され、遠くビルマへ派遣された父親が、故郷日本へ送った葉書70数枚が再現されています。愛する我が娘(こ)が小学校に入学する姿を見れず、祝福の声をかけられなかったって、どんなに残念なことだったでしょう。その娘によって、葉書に書かれた状況が生き生きと再現されています。亡き父親は残念な思いと同時に、今では、この本を知って天国で満足しているのかもしれません。それにしても、人間の作り出した戦争って、罪な存在だとつくづく思いました。好戦派の石破大臣も、自分や家族が戦地に出されたら身にしみて分かると思うのですが、今はひたすら口で勇ましいことを言うばかりで、厭になってしまいます。戦争は、中山前大臣みたいな「口先男」と利権集団のために起こされるものだとしか思えません。
 直木賞作家の著者の父は、著者が3歳のときに応召してビルマへ派遣された。東京・新橋で家具職人として働いていた。ビルマに送られてからは、絵入り葉書を故郷の娘へ大量に送ってきた。
 カタカナ文字に絵が描かれているのですが、素人絵ながら、本当に味わいがあります。決して上手な絵ではないのですが、それが妙に面白いのです。
 母が父の戦死の公報を受け取ってきた日のことは鮮明に覚えている。よく晴れた日、外で遊んでいた小学3年生の著者は、母に呼ばれて、日当たりの良い座敷に座った。終戦の翌年(1946年)のこと。
 「ちょっと話があるんだよ」
 「なあに」
 「お父ちゃんは死んだよ」
 「お父ちゃんが死んだなんて嘘みたい」
 母は泣いていなかった。母の膝にふつぶせて泣いた。自分の悲しさをどうすればよいのか分からず、ただ泣きじゃくっていた。
 昭和20年4月、ビルマから退却していた途中、輸送船に乗っているところを空襲されて死んだらしいということが分かった。
 父があの世へ旅立ったのは、父が病に侵されたからではない。まして、死にたいという意思があったからではなかった。もっと生きていたかったはずである。この世に未練も執着もあった。
 母に宛てた葉書に、「若く見られて恥ずかしいって、結構だ。うんと若くつくれ、今まであまりにくすぶりすぎていたから、これからはうんと若くつくれ。ズキン、ワイシャツ、どんな格好だろうな。どんなでもいいから、きれいにしていてくれ」と父は書いている。
 最後に、その父親の写真が一枚だけ紹介されています。俳優にしていいような素敵な笑顔です。つい、私は、亡くなった佐田啓二を連想してしまいました。
 幼い娘を泣かせてしまった戦争を私は憎みます。 
(2008年5月刊。740円+税)

みんな、同じ屋根の下

カテゴリー:未分類

著者:リチャード・B・ライト、 発行:行路社
 サンセット老人ホームの愉快な仲間たち、というサブタイトルのついた本ですが、この本を読むと、老人ホームでの生活はそれほど愉快なものではないことをしみじみ「実感」させられます。
 私もやがて還暦を迎えます。同世代には既に定年退職した人もたくさんいます。誰もが「老後の生活」を愉快に楽しんでいるとは思えません。とりわけ、最近スタートした後期高齢者医療制度のように、あからさまな老人切り捨て策が鳴り物入りで美名うるわしく実施されているのを見るにつけ、心穏やかではありません。
 それはともかくとして、この本は、カナダにある架空の老人ホームを舞台として、1990年に出版されました。訳者あとがきでも、愉快な物語であるとされています。ええっ、どこが・・・・・・、と私なんか思います。同時に、深刻なテーマも包含する。えっ、むしろ、深刻な話ばっかりじゃないの、とツッコミを入れたくなります。
 意地悪爺さん、被害妄想婆さんなどなどが老人ホームにおいて日夜、繰り広げる生存競争の物語。そうなんです。壮絶な戦いが展開されるのです。老人ホームに入所している高齢者の過去・現在・未来を、ユーモラスに、ときにペーソをにじませて描き出している。ここには、「人生の最期」という、内容の普遍性と今日性がある。
 そうなんです。私も、いずれ老人ホームにお世話になるのかもしれません。足腰が弱くなり、日常生活にとかくの不自由をきたし始めたら、身辺介護を受けなくてはいけないでしょう。そんなとき、隣の部屋にソリの合わない人が居て、毎日、いがみあっていたとしたら、どんなに不幸な老後でしょうか……。 いやあ、しみじみ考えさせられました。
(2008年6月刊。1800円+税)

最後の授業

カテゴリー:アメリカ

著者:ランディ・パウシュ、 発行:ランダムハウス講談社
 ドーデーの『最後の授業』ではありません。46歳の教授がすい臓がんで余命いくばくもないと宣告され、カーネギーメロン大学で最後の授業を行ったのです。
 いやあ、すごいですよ。自分の生命があとわずかだと告知されたとき、あなたなら、何をしますか?
私も父を癌で亡くしましたので、癌という病気についてはすごく関心があります。そして、癌の告知については、してほしい反面、怖さに耐えられるだろうかという不安があります。
それにしても、あなたの生命はあとわずか数ヶ月だと宣告されたら、どうするでしょうか。
 最近、私の大学時代のセツルメント仲間から、亡きご主人の追悼集(『一途に進む私の道』)が贈られてきました。私も近くに住んだことのある神奈川県川崎市の法政二高の英語の教師だった人(故橋本保氏)についての追悼集です。それによると、2月に「夏まで」と家族は告知されたそうです。癌が再発・転移したわけですが、本人はそのこと自体は知っていても、どうやら「あと何ヶ月」というのは知らされなかったようです。知ったところで、既に入院中の身であれば自由に行動できるわけでもありませんので、どうしようもなかったのでしょう……。緩和ケアー病棟での生活をご本人が報告しているのを読むと、大変に意思の強い人だと感嘆してしまいました。私なんか、いったいどうするだろうと思いながら、追悼集を読み進めました。
 さて、この本に戻りますが、最終講義は無事に終了し、これがインターネットでも配信され、のべ600万ものアクセスがあったそうです。私は戦争好きのアメリカなんて大嫌いなのですが、こんなアメリカは大好きです。アメリカの草の根民主主義は今の日本国憲法にも生きていると思っています。アクセスした「600万人」は、そんな草の根民主主義を体現していると勝手に思い込んでいるのです。
 大切なのは完璧な答えではない。限られた中で最善の努力をすることだ。
 うーん、これって、なかなかいい言葉ですよね。
 今回の講義がなぜ大切なのか考え直した。生きていると自分も確認したいし、みんなにも分かってほしいから? まだ講義をする元気があることを証明するため? 自分の最期を見てほしいという目立ちたがり屋の精神? この答えは、すべてイエスだ。傷を負ったライオンはまだ吼えられるかどうかを確かめたいものだ。これは威厳と自尊心の問題だ。虚栄心とは少しだけ違うんだ。だから、僕の講義は死ぬことについてではなく、生きることについてでなくてはならなかった。な、なーるほど、ですね。最後の最後まで、自分の存在というのを世の中に認めてほしいものです。
 子供はなによりも、自分が親に愛されていることを知っていなくてはならない。
 ホント、そうなんですよね。
 幼い子供たちと、やがて悲しい別れがやってくる。そして、彼らには父親の記憶が残らない。これほどつらいことがあるでしょうか・・・。ここを読んでいるうちに、ついつい涙してしまいました。 著者はお元気のようです。ぜひ、これからもお元気にお過ごしください。
 世界遺産に登録された白川・五箇山のうち、五箇山のほうへ行ってきました。気持ちよく晴れ上がった秋の日の朝のことです。大きな萱葺きの家がよく保存されていました。そこで生活する人にとってはかなり不便を多いことでしょうが、やはり、こういう風景はぜひ攻勢まで伝えたいと思ったことでした。稲穂が重く垂れたそばで、コスモスが咲いていました。チューリップのような淡いピンクの花が珍しかったのですが、名前が分かりませんでした。あとで、ぺシニアという花だと教えられました。大きな村上邸では、火の起きている囲炉裏のそばでお年寄りが語り部として故事来歴を語ってくれ、また、ササラを演じて見事なコキリコ節を聞かせてくれました。
 川向こうに流刑小屋が唯一つ残っているというので、見学してきました。独房です。これでは冬の寒さに耐えられません。富山は加賀百万石の一部になっていたそうです。
(2008年6月刊。1500円+税)

サブプライムを売った男の告白

カテゴリー:アメリカ

著者:リチャード・ビトナー、 発行:ダイヤモンド社
 アメリカのサブプライムローンをめぐる破綻が全世界の経済を大きく揺り動かしています。この本は、サブプライムローンの実体が、いかにインチキであったか、体験を通して暴露しています。
 アメリカでは、夫婦の一方が病気になれば、たちまち経済的に破綻してしまう。国民皆保険制度がなく、営利企業である保険会社に加入できなければ、高額の自費負担を余儀なくされるからだ。
 サブプライムローンの借り手の大半、少なくとも80%の人々は期日通りに返済している。滞納件数がかなり多いのは明らかだが、5人のうち4人は返済している。
 サブプライムローンの借り手は、伝統的な住宅ローンなどを借りる資格のない人々である。信用度は良くない。前にローン返済が延滞したり、不履行になったりした事実がある。だから、借り手はリスクの増加と相殺するため、より高い利息やローン手数料を支払わされる。
 クレジットスコアというのがある。300点から850点までの範囲がある。
 2000年までに、アメリカでは、25万人以上のモーゲージブローカーが活動していた。モーゲージブローカーにライセンスを要求する州は少なかったので、業界への参入障壁は低かった。
 住宅ローンで不正行為が横行した。本来なら住宅ローンを借りる資格のない借り手が融資を受けた。たとえば、居住物件のはずが、投資物件であった。借り手が友人や親類の会社で勤めているとして職歴をデッチ上げる。ローンに関わる重要情報を隠してしまう。
 信用度の高い人が、第三者に自分の借入の実績を使わせ、その都度、手数料をもらうということもあった。このような「信用強化」は人を欺くものである。
 不動産鑑定士が価値以上の評価を出すこともある。あらゆる数字をぎりぎりまで操作して評価額の数字を導き出す。借り手は望みのものを手に入れ、レンダーとブローカーは手数料を稼ぎ、投資家は優良債権を受け取ることになる。
 しかし、こんなことは長続きはしない。いずれは破綻する。
 アメリカの非金融企業で、最上級のトリプルAに値するのは、ほんの一握りの企業にすぎない。それなのに、格付けされた債務担保証券の90%がトリプルAというタイトルを授けられている。
 これから数年のうちに、200万人もの人々が差し押さえによって住居を失う危険がある。
 抵当流れのピークは2009年だと予測されている。総件数は200万件に達する。そして、ラスベガスやマイアミという住宅に最高額が付けられてきた町でも、今後の数年のうちに住宅価値は40〜50%も下がるという推測がある。 
 今、アメリカ発の世界恐慌が起きるのではないかと、みんなが心配しています。アフガニスタンやイラクへ戦争を仕掛けたアメリカの国内経済がガタガタになっているのです。それなのに、大企業の救済・優遇措置だけはしっかりとろうとしています。アメリカの国民が猛反発したため、一度は国会で否決されました。ことは日本にも大きく響いて来る問題です。対岸の火事だといってすまされないことだと思います。
(2008年7月刊。1600円+税)

平頂山事件とは何だったのか

カテゴリー:日本史(戦後)

著者:平頂山事件訴訟弁護団、 発行:高文研
 わずか180頁の薄い本ですし、1400円ですので、多くの人に買ってぜひ読んでほしいと思いました。日本人として知っておくべき事実がこの本には書かれています。私もなんとなく知ったつもりになっていましたが、平頂山事件についての正確な事実経過とことの本質を知っていませんでした。
 1932年(昭和7年)9月16日、当時、満州(今の中国東北部)の撫順に駐屯していた日本軍が、平頂山地区の住民3000人を崖下の平地に追い立て、一斉機銃掃射を浴びせかけ、その遺体はガソリンがかけられて燃やされたうえ、ダイナマイトで崖を爆破して土砂によって完全に隠蔽した。
 1932年というと、日本で5.15事件が起きた年です。軍部の横暴・独走がますますひどくなっていたころ、中国で日本軍はとんでもない大虐殺事件を起こしていたのです。被害者は何の罪もない労働者とその家族です。国民党軍でも八路軍でもありません。
 平頂山事件の起きた1930年代の撫順には、日本人が1万8000人も住んでいた。ちなみに、朝鮮人は4000人、中国人は44万5000人。日本人のうち1万人は、日本の国策会社である満鉄の社員とその家族である。
 撫順炭鉱は満鉄が管理していた。石炭埋蔵量は9億5000万トンといわれ、世界有数の規模を誇っていた。撫順炭鉱は、関東軍によって厳重警備されていたが、抗日義勇軍(大刀会)が撫順炭鉱を襲撃した。そこで、日本軍の守備隊は、平頂山の村民が抗日義勇軍に加担したとみて、今後の見せしめのためにも、徹底的に殺しつくし、焼き尽くすという方針に出た。村民をだますために、記念写真を撮るとか、適当な嘘を言い募って住民を集合させ、重軽機関銃で一斉掃射した。
 ところが、当時の日本政府の見解は、不正規軍や共産党員の男たち2000人からなる部隊捜索のために村に入ったところ、日本軍が攻撃されたために戦闘となり、戦闘中にその場所の大半が焼けて壊滅したが、住民虐殺はなかったというもの。
 そして、この日本政府の見解は、今もなお、正式に改められてはいない。そして、日本では今も平頂山事件そのものがまったく知られていない。まったく、そのとおりです。
 この平頂山事件でも生き残りの人々がいました。(幸存者と呼ばれています)。幸存者の人々が日本政府を被告として訴えを起こしたのです。
 ところが、日本政府は「国家無答責」という論理を使って、責任を認めようとしません。これは、国の権力的行為によって生じた損害については、国は賠償責任を負わないという考え方です。なぜ権力的行為なら賠償責任を負わないでいいというのか、私には理解できません。
 「国家無答責」というのは、明治憲法下において、判例の積み重ねによって徐々に形成されていった法理論のようです。しかし、日本国憲法下の裁判所が戦前の法理論に拘束されるというのは、おかしな話です。なのに、現代日本の裁判所はそれを認めた判決を次々に下しています。
 学者は次のように解説します。国家無答責(無責任)の法理が認められるのは、たとえば強制執行処分、徴税処分、印鑑証明の発布、特許の付与といった国の権力的公務が法律によって許されている場合に限られるし、そもそも外国人には適用されない。平頂山事件は1932年の事件であって、いわゆる日中戦争のさなかの事件(行為)ではなく、平和に暮らしていた中国の一般市民を突然に、日本軍が残虐の限りを尽くして虐殺した事件であるので、国家無答責の法理は適用されるべきではない。
 なるほど、そう、そうですよね。ところが、残念なことに、日本の裁判所は一審も二審もそして最高裁も、幸存者の請求を認めませんでした。残念ですし、中国人の被害者・遺族の方々に申し訳ないと思います。
 被害者の要求は3つです。第一に、日本政府が平頂山事件の事実と責任を認め、幸存者と遺族に対して公式に謝罪すること。第二に、謝罪の証として、日本政府の費用で謝罪の碑を建て、被害者の供養のための陵苑を設置し警備すること。第三に、平頂山事件の悲劇を再び繰り返さないため、政府は事実を究明しその教訓を後世に伝えること。
 いやあ、どれもごくごく当然の要求ですよね。一刻も早く日本政府がこれらの要求を受け入れることを私も強く望みます。
 ところで、この3つの要求には金銭賠償が含まれていません。いろいろの議論があったようですが、その点も当然考えられるべきものと私は思います。
 それにしても、この困難な裁判を日本で起こし、遂行していった日本の弁護士の皆さんの労苦にも感謝したいと私は思います。
 ちなみに、私も「すおぺい」ニュースを読んでいます。 
(2008年8月刊。1400円+税)

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