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2008年8月 の投稿

本を読む本

カテゴリー:社会

著者:M・J・アドラー、C・V・ドーレン、出版社:講談社学術文庫
 私は、なんといっても速読派です。だって、読みたい本がいつも目の前に山のようにありますし、少しでもたくさんの本を読みたいのです。もちろん、あたらないこともあります。でも、ときに大あたりする本に出会うこともあるのです。ですから速読・多読はやめられません、とまりません。
 読書には、情報を得るための読書と、理解を深めるための読書とがある。目的が二つあるのだから、読みかたにも当然二とおりあってもよい。
 私は、理解を深めるというより、その情緒にどっぷり浸って、心をいやす読書もあると思うのですが、いかがでしょうか。たとえば、絵本やファンタジーです。日常生活のわずらわしさから、ひととき脱出できるという効用は、きわめて大きいものがあります。
 小説は一気に読むもの。速く読み、作品に没入して読みふける。没入するとは、文学に身も心もゆだね、作品がはたらきかけるままにまかせること。自分が作中人物になりきって、どんな出来事も素直に受け入れてしまう。速く読まないと、物語の統一性が見失われやすい。集中して読まないと、細部が目に入らない。
 本を読むには規則がある。難解な本にはじめて取り組むときには、とにかく読み通すことだけをこころがける。すぐには理解できないところがあっても、考えこんだり、語句の調べに手間をかけず、ともかく前へ進んでいく。
 理想なのは、ただ速く読めるようになるだけでなく、さまざまな速度の読みかたが出来ること、場合に応じて違った速度で読めることだ。
 本に書きこみをすることは読書に欠かせない。行間に書くことをしないと、効果的な読書はのぞめない。私は、赤エンピツでアンダーラインをひきます。ですから、上着のポケットに赤エンピツは欠かせません。
 読書は著者と読者の対話でなければならい。本を読むというのは、一種の対話である。最後の判断を下すのは、実は読者である。本が読者に向かって語り、読者は本に語り返す。
 著者との対話から得る唯一の利益は、相手から何かを学ぶこと。読書の成功は、知識を得ることにある。
 物語を読むときは、物語が心に働きかけるにまかせ、またそれに応じて心が動かされるままにしておかなくてはいけない。つまり、作品に対して無防備で対するのだ。
 作品の好ききらいを言う前に、読者は、まずは作品を誠実に味わうよう努力しなければいけない。
 小説は人生のようなもの。実人生で起きる出来事が、すべて明瞭に理解できるとは、我々も思っていない。ただ、過去としてふり返ったとき、はじめて理解できる。
 楽に読める本ばかりを読んでいたのでは、読者は成長しない。自分の力以上に難解な本に取り組まなければならない。そんな本こそ読者の心を広く豊にしてくれる。心が豊かにならなければ、学んだとは言えない。
 人間の精神には一つの不思議なはたらきがある。それは、どこまでも成長しつづけること。肉体にはさまざまの限界がある。しかし、精神に限界はない。この精神もつかわないと萎縮してしまう。それは精神の死滅を意味する。自分のなかに精神的な貯えのない人は思考することをまったくやめ、やがて死が始まる。
 テレビやラジオなどの外からの刺激に反応していると、自分の精神も活動しているような錯覚に陥る。だが、外部からの刺激は麻薬と同じで、やがて効力を失い、人間の精神を麻痺させてしまう。私は映画はみますが、テレビは見ませんし、ラジオを聞くこともほとんどありません。世の中の情報は新聞・雑誌という活字からにしています。それで不自由を感じることはありません。
 すぐれた読書とは、我々を励まし、どこまでも成長させてくれるものである。
 いやあ、実にいいことを言っている本です。多読・乱読派の私が日ごろ思っていることをズバリと言い切ってくれた本に出会い、心地よいひとときを味わうことができました。
 久しぶりにサボテンを整理しました。しばらく留守にしていたあいだに親サボテンがいくつか枯れてしまいました。代替わりの時期でしたので仕方がありません。別の親サボテンにくっついていた子サボテンを火バサミでもぎとって地面におろしてやりました。我が家のサボテンは、もう10代以上になるのではないかと思います。手のひらサイズの可愛い姿です。これまであちこち知人にもらってもらいましたが、みんな無事に育っているかしらん。
(1997年10月刊。900円+税)

百姓の力

カテゴリー:日本史(江戸)

著者:渡辺尚志、出版社:柏書房
 現代日本人の代表的な行動特性に、狭い人間関係のなかでの評価には非常に敏感で、過剰なほどまわりに気をつかうというものがある。会社や学校などの小さな社会のなかで、自分の本心を隠してでも周囲から浮かないことを心がけ、場の空気を読んで行動し、集団の和を重視する。ところが、その世間を一歩出ると、とたんに周囲には無頓着となる。タバコのポイ捨て、電車内での携帯電話、人前での化粧など、何とも思わなくなる。こうした日本人の行動パターンは、狭い村が世間そのものであり、そこから排除されるとたちまち生活基盤の崩壊につながった江戸時代の村人の暮らしから生まれた。このように、現代日本社会は、江戸時代の社会の延長線上にある。ふむふむ、このように言われると、なるほどと思ってしまいますね。
 江戸時代における全国の村の数は、元禄10年(1697年)に6万3000ほど。平均的な村は、人口4000人ほどだった。
 江戸時代に庶民の識字率は上昇した。明治8年(1875年)の学齢人口(6〜11歳)の就学率は男子54%、女子19%。全国の寺子屋は明治8年までに1万5500校あった。19世紀には、1軒の寺子屋に平均して男43人、女17人の子どもが在籍していた。
 村には文書を保管するための専用倉庫(郷蔵)が建てられた。半紙に一行かかれただけの短い文書であっても、千金にかえがたい貴重な価値があるとされた。
 1600年ころの日本の総人口は1500〜1600万人、耕地面積は163万5000町歩。享保6年(1721年)には人口3128万人、297町歩へ急増した。人口は2倍、耕地面積は1.8倍に増えた。人口爆発と大開発は17世紀を特徴づけるものだった。
 日本人の多くが江戸時代、古くても戦国時代までしか先祖をたどれない。これは記録がないからではなく、それ以前には、百姓の家そのものが成立していなかったことを意味する。うむむ、そういうことだったのですね。安定的な「家」なるものは、中世前にはなかったわけなのですか・・・。私も祖先のルーツを少し調べてみましたが、私の家では江戸時代にまでさかのぼるのがやっとでした。お寺の過去帳までは調べることができなかったのです。知人に100回忌を永年営んでいるという人がいます。私はそれを聞いて驚きました。古くからのお寺が存続しているから、そんなことができるのです。
 近代になる前の社会では、土地の所有権は一元化されず、一つの土地に複数の所有者がいる状態が、むしろ普通だった。百姓と武士とが、それぞれ権利の内容を異にしながら、ともに所有者として一つの土地に関係していた。領主の所有権は国家の領有権に近い性格をもっており、百姓の所持権とは位相が異なっていた。そして、注目すべきは、村も所有者として土地に関係していたということ。
 割地(わりち)とは、村が主体となって定期的に農地を割り替えること。何人かに一度、くじ引きなどによって、村人たちが所持地を交換していた。年貢負担の不平等をなくすためである。割地がなされていた村では、村人は割地から次の割地の間だけ、その土地の耕作権を保障されていた。村の耕地は、全体として、村の管理下にあった。
 土地を質入れして、流れてしまっても、元金を返済しさえすれば、何年たとうと戻せるという慣行が広く存在していた。無年季的質地請戻し慣行だ。これは村の掟だった。村の土地は村のものであり、個々の百姓の土地所有権は村によって管理・規制されていたという事情がある。
 そして、村人は村を出ていくときには、その所有地を無償で村に返した。その所持地は、村に住み、村の一員として耕作に従事し、領主に年貢などをきちんと納めている限りにおいて、その所有と認められていたのである。村の成員の資格を失ったら、土地を自由に処分することはできないものであった。そういうことなのですか、知りませんでした。
 零細錯圃制(れいさいさくほせい)という言葉を初めて知りました。個々の百姓の所持地は、屋敷地の周囲など1ヶ所に固まっていることは少なく、村内のあちこちに少しずつ分散しているのが一般的だった。自然災害などの危険を分散できる利点があった。なーるほど、ですね。江戸時代、子どもは村の未来を担う宝であり、その成長には村も責任を負っていた。子どもは「家の子」として育てられると同時に、「村の子」としても育てられるべき存在だった。
 江戸時代には、「7歳までは神のうち」という言葉があった。乳幼児の死亡率が高かったということです。
 7歳をすぎた子どもは「子供組」という集団をつくった。15歳になったら一人前の村人と認められ、男は「若者組」、女は「娘組」に属し、集団の規律を学んだ。
 若者たちは、村役人の監督下に、青年にふさわしい役割を果たしつつ、村のルールを身につけていた。若者組も娘組も、村のなかの一組織であり、村の教育機関としての役割をもっていた。
 現代日本人は訴訟を敬遠しがちだが、江戸時代の百姓は頻繁に訴訟を起こしていた。江戸時代は健訴社会だった。19世紀になると、百姓たちの訴訟技術は向上し、百姓のなかに公事師的存在が増えた。ときに、偽の証拠や証言まででっち上げた。百姓は一面において、したたかで狡猾だった。
 いやあ、これってまさに現代日本人そのものではありませんか。まこと、江戸時代の日本人は今の日本人と変わらない存在なのですね。
(2008年5月刊。2200円+税)

バカ親って言うな

カテゴリー:社会

著者:尾木直樹、出版社:角川ワンテーマ21新書
 いま問題のモンスターペアレントの謎に挑んだ問題提起の本です。
 小学校の教師が相次いで自殺する事件が起き、その背景にモンスターペアレントがいると指摘される社会の現実があります。いったい何が学校と家庭に起きているのか?
 モンスターペアレントとよばれる保護者が増えてきたのは古いことではなく、2000年代に入ってからのこと。かつては、クレーマー親とよばれていた。クレーマーについては、権利主張タイプと不正糾弾タイプの2つがあり、その主張には理解できるところがあった。ところが、いまや、ある保護者が何かのクレームをつけてきたときには、その正当性があるか否によらず、ほかの保護者がクレーマーの意見に同調して学校や教師を非難するケースが増えている。
 モンスターペアレントが学校や教師に突きつけてくる無理難題には想像を絶するものがあり、どんな場面で何を言い出すのか、まったく予想できない。
 モンスターペアレントの5つのタイプ。
1 我が子中心型
2 ネグレクト(育児放棄)型
3 ノーモラル型
  深夜でも早朝でも、教師に電話をかける。教師からお金を借りようとする。
4 学校依存型
  毎朝、子どもを起こしに家へ来てほしい。体操着は学校で洗ってほしい。こんなことを教師に要求する。
5 権利主張型
 このほか、なんでも「いじめ」にしたがるモンスター、お節介モンスター、子どもの言うことのみ信じるモンスター、文書でクレームをつけてくるモンスター、凶器で脅したり、暴力団をちらつかせてくる暴力・恐喝モンスター。そして、一見すると常識的な人が想像を絶する非常識な脅しをかけるケースが増えている。
 子どもの学力が世界一のフィンランドでは、自分のつきたい仕事に教師がずっと第一位を占めている。教員養成大学の倍率も10倍を切ったことがない。ところが、日本では 2000年度は4倍にまで下がった。うへーっ、これは困りましたね、今の大分の汚職事件は全国どこにでもあることで、氷山の一角にすぎないと思いますが、これでは日本という国の将来はありません。道路や橋など、ゼネコンと自民党政治家のための大型公共事業にばかりお金をつぎこみ、人材養成のお金を削ってきた日本政治の積年の誤りが今になって劇的な形であらわれています。
 格差社会の進行とモンスターペアレントの急増と見事に一致している。というのは、格差社会は地域の人々の連帯意識を破壊し、一人ひとりが地域の中で攻撃的な生活を営んでいるからである。今は、地域の人的なつながりのなかで大人として、親として成長していくことが困難になっている。
 学校を単なるサービス機関としてみる風潮が強まっている。保護者にとって、学校はデパートと変わらない存在になった。
 うひゃー、ま、まさか、と思いました。この指摘こそ、この本のなかで私がもっともショックを受けたところです。
 学校を「託児所」か「なんでも屋」のように考えている保護者がいる。「過剰サービス」を受けるのに慣れた人は、自分の要望はおよそ通るものだという感覚をもっている。そして、今の学校は、保護者にとって商品と変わらない存在になっている。
 そのうえ、マスコミの報道による「後押し」があって、教員はバッシングしていい存在だというムードがある。
 社会全体にストレスがみちみちているので、日頃からストレスをためている人間にとって、好き勝手な要望を押しつけられる相手がいたら、その絶好のはけ口となる。相手に言いたい放題いって、うさ晴らしができる。しかも、教師は基本的に反撃してこない人種だという安心感がある。最初の一歩さえ踏み出してしまうと、その後の攻撃は、とくに過激になりやすい。
 しかも、攻撃される教師をフォローしてくれる存在がいなくなった。校長や教頭は「穏便にすませるように」としか言わないように変質してしまった。
 親自身が幼い。大人として自立していない。
 モンスターペアレント問題は、単に学校内の問題ではなく、日本社会全体の危機を象徴する問題である。今や教育の世界は流動化し、見事に二極化しつつある。平和で安定し、みんな仲良く、みんな平等という、かつての学校理念から、階層化というもっとも激しい津波が押し寄せる流動的世界へと一変した。財力と学力によって、勝ち組にも負け組にもニートにもなれる時代である。
 日本の心であった相互扶助の精神や他者への優しいまなざし、思いやり、心づかいなど、モラルと品格そのものをメルトダウンさせてしまった。
 教育の市場化は、そのまま日本的品格やモラルの崩壊に直結している。競争と結果責任を取ることを突きつけられたら、誰でも他者にはかまっていられず、厳しい姿勢で生きるように変化してしまう。今や誰でもがモンスターペアレント化するような日本になってしまった。病んだ日本社会が生んだモンスターペアレントです。金もうけと経済効率最優先の御手洗・日本経団連ばりの政策を見直すときです。決して遅すぎることはありません。
 南フランスのエクサンプロヴァンスに行ってきました。ここは私がまだ40歳前半のころ、3週間滞在したことのある町です。外国人向けフランス語集中講座を受講したのでした。大学の寮に寝泊まりしながら、午前中は授業を受け、午後からはミラボー大通りをぶらぶら散策したり、映画をみたりしていました。ここからセザンヌのよく描いたサント・ヴィクトワール山がよく見えます。
(2008年4月刊。686円+税)

「アフリカに緑の革命を!」

カテゴリー:アフリカ

著者:大高未貴、出版社:徳間書店
 南アメリカには次々にアメリカの言いなりにならない自立的な政権が出来て、国づくりが前進しているように思いますが、アフリカの方はなぜか遅々とすすみません。
 1960年代初頭のガーナのエンクルマ大統領(アメリカによって暗殺)をはじめとして、すごく新鮮な独立の息吹を感じたものですが・・・。一体、どうしたのでしょう。この本は、そんな困難なアフリカで地道な活動を続けている日本人の団体を紹介したものです。なるほど、なーるほど、大変な苦労があるのだろうな、本当にご苦労さまです、と思わずつぶやいたことでした。
 その仕掛け人は、なんと右翼の大立者のあの笹川良一です。うへーっ、そ、それだけでうさんくさい。つい、そう思ってしまいますが、この本で語られていることは、なかなかどうして、アフリカでは立派なことをやっているようなのです。
 当時の日本財団の会長であった笹川良一は、物資援助では根本的な解決にならないと考えて、アメリカのジミー・カーター元大統領にも協力を求めてNGOを設立した。アジアに「緑の革命」をもたらし、ノーベル平和賞を受賞したノーマン・ボーローグ博士に協力してもらった。SG2000とよばれるNGOだ。飢えた者に一匹の魚を与えるよりも、魚を釣る方法を教えるほうが、ずっと効果的で効果がある。なるほど、それは、そのとおりです。
 アフリカに出張するときの必需品は、下痢止め、痛み止め、マラリアの薬、トイレットペーパー、そしてミネラルウォーター。どんなときでも必ず薬とトイレットペーパーをもち歩く。食欲がないときでも、無理にビスケットを食べて紅茶で胃に流しこむ。アフリカではミネラルウォーターでも信じられない。安心して飲める冷たい飲み物はコーラだけ。それから、薬も飲んだらいけない。インドやブラジルから安くて悪質な偽薬が大量に入り込んでいる。うひゃあ、そ、そうなんですか。でも、信じて飲んだら効くのが薬ですよね。
 アフリカでは、今日は1食たべられたぞ。オレはリッチだ!が標準である。アフリカでは、人々は明日どう生きるか、より、今日どういきるのかに主眼を置いている。
 農民は字が読めないので、ビラやパンフレットをつくっても意味がない。アフリカのマスメディアはラジオである。
 アフリカの男性が怠惰な理由はマラリアによる。何度も発病すると、体に力が入らなくなって、だるさから通常の日常生活が送れなくなる。
 アフリカには援助貴族という言葉がある。国連などからの莫大な援助収入の大半が政府高官のポケットに収まってしまう。たとえば、ナイジェリアでは、年間外貨収入120億ドルのうち100億ドルは政府高官のポケットにおさまってしまう。そこで、援助する側が現金でダメなら現物援助にしたら、今度は現物が消えて闇市で高く売られていた。
 SG2000は、無料配布はしない。あくまで農民の経済的自立を促すためのものであるから。従来の援助方式が本当に有効なものだったら、いまアフリカに饑餓や貧困の問題は起きていないはず。
 SG2000は、現地アフリカに甘えの構造をつくらないよう努力している。たとえば、現金のやりとりを一切しない。すごいですね。心からの拍手を送ります。
(2008年4月刊。1500円+税)

すてきな田舎、元気なふる里

カテゴリー:社会

著者:田中勝己、出版社:かもがわ出版
 読んでいると、なんだかふんわりあったかくなってきて、元気の出てくる本です。残念ながら、私は木曽町にまだ一度も行ったことがありません。この本によると、町おこしに成功した、なかなかいい町のようです。私も、ぜひ一度いってみたいと思います。
 木曽町は、日本で最も美しい村連合に加盟しています。この連合はフランスにあるものを日本に取りいれたものです。田舎だって、いえ、田舎にこそ美しい自然・文化風景はあると主張し、都会に住む人々にそれを再認識してもらおうという取り組みです。
 木曽町は音楽祭にも取り組んでいます。日本のトップレベルの演奏家が集まり、1週間のあいだ続きます。第1回は1975年ですから、もう33年にもなります。
 そして木曽馬の保存会があります。馬に乗って登山するという試みもなされているそうです。西欧から入ってきたサラブレッドではなく、日本古来の丈夫な馬です。馬というと、今の私たちは競馬場に登場するサラブレッドを思いますが、日本古来の馬は、日本人と同じで、ずんぐりむっくりの体型をしていたようです。
 そして、木曽は、あの木曾義仲と巴御前の出身地でもあります。義仲は31歳で亡くなったので、1年間のテレビ・ドラマは無理とのこと。いやあ、そういうことなんですね・・・。
 さらに、木曽福島町は世界のケータイの3割、そしてターボエンジンの9割を生産している町でもある。ひぇーっ、そ、そうなんですか・・・。
 著者は30歳のとき、木曽町の町会議員に当選(日本共産党)し、その後、30年間にわたって町議をつとめた。町長選に出馬することになったのも、他に適任者がいなかったことによる。運動期間が短かったのに、現職を負かしての当選だった。
 町長として、オウム真理教と生命をかけてたたかい、勝利しました。そして、町づくりに町民の知恵と力を吸い上げていく様子は、読んで、すがすがしさを覚えます。
 この本は、町長が職員向けに「町長ほんねとーく」を書いていたのをまとめたものです。大変よみやすい内容で、さらっと読めますが、同時に、大変こくのある内容でもあります。
 著者は、いま町長2期目、70歳を過ぎて元気にご活躍のようです。今後とも、さらに町づくりにがんばってくださいね。大いに期待しています。
 ニースからバスに乗って1時間かけてサン・ポールという町へ行きました。小さな丘全体がお城みたいに古い建物でぎっしり埋まっています。まるで古代の空中都市です。宮崎駿監督のアニメ映画でも見ている気分になりました。古い中世時代の建物がそっくり残っていて、それが観光客を誘引しているのです。日本でも、そういう発想がもっと大切にされたらいいと思いました。おじさん、おばさんの5人ほどが広場でペタンクに興じていました。カフェーでコーヒーを飲みながら、しばし眺めたことでした。
(2008年4月刊。1700円+税)

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