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2008年5月 の投稿

戦争のリアル

カテゴリー:社会

著者:押井 守、岡部いさく、出版社:エンターブレイン
 イギリス空軍の爆撃機兵団をボマーコマンドといい、1939年から1945年までの6年間に、爆撃機搭乗員だけで5万5000人が死亡した。イギリスの各軍種のなかで、いちばん死者が多かった。陸軍の歩兵より死ぬ確率が高かった。
 いやあ、そうだったんですか、そんな事実をちっとも知りませんでした。ドイツの高射砲弾が飛行機にあたってパイロットがやられたら、相当な確率で爆撃機が落ちて、搭乗員は全員死亡した。
 戦闘機乗りのエースというのは、何度でも不時着できたこと、生還できたからのこと。エースは例外なしに何度も何度も撃墜されている。一回も落とされなかったエースなんて存在しない。
 いやあ、そうだったんですか。道理で日本のゼロ戦などのエースがあまり知られていないのですね。だって、すぐに死んでしまうのですからね。
 この二人は、かなりの軍事オタクのようです。戦車もヘリコプターも、絶対に故障するものだと強調しています。本当なんでしょうか・・・?
 日本の90式戦車は、あらゆる意味で中途半端だ。市街戦を想定すると、明らかにオーバースペックだし、シャーマン戦車のように移動トーチカとして考えると、あの程度ではダメだし・・・。
 ヘリコプターはメンテナンスが多くて面倒だし、燃料をバカ食いして、すぐ落っこちる。そのうえ、運べる兵士もたいした人数ではない。ヘリコプターは、ものすごく脆弱なもの。
 日本の軍事技術で世界に売り物になるのは、護衛艦とヘリコプターと潜水艦だけ。ライフルも戦車も全然ダメ。
 陸上自衛隊の64式小銃は命中精度がよかった反面、よく装弾不良を起こした。
 世界の軍隊で自国の拳銃をつかわないところは、いくらでもある。まともな拳銃をつくれるのは、オーストリアとチェコ、イタリアそして北欧くらいのもの。それくらい拳銃というのは複雑な機械なのだ。
 猟銃もバカにならない。その信頼性は抜群である。クマを撃つような銃は、弾が出なかったら、即、命とりになるのだから。最初の一発が、すぐ撃てるのが絶対条件だ。
 北朝鮮のテポドン1発に対してPACー3を100発用意したって、そんなものはなんの役にも立たない。動いている目標にあてるってことは不可能。
 戦車で何かを得た国なんて、ひとつもない。
 日本の自衛隊は、携行糧食として200万食を用意している。賞味期限の切れたものは、一体どう始末しているのか? 私も、知りたいですね、これって・・・。
 軍事オタクの2人が勝手気まま気楽に放談した対談集です。軍事に疎い私の知らないことがたくさん登場してきました。
(2008年3月刊。1700円+税)

貸し込み(下)

カテゴリー:社会

著者:黒木 亮、出版社:角川書店
 日本の裁判がいかにあてにならないものか、いやというほどあからさまに見せつけられます。どうやら著者自身の実体験にもとづく小説のようです。少し前の新聞に著者インタビューがのっていて、それで知りました。
 ファックスの日付なんて、ファックス機の入力データを変えれば、いくらでも操作できるじゃないか。
 うひょー、そ、そうだったんですか。ちっとも知りませんでした。デジタル・カメラによる写真はあてにならないというのは聞いていました。フィルム・カメラによる写真だと、そう簡単に合成はできませんが、デジタル・カメラだと、パソコンをつかえば合成写真なんて簡単なのです。
 この本は銀行の貸し手責任があるのかないのかを厳しく追及しています。日本の銀行はコンプライアンス、つまり法令にしたがった貸付と回収をしていない。そんな銀行はまともじゃないという叫びです。
 ところが、それを国会で激しく追及した議員は女性スキャンダルで蹴落とされてしまうのです。いやあ、これもよくある話ですね。銀行からいいようにあしらわれた被害者は、銀行との裁判の過程で、自分の弁護士を何回も変えていきます。要するに、その弁護士に能力があるかどうかというより、自分の主張をどれだけ法廷で陳述・敷衍してくれるかどうかという基準で変えていくわけです。その結果、どうなるか?
 長い準備書面に書かれているのは、何の論理も、説得力もない、感情の赴くままの罵詈雑言(ばりぞうごん)の羅列であった。目を三角に吊り上げた依頼者の喚き(わめ)き散らしを、そのまま文章にしただけ。
 いやあ、たしかに、これと同じような弁護士がたしかにいます。依頼者の言うことを 100%、いや120%裁判所に伝えることが弁護士の役割だと思いこんでいるのです。私は、決してそうは思いません。社会正義というのは、依頼者の思いとは少し違ったところにある場合もあると思うのです。依頼者とは十分に話し込みますが、ときには辞任するしかないということもあります。
 脳梗塞患者に21億円も融資し、その大半が両建て、しかも、保証人の署名は偽造、借入申込書は銀行員が書いた。これは、明らかに犯罪行為だ。
 大銀行のなかに犯罪がまかりとおっているのですね。
 ところが、被害者が勝つべき事案なのに裁判所は敗訴判決を下します。大銀行を救済したのです。法廷で重要証人の尋問途中に居眠りをしていた裁判長による判決です。
 とにかく常人の理解を超える判決だ。こんなんだったら、最初から裁判なんかやっても意味はないよな。なんだか、日本はダメな国だね・・・。
 35年間、日本で弁護士をしている私も、この指摘にはかなり同感です。国、行政、大きいところには弱いのが日本の裁判所なんですね。まったくいやになってしまいます。
 ところが、勝ったはずの大銀行が昨今の企業買収により、別の大銀行の傘下に入ることになり、裁判担当は早急に和解して決着することを命じられます。悪は長続きしないものですが、いつもそうなるとは限らないのが残念ながら現実です。
(2007年9月刊。1400円+税)

恐竜はなぜ鳥に進化したのか

カテゴリー:生物

著者:ピーター・D・ウォード、出版社:文藝春秋
 鳥類は、哺乳類に比べてずっとわずかな酸素しか必要としない。鳥類は、哺乳類にとっては命取りになる高度に存在できるだけでなく、酸素の乏しい空気のなかで飛べる。動物界で知られている限りもっとも極端な身体活動ができるというのは、まったく不思議としか言いようがない。
 この本は、恐竜の生き残りが鳥であるということを立証しようとした本です。私は、この本を読んで、ますます、なるほど、と思いました。
 酸素をつかって代謝という化学反応をおこなう酸素呼吸は、多くの細菌がとっている無酸素呼吸の10倍ものエネルギーを生み出す。複雑な生命は膨大なエネルギーを必要とする。そのためには簡単に獲得できる大量のエネルギーがいい。酸素を用いる代謝だけが、動物の生きていくのに十分なエネルギーを与えてくれる。静止しているときの鳥類の呼吸システムは、いかなる哺乳類の肺よりも、少なくとも33%は効率がいい。
 小型の恒温動物の心拍数は、驚くほど速く、1分間に100をゆうに超える。これは血液が全身にすみやかに循環することを可能にし、酸素濃度が低いときには利点になる。鳥類が、同程度の大きさのトカゲより高い場所で生活できる理由の一つは、これである。
 内温性は、大気中の低酸素に対する適応として始まったという俗説を著者は提唱しています。現生のワニ類の大多数は、すべて変温動物である。鳥類は温血である。恐竜も初期の鳥類も、すべて変温動物であり、鳥類の内温性は、おそらく白亜紀の最後まで出現しなかった。
 2億5000万年前から2億4500万年前までの500万年のあいだの三畳紀前期、酸素濃度は10〜15%という最低レベルにまで落ちていた。すべての動物にとって大変苛酷な環境である。しかし、苦難のときは、進化と新しい工夫のエンジンを始動させる最良の起爆剤でもある。長引く酸素危機にうまく対処できる呼吸システムを誇る新しい種類の動物が出現した。哺乳類と恐竜である。
 恐竜は、三畳紀の低酸素期、つまり酸素濃度が5億年のうち最低であった時期か、その直後に進化したもの。つまり、その体制は、低酸素に対する適応の結果なのである。
 恐竜の数が増え始め、大きさが増大するのもジュラ紀から白亜紀にかけてのこと。酸素濃度は上昇していった。
 竜盤類恐竜は、競争するうえで優れた呼吸システム、最初の気のうシステムをもっていたため、他のどんな陸生脊椎動物よりも低い絶滅率を保った。
 大型の竜盤類と小型の竜盤類が別々の道を歩み、小型の竜盤類が後に、酸素レベルが急激に下落したジュラ紀に内温性を進化させた。それが鳥類につながった。
 恐竜は6500万年前に完全に絶滅してしまった。
 いかなる哺乳類も、標高4200メートル以上では繁殖できない。この酸素レベルは、ジュラ紀初期の酸素レベルに対応する。6500万年から2億年の歳月をかけて胎盤方式を精緻なものにしあげた動物が哺乳類なのである。
 いやあ、わが家の庭に毎日やって来る可愛い小鳥たちの祖先が何億年ものあいだ地球上を支配していた巨大な恐竜だったとは驚きです。まさしく事実は小説より奇なりですね。
 朝6時ころ目を覚ますと、外でウグイスがホーホケキョと、澄んだ声で歌っていました。心の洗われる思いがしました。早くも駅舎のツバメの仔どもたちがエサをねだっているのを見ました。
(2008年2月刊。2238円+税)

ヒトラーを支持したドイツ国民

カテゴリー:ヨーロッパ

著者:ロバート・ジェラテリー、出版社:みすず書房
 ヒトラー独裁といっても、それは多くのドイツ国民の最後までの支持なしにはありえなかったし、ドイツ国民は強制収容所の存在、そして、そこでの囚人虐待を知っていたという本です。ドイツ国民は何も知らなかったという従来の通説とは異なりますが、当時のマスコミ報道をふくめて資料を丹念に掘り起こしていますから、説得力があります。目を背けてはいけない事実です。
 いま日本で、75歳の人が後期高齢者として保険料の年金からの天引きそして医療費の大幅な制限が始まり、多くの人が怒っています。でも、それを決めたのは小泉元首相でした。小泉フィーバーに乗っていた人々が、いま手痛いシッペ返しをくらっているとも言える事態です。スケールは断然違いますが、事の大小はともかくとして、ドイツでも日本でも、本質的には似たようなものだと私は思いますが、いかがでしょうか。
 ヒトラーが1933年1月30日にドイツ(ワイマール共和国)の宰相に任命されたのは、43歳のとき。そのころのドイツには絶望感がみなぎっていた。それは自殺率に反映された。1932年には、イギリスの4倍、アメリカの2倍だった。そして、ヒトラーの任命前の3回の選挙において共産党は毎回3位を占め、得票は増えていた。
 ヒトラーが宰相に任命された直後の国会解散のとき、ヒトラーの選挙スローガンは、「マルクス主義を攻撃せよ」だった。これは、善良な市民と資産家に訴える効果を狙っていた。
 ヒトラーの1935年の徴兵制度の再導入は、労働市場から大量の就労年齢の男性を吸い上げ、失業者数を減らした。雇用と収入が突然戻ってきて、ドイツ国民に希望がよみがえった。それは、ことに青年男女にとって顕著だった。そこで、多くのドイツ国民が競ってナチ運動に参加しようとした。ナチ党員は、1930年に 13万人、1933年に85万人、その後、数年で500万人となった。ナチ党突撃隊 (SA)には1931年に8万人、1932年に50万人、1934年に300万人いた。女性も同じ。ナチの女性組織(NSF)は1932年に11万人、1933年に85万人、1934年に150万人、そして1938年には400万人だった。
 警察官はナチに簡単に順応した。98%の制服警察官、90%の幹部が引き続き勤務でした。いやあ、こんな数字をあげられると、大衆操作の怖さをつくづく実感します。
 ナチによる逮捕者は、裁判なしに強制収容所に送られたが、それは広く報道され、隠されてはいない。囚人の多くが共産党員であり、普通の監獄が満員なので、一時的に収容所に送られたと報道された。法なきところに罪なしという原則が、罰なき罪なしの原則に変えられたと市民に告知された。このスローガンは、犯罪者にあまりに権利を与えすぎて社会負担を無視する法制度にうんざりしていた人たちの心をつかむものだった。
 ヒトラーの新警察は、時間のかかる法手続を無視して迅速な措置がとれるうま味をいったん覚えると、もう二度と後戻りできなかった。
 1933年に非合法で逮捕され、強制収容所に収容された人は10万人をこえる。それらの人々は、なんらかの形で共産党に関係していた。ベルリンには、共産党員と社民党員の多い労働者居住区に100以上の拷問部屋があった。
 世論懐柔のため、強制収容所は、もっぱら共産党員用だと宣伝された。ドイツのほとんどの町にあるといってもよい強制収容所について、新聞が一斉に報道したのだから、収容所の存在は秘密でもなんでもなかった。しばらくとはいえ、むしろ町民たちは、町に強制収容所があることを誇りに思っていた。ええーっ、そうだったんですか・・・。
 警察は、ユダヤ人が共産主義者のような裏切り活動と結託していることを示す努力を払った。ユダヤ人憎悪を広めるもう一つのやり方は、ユダヤ人を犯罪と結びつけること。横領、詐欺、密輸、性犯罪、金銭、麻薬、どんな罪でも、ユダヤ人がかかわるものを新聞は記事にした。うむむ、まさに権力によるデッチ上げの犯罪行為ですね。
 ヒトラーは激烈な死刑論者だった。だから、ナチ党が権力につくと、死刑判決の数が増え、死刑執行も増えた。死刑判決を受けた者の80%が執行された。1933年から45年までのあいだにドイツ国内の法廷で1万6500人に死刑を宣告し、その4分の3は執行された。その大多数はユダヤ人ではない。また、軍事裁判は、1万5000人に近い人々に死刑を宣告し、その85%が執行された。
 ヒトラー独裁制は当初から反ユダヤ主義を培ってきた。けれども最初の2年半は、一般に想像されているよりも用心深くおこなわれた。ユダヤ人を狙った行動は、1935年5月から勢いを増し、7月半ばになると、ベルリン中心部の高級店を乱暴者が襲うようになった。それでも、地下に潜った社会民主党員は総じて楽天的でありつづけた。彼らは人々がナチの嘘を見破るのを期待し、多くのドイツ人がナチの仕業を支持するはずがないと信じこんでいた。しかし、ナチは、反ユダヤ主義を広めるバネとして、ユダヤ人の逮捕とは、共産主義者を逮捕することと同じなんだと請合った。これで、多くの善良な市民が騙されたわけです。
 ヒトラーは、1939年9月、ドイツ国民が外国放送を聴くことを禁止した。ナチ警察は、こんな法律を守らせるのはきわめて難しいという理由から態度を保留した。たしかに、ドイツ人は、禁止されたイギリスのBBC放送をしっかり聴いていたし、それは公然の秘密だった。外国放送を聴いているという密告が数多くなされたが、その75%は、ナチへの支持とは無縁の、利己的な目的によってなされた。ドイツ全土が密告の雰囲気に包まれた。普通のドイツ人は、ゲシュタポを心配して四六時中ビクビクするどころか、自分たちの利益になるように制度を操作するように、この制度に順応した。
 ドイツ人は、囚人服を着て木靴をはいた囚人を色眼鏡をとおして見た。よくて無関心か恐怖心、悪くて看守と一緒になって侮蔑、敵意、憎悪をむき出しにして囚人を見ていた。
 一般市民も囚人を自分たちのために強制して働かせることをなんとも思っていなかった。囚人は、人間以下の人間として、国家の敵、犯罪者としての烙印が押されていたから。そして、ドイツの民間企業こそが、強制収容所囚人の最大の搾取者だった。IGファルベン、ジーメンス、ダイムラー、ベンツ、フォルクスワーゲン、BMW、などなど。
 1941年にダッハウ収容所には、8つの衛星収容所があった。それは120ヶ所にまで増えた。衛星収容所の多くは市町村のまんなかに置かれたから、住民としては見ないわけにはいかなかった。ベルリンには30ほどの衛星収容所があって、そのうち半数は女性だった。そのほか、700の外国人労働者用のさまざまな収容所があった。このように囚人を住民の目と心から切り離すことは不可能だった。
 住民は、囚人を犯罪者か共産党員だと信じこんでいたし、無反応であり無関心だった。
 300頁ほどの本ですが、大変重たく感じる本です。いまの日本は、小泉元首相への熱狂によって悪い方向に大きく切り換えられてしまいました。このことは、今では明確だと思うのですが、まだまだ多くの日本人はそのことを自覚しないまま、景気回復の幻想にひたっているような気がしてなりません。残念です。
 連休は熊本以外、どこにも出かけず、モノカキと庭仕事に精を出しました。ウグイスの鳴き声を聞きながら、庭を掘り下げて、野菜と木を植えました。まずアスパラガスです。今年は例年とちがって、なかなか芽が出てきません。植えてから、もう10年にはなりますので、寿命が来てしまったのかもしれない。そう思って、新しい苗を買ってきたのです。そして、少し離れたところに沈丁花の木を植えました。毎年、早春に咲いてくれていたのですが、近くのアンデスの乙女にでも負けてしまったのか、枯れてしまいました。最後にツルバラです。フェンスにからんで咲いてくれていたのですが、これも枯れたので、前と同じ紅い花のツルバラを植えました。
 サクランボの実が、ぎっしりなっています。ヒヨドリが早速食べにやってきました。ヒマワリが庭のあちこちでぐんぐん伸びています。連休が終わると、もうすぐホタルも見れるようになります。初夏はもうすぐです。
(2008年2月刊。5200円+税)

カランパ!

カテゴリー:アメリカ

著者:高野 潤、出版社:理論社
 アマゾン奥地を生命がけで旅をする話です。怖いもの見たさに読みました。
 著者は、30年来、アマゾン源流に通っている団塊世代の写真家です。南アメリカのアンデス高地やアマゾン奥地を歩き続け、著書や写真集をたくさん出しています。怖い、こわーい、ぞっとするような話がたくさん登場してきます。なかでも怖いと思ったのが、ジャングルで道に迷って、ひとり取り残されたという話です。まさに生きた心地がしなかったでしょうね。
 セスナ機で目的地まで飛び、目的地まで達したら、現地の人たちのすむ集落の上からお菓子を入れた小さな袋をハンカチ大の布とむすんで落下傘形にして落とす。それが飛行場に着陸する知らせとなって、河に舟を走らせ迎えに来る。
 なんという連絡のとり方でしょう。電話も無線も利用されないわけです。
 現地の人々には一日3食という決まりはない。一日中、何もせずハンモックで休んでいることが多い。突然、腹が減ったという感じで、近くの畑に出かけ、とってきたものを焼いたり煮たりして食べる。吹き矢で野生のサルを仕留めて、それをぶつ切りにし、鍋で煮こんで食べることもある。
 家づくりも簡単なもの。ヤシの葉をすき間がある程度に重ねて屋根とする。ぎっしり重ねると空気が流れず暑さが増すし、真っ暗くなってしまう。だから大雨のときに困って、ヤシの葉をつぎ足さなくてはいけないくらいがちょうどいい。いやあ、そういうことなんですか。やはり、現地の風土にあった家づくりなんですよね。
 家族ごとに住んでいて、そのあいだは、徒歩で半日以上かかる。この距離が大切で、それはお互いの猟の領域がぶつからないようにする意味がある。
 な、なーるほど、そういうことだったんですね。それにしても淋しい気がします。子どもたち同士で遊べませんよね。
 糖分は、ミツバチの巣からとり、木の実や野生のイモ類で空腹をおさえる。森を歩きまわっていると、それほど食べるのに不自由はしない。
 住居の建材や槍、吹き矢は固い木やヤシの樹皮や葉を利用し、矢先にぬる毒はつるの樹皮からとる。すべて森のめぐみの中から得る。
 ジャングルの中にはジャガーがいる。川にはワニがいる。そして森の中、足元には蛇がいる。何がこわいといっても、いちばんこわいのは、やはり毒ヘビだ。タキギをひろおうとしていると、ズルズルと黒くて大きなヘビが動き出したこともある。
 足元にタランチュラの巣があったこともある。だから、たとえ1メートルであっても、森の中にふみこむときには、必ず長靴をはくことにしていた。ひゃあ、ぞくぞくしてきます。
 カランパ、という言葉は、日本語でいうと、こりゃまた、しまった、なんてこった、という意味で使われる。
 いやあ、怖い、こわい。いかにも軟弱な私は、本と写真だけで結構です。高野さん、ご苦労さまです。ありがとうございました。
 連休中に熊本城の大広間を見に出かけましたが、1時間待ちと表示されていましたので断念し、市街地の裏通りにあるレストランで美味しいランチをゆっくりいただきました。そこで出されたオードブルの塩トマトの味がとても良かったので、あとでデパ地下で買って家でも食べてみました。小ぶりでしっかり実がしまっています。ちょっぴり塩気もあり、すばらしいトマトです。初めて食べました。
 ジャーマンアイリスが盛りです。青紫色、純白、チョコレート色、黄色と、たくさんの花が咲いてくれています。頭上にはサクランボもたくさん紅いルビー色の実をつけています。佐藤錦のように甘くないのが残念です。
(2008年1月刊。1500円+税)

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