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2008年6月 の投稿

棟梁

カテゴリー:社会

著者:小川三夫、出版社:文藝春秋
 私とほとんど同世代(正確には、私のほうが一歳下)なのに、なんと、早くも隠退してしまいました。
 鵤(いかるが)工舎の小川棟梁が、引退を機に後世に語り伝える、技と心のすべて。
 これはオビに書かれている文章です。小川棟梁は法隆寺最後の宮大工だった西岡棟梁の後を継ぎ、徒弟制度で多くの弟子を育て上げました。すごいことです。そんな実績のある棟梁の語る言葉には、一言一句に重みがあります。ついつい耳を傾けてしまいます。
 師匠の西岡常一棟梁は、何にも言葉では教えてくれなかった。一緒に暮らして、一緒に仕事をした。それが教えだった。学ぶ側が何をくみ取るかの問題であって、言葉はない。だいたい、大工や職人には言葉はいらない。カンナ使いの手加減、体づかい、刃のつくり方、削ろうとする木の癖、柔らかさ、どれも体が覚えて判断すること。言葉では言いあらわせない。
 言葉で教えられないから弟子に入る。本や言葉ですむなら、10年もかかって修業する必要はない。やる前に考えて、できないと思うようなら職人として使えない。それでは、小さな体験からはみ出せない。
 弟子に入ったとき、師匠から1年間はラジオも聞かなくていい。テレビもいらない。新聞も読まなくていい。大工の本も何も読む必要はない。ただひたすら刃物を研げ。こう言われた。修業は、そうやってただただ浸りきることが大事なのだ。
 ものを教わり、覚えるのに一番必要なのは素直なこと。そのため、12、3歳までには弟子になる必要がある。遅くても14、5歳まで。うむむ、そうなんですか・・・。
 職人は徒党を組んではいけない。まして修業のときはそうだ。人は人。それぞれ生まれも育ちも性格も才能も違う。最初から違うものと思って扱うし、本人たちもそう思わないと共同生活は成りたたない。仕事のできない人間、遅い者が群れを組みたがる。
 うーむ、なかなか厳しい指摘ですね、これって・・・。
 現場で棟梁をするのが大工。その下が引頭(いんどう)。現場で大工を助ける。仕事の段取りをして、人を実際につかう。その次が長(ちょう)。道具づかいが一人前で、下の者に道具づくりが教えられるようになった人間のこと。一番下が連(れん)。
 アパートから通いたいという人間は、弟子にとるのを断った。体から体に技や考え、感覚を移すのが職人の修業なのだ。
 弟子入りして共同生活した新人に食事や掃除をさせるのには理由がある。掃除をさせたら、その人の仕事に向かう姿勢・性格が分かる。飯をつくらせたら、その人の段取りの良さ、思いやりが分かる。間は技だけ秀でてもダメ。バランスのいい人間である必要がある。そのためにも、一緒に暮らして学ぶことが大切だ。
 ふむふむ、なるほど、なるほどですね。すっかり納得しました。
 大工仕事は段取りが8割。段取りさえうまくいけば、仕事はできたも同然。 棟梁は、みんなより先を見なくてはいけない。全体を見渡せて、棟梁だ。個室に戻って、仕事のことを考えるのから解放されたいというのではダメ。共に耐え、忍ぶ心がなければ、一緒に暮らすのは無理。
 器用は損だ。器用な人は器用におぼれやすい。不器用の一心にまさる名人はいない。
 叱られるのが修業。叱られて身につけていく。叱られるのが大事。しかし、いつまでも叱ってはもらえない。親方に怒られて10年。この10年で基礎を学ぶ。
 檜(ひのき)は強い。法隆寺も薬師寺も、日本の1000年以上の建物は檜があったおかげ。檜は、鉄やコンクリートよりも強い。
 ところが、今の日本は肝心の木がない。
 未熟なうちに仕事を任せるのが肝心。任されるほうもできるとは思っていないけれど、親方がやれと言ったから、オレもできるかもしれないと思う。このタイミングが必要だ。
 頭の中をいつも整理整頓させておくこと。整理されていない頭では次のことが考えられない。これって、まったくそのとおりだと整理整頓の大好きな私は思います。
 健全な組織であるためには、組織を腐らせないこと。
 弁護士にとっても大変役に立つ指摘にみちみちていました。ところで、著者は引退したあと、何をするのでしょうか・・・?
(2008年4月刊。1524円+税)

暗闇のヒミコと

カテゴリー:司法

著者:朔 立木、出版社:光文社
 サク・タツキと読みます。刑事事件を主に扱ってきた現役の著名弁護士だということです。実名を知れば、私も名前くらいは知っている人なのでしょう。著者の『お眠り、私の魂』には度肝を抜かれました。東京地裁につとめる裁判官の赤裸々な私生活が描かれていましたので、私は、てっきり現役裁判官の覆面作家が登場してきたものと思いました。それほど裁判所内の描写は真に迫っていました。次の『死亡推定時刻』も読ませました。ぐいぐい引きこまれてしまいました。ただ、このときは田舎(山梨県だったと思います)の弁護士が能力のない弁護士と描かれている印象も受け、同じ田舎の弁護士として少々ひがんだことでした。著者は他にも本を書いているようですが、私は本書が3冊目です。前2冊よりは少々物足りないところがありました。それは推理小説のような真犯人探しと、明快な絵解きを期待したからです。現実の裁判では、明快な論証というのはきわめて困難なものです。双方の言い分が真っ向から反しているとき、どちらにも疑問を感じて、灰色の決着をみるということが現実には多々あります。その点が、この本にも反映されています。
 東京の奥多摩にある高級養護老人施設の老人(男女)2人が水死体となって発見された。当初、事故死とみられていたが、遺族の訴えから殺人事件として捜査が始まり、施設につとめていた看護師が容疑者として浮上する。
 警察官は、自分のしゃべったことがマスコミを通じて「事実」に変わっていくことを知り、マスコミを利用することを学習した。
 そうなんですよね。世間に人は、マスコミの報道は、すなわち真実だと思いこむ(思いこまされる)ものなんです。だから、マスコミって怖いし、下手なことはしゃべれません。
 ところが、この事件の容疑者は、マスコミに派手に登場して、自分の無罪を吹聴していました。それが余計に捜査官を刺激し、執念をかきたててしまったのです。
 日本は自白に頼って捜査し、裁判する国だ。裁判官は、自白があれば他に証拠が弱くても安心して有罪にする。反対に、自白がなければ有罪にするのをためらう。
 日本の、古来(ここでは戦前以来、という意味です)からの自白偏重主義は、やってもいない人が「自白」するはずがないという単純明快な「思い込み」を根拠とします。ところが、実際には、人はやってもいないのに、あたかもやったかのような「自白」をするものなのです。恐ろしい真実です。
 死刑になるのは遠い先のこと。今の、この苦しみから抜け出せれば何と言うこともないという心理のもとで、やってもいないことをやったかのような「自白」をするわけです。
 警察と対決するようなシビアな事件では、家族の面会や差し入れすら警察官による妨害を受けることがある。そういうときには、弁護士が自ら差し入れる。身柄をとられている依頼人の身体的・心理的負担を少しでも軽くして、そういう不自由さのために、心ならずも自白に追いこまれるような事態を避けるのも、日本では重要な弁護活動である。
 日本の裁判官は、『合理的な疑いを越える証明』なんて、考えてはいない。だから、裁判官の考え方ひとつで、同じ証拠で有罪になったり無罪になったりする。それを決めるのは、その裁判官が有罪判決を書きたいか、無罪判決を書きたいか、だけのこと。
 したがって、毎日のように言い渡されている有罪判決の中には、本当は無実の者もふくまれている。ところが、無罪判決を受けた被告人の中にも、ごくまれに、本当はやっているのに無罪判決をとる者が含まれている。
 高裁の審理では、審理が簡単だと被告人に不利な結果になることが多い。逆転有罪って、本当はたくさん証拠調べを追加してはじめて原判決を破棄し、有罪を自判できるはず。ところが、それをせずに逆転有罪となった。ひどいものです。
 推理小説仕立てですから、ここで筋を明らかにするわけにはいきません。悪しからず、ご了承ください。
(2007年12月刊。1600円)

ジバク

カテゴリー:社会

著者:山田宗樹、出版社:幻冬舎
 いまの勝ち組は、いつ何時、負け組に転落するかもしれない、そんな危うさをもっていることを立証するかのような寒々とした小説です。
 主人公は、初めは年収2000万円のファンド・マネージャーとして、格好よく登場します。年に1千億円を動かしている。住まいはJR恵比寿駅近くのマンション。賃料35万円。
 高校の同窓会でも勝ち組として誇らしげだった。ところが、昔あこがれの女性と不倫におちいり、いつのまにか禁じられたインサイダー情報に手を汚し、それが発覚してクビになる。
 ここから暗転が始まります。強いセレブ志向の妻に離婚を申し渡され、せっかくの預金はガッポリもっていかれてしまいました。そのときの妻のセリフは紹介するに値します。
 「あんな大学、行かなきゃ良かった。周りの友だちが、みんなお金持ちで、お父さんが大企業の社長だとか、外交官だとか、医者だとか、そんなのばっかり。学生なのにBMWやポルシェを乗り回して、ファッション誌でモデルが着てる服を当然のように着てきて、たまに家に遊びに行ったら、びっくりするような豪邸で、話をしてもわたしとは縁のない世界のことばかりで。わたしは必死に仲間のような顔をして愛想笑いするしかなかった。貧乏人なのを見抜かれやしないかってビクビクしながら・・・。そのときのわたしの気持ち、わかる?父親が普通のサラリーマンで、ずっと借家住まいの家庭に育ったわたしが、どんな思いで(大学生活の)4年間を過ごしたか、あんたに想像できるの!わたしは、もう、あんな惨めな思いをしたくなかったの!」
 この気持ち、私には理解できませんが、少しだけ想像することができます。私の身近にいた先輩の女性があこがれの学習院大学に入りました。きっと、こんな気持ちになったんじゃないかな、そう思いました。私は、大学生のとき、比較的に「貧乏人」のいる寮(今はない東大駒場寮です。6人部屋でした)に入りましたから、コンプレックスを感じることもなく、ぬくぬくと生活できました。『清冽の炎』第1巻(花伝社)に描かれているとおりの生活でした。
 主人公は次に未公開株を売りつけるインチキ会社に入って、電話でのアポ取り仕事に従事します。でも、なかなか営業成績は上がりません。そんなときに言われて、目を開かされたのが次のセリフです。
 「電話の向こうにいるのは、カモ。それ以外はゴミ。買ってくれるお客様はカモ。買わない奴はゴミ。短時間でゴミを見分けること。あいまいなことを言ってグズグズするだけのタイプはまず買わないので、ゴミ。声がいかにも不機嫌なのもダメ。こういうのは、さっさと切り捨てて、次に行く。ゴミに余計な時間は使わない。ゴミがいくら腹を立てようが、何を言おうが、我々の知ったこっちゃない。勝手にさせておけばいい。しょせんゴミだから、気にするだけバカバカしい」
 「日本には、300万円くらいなら、電話1本でぽんと差し出す金持ちがいくらでもいる。そういう客にあたるまで、ひたすら電話をかけまくる。50万円で臆病風を吹かすような貧乏人なんか、関わるだけエネルギーのムダ。そんなのは、さっさと捨てる。ゴミと分かったら、1秒でも早く捨てて次に行く。まずは数をこなす。1日250本を目ざす。大切にしなくてはいけないのは、おいしい肉をたっぷりと食べさせてくれるカモだけ。お金に余裕のある人なら、必ずもうけ話に興味をもつはず。そういう客にあたったら、ここぞと勝負をかける」
 「ほとんどの人間は、誰かに操られたがっている。人の心を手玉にとったときの快楽は、ほんとうにしびれるほど。その快楽を味わうためにこの仕事をしている」
 「相手が受話器をとっても、すぐにしゃべってはいけない。一呼吸おいて、様子をうかがう。相手の声のトーンに神経を集中し、想像力をフル回転させ、相手の状態を把握する。忙しいのか、ヒマなのか、元気なのか、疲れているのか。
 第一声では、決して早口になってはいけない。言葉を区切って、ゆっくりと相手を確認する。これで、ただの営業ではないかもしれないという印象を与えられる。
 いやあ、ホントなんです。この手の被害にあった人の相談をよく受けます。ところが、被害回復はなかなか難しいので、弁護士としてももどかしく思うことの多いのが現実です。
 仏検が終わって、みじめな思いをかかえて上京するため福岡の空港でチェックインしようとしたら、「予約ありません」という表示が出てきてびっくり。なんと、1日あとの便を予約していたのです。きちんと確認をしなかった私の完全なミスです。まったく厭になってしまいました。でも、なんとかキャンセル待ちで目ざす便に乗ることができました。
(2008年2月刊。1600円+税)

腸内環境学のすすめ

カテゴリー:人間

著者:辨野義己、出版社:岩波科学ライブラリー
 著者の名前は読みにくいですよね。ところが、その自己紹介の言葉を聞くと、すぐに分かります。
 便(べん)の研究をしている辨野(べんの)です。
 うひゃあ、本当なんです。人間のウンチ(便)の研究を長いあいだしてきた学者による画期的な本です。なにがすごいといっても、自分の便(ウンチ)を毎年とって大事に保存しているというのです。その数、なんと5000検体。うち200サンプルを容器に入れて凍結保存している。
 こうやってヒトの腸内常在菌の研究をうまずたゆまずしてくれている学者のおかげで、特別のヨーグルトが商品として売れ、企業として成り立っているのです。いやあ、お疲れさま、としか言いようがありません。私と同世代の学者の苦労話でもあります。
 これまでに種類が解明された腸内常在菌は、腸の中にいる菌全体のわずか2割ほど。残りの8割は、その種類も機能も分かっていない。
 人間の身体のなかで病気の種類が一番多いのは、大腸である。大腸は、人間に病気の発生を知らせる発信源である。
 小腸は6〜7メートル、大腸は1〜1.5メートル。ウンチ(便)をつくるのに重要なはたらきをするのは、大腸にすみつく腸内常在菌だ。腸内常在菌は、全部で1000種類以上いて、糞便1グラムにつき1兆個ほどもいる。重量にして1キログラムにもなる。
 腸内常在菌のうち、善玉菌が2、悪玉菌が1、残りの7割が、どっちでもない日和見菌。日和見菌は、その名のとおり、善玉か悪玉のどちらかが優位になると、すぐに強いほうになびく。そして、この日和見菌が善か悪のどちらになびくかによって、大腸の働きが変わる。したがって、健康を考えるうえで大切なことは、腸内環境の中で、いかに善玉菌の優位を保つか、ということ。
 花粉症に悩まされているヒトも、BB536入りのヨーグルトを毎日食べていると、すっかり症状が軽くなるという実例がある。そうなんですか、本当なんでしょうね。
 実は、私も3年前から花粉症に悩まされているのですが(5年初めから、すっかり良くなりました・・・)、幸いにも自然に感じなくなりました。
 今や、健康の秘訣は、腸内常在菌にあり、とさえ言われる。
 私は、ともかく便秘にならないように気をつけています。弁護士になって2年目でしたが、緊張のあまりに神経症から、下痢と便秘をくり返すようになりました。下痢症状もつらいのですが、便秘もまた、それに劣らずお腹がはって苦しいものです。
 牛乳やヨーグルトが見直されている今日、大いに注目していい研究分野ではないでしょうか。ありがとうございます。
 日曜日に仏検(一級)を受験しました。今回は最悪で、我ながら厭になるほど全然できませんでした。ひどいものです。3割もとれたでしょうか。私の得意とする書き取りまで、みるも無惨でした。聞きとれないし、書けないのです。まあ、それでも8月のフランス旅行を楽しみに、毎朝、ラジオ講座は聴いているのですけれど・・・。
(2008年4月刊。1200円+税)

筑豊じん肺訴訟

カテゴリー:司法

著者:小宮 学、出版社:海鳥社
 実にいい本です。久しぶりに、じわーんと心が温まる心地よさを堪能しました。著者の人柄の良さがにじみ出ていて、世の中には、こんな人がいるから、捨てたもんじゃないんだよな。そう思わされました。だって、法廷で弁論しながら、依頼者の置かれた苛酷な状況を思い出して、思わず泣き、勝つべき裁判で思いがけない敗訴判決をもらって一晩中、泣き通したというのです。残念なことに、弁護士生活35年になる私にはそのような経験はありません。いえ、勝つべき裁判で負けて悔しい思いをしたことは何回もあります。でも、負けて悔し泣きを一晩中したというほど肩入れした裁判はありません。なんで裁判官はこんなことが分からないのか、とんでもない、と憤りを覚えたことは、それほど数限りなくあるのですが・・・。
 大変よみやすい本でもあります。とにかく気どりがありません。著者は福岡県南部に生まれ育ちました。著者は仔豚を育てる農家の長男として生まれ育ったのでした。そして、仔豚が高く売れた時代でした。そのおかげで、関西の私立大学(関西学院大学)に進むことができました。まさに豚のおかげです。
 大学では法律研究部に入り、末川杯争奪法律討論会に出た。6人中5位の成績だった。
 久留米で弁護士となり、やがて筑豊へ移った。1985年、筑豊じん肺訴訟を起こすことになった。弁護団長は北九州の松本洋一弁護士。山野鉱ガス爆発訴訟を3年で解決した。この裁判は国を被告としているから少し大変なので、4年で解決する。松本弁護士は、こうぶちあげた。松本弁護士は豪放磊落を絵に描いたような弁護士でした。そのたくまざるユーモアに私は何度も魅きこまれてしまいました。
 著者が担当したじん肺患者の角崎さんは入院中だった。酸素マスクをとりはずし、喉にあいた穴を指でふさいで、小さくこう言った。
 「地獄です。助けてください」
 一審での弁論のとき、角崎さんのその悲痛なうめきを話しながら、著者は泣いてしまった。弁護士の仕事は説得である。相手方を説得し、裁判所を説得し、依頼者を説得し、紛争の解決を目ざす。弁論の最中に泣いたため、説得力のある弁論ができなかった。弁護士として恥ずかしい限り。
 うむむ、こう言われると、泣いたことのない私のほうが、かえって恥ずかしい思いにかられてしまいます。
 松本弁護士は次のように言って弁護団にハッパをかけた。
 被告代理人が理不尽なことを言ったら、腹を立てて大声で怒れ、法廷が混乱してもかまわない。法廷が混乱したときには、オレが引きとってまとめるから、心配するな。
 松本弁護士は、弁護団に議論をたたかわせるが、事態の転換を図る術を知っていた。実際、2回目の裁判のとき、江上、岩城、稲村の3弁護士が激しく被告企業を論難して、法廷は大混乱した。しかし、弁護団の剣幕に圧倒されて、次の3回目から、医師の証人尋問に入ることができた。
 まことにあっぱれです。そうでなくてはいけません。
 被告企業側が裁判のひきのばしを図ると、松本団長以下、そろって地裁所長と高裁事務局長(裁判官)と面会して、国民の裁判を受ける権利が侵害されているので直ちに改善するよう申し入れた。
 す、すごーい。こうするべきなんですね。
 その結果、2ヶ月に1回、午前10時30分から午後4時30分まで証拠調べがされるようになった。昼休みには、裁判所の会議室で原告団と弁護団そして支援する会が一緒に弁当を食べ、裁判の報告をした。すごく交流が深まったことでしょうね。
 一審判決の前日、弁護団は8本の垂れ幕を用意した。「国・企業に勝訴」「時効なし」「全員救済」「画期的判決」「国に敗訴」「企業に勝訴」「時効不当」「不当判決」
 そして1995年7月20日、よもやの「国に敗訴」、「時効敗訴」判決だった。
 7月21日の夜、著者は一睡もできなかった。一晩中、「ちきしょう、ちきしょう」と声を出して泣いた。それから3ヶ月、まったくやる気がわかず、下ばかり向いて歩いていた。秋となり、予定の仕事をすべてキャンセルし、上高地にのぼった。2泊3日の山のぼりで、ようやく敗訴判決を受け入れることができた。
 そのあとは、敗訴判決の原因をきちんと直視して、まき直しを図るのです。すごいものです。人間、やればできるという気にさせます。
 そして、筑豊じん肺訴訟の完全勝利まで18年4ヶ月かかりました。原告患者169人のうち、144人が亡くなっていたのです。
 2007年、筑豊じん肺訴訟記念碑の除幕式が行われました。
 著者は弁護士として、人間として、実に豊かな人生を送っておられるとつくづく思いました。多くの人、とりわけ若手弁護士に一読を強くすすめます。小宮先生、いい本、ありがとうございました。これからも、ますます元気にがんばってください。
(2008年4月刊。1500円+税)

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