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2008年10月 の投稿

イザベラ・バードの日本紀行

カテゴリー:日本史(明治)

著者:イザベラ・バード、 発行:講談社学術文庫
 イザベラ・バードが日本を訪れたのは1878年(明治11年)、47歳のときです。
 日本人は非常に良く手紙を書き、手紙として良い文章や達筆は大変に評価される。イザベラに同行した伊藤は週に一度とても長い手紙を母親に宛てて書く。そのほか、大勢の友人そして、ちょっとした知り合いにまで手紙を書く。いたるところで、若い男性や女性が余暇の多くを手紙を書いて過ごしている。また、装飾の入った紙や封筒をデザインするのは重要な商売で、その種類は無数にある。ペンとして用いられるラクダの毛の筆を巧みに扱えるのは、教育の肝要な成果とみなされている。日本人が物書きに熱心なのは、昔からなのです。ですから庶民レベルまで日記がよく書かれています。
 日本人は、イザベラ・バードがこれまで出会ったなかでもっとも無宗教の人々である。日本人の巡礼はピクニックで、宗教的な祝祭は単なるお祭りである。
 日本人は自然を愛好する気持ちが非常に強い。
 日本人の性格で評価すべき2点は、死者に対して敬意を抱いている点と、あらゆることに気を配って墓地を美しく魅力的なものにする点である。
 東京は冒険心と活気に富んだ、すばらしい都会である。物乞いはおらず、貧困で不潔な街区もなければ、貧困と不潔さが犯罪と結びついていることもない。また、不幸や窮乏でうみただれた芯のような場所は一切見当たらない。売春は合法化されているとはいえ、通常の市街で客を誘惑するのは禁じられており、ふしだらな遊興は特別な街区に限られている。
 花祭りは、首都・東京でもっとも魅力的な光景の一つである。律儀に刈り込まれた生垣のある郊外のよく手入れされた庭などは、日本人の性格の特徴の中でもっとも喜ばしいものの一つである。自然の美しさへの日本人の愛好は、特定の場所に咲く特定の花が最盛期にあるときに眺めに出かけて、さらに規律正しい満足感を覚える。桜のころに花見が盛んなのは、昔からなのです。
 富士山は、東京の絶景の一つである。中間層・下層民は戸外ですごすのが好きな傾向がある。
 汽車に乗ると、日本人乗客の親切心と礼儀正しさにつくづく感心する。日本人は、きちんとした清潔な服装をして旅行し、自分たちや近所の人々の評判に気を配る。
 日本の妻は、上流階級より下層階級のほうが幸せのようだ。日本の妻は良く働く。単調で骨の折れる仕事をする存在というより、むしろ夫のパートナーとしてよく働く。
 未婚の少女たちは世間から隔離されておらず、ある程度の範囲内で完全な自由を持っている。女の子たちは男の子と同じように愛情と世話を受け、社会で生きていくために男の子と同様きめ細かくしつけられる。
 明治はじめのころの日本って、こんなにも現代日本と違うのですね。驚きです。
 朝、雨戸を開けると、純白に輝く秋明菊の花が目に飛び込んできます。茎がすっくと伸び、神々しいまでに気高い白い花弁です。その隣に不如帰の薄紫色の花がひっそりと咲いています。秋も深まり、朝晩には寒さを感じるようになりました。室内を素足で歩くのに冷たさを感じて、スリッパを履いています。
(2008年6月刊。1250円+税)

小林 多喜二

カテゴリー:社会

著者:手塚 英孝、 発行:新日本出版社
 『蟹工船』ブームは単なる一過性のものではなく、現代日本の病根を反映したものとして、幸か不幸か、まだまだ続きそうです。
 小林多喜二が小樽高等商業学校で第二外国語にフランス語を選択し、フランス語劇としてメーテルリンクの「青い鳥」に山羊に扮して出演したこと、このフランス語劇が一番人気をとったことを初めて知りました。私も大学でフランス語を第二外国語でとりました。そのころはストライキに入って授業もなくなっていましたし、外国語劇というのもありませんでした。ちなみに舛添要一厚労大臣は私と同じクラスで、そのころから右翼でした。弁護士になって、八王子セミナーハウスでのフランス語強化合宿に参加したとき、フランス語劇に出演したことがあります。このとき、私はセリフ覚えが悪くて、とても役者には向かないことを実感させられました。
 小林多喜二と芥川龍之介とは同じ時期の作家だったのですね。初めて認識しました。芥川龍之介は自殺する二ヶ月前に小樽にやってきて、小林多喜二らの歓迎座談会に出席しているのです。1927年(昭和2年)7月のことでした。また、小林多喜二は、チャップリンの映画「黄金狂時代」を4回も繰り返し見たというほど熱心な映画愛好家でした。
 『蟹工船』が書かれるまでの多喜二の丹念な取材状況も詳しく紹介されています。『蟹工船』のテーマとなった事件は、1926年に実際に起きたものです。
北洋漁業の蟹工船は、1920年から試験的に始められ、1925年には規模が大きくなって大型船になった。1500トン前後の中古船が多く、1925年に9隻、26年に12隻、27年には18隻となった。乗組員の漁夫・雑夫は4000人をこえた。生産高も25年の8万4000箱から、26年に23万箱、27年には33万箱にまで増大した。
 小林多喜二は、銀行で仕事しながら土曜から日曜にかけて停泊中の蟹工船の実地調査をし、漁夫と会って話を聞いた。漁業労働組合の人たちからも多くの具体的な知識を得た。船内生活や作業状態の詳しい聞き取りもした。小林多喜二は、こうやって6ヶ月間の調査により、下書きとしてのノート稿を書き終えた。
 この作品には、主人公というものがない、人物もいない、労働の集団が主人公になっている。多喜二は、このように手紙に書いた。『蟹工船』は発表されると、大変な反響を呼んだ。読売新聞で、29年度上半期の最高の作品としての評価を受けた。
 そして、『蟹工船』は、帝国劇場で上演された。『蟹工船』は発売禁止処分を受けながらも大いに売れた。半年間で3万5千冊が売れた。北海道の書店では1日に100冊とか300冊も売れた。多喜二は、29年6月、小樽警察署に呼ばれて、取り調べを受けた。多喜二は「不在地主」の原稿(ノート稿)は、ほとんど銀行の執務時間中に書いた。同僚が協力してくれた。仕事のほうは、午前中のうちに素早く終えて、午後は、毎日、4枚から5枚の原稿を書いていった。
 多喜二は、1929年7月に起訴された。天皇に対する不敬罪である。『蟹工船』のなかの、「石ころでも入れておけ、かまうもんか」という漁夫のセリフが対象となった。いやあ、ホント、ひどいですよね。こんなことで起訴されるなんて。
 多喜二は、刑務所の中でバルザックやディケンズを読んだ。そして、多喜二の母は、読み書きできなかったが、息子のために一心にいろはを習い、鉛筆で書いた手紙を刑務所にいる多喜二に送った。
 小林多喜二は、志賀直哉とも親交があった。志賀直哉は多喜二が警察によって虐殺されたことを知って、日記に、次のように書いた。
 アンタンたる気持ちになる。ふと彼らの意図、ものになるべしという気がする。
小林多喜二は、1933年2月20日、スパイ三船留吉によって警察に逮捕された。その日のうちに拷問で死亡した。それは、ただの拷問ではなかった。明らかに殺意がこもっていた。
 多喜二の遺体は、膝頭から上は、内股と言わず太腿といわず、一分の隙間もなく、一面に青黒く塗りつぶしたように変色していた。顔は、物すごいほどに蒼ざめていて、烈しい苦痛の跡を印している。頬がげっそりこけて眼が落ち込んでいる。左のコメカミには、2銭銅貨大の打撲傷を中心に5,6か所も傷跡がある。みんな皮下出血を赤黒くにじませている。そして、首にはひと巻き、ぐるりと深い線引の痕がある。よほどの力で絞められたらしく、くっきり深い溝になっていた。よく見ると、赤黒く膨れ上がった腹の上には左右とも釘か錐かを打ち込んだらしい穴の跡が15,6以上もあって、そこだけは皮膚が破れて、下から肉がじかに顔を出している。
 さらに、右の人差し指は完全骨折していた。指が逆になるまで折られたのだ。歯も上顎部の左の門歯がぐらぐらになっていた。背中も全面的に皮下出血していた。
 多喜二が警察に虐殺されたのは今から75年前のことです。多喜二の遺体解剖を受けつけてくれる病院もなく、葬儀すら警察に妨害されています。
 『蟹工船』ブームのなかで、今の若者に、いえ、若者だけでなく多くの日本人に知ってほしい事実です。この事実を知らないと、多喜二の死にいたる苦しみは浮かばれないのではないでしょうか。著者は、多喜二と同世代の人です。
(2008年8月刊。1500円+税)

弁護士を生きる

カテゴリー:司法

著者:福岡県弁護士会、 発行:民事法研究会
 新人弁護士へのメッセージというサブタイトルがついています。たしかに、一人でも多くの若手弁護士に読んでほしい内容です。
 まず、オビの文句を紹介します。これは、出版社が作ったキャッチコピーです。
 弁護士とは何なのか!どう生きるべきなのか!多様な生き様から真実の姿が見える。水俣病、ハンセン病、薬害エイズなど、歴史的な事件に弁護士はどう向き合い、涙し、闘ってきたのか!社会の中で、地域の中で、弁護士は市民とどのように向き合い役割を果たすべきか!求められる資質とは!
 ここで語られている内容は、実は5年前に「明日の弁護士を語る」という卓話会でのものです。したがって、数字などが少し古くなっていますし、法科大学院がスタートする前でしたので、少し現実と食い違うところもあります。しかし、そうは言っても、弁護士の仕事そのものがそんなに大きく変わることはありません。いったい弁護士とは何か、どんな仕事をしているのか、そこで何を悩み、考えているのか、仕事上の工夫としてはどんなことが試みられているのか、などなどについて、実に豊富な経験が率直に語られていて、大変勉強になります。
 木梨吉茂弁護士の話によると、今は大変風通しのよいといわれている福岡県弁護士会も、ご多聞にもれず、かつては長老の支配する窮屈なところだったようです。「三元老、五奉行」なるものがいて、どこかで会長以下の役員は決まっていたというのです。最近は、正々堂々と公正な選挙で役員は決まっています。もっとも、日弁連副会長選挙について最近も激烈なものがありました。といっても県弁副会長のほうは、その年代の弁護士に懇願して就任してもらっているという実情があります。
 刑事専門と自他ともに認めてきた徳永賢一弁護士(惜しくも本年6月に亡くなられました)は、なんと27件もの無罪判決を獲得したとのことです。これはすごいです。私は35年で2件のみです。
 いま、九弁連理事長をつとめている大分の徳田靖之弁護士の話は、感動的、の一語に尽きます。
 弁護士の原点は、コソ泥やシャブ中、常習的な覚せい剤使用者などの弁護人だと考えている。正義とか社会的な常識で弁護人が被告人(被疑者)を見たら、およそ彼らは浮かばれない。わずかに残っている、もがきながらも本当は真っ当に生きたいという気持ちの行きどころはない。弁護人こそ、社会の「ゴミ」と言われることの多いこそ泥やシャブ中の最後の付添人であるべきだ。
 徳田弁護士は薬害エイズ裁判を担当して、患者の家を1軒1軒、全部訪問してまわった。そしてハンセン病裁判では、被害救済ではなく、被害回復を求めた。裁判は、原告本人が主人公であるようなものにしなければならない。この提唱は、口で言うのは簡単ですが、実際にやってみると、大変な困難を伴うものです。嘘だと思ったら、ぜひ、やってみてください。
 馬奈木昭雄弁護士はマスコミの活用について、なるほどと思わせることを次のように提唱しています。
 テレビカメラがどこに向くかを予め考えて、その場所にいるようにしている。マスコミに弁護士はもっと出るべきだ。世論に訴えようというときにはマスコミに正しく報道してもらう必要がある。だから、報道してもらえるときにその場を設定するのは、弁護士にとって義務なのである。なーるほど、ですね。
 上田國廣弁護士は、裁判は法廷だけが戦場ではない。法廷外こそ主戦場であると考えて、厚労省前で一生懸命にビラを配ったりした。たすきを掛け、演説もした。そして、被疑者との接見交通権を確立するために、自らが原告となり、多くの弁護士に支えられながら裁判闘争に取り組んで、画期的な勝訴判決を得た。
 春山九州男弁護士は、市民の中での法律相談センターの展開の意義をじゅんじゅんと語ります。今では、天神センターがすっかり定着し、発展しているわけですが、その創設にあたっての苦労については、前田豊弁護士も語っています。
 法律事務所の10倍活性化する法について語っているのは永尾廣久弁護士です。どうやって弁護士は新鮮なやる気を持続させているのか、その工夫の数々が紹介されています。
 同じ工夫という点では、裁判所周辺ではなく、郊外の二日市に事務所を構えた稲村晴夫弁護士の話も大変興味深いものがあります。一人事務所から、今や弁護士7人の大事務所に発展しているのですから、本当にたいしたものです。弱小辺境事務所交流会というのが紹介されています。30年来続いている小さな法律事務所の弁護士と事務員の交流会です。今では参加者は100人をこえていますので、あまり弱小でもありません。今年は筑豊で開かれ、嘉穂劇場での全国座長大会を観劇しました。
 10月に発刊されたばかりのこの本を大分で開かれた九弁連大会で販売しました。幸いにも131冊を売ることができました。本を売るには、マスコミの力を借りるか、自分で現物を持ってまわるしかありません。このときには「キャッチセールスではないか」という非難を浴びながら、春山九州男・前田豊・野田部哲也、そして永尾廣久弁護士たちが福岡県弁護士会の女性職員二人(池尻さんと河野さん)の協力を得て販売につとめたのでした。押し売りと感じた方には、お詫びします。といっても、大会の最中に読了したという弁護士が何人もいて、「面白かったよ」と声をかけていただきました。いえ、本当に誰が読んでも面白いし、新人弁護士ならずとも役に立つ本なのです。ぜひ、あなたも読んでみてください、福岡県弁護士会に直接注文すると、特価1500円で買えるはずです。 
(2008年10月刊。1700円+税)

イラク米軍脱走兵、真実の告発

カテゴリー:アメリカ

著者:ジョシュア・キー、 発行:合同出版
 陸軍に入るとき、海外に送られることはないと徴兵担当者は固く約束した。きみはアメリカ本土で橋を建設し、夜は毎日、家族と一緒に過ごせる、と。ところが、実際に軍隊に入って練兵担当軍曹から言われた言葉は、次のようなものだった。
 お前らがサインした契約書に書いてあったことは、みんな大嘘だ。そんな約束は、すべて破られるだろう。
 うん、うん、そうなんです。軍隊って、どこの国でも大嘘つきなんですよね。
 アメリカ陸軍の将校と兵士にとって、イラク人は決して人ではなかった。イスラム教徒は決して市民ではなかった。ぼろ頭であり、砂漠のニガーであり、軽蔑すべき奴らだった。人権があるなんて、誰も微塵も考えなかった。
イラクでは、家宅捜索へ行くと、ほしいと思ったものは何でも盗んだ。だって、我々はアメリカの軍隊なのだから、何でも好きなことが出来るのだ。家宅捜索の後は、いつもアドレナリンのせいで興奮し、2時間以上続けて眠ることは決してできず、常にぼんやりと麻痺したような状態だった。
 ファルージャに派遣され、その2週間で10数人の市民を殺した銃撃音を聞いた。分隊が2人の市民を殺すのを見た。もう十分だと思えるほどの血と死を見た。このような暴虐を市民に対してふるうのは間違っていると考えた。それでもまだ、イラクにアメリカ軍がいるのは正しいと考えた。テロを根絶するために、イラクにいるのだと信じていた。
 イラクでもっとも恐ろしい任務は、小隊で行う徒歩のパトロールだ。パトロール中、まったく無防備で、敵にさらされていると感じていた。アメリカ兵に笑いかける人はなく、多くの人は憎悪を隠そうともしなかった。
 それは奇妙な戦争だった。アメリカ兵を狙って銃撃する者の姿も、迫撃砲も、アメリカ兵を目がけてロケット弾を飛ばす者の影も、まったく見えない。いつまでも敵が姿を現さないことで、アメリカ兵の恐怖といらだちは頂点に達した。そして、そのいらだちは、いつでも一般市民に向けることができた。
 戦場を知らない人には奇妙に思えるだろうか、イラクでは手榴弾はごく普通の日用品である。これというはっきりした敵がいないので、アメリカ兵は無力で抵抗できない市民に攻撃の矛先を向けた。自分たちの行為に対して責任を持たなくていいことは知っていた。恐怖でいっぱいで、眠りを奪われていて、カフェインやアドレナリンやテストステロンで興奮していた。上官は、いつも兵士に、イラク人は全員が敵だ。民間人もだと言っていた。
 2時間以上のまとまった睡眠をとれたためしはほとんどなかった。
 アメリカ兵自身がテロリストなんだということに、初めて気がついた。アメリカ兵はイラク人に対してテロ行為を働いている。脅かしている。殴っている。家を破壊している。アメリカ人は、イラクで、テロリストになってしまっている。もはや戦場に戻ることは良心の呵責に耐えかねる。そこで、著者は法務担当者に電話し、問いかけた。担当官は次のように答えた。
 君に出来ることは、次の2つのどれかしかない。一つは、予定されている飛行機に乗ってイラクへ戻ること。二つ目は、刑務所に入ること。このどちらかだ。
 この言葉を聞いて、著者はアメリカ軍に戻らないと決め、アメリカ国内で家族とともに潜伏生活を過ごし、インターネットで見つけたカナダの脱走兵支援事務所の援助を受けてカナダに入国したのです。すごい行動力です。
 この本を読んだあと、いま上映中の映画『リダクテッド』を見ました。イラクに派遣され、サマラの町の警備を命じられた兵士たちの日常生活が紹介されています。そして、イラクの人々を人間と思わず、ストレスもあって、15歳の少女をレイプしたうえで一家皆殺しにした実際に起きた事件を想像をまじえて再現しています。もちろん、許されない犯罪であることは言うまでもありませんが、そのような状況を作り出しているアメリカ政府の責任を厳しく弾劾しないことには、末端兵士を厳罰に処しても問題は何も解決しないと思わされたことでした。今のイラク戦争がいかに間違ったものなのか、すさまじい映像に圧倒されました。背筋の凍る映画というのは、こういうものを言うのでしょうね。でも、現実を直視するために、ぜひ多くの人に見てほしいものだと思いました。「リダクテッド」というのは、編集済みの、という意味だそうです。マスコミが報道するニュースは、すべて当局、つまり政府の都合のいいように編集されているということです。日本も、アメリカとまったく変わりません。イラク戦争の実情なんて、ちっとも放映されませんよね。 
(2008年9月刊。1600円+税)

私たちはいかに『蟹工船』を読んだか

カテゴリー:社会

著者:エッセーコンテスト入賞作品集、 発行:白樺文学館
 小林多喜二の『蟹工船』を今の若者がどう読んでいるのか。この本を読んで、私も大いに目を開かされました。私の中学・高校生のころよりよほど自覚的だと感心してしまいました。
 『蟹工船』の世界は昔のことではなく、いま起こっていることである。「団結」の意味を認識した、しかし現状では「団結」することが困難であること、それでも、その困難を打開しようとする意思を表明したものが目立った。このように評されています。
 精神科医の香山リカ氏は、「いまの若者にはプロレタリア文学の代表作である『蟹工船』の世界を理解するのは難しいにちがいないと思い込んでいたが、まったくの間違いだったことに気づき、そして恥じた」と評しています。
 大賞をとった山口さなえ氏(25歳)は次のように書きました。
 『蟹工船』の第一印象は、現実世界への虚無感と絶望だった。私たちは、もう立ち上がれないと思った。この行き場のない感覚をどうしたらよいのだろうか。労働者としての何らかの意識、闘争のための古典的な連帯はほとんど存在しない。私の多くの友人知人はまるで人間性を喪失した世界を浮遊する。
 『蟹工船』で描かれた暴力と支配は、いまも見えない形で続いている。バブル時代の熱狂を知らず、競争教育に導かれた青春時代を過ごし、団結とか連帯なんていう言葉すら知らない、いや、その言葉に不信さえ感じている。
 敵が誰なのか見えない。しかし、どこからともなく攻撃し、労働者の心と体を撃ち抜き、知らぬ間に休職させられる。敵がどこにいるのか、誰に憤りを感じればいいのか分からない。いつでも誰にでもそれが起こりうる、どこかの戦場の最前線にいるような感覚がある。焦り、虚無感、絶望――。
 高校生の神田ユウ氏は次のように書いた。
 心の中に、まるで稲妻がピカっと光ったかのような感覚がしばらく続いた。この『蟹工船』は、私があったこともない曾祖父や曾祖母の時代の話だ。だが、ふと考えたとき、根本的には、今でも何も変わっていないのではないか。
 かつて、日本でも、政治的・社会的問題や学問的問題に対して「学生運動」が盛大に行われたことがあったと聞いている。しかし、それも50年くらい前のことである。本来なら、他の国の人たちにも誇るべき日本人の温厚さが近年のいろいろな問題を引き起こしてきた一つの要因になっているとしたら、とても嘆かわしい。
 『蟹工船』は、悲惨な出来事をただ述べたものではなく、言論がまだ自由でなかった時代に、命を懸けてでも「世の中の矛盾を一人一人がもう一度考えて行動してほしい」というメッセージを送ったのではないだろうか。そうであれば、もっと学校でも積極的に取り上げて、大勢の人の心に問うべきだと思う。正しい心を失いつつある一部の大人たちにも、この作品に出会える機会をぜひ与えてほしい。
 うむむ、これは鋭い指摘です。「今どきの若者」にではなく、むしろ、私たち大人こそが「正しい心」を取り戻すために読むべきだというのです。これには参りました。
 同じことを、34歳の狗又ユミカ氏も訴えています。
 業務請負型派遣で働く人なら、すべてが他人事(ひとごと)ではない、と思うだろう。いま、まさに『蟹工船』に乗って働いているようなものなのだから。間違いなく、『蟹工船』は、すべての人間である人が、生涯に一度は人間の心を取り戻すために読むべき一冊だ。
 20歳の竹中聡宏氏もまったく同じことを訴えています。
 『蟹工船』は、現代の世の中に監督たちがかけたモザイクを取り払った姿だ。モザイクがかかっていること自体に気づいていない人は、ぜひ『蟹工船』を読むべきだ。ああ、こんな大変な時代があったのだなあと感嘆して、この本を閉じてしまうのなら、多喜二の死は報われない。私たちは立ち止まり、現代の日本社会をじっくり俯瞰してみる必要がある。はたして国家は真に国民の味方たり得ているのか。資本家による搾取は過去の遺物なのか、と。
 『マンガ蟹工船』は、私はまだ読んでいません。現代若者のイメージをかきたてる本として、とてもいいマンガのようですので、私も読んでみようと思っています。それにしても、派遣労働の若者を人間扱いせず、金儲けの道具として簡単に切って捨てていく現代日本社会の異常さは、正さなければいけない。つくづく私もそう思いました。それを許したのは、まだ20年にもならない、自民党政権なのですからね。働く者を人間らしく扱うのは、国家の基本を守ることだと私は確信しています。とてもいい本です。150頁足らずの薄い本ですので、皆さんに強く一読をおすすめします。
(2008年2月刊。467円+税)

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