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2008年10月 の投稿

ベルリン終戦日記

カテゴリー:ヨーロッパ

著者:アントニー・ビーヴァー、 発行:白水社
 1945年4月、ドイツの首都ベルリンにいた34歳の女性ジャーナリストの書いた日記です。ニセモノ説もあったようですが、ホンモノだと判定されています。この本を読むと、ニセモノ説があったなんてとても信じられません。きわめて具体的でまさに迫真そのものです。ジューコフ元帥の率いるベロルシア方面軍150万の赤軍兵団がベルリンを占領し、至るところでドイツ女性を強姦するのです。その状況が被害者として生々しく語られます。
 日記は、1945年4月20日から6月22日までの2ヶ月分です。この間に、米英の空軍機による空襲、ソ連赤軍による地上砲撃、市街戦、ヒトラーの自殺(4月30日)、ドイツ軍の降伏(5月2日)、連合軍のベルリン占領があった。
 1945年にレイプ被害にあったドイツ人女性は、200万人と見られている。ベルリンでは10万人から13万人とされている。
 第一段階はソ連兵士による復讐と憎悪によるもの。多くの兵士は戦争の4年間に自国の将校や政治委員たちによってひどい屈辱を受けていたので、この屈辱を何としても埋め合わせねばと感じていた。ドイツの女たちは、そのもっとも簡単なターゲットだった。
 第2段階では、赤軍兵士はその犠牲者を選ぶにあたってより慎重になり、防空壕や地下室の女たちの顔に懐中電灯の灯を当て、一番魅力的な女を選ぼうとした。
 第3段階では、ドイツの女たちが特別な兵士あるいは将校と非公式の合意を結び、男たちは別の強姦者から彼女たちの身を守り、性的服従の見返りに食料をもたらした。
 ソ連軍が占領する前、ある夫人が叫んだ。
 頭上のアメ公より、腹の上の露助のほうが、まだましだわ。
 赤軍兵士は、まず問いかける。「結婚しているのか?」 もし、そうだと答えれば、次には夫はどこにいるのか、と問う。もし、いいえと答えれば、ロシア人と「結婚する」つもりはないかと問う。それに続いて妙になれなれしい態度をとる。
 彼らは太った女を捜していた。おデブちゃん、すなわち美人。その方が女らしいのだ。男の身体とは全然違っているから。
 (強姦されているとき)私の自我は身体を慰みものにされた哀れな体をあっさり見捨てようとしている。それから、遊離して、漂いながら白い彼方へと無垢なまま向かおうとしている。こんな目にあったのが私の「自我」であってはならない。嫌なことは何もかも追っ払ってしまわなければ。頭がおかしくなっているのだろうか。
 強い狼を連れてきて、他の狼どもが私に近づけないようにするしかない。将校、階級は高ければ高いほどいい。司令官、将軍、手の届くものであれば、なんでもいい。
 シュナップス(アルコール)は、男を興奮させ、性的衝動をひどく亢進させる。赤軍兵士が見つけた大量のアルコールがなければ、強姦事件だって半分ですんだはずだ。兵士たちはカサノヴァではない。自分で景気をつけないと大胆な行動には出られない。酒で洗い流さなければならないのだ。だからこそ、連中は必死に飲むのだ。
 それなのに、ナチス・ドイツはアルコールを貯めていた。それを飲んだら行動が鈍るだろうと、間違った予測を立てていた。
 著者の生理も乱れてしまったようです。医者に診てもらうと、「食事のせいです。体が出血をおさえようとしているのです。あなたの体がまた太ってくれば、周期にも問題がなくなりますよ」といわれたとのこと。
 『ベルリン陥落』(白水社)に描かれていた状況を、一女性の立場で生々しく告発しています。
 
(2008年6月刊。2600円+税)

アテネ最期の輝き

カテゴリー:ヨーロッパ

著者:澤田 典子、 発行:岩波新書
 アレキサンダー大王(この本ではアレクサンドロス大王)が活躍していた当時、アテネの民主政がギリシア最期の民主政として輝いていたということを初めて認識しました。
 紀元前338年、フィリポス2世の率いるマケドニア軍とアテネ・テーベを中心とするギリシア連合軍とが激突した。カイロネイアの戦いである。このとき、マケドニア軍が圧勝した。
 フィリポスは、自らが率いる右翼の歩兵部隊を後退させ、対峙するアテネ軍がこれを追って前進した。偽装退却と反転攻撃を組み合わせ、敵の戦列を撹乱して撃破するというフィリポスお得意の戦法にアテネ軍はひっかかってしまった。
 ところが、この敗戦のあと、フィリポス2世は寛大な講和条件を示した。領土の没収も賠償金の支払いも求められず、アテネにマケドニア軍が駐留することもなかった。さらに、アテネの捕虜全員を無償で釈放した。このことによって、アテネでは、10数年間の「平和と繁栄」の時代が到来した。
 アテネ民主制で重要な役割を果たしたのは、民会と500人評議会、そして民衆法廷である。市民の総会である民会は、アテネの最高評議機関だった。成年男子市民の誰もが民会に出席して発言する権利を持ち、平等の重さの一票を投じることができた。行政・立法・軍事・外交・財政など、ポリスに関わるあらゆる案件が年に40回開催された定例の民会で市民の多数決によって決められた。
 民会は1万7000人を収容するディオニュソス劇場などで開催されていた。その審議を円滑にするため、民会の審議事項を先議したのが500人評議会である。評議員は、30歳以上の市民から抽選で選ばれ、1年任期だった。
 民衆法廷のほうも、抽選で選出された。30歳以上の市民6000人が任期1年の陪審員として登録される。そのなかから、裁判の性格や規模に応じて、201人とか501人といった陪審員が選ばれて個々の法廷を構成した。判決は、陪審員の秘密投票による多数決で決まった。
 このころ活躍したデモステネスは、弁論術の習得のため、血のにじむような努力を重ねた。たとえば、口の中にいくつかの小石を入れたまま演説の練習をして不明瞭な発音を直そうとした。坂を上りながら演説を一息で朗唱する。海岸で波に向かって大声で叫んで息や声量を鍛えた。役者から演技の指導を受け、大きな鏡の前で演説の練習をした。
 だから、反対派は「デモステネスの議論はランプの臭いがする」と嘲笑した。夜通しの苦労がありありと分かるとケチをつけたわけである。いやあ、すごいですね。これから裁判員裁判が始まろうとしていますので、日本の弁護士も演技指導を受ける必要が出てきました。
マケドニアの王フィリポス2世は、ギリシア世界の王者として華々しい祝典を執り行っている会場で、衆人環視の中で暗殺された。暗殺者は、なんと若い側近の護衛官だった。フィリポスはまだ46歳であった。
 このときアレキサンダーは20歳になったばかりだが、王位に就くことができた。
アテネで市民権を喪失すると、市民身分にともなって発生する公私の諸権利を喪失する。民会への参加、裁判を起こすこと、一定の公職に就くことが禁止され、また神域やアゴラへの出入りも禁じられる。
 兵役を忌避した者、両親を虐待した者、姦通した妻を離縁しなかった者、国庫に借財を負っている者、偽証罪などで三度も有罪になった者は市民権を全面的に喪失する。
 アテネの公的裁判は私訴が1日に複数の裁判が行われるのに対して、1日1件のみ。1件当たり6時間半もの時間が保障された。原告・被告の双方とも、弁論の持ち時間は2時間半前後だった。
 再びアテネがマケドニア軍に敗北したとき(前322年)、マケドニアは参政権について一定の財産を持つ上層市民に制限するという寡頭政をアテネに押し付けた。参政権の財産資格は、2000ドラクマであった。これによって、1万2000人の成年男子市民が参政権を失った。財政の多寡に関わらずすべての市民が平等に政治に携わることを原則としていたアテネ民主政は、カイロネイアの戦いから16年たったクランノンの戦いでギリシア連合軍が敗北して終焉を迎えた。
しかしながら、アテネは前338年に独立国家としての地位は失ったものの、その民主政は前322年に突然終止符が打たれるまで強靭な生命力を持ってたくましく行き続けた。
 アテネ民主政の様子を知ることができました。それにしても、小泉流のごまかしに民衆が踊らされることもあったようです。総選挙が近づいていますが、今度こそはその場限りの甘い言葉にごまかされないようにしたいものですね。 
(2008年3月刊。2800円+税)

東京の俳優

カテゴリー:社会

著者:柄本 明、 発行:集英社
私と全く同世代の、今をときめく俳優さんです。二枚目俳優というより、いわゆる性格俳優と言ったらいいんでしょうか。西田敏行のような、どっしりした存在感があります。役者生活も30年以上なので、その語り口は大変ソフトですが、内容にはすごく重みがあります。
 母親は東京・中野で箱屋の娘だった。箱屋とは、芸者の身支度から送り迎え、玉代(ぎょくだい)の集金などをする、今風に言うとマネージャーみたいな仕事をする人のこと。母親の父は、見番(けんばん)を勤めていた。見番とは、花街の事務所のようなもの。
 家にテレビが入ったのは小学5年生のころ。ええーっ、これって私と同じじゃないのかしらん。工学高校を卒業して、会社に入り、営業マンとして社会人の生活を始めた。そして、会社勤めの2回目の冬、仕事の帰りに早稲田小劇場の芝居を見に行った。それがとてもおかしくて、笑った、笑った。そんな経験をしたら、会社勤めが厭になって、入社2年目、20歳のとき、つとめていた会社を辞めてしまった。
 そして、アルバイトをして生活するようになった。「紅白歌合戦」にも大道具係として関わった。昼間は映画なんかを見て、それでも月15万円の給料がもらえた。うーん、古き良き時代です。
 劇団員募集に応募したけれど、すごいコンプレックスを感じていた。自分だけが、みんなから、どうしようもなく遅れているって……。
 はっきり言って、観客は敵である。なぜなら、観客は必ず何かを舞台から見つける。そういう目で舞台を見ている。あっ、いま、間違った。こっちはいいけど、あっちは下手だな、とか…。
 俳優という名の「檻」に入ってしまったら最後、人に見られることを常に意識し、それを一生の仕事にすることになる。俳優は、人間が「檻」のなかにいて、いつも人目にさらされている。しかも、「檻」の中にいる以上は、生(ナマ)の人間であってはいけない。名優と呼ばれる人は、「檻」があるのを分かって、「檻」から出たり入ったり、自由なのだ。
偉い役者は、演技はしているが、演技なんてしていないように見える。その人物になりきっている。自然な行為の中の不自然、不自然ななかの自然である。
 俳優に向かない人は、いない。誰だって、俳優になろうとすれば、なれる。
 ただ、恥ずかしがる子には、俳優としての未来がある。
 中村勘三郎、藤山直美など、名優は観客と決して仲良くなってはいけない。
 勘九郎が落ち込んでいる著者に向かって、こう言った。
 柄本さん、毎日、いい芝居なんかできるもんじゃないですよ……。
 すごく味わい深い、演劇に関する分かりやすい本でした。 
 毎朝のようにたくさんの小鳥たちが近くでかまびすしく鳴き交わしています。ヒヨドリも騒々しいのですが、20羽ほどもいるのを見ましたので違うでしょう。ムクドリかと思いますが、よく分かりません。百舌鳥はキーッ、キーッと甲高い声で鳴きますし、カササギのつがいはカシャッカシャッと機械音みたいな独特の声で鳴き交わします。
 山のふとも近くに住んでいますので、朝早くから小鳥たちのうるさくもありますがにぎやかで楽しそうな声が聞けて幸せです。
(2008年6月刊。700円+税)

タンクバトル

カテゴリー:ヨーロッパ

著者:斎木 伸生、 発行:光人社
 第二次世界大戦のとき、ナチス・ドイツ軍とソ連軍とのあいだで戦われたクルスク大戦車戦というものに関心があったので読みました。この本のオビには、「独ソ戦車戦のクライマックス」と書かれています。ドイツのティーガー戦車が「活躍」するわけですが、実際には戦局を転換するほどのものではなかったようです。ソ連のT34戦車が次々に撃破されてしまうのが哀れです。祖国を守るため死を恐れず勇敢にドイツ大型戦車に突撃していくソ連軍戦車の勇士を褒め称えたくなります。
 図と絵と写真入りで、要領よく個々の戦闘経過がまとめられています。深い分析はなされていませんが、非情な戦車戦の実情が伝わってくる本です。
 10月初めに富山で行われた人権擁護大会で、米田さんという新聞記者が、防衛白書に「脅威」という言葉はなくなっていると指摘していたのにハッとさせられました。それに代わる言葉として、「不安定要因」と書かれているそうです。軍隊は「敵」の存在を不可欠とするものです。「敵の脅威」があるからこそ、軍備を強化する必要があるということになるわけですが、なんとそれがないというわけです。
 では一体、防衛省そして自衛隊は何のために存在しているのでしょうか。米田さんは、自衛隊を海外にも派遣できる災害救助隊とすること、そして、現在、国内各地にある基地を整理統合し、5兆円にのぼる軍事費を削減して他に回したら良いという趣旨の提起もされ、なるほどと思ったことです。
 さらに、「脅威」がないという点で、日本に「攻め込む」可能性がある国として、ロシア、中国、北朝鮮がよくあげられるけれど、ロシアと中国については、その能力はあるけれど、意思が全く認められない。北朝鮮には能力も意思もないとキッパリ断言されたことがとても印象的でした。
 むしろ、アメリカは、中国を潜在的脅威と見ていること、また、台湾を手放すつもりがないことから来る紛争の可能性がないわけではなく、そのとき、日本がアメリカと一体となると中国が見ていること、つまり、中国にとって日本こそ脅威になっていると見られていることの重大性の指摘もあり、考えさせられたことでした。
 イラクのサマワに派遣された自衛隊の旭川師団が、イラクから帰還したあと、旭川の町で集団暴行事件を起こしたそうです。それまでは市民を守るべき存在として教育が徹底してなされてきた。ところが、イラクに行ってそのタガが外れてしまったようだ、というのです。
 イラクでオレたちは生命をかけて国を守るために苦労してきた。それなのにおまえらは平和な日本でぬくぬく、のほほんとして、許せない…。血がたぎったまま平和な日本に帰国してきた隊員の、そんな鬱憤が集団暴行事件に繋がったようです。怖い話です。 
(2008年9月刊。2300円+税)

神様の愛したマジシャン

カテゴリー:社会

著者:小石 至誠、 発行:徳間書店
 著者はプロのマジシャンだそうです。有名なマジシャンのようですが、私はテレビを見ませんので、全然聞いたこともありませんでした。でも、この本はプロの小説家が書いたように、よくできていました。しっとり、じっくり味わうことのできる本でした。ついでに、マジックの種明かしもほんの少しだけなされています。だから、余計に面白いのです。だって、種明かしもしてほしいでしょ。
 マジシャンは、マジシャンを演じる役者でなければならない。つまり、テクニックを身に着けるだけではなく、マジシャンの醸し出す雰囲気を表現しなければならないということ。
 マジックの世界には、有名なサーストンの原則がある。種を明かさない。同じ現象を続けない。これから起きる現象を先に言わない。
 マジックには、不思議を感じさせる現象という表の部分と、決して見せてはならないネタという裏の部分がある。この、ネタという裏の部分と表の現象とが必ずしもイコールで結ばれてはいない。
 プロのマジシャンの場合、理解しにくいというか、決して見せてはいけない裏の技術部分より、より派手な現象を見せるということの方が重要であるに決まっている。
 実は、見ている観客には面白かったり楽しかったりするマジックこそ、演じているマジシャンにとっては大変厄介なものが多い。
 発表会のときのルール。もし演技中にマジックのタネがあからさまになったときには、照明をカットして暗転にする。
 チャイナ・リングはたった一本の指先に隠れるほど小さな切れ目がリングの一箇所にある。その切れ目はリングを持った指先に隠されていて、決して観客の目に触れることはない。
 「美女の胴切り」のタネ明かし。実は、箱の半分に全身を収めてしまう。周囲が黒く塗られていて、そんな大きな箱には見えないけれど、実際には、かなりのスペースが作られている。
 うむむ、私も、この3月にハウステンボスのマジック・ショーを見ました。そのときはあの図体のでかい、ゆっくりした動きしかしないはずのゾウが、たしかに一瞬のうちに消えてしまったのでした。
 大掛かりの箱物マジックショーには、百万円単位のお金が届いていた。出演料はわずか2000円だったころのことである。
 マジシャンは楽天的でないと務まらない。
 ハトを防止から飛び出させる芸を披露する人は、ハトを何十羽も自宅で飼育している。自宅に特別な部屋を作り、餌を入れたギールを置いておく。ずっとハトを訓練していると、舞台でも街灯を目指して飛んでいく。
 プロのマジシャンは、日本に300人以上はいる。
 自慢の技術を評価されてはいけないのが、マジシャンという職業である。
 マジックの特許なんて、まるでないのが実情だ。マジックの道具の値段とは、ほとんどトリックのアイデア料である。
東京でマジック・ショーを売り物にしているスナックというかクラブにいったことがあります。舞台でマジックが演じられるのではなくて、テーブルに回ってくるのです。いわゆる手品です。万札が次々に出てくるマジックには、みんな感嘆しました。お金を手に入れるのがこんなに簡単なら、誰だって、いつでもするよね、そんな感想が湧き上がってきました。 
(2008年6月刊。1300円+税)

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