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2008年8月 の投稿

スシ・エコノミー

カテゴリー:社会

著者:サーシャ・アイゼンバーグ、出版社:日本経済新聞出版社
 20年前、世界のどこでもマグロは見向きもされず、もっぱらペットフードの原料だった。1970年にがらっと変わった。今や、その金額は1万%も上昇し、マグロは海のダイヤモンドと言われるようになった。アメリカで定期的に寿司を食べている人は3000万人にのぼる。ひゃー、そ、そうなんですか。まさに世の中は変わりましたね。
 1970年代半ばになると、夏の日曜日の夜に大西洋で捕獲されたクロマグロが水曜日に東京でランチとしてごく普通に出されるようになった。「東京の台所」と呼ばれてきた築地市場は、寿司に関しては、「地球の台所」となった。
 今日、寿司は、日本以外でも人気の高いごちそうだ。アメリカでは、ほぼあらゆる街で寿司を味わうことができ、スーパー・マーケットの惣菜売り場では売り切れになり、野球場のスナックとしても定着している。むむ、日本と同じですね。
 築地市場での商いにのぞむ者は6万人。年間60億ドルもの水産物を動かしている。築地市場の広さは東京ドーム6つ分である(23ヘクタール)。
 マグロの良し悪しは姿形で見分ける。骨にそった盛り上がり、腹のふくらみ加減が大切。頭のすぐ下から尾に近づくにつれて腹のラインが涙の滴のような末広がりのラインを描いているマグロは、大きさの割にトロの部分が多い。トロは赤身の4倍の値がつく。
 マグロの空輸は1972年、カナダのプリンスエドワード島から始まった。
 おや、あの赤毛のアンの故郷ですね。
 日本に回転寿司店が、今3500店ある。東京に食べ物屋が30万軒あるうち、   1万5000軒が寿司屋だ。私は、回転寿司は入ったことがありません。なんだか人工ものの寿司しかない気がしてならないからです。行列のできる回転寿司まであるというのですが、私には信じられません。
 日本人が脂分の多いトロを好むようになったのは、ステーキを食べるようになってから。それまで、トロは脂っぽいという意味で、あぶと呼ばれていた。
 寿司職人の世界は、厳しい階層社会であり、厳然とした序列がある。まずは毎日の雑用をこなす。それから、ご飯を炊く。魚のうろこを取る。やがて魚を切ることが許され、ようやく寿司を握れるようになる。奉公人として修業に入って初めて魚に触れるまでに何年もかかる。うひょー、そうなんですね。3週間で寿司職人を養成する講座の授業料は40万円だそうです。
 マグロを養殖場で太らせる作業は一見したところでは割のあわないビジネスだ。マグロ一頭と大きくするためにかかるエサ代は体重1キロあたり20ドル。良質の養殖ミナミマグロに築地でつく価格は1キロ20ドル。輸送費と販売費を加えると、得るお金よりも大きい額を飼育につかっていることになる。しかし、はじめ20キロだったマグロが養殖場で60キロ体重を増やし、それから市場に出るので、割はあう。
 マグロはマイナス65度で数時間のうちに凍結される。そして、すばやく冷水に浸し、表面を氷でコーティングする。養殖マグロの総量の3分の2以上は冷凍される。
 寿司、とりわけマグロの生きた価値を伝えてくれる本でした。これからますますマグロ(とりわけトロ)を大切に味わって食べることにします。
(2008年4月刊。1900円+税)

冤罪を追え

カテゴリー:司法

著者:朝日新聞鹿児島総局、出版社:朝日新聞出版
 鹿児島で起きた志布志事件は単純な「冤罪」事件ではない。警察官(やり手と評判の警部補と署長)が無実の人に初めからありもしない「犯罪」(買収)を押しつけてデッチ上げたものだ。捜査当局が誤って罪のない人を有罪にしてしまったという「冤罪」事件とは違って、故意犯であり、悪質きわまりない。
 そこで著者は「虚罪」という言葉をつかおうとします。でも、私には、こんなときに「虚罪」というのは胸にピンときません。これって、まさに警察官の犯罪、国家権力の濫用罪そのものではありませんか。こんなとき、「虚罪」というのは、むしろあいまいな言い方に聞こえてしまいます。
 この本を読んだ私がもっとも驚いたのは、朝日新聞に対して志布志事件はおかしい、デッチ上げ事件だと内部告発していた警察官が複数いたという事実です。やはり、警察官にも正義感を失っていない人がいたのですね。こういう人がいたから、警察組織の巨悪をいささかなりともチェックできたわけです。その内部告発の勇気を私は大いにほめたたえたいと思います。
 志布志事件では、13人が公選法違反で起訴された。中山県議(当時。そして、今、再び県議)を当選させるために4回の買収会合を開いて計191万円が配られたという容疑である。被告たちは長く勾留された。最長395日間(中山県議)、最短でも87日間。
 「お前を死刑にしてやる」
 「認めれば、すぐにここから出れる」
 「認めないと地獄に行く」
 これは取調べにあたった刑事のセリフ。家宅捜索はのべ50回以上。ところが、買収の物的証拠は出てこなかった。志布志では、「うそつきは警察のはじまり」とまで言われるようになった。あちゃー、こんなことを言われるようになったら、日本の警察はガタガタと崩れてしまいますよね。
 鹿児島県警は本部9階に「公判対策室」をかまえた。担当した特捜班長など捜査の中心人物たちが裁判対策のために集められた。
 ところが、地検と県警とが裁判対策のために会合を重ねていたときの協議会議事録が朝日新聞の手に渡ったのです。それほど正義に反したひどい協議内容だったということです。検事が裁判維持で頭をかかえていたことがよく分かります。
 捜査官が取調べのとき小票(こひょう)というものをつくっていたことを私も初めて知りました。それなりに長い刑事弁護人としてのキャリアがある私でも知らないし、見たこともないものです。事実を争うような事件では、私も、この小票を出すように検察官に要求してみようかと思います。
 それにしても、志布志事件は「踏み字」といい、捜査官が闇の中で勝手放題のことをしてしまうことの恐ろしさを実感させられます。そのためにも取調の全課程を録画する必要があるというのは、よく分かります。
(2008年5月刊。1500円+税)

デキのいい犬、わるい犬、

カテゴリー:生物

著者:スタンレー・コレン、出版社:文春文庫
 名犬ラッシーのテレビ映画は、私も子どものころ、よく観ました。そのラッシーは、7代にわたって雄のコリーだった。雌のふりをさせられていただけだった。雄のほうが雌より体格も大きく臆病なところがないためだった。観客は、みな見事にだまされた。
 ラジオドラマがつくられたとき、吠えたのは本物の犬だったが、クンクン啼いたり、ハアハアいったり、威嚇するようにうなる声は、すべて人間の役者が受けもった。まあ、なんと犬の声優がいたというわけなんですね。
 もっとも古い家犬の確実な証拠として残っている化石は、1万4000年前のもの。旧石器時代人が連れていた。イヌ科動物の多くが、排泄のあと、近くの地面をひっかく。これは足の裏から分泌される汗に似た分泌物が、情報量は少なくても多様な情報を提供するためのもの。
 家犬は子犬的特徴をもっている。そして従順である。一生、子犬のように垂れ耳のままの犬も多い。
 犬には、自分の能力の可能性と限界を知るという自己認識能力がある。対自的能力ともいう。高すぎる壁、広すぎる溝を前にして跳躍をためらい、拒否する犬は、この種の知能を示している。
 犬は65種類の言葉と25種類の合図・身ぶりを理解する。つまり、受容できる言語は90種類である。犬の発信する言語は25種類の声と35種類の身体の表情がある。ただし、構文や文法はつかえない。
 服従に最適な犬は、頭の鈍いゴールデン・レトリバー。ゴールデンは、人間から受けた指令を理解し、人間を喜ばせたい一心でそれをこなす。飽きっぽくなく、すぐに気を散らすこともない。目の前のことを詮索しようとせず、反応の仕方を変えることもなく、人間が最初に教えたとおりを正確に実行しようとする。
 テリアが服従訓練に良い成績をあげられないのは、テリアが唯我独尊に改良されてきたため。自分たちの行動を人間がどう思うか気にもとめない。だから、服従訓練競技の会場では活躍できない。しかし、テリアはとても利口である。なるほど、なるほど。人間の言いなりになるかどうかと、犬の知能は別の次元なんですね。
 子犬は生後7週間ぐらいは、一腹子の兄弟たちと一緒にいたほうがいい。この期間に、犬らしさが育成され、犬同士を仲間と認め、ほかの犬との関わりに必要な基本行動が学びとる。次の5週間のあいだに人間と十分なふれあいをもてば、犬は人間を群れのメンバーとして受け入れる。こうして、犬は人間と円滑な相互関係をもつことができる。
 必要なことは、折りにふれて犬を1、2分間ほど拘束すること。犬に優しく話しかけながら、その口吻を数秒のあいだ手で閉じさせる。そして犬を倒して横にさせ、まる1分間は、そのままの姿勢をとらせる。そのあいだ、犬が四肢を上げないときには、脚を床から離させ、より服従的な姿勢をとらせるか、犬を仰向けにして四肢が上を向くようにさせる。この間、犬の目をまっすぐに見すえる。犬が顔をそむけたら練習を終わりにして、犬が尻尾をふり始めるまで軽く遊んでやる。
 遊びの最中に注意しなくてはいけないのは、犬が攻撃の真似をしたり牙を立てようとしたら、絶対にやめさせることである。咬みつくのを挑発するように、犬の顔の前で指をひらひらさせたりしてはいけない。綱引きもしないほうがいい。この遊びは犬の支配性を助長し、性格上、良くない影響を与えてしまう。
 犬は年をとってからでも学習できる。これって、人間と同じですよね。
 タイトルの軽さに反して、この本に書かれていることはすごく真面目なことですし、大いに勉強になります。私も子どもたちと一緒に犬を飼っていましたが、この本を読むと反省させられることばかりです。でも、旅行に行きたいので、もう犬を飼うことはあきらめています。
(2000年9月刊。657円+税)

公事宿の研究

カテゴリー:司法

著者:瀧川政次郎、出版社:早稲田大学比較法研究所
 1959年に出版された本です。古本屋で入手しました。江戸時代の公事宿について研究した古典的な本です。本好きの私は、古書目録もみていますし、東京・神田の古本屋街もたまに歩いています。本が手に入らないときには、インターネットで古本として注文して入手することも多くなりました。
 江戸時代の公事宿は、公事訴訟人の依頼に応じて、訴状その他の訴訟に必要な書類を代書し、目安裏判のもらい受け、裏判消し等の訴訟手続を代行するのみならず、奉行所の命を受けて訴状の送達を行い、宿預けとなった訴訟当事者および訴訟関係人の身柄を預かるなど、公務の一端を負担していた。公事宿の制度は、江戸時代の司法制度の一翼をなしていたのである。
 公事宿には、訴訟に必要な諸書類の雛形が備え付けられてあり、公事宿の下代(げだい)などは、それによって書類を勘造していた。
 江戸時代、訴訟というのは、まだ相手方の立ち向かわない訴えであり、公事というのは対決する相手のいる訴訟事件である。訴訟には、また訴願の意もあった。
 江戸時代の訴訟は、これを出入物(でいりもの)と吟味物(ぎんみもの)との2つに大別することができる。出入物というのは、訴訟人(原告)が目安(訴状)をもって相手方(被告)を訴え、奉行(裁判官)がこれに裏書(裏判ともいう)を記載して相手方を白洲(法廷)に召喚し、返答書(答弁書)を提出せしめて対決(口頭弁論)、糺(ただし。審理)を行い、そのあと裁許(判決)を与える手続による訴訟のこと。
 吟味物というのは、捕方(警吏)の手で召捕(逮捕)り、あるいは奉行所の差紙(召喚状)をもって人を召喚して吟味(審問)する手続による訴訟。
 つまり、出入物は前代における雑訴であって、およそ今日の民事訴訟であり、吟味物は前代の検断沙汰であって、およそ今日の刑事訴訟事件である。
 吟味物は、国の治安に関するものなので、代人はまったく許されない。したがって、日本には江戸時代まで弁護人は存在しませんでした。ところが、出入物には、代人も許され、その資格は問われませんでした。
 公事宿は出入宿(でいりやど)とも呼ばれた。公事宿の主人・下代は吟味物には手を出しませんでした。公事宿の主人・下代は、江戸中期以降は、江戸幕府に公認された公事師である。公事宿は、公事宿仲ヶ間を組織し、その営業権を守るとともに、幕府の御用をつとめた。
 明治5年、代言人制度が制定されたとき、公事宿の主人・下代はおおむね代言人となった。江戸時代の庶民は、決して裁判所や訴訟を忌み嫌ってはいなかった。それどころか、裁判所を人民の最後の拠り所と信頼して、ことあればこれを裁判所に訴え出て、その裁決を仰いだ。裁判所(奉行所)といっても、行政と司法は一体であった。
 奉行所・評定所の開廷日には、訴訟公事は大変繁忙しており、想像を上まわる。腰かけるところがなく、外にもたくさんの人がつめかけた。早朝から300人もの人が殺到している。このように描かれているのです。
 まことに、実のところ、日本人ほど、昔から裁判(訴訟沙汰)が好きな民衆はいないのです。例の憲法17条の「和をもって貴しとなす」というのも、それほど裁判に訴える人が当時いたので、ほどほどにしなさいと聖徳太子が説教したというのが学説です。
 この本には、公事宿に関する古川柳がいくつも紹介されています。それほど江戸時代の庶民にとって公事宿と裁判は身近なものであったわけです。
 諸国から草鞋(わらじ)踏み込む 馬喰町
 馬喰町 人の喧嘩で蔵を建て
 馬喰町 諸国の理非の寄る所
 鷺と烏と泊まっている 馬喰町
 これらは公事宿の多い馬喰町についての古川柳です。
 ところが、公事宿の本場は、丸の内に近い神田日本橋区内にあったそうです。
 江戸の公事宿は200軒ほどあった。1軒の公事宿が2人の下代を置いていたとすれば、江戸で訴訟の世話をして生活している人が500人ほどであったということになる。
 江戸の公事宿は本来が旅館業者であり、大坂の公事宿は本来が金貸し(高利貸)である。
 江戸時代の裁判所の事物管轄は複雑だったので、どこに訴えたらよいのか、簡単には分からない。そこで、公事師が必要となった。
 幕府当局は、人民が訴訟手続に通暁して「公事馴」するのは健訴の風を助長するものとして、法律知識の普及を欲しなかった。だから、一般庶民は、法律を知っていても、奉行所に出頭したとき、法律のことはまったく知らないという顔をしているように装うようにしていた。
 実のところ、かなり詳しく法律のことを知っていたことが、この本によってよく分かります。日本人は昔から、それほどバカではなかったのですよね。
(1959年12月刊。300円)

戦争熱中症候群

カテゴリー:アメリカ

著者:薄井雅子、出版社:新日本出版社
 アメリカの元海兵隊少将が次のように言った言葉は有名です。この言葉は何回引用しても、そのとおりだと、ついつい首が上下に動いてしまいます。
 戦争は、やくざな金もうけだ。いつもそうだった。たぶん、これはもっとも古くからあり、苦もなく最大の利益を得る、もっともあこぎな商売であるのは確かだ。世界をまたにかけて稼ぎ、利益はドルで勘定するが、損失は生命で勘定する。自分は33年間、海兵隊で過ごした。その間、大企業やウォール・ストリート、銀行家のための高級な殺し屋として。資本主義のために働くヤクザだった。
 スメドラー・バトラーという元少将が1933年、1935年に語った言葉です。
 イラク、アフガニスタンに派兵された15万5000人の女性兵士のうち、1割をこす1万6000人がシングル・マザーである。兵士になるしか収入がないというシングル・マザーは多い。
 軍隊に入ると、初任給の月給は1250ドル(14万円)。つまらない田舎から出て独立し、違う世界を見たいという若者にとって魅力このうえない条件だ。
 CNNテレビの社長は、戦争報道ではバランスをとれ、アフガニスタン民衆の被害にばかり焦点をあてるのではなく、なぜアメリカが攻撃しているのか、その理由を視聴者に思い起こさせるようにと社内に指示した。この「バランス報道」の結果、アメリカの攻撃にさらされた現地の人々の被害はアメリカではほとんど放映されない。少しでも被害の生々しさが伝わると、怒りの電話やメールが殺到する。兵士を出している家族からすると、命がけで戦っている夫や父を悪者にするのか、という怒りがわくからだ。
 大規模な反戦運動のニュースが一面トップに来ることもない。
 これって、日本でも同じことですよね。被害の実情はおろか、サマワ(イラク)の自衛隊基地の実情すらほとんと紹介されることがありませんでした。政府が報道を禁止したからです。日本のマスコミは政府の言いなりでした。日本人のまじめな若者が人質になったときには「自己責任」を大々的に喧伝するばかりで、本当にガッカリさせられました。
 そして、日本のささやかな反戦集会やデモ行進が記事になることはめったにありません。無力感をマスコミが植えつけ、広めています。
 先日、福岡県弁護士会が福岡市内でペシャワール会現地代表の中村哲医師を招いて講演会を開いても、テレビ局はどこも取材に来ませんでした。テレビは、ひたすら、面白おかしくという路線をとり、シリアス番組はどんどん少なくなっています。
 イラクでアメリカの民間軍事会社の一つであるブラックウォーター会社がイラク人を殺しても訴追されないことになっている。ひえーっ、これって重大な主権侵害ですよね。
 アメリカの連邦予算の半分を軍事費が占めている。アメリカには軍事にお金をつぎこみ、巨大な軍隊組織と軍需産業をつくれば、豊かな経済を維持できるという神話がある。
 軍事中心の政治・経済が長く続いてきた結果、アメリカ国内の産業は直接・間接に軍需産業への依存を強めている。ミネソタ州にあるアライント・テクニステムズは、劣化ウラン弾やクラスター爆弾を清算しているが、従業員が全米に1万6000人いる。その反対に自動車をつくるフォードの工場はかつて1万人いた労働者が今や数千人に減り、やがて閉鎖されることが決まっている。
 アメリカの帰還兵が2005年に6256人も自殺した。20〜24歳の帰還兵の自殺率は、同年代のそれの4倍。
 2005年、ホームレスの退役軍人が20万人近くいる。推定74万人をこえるホームレス人口の4分の1を占めている。
 イラク開戦以来のアメリカ兵の死者は4000人をこえました。もちろん、イラク人の死者は、ケタが2つも違います。それでも、これはアメリカ社会に大きなマイナスをもたらすに違いありません。戦場の狂気を社会にもちこむことになるからです。アメリカって、本当に厭な国です。そんなアメリカにいつもいつも犬のように尻尾をふり続けている日本って、ホント馬鹿みたいな国ですね。
(2008年3月刊。1600円+税)

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