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2007年11月 の投稿

やせるヒントは脳にある

カテゴリー:社会

著者:瀬野文宏、出版社:西日本新聞社
 すっかりメタボになってしまった私は、ダイエットにすごく関心があります。目下、糖質制限食事をしていますが、今のところ2キロほど減量したまま足踏み状態です。ともかく食べる量は減らしました。でも、帰宅が遅くなって、夜10時近くに夕食をとることが珍しくありませんので、なかなかダイエットも大変です。
 ダイエットの主役は脳であり、首から下の肉体ではない。お腹が食べているのではない、脳で食べている。
 著者が一番強調していることです。私も、なるほど、と思います。
 この世に、食べて、健康的に減量し維持できる効果のある食物は存在しない。
 これは、ダイエット食品なんて、みんなウソっぱちだということです。私も、まったく同感です。食べながらやせる薬とか食品なんて、怖いですよ。私は、そんなものに頼りたくはありません。
 食べるという行動は、脳からの指令にもとづく。生命脳といわれる視床下部にある外側核(摂食中枢神経)が食べよというシグナルを出す。そして、大脳の運動野にその指令が届くと、私たちはたちあがって冷蔵庫のなかをのぞきこみ、アイスクリームを見つけて口に入れる。
 ダイエットをするにしても、食べるという行動は、脳の作用であることを認識することが大切である。
 夜に脂肪の原料になる食べ物を多く食べると、寝ているあいだにしっかり脂肪細胞に蓄えられる。脳の中枢神経の作用と視床下部の体内時計によって、肥満は夜につくられる。
 朝食前は、肝臓などに貯蔵されているグリコーゲンはほぼ底をついており、脳はブドウ糖の補給を待っている。
 カラダに良い水を毎日1〜2リットル飲むのがいい。がんになりにくい。
 女性がなぜ甘い物を好むのかについて、次のように説明しています。うーんそういうことなんでしょうね。
 女脳の腹内側核は、ブドウ糖を受容して満腹感を感じる満腹中枢と性欲ホルモンのエストロゲンを受容して満足感を感じる性欲中枢が同じ核内で近接しており、表裏一体の関係が成り立っている。女性の性欲ホルモン(エストロゲン)が満たされない場合は、サンマなどのタンパク質ではなく、ブドウ糖で代償的に満足させるシステムになっている。だから、男脳より女脳のほうが太りやすい。
 脳は甘味を求めているのではない、甘味にふくまれているブドウ糖を求めている。だから、サッカリンやアスパルテームなどの人工甘味料は合成化学物質であり、脳を満足させることができない。
(2007年10月刊。1500円+税)

新・学歴社会がはじまる

カテゴリー:社会

著者:尾木直樹、出版社:青灯社
 「格差が出るのは悪いこととは思っていない。能力のある者が努力すれば報われる社会良しとする者は多い」
 「どの時代にも成功する人としない人がいる。貧困層を少なくする対策と同時に、成功者をねたむ風潮、能力ある者の足を引っぱる風潮を慎んでいかないと社会の発展はない」
 これらは小泉前首相の国会答弁(2006年2月1日)です。
 「国際化の中で、能力や才能、努力によって生まれる格差は、むしろ称賛すべきことだ」
 これは日本経団連の御手洗会長(キャノン会長)の発言です。
 これらの言葉は、果たして本当だろうかと著者は疑問を投げかけます。
 公立幼稚園では年に24万円弱ですむのに、私立幼稚園は51万円ほどかかる。公立中学が47万円なのに対して私立中学だと127万円。公立高校は52万円なのに私立高校だと103万円。いずれも2倍以上の格差がある。これは親の経済力による。
 最近、東京に行くたびに超高級ホテルがふえています。それらのホテルは中クラスの部屋で1泊10万円だといいます。高級旅館で1泊2食付き4万円というのは聞きますが、素泊まりで10万円する部屋が、そこでは中クラスというのです。1泊40万円とか50万円の部屋に泊まる人が増えているということです。日本でもスーパーリッチ層が増大しているわけです。
 その一方で、就学援助を受ける人が急増しています。1995年度に77万人、   2000年度には98万人だったのが、2004年度はなんと134万人近くにまで増えた。そのうち生活保護世帯に準ずる世帯が121万人ほど。大阪の受給率は28%、東京でも25%に近い。貧困層の増大はすごいものです。
 トヨタ自動車など中部財界がつくった中・高一貫全寮制男子校は年間の学費と寮費で 330万円かかる。6年間だから総額1800万円にもなる。そんな私立校に国の手厚い補助がなされている。
 公立で中高一貫校がふえている。全国に公立120校もある。私立50校、国立3校あるので、合計173校あって、さらに首都圏では17校の開校が予定されている。
 果たして中高一貫校はそれほど良いものなのでしょうか。思春期に親と離れて生活して将来、本当に心優しい人間になるのでしょうか。私は心配です。
 著者は、教える量を多くし、難解にすればするほど学力が向上するという考えは根拠のない錯覚だと主張しています。その証拠としてあげられているのが、日本人が大人になってから学力が身についていないことが国際比較で判明したというのです。
 受験戦争による暗記型、トレーニング中心の「学校知」をどれだけ詰めこんでも、生きる力としての学力につながっていない。大人になると学力が世界最下位に落ちこんでいる。
 学力は競争させるほど向上する。授業時間数を増やせば学力が上がる。いずれも単なる錯覚である。
 「フリーターとかニートとか、私に言わせりゃごくつぶしだ、こんなものは」
 こんな偉そうなことを臆面もなく言ってのけたのは、あの石原東京都知事です(2006年3月 14日、都議会)。いったい自分を何様だと思っているのでしょうね。
 経済格差、学力格差、学歴格差、学校内のコース格差、学校間格差、出自格差、文化格差、親の学歴格差、習熟度別格差、教員格差。これらが地域間格差、情報格差、男女格差、企業間格差などとからみながら、複雑に進展し、子どもたちの学力にも反映されている。格差は多様ではあるが、大切なことは、どの格差も人為的所作のなせる業であり、けっして自然現象というものではない。
 そうなんですよね。私の出身高校はそれなりの昔から伝統のある「名門高校」でしたが、いつのまにか低いランクに落とされていました。学区が事実上撤廃されたため、生徒たちが1時間以上かけても有名高校に通うようになったためです。私は自転車で15分ほどの通学時間でしたが、通学時間に1時間以上もかけるなんて、ムダだと思います。いかがでしょうか。
 格差というと、先日の週刊誌に日本の社長のトップは年収80億円とかいう記事がありました。これって間違ってませんか。その会社のヒラ社員は年収1億円とかもらっているでしょうか。上にばっかり厚いというのは、きっとどこかで破綻すると思います。
(2006年11月刊。1800円+税)

男はつらいらしい

カテゴリー:社会

著者:奥田祥子、出版社:新潮新書
 しんどいのは女や若者だけじゃない。働き盛りの男たちこそ、誰にもグチを言えないまま、仕事に家庭に恋愛に、心身の不調に悩んでいるのだ・・・。
 40歳の独身女性記者(『読売ウィークリー』)が、自分を棚上げして聞き出した、哀しくも愛しい男たちのホンネが紹介されています。読むと、独身ではない私も身につまされます。ホント、男って案外つらいものなんですよ。
 30歳代前半の男性2人に1人、女性の3人に1人が結婚していない。50歳時点で一度も結婚したことのない生涯未婚率をみると、男性は16.0%で女性の7.3%を大きく上回る。これは10年前から倍増しており、男性の非婚化が著しい。
 うむむ、なぜか。どうして、そうなったのか?
 男性に共通しているのは、自分から女性にアプローチできず、自分が傷つくのが怖いということ。服装や髪型を変えるだけでも、ある程度、見た目を良くすることはできる。しかし、次のステップに進もうとすると、コミュニケーションが苦手か、傷つくのが怖いという。それが障害になる。さらに、女性の男性選びの基準が厳しくなっていることも影響している。
 離婚した男性でも、結婚できる人は、何度でも結婚できるし、結婚できない男性は一生できない。うーん、大変鋭い指摘です。
 男性は、年齢が上がれば上がるほど、理屈っぽくなり、結婚できるように変わるのが難しい。なるほど、なーるほど、という感じがします。
 男にも更年期がある。男性ホルモンも20歳代をピークとして、加齢とともに徐々に低下し、50歳あたりを境に、幅広くみると40歳代半ばから60歳代前半ころまで、男性にも女性と同じような不定愁訴などの更年期の症状があらわれる。男性の更年期の症状とは、おもに精神症状(つまり抑うつや不安、イライラ、疲労感など)、身体症状(発汗、ほてり、不眠、骨・関節・筋肉関連症状、記憶・集中力の低下)、性機能症状(性欲低下や勃起障害、射精感の減退など)の三つに大別される。
 私は幸いにして、ここにあげられている症状をあまり感じませんでした。ただ、40代のころ、夜中、急に胸の動悸がして目の覚めたことが何回かありました。そのうちおさまりました。
 団塊世代は、若いころから自分らしさや個性を好みながらも、結局はみんなと一緒の仕事人間に終わってしまい、自分らしさも実現にはもう遅い、という後悔の念を抱いている人が少なくない。その反動として、わが子には自分の好きな人生を目ざしてほしい、そのためには親元にパラサイトして定職につかなくてもしようがないという考えがあるようだ。
 私にはそんな気はありません。ただ、結婚相手を見つけるのが難しくなっているな、とは感じます。だって、昔のようにお見合いの席をもうけるのが、きわめて難しいのですから・・・。
(2007年8月刊。680円+税)

頑張れ!ひょろり君

カテゴリー:司法

著者:山?浩一、出版社:現代人文社
 熱血弁護士、奮闘中、というサブ・タイトルのついた本です。京都の弁護士(私よりはひとまわり下なのですが、若手というと失礼になるでしょう)の書いた、なかなかに面白い弁護士奮闘記です。
 京都には和久峻三という著名の弁護士作家がいますが、久しぶりの新人弁護士作家の登場です。私は『弁護士始末記』をずっと推奨してきました。残念なことに30巻が出て終了しましたが、事件のはじまりから終わりまでを要領よくまとめてあって、大変勉強になりました。この本もそんな感じで、軽く読み流しながら、実は勉強になります。
 裁判では正しいものが勝つ、正論が通る世界であると信じて法律家になった。学生のころ、力がないために理不尽な立場に置かれてしまう人々がいることを知り、憤ることがあった。しかし、裁判の場なら、どんなに力が弱くても、正しいことを主張すれば、それが認められるものだと信じて弁護士になった。
 ところが、実際に弁護士になって裁判をしてみると、こちらの言い分が正しいと信じていても、判決ではその言い分が通らないことがある。
 弁護士の仕事は、法律を適用して解決できるほど簡単ではない。法律で割り切れない事件のほうが多い。しかも、肝心の事実そのものが、本当はどうだったのかということが明らかでない。一つの出来事をめぐって、双方の言い分が正反対というのは日常茶飯事である。そうなんですよね。一つの事実にまったく相反する証言が出てきて、それぞれなるほどと思うことはしばしばです。裁判が終わったあと、相手方についた弁護士と本当はどうだったんだろうね、と二人して首をかしげたことも少なくありません。ことほどさように真実の究明は容易なことではありません。
 弁護士は、依頼者の要求をそのまま通せばよいというものではない。非情なこと、非道なことは、いくら依頼者が望んでも、してはいけない。
 弁護士は、かなり難しい状況のなかで専門家として仕事をしなければいけない。だから、弁護士にとっては、事実を明らかにしようとする努力と熱意こそが絶対に必要だ。そのうえで、知恵をしぼって工夫する。ときには許される範囲での駆け引きをすることが必要になる。
 そのうえ、法律論や判例が間違っていると思ったら、一生懸命に調べて、新しい理論や判例をつくる努力もする。そうやって自分の思いが実現したときの喜びは深いものがある。
 この本を読んで、裁判や弁護士の仕事の面白さ、醍醐味を味わい、また、弁護士の苦悩や喜びも読みとってほしい。
 あとがきに書かれている、このような著者の思いに大いなる共感を覚えました。
 ひょろり君と呼ばれる、5年目の弁護士を主人公としたストーリーです。すべて実話をもとにしているというだけあって、登場人物の置かれている状況とその展開が33年も弁護士している私からしても真に迫っています。
 独身の主人公とアルバイトの女子大生事務員の関係が発展するのかどうかも思わせぶりに書かれて気になるところです。
 私も、いつかはこんな本を出したいと思うのですが・・・。
(2007年11月刊。1800円+税)

定刻主義者の歩み

カテゴリー:司法

著者:中山研一、出版社:成文堂
 今年80歳となり、傘寿を迎えた著名な刑法学者の自伝です。尊敬する大阪の石川元也弁護士の紹介で、私の書評を読んでいただくようになり、この本を贈呈されました。申し訳ないことに著者の刑法に関する論文は少ししか読んでいませんが、その鋭い分析と論証に感嘆したことはありますので、ここにお礼の意味もこめて紹介します。
 著者は清水高等商船学校に学んだ時期があります。そのときに定刻主義者になりました。海軍式の生活様式を身につけたが、それは「5分前の精神」といわれるもので、何らかの行動を起こすときには、定められた時間の少なくとも5分前に現地に到着し、いつでも行動を開始できるように待機するというもの。この「5分前の精神」をいつ、いかなるときも必ず守るべきだと主張し、できるだけ実践していることから「定刻主義者」と呼ばれ、自称している。
 うむむ、これはすごいです。私も、そうありたいと思いつつ、なかなかそうはいきません。まあ、私のしていることは準備書面を期日の1週間前には提出するように務めているくらいです。
 著者は、この清水高船学校の2年生(19歳)のとき、敗戦を迎えました。それまで、毎日、タコツボを握って身を潜め、上陸してくるであろうアメリカ軍に体当たりして自爆する訓練をさせられていたのです。本気でしていたそうですし、終戦後も、天皇制だけは維持すべしと日記に書いていた軍国少年でした。
 敗戦後は静岡高校に入学し、憲法普及運動に加わり、静岡県下の中学校や女学校を回ったとのことです。
 著者は静岡から、京都大学に進学します。ところが、結核にかかり、病気療養せざるをえなくなりました。著者のすごいのは、そのあいだにロシア語をマスターしたというのです。
 やがて著者は体力を回復し、刑法読書会を組織します。
 研究会にはできるだけ休まない。研究会ではできるだけ質問し、発言する。研究会では、できるだけ報告する。そうなんですよね。ともかく出て、発言しないと何ごとも身につきません。私は自分の出たあらゆる会議で1回は発言することを自分にノルマとして課しています。ただし、黙って内職していることもあります。
 著者は国立の京都大学に30年、公立の大阪市立大学に8年、私立の北陸大学に8年在籍しておられます。数多くの著作と実績をあげられながら、各種の政府審議会の委員に一度もなっておられないというのです。これまた、すごいことです。
 末川博先生は、法の理念は正義であり、法の目的は平和であるが、法の実践は社会悪とたたかう闘争であると喝破された。
 うむむ、これはすごい、すごーい。なるほど、なるほど、まさにそのとおりです。この言葉に出会っただけでも、この本を読んだ甲斐がありました。
 いま、著者は「中山研一の刑法ブログ」というブログを書いておられます。私も、愛読者の一人です。
(2007年11月刊。1800円+税)

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