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2007年5月 の投稿

一所懸命

カテゴリー:日本史(中世)

著者: 岩井三四二、出版社:講談社
 この本を読んでいるうちに映画「七人の侍」をついつい思い出してしまいました。なんだか、とても似たシチューエーションなのです。
 ときは戦乱に明け暮れる戦国時代。織田勢が大軍を仕立てて美濃の国へ攻め入ってくるという。地侍は領主の命令で小者を従えて出仕しなければならない。たとえば騎馬侍二騎、槍足軽二人、指物持ち一人、弓持ち一人、徒歩立ち二人の合計八人を出す必要がある。大変なことだ。
 他国の軍勢が侵入してくれば、どのようなひどいことになるか。
 米や麦を盗む、女を犯すぐらいは当たり前のことだ。盗むものがなければ、刈り入れ前の稲を刈ったり、麦や野菜を踏みつけてめちゃくちゃにするなどの嫌がらせをする。負けて捕らえられて者は、奴として売り飛ばされるし、軍勢が去る前には家を焼いたり、井戸に糞を撒いたりする。それは、自分自身も合戦に参加すればやってきたことだ。
 この本は合戦に否応なく参加させられた雑兵の眼で描いています。なるほど、戦国時代の合戦というのはこんなものだったんだろうなと思いました。
 織田信長や秀吉など、トップに君臨する英雄だけに目を向けるのではなく、それを底辺で支えていた人々の気持ちを考えてみることに目が向きました。読みものとしても大変面白く出来ていますが、歴史の見方に目が開かされた思いがしたという点で、私はこの本を高く評価したいと思います。

私が選んだ後継者

カテゴリー:社会

著者:松崎隆司、出版社:すばる舎
 2005年における社長の平均年齢は58歳9ヶ月。現実には、社長交代は思うほどスムースには進んでいない。社長族の構成年齢は高いにもかかわらず、なぜ社長交代が進んでいないのか。
 日本の企業倒産の5割以上は、会社を清算する破産。その原因の多くは後継者の問題。倒産企業の4社に1社が、地方で30年以上経営を続けている企業。
 事業承継の形態は4つある。第一は親族内承継、第二は外部からの雇い入れ、第三が M&Aによる企業売却、第四が事業承継をあきらめ清算すること。
 一族以外から後継者を選ぶケースが近年は増加傾向にあり、2002年には38%にも達している。
 後継者に必要な資質は三つある。従業員を管理する能力、縁を大切にする能力、危機管理能力。
 事業承継でうまくいっているところというのは、実は、先代が早世したところが多い。親と子が一緒だと、どうしてもケンカになってしまう。
 中継ぎ役員、セットアッパーも、その一手法である。後継者の育成と経営を見るという役割を担う。後継者育成とともに、右腕になる人をつくることも、事業承継の重要な要素。
 いま、弁護士会も、この中小企業の事業承継に取り組もうとしています。
 5月中旬、久しぶりに阿蘇の大観峰に行ってきました。いつ行っても、その雄大さに圧倒されてしまいます。今回はじめて気がつきましたが、仏様の涅槃像でもあるのですね。大自然の巧みさに感嘆します。透きとおる五月の青空でした。雲雀が天高く飛び上がって甲高い鳴き声で鳴き、大草原で肥後牛たちが草をはんでいました。

大人が絵本に涙する時

カテゴリー:社会

著者:柳田邦男、出版社:平凡社
 生きる意味というものは、何かいいだろうと受け身で待っていたのでは見つからない。たとえ絶望的な状況下にあっても、自分は最後までこう生きたと人生の物語の最終章を自分で書いてはじめて、それが人生から期待されたことへの答となるものであり、人生の意味になるのだ。
 うーん、なかなかいい言葉です。かみしめたいものです。
 最近は家族が病気で入院していても、子どもを見舞いに連れていかない家が多い。だが、子どもには、もっともっと生老病死に日常的に接するようにすべきだと思う。
 この世に生まれた乳児は、羊水の中の安心感からすぐに抜け出せるわけではない。母親に抱きしめられることを、いわば羊水に替わるものとして求める。心の発達のためには、そういう愛着関係が少なくとも三歳児までは必要だ。心の分娩には3年かかる。
 絵本は絵と言葉が共鳴しあうことによって、奥行きのある立体的な世界を創り出すメディアである。絵は言葉の単なる説明役でもなければ、添え物でもない。言葉もまた、絵が語り切れないところを補うものでもない。
 絵本とは、簡潔に洗練された言葉と象徴的な絵と音読する肉声とが一体となって物語りの時空を生み出す独特の表現ジャンルである。
 子どもは幼いように見えても、喜びや楽しさや悲しさや辛さや無念といったさまざまな感情が芽生えている。そうした感情がきめ細かく育つのを「感情の分化」という。「感情の分化」は、母親をはじめとする家族との接触のなかで芽生え、発達していく。母親や父親がたくさんの絵本や読み物を感情をこめて読みきかせすると、物語の展開にそっていろいろな感情が動き、「感情の分化」がきめ細やかさを増していく。
 これに対し、親が子どもを放置し、テレビに子育てをまかせるような日常になると、子どもの「感情の分化」はほとんど起こらないで、怒りの感情や抑圧感ばかりが強くなり、他者の気持ちを汲みとったり思いやったりする心がほとんど育たなくなる。
 実は、絵本や読み物による豊かな感情の形成という営みは、子どもだけでなく、大人にも必要なのだ。大人こそ絵本を読もう。絵本は子どもだけのものではない。生涯を通じて心の友となるだけの豊かな内容が語られている。心が渇ききっているとき、絵本は心の潤いを取り戻してくれるオアシスとなり、生きるうえで本当に大事なものは何かをあらためて気づかせてくれる。
 大人も、座右に好きな絵本を置いて、ときどき絵を味わう。そんな心のゆとりを持ちたいものだ。少年時代、少女時代に持っていた豊かな想像力、雲を見ていろいろな動物を想像するファンタジーの能力、そういうものをなくした大人って何と干からびた日常であることか。
 私が司法試験の受験生だったころ、同じ受験生仲間で、セツラー仲間でもあった友人が「息抜きに絵本を読んでみたら」と言ってすすめてくれたことがありました。今でもその本のタイトルを覚えています。『天使で大地は一杯だ』という本です。読むと、なるほど頭の中に爽やかな風が吹き渡っていく気がしました。一杯のコーヒーよりはるかに確かな清涼剤となりました。この友人とは、今、東京で活躍している牛久保秀樹弁護士です。
 子どもが生まれてから、たくさんの絵本を買って次々に読み聞かせをしてやりました。読んでるほうも楽しいのです。斉藤隆介の「八郎」とか「花咲き山」などは、絵も文章もいいですね。かこ・さとしの絵本は「カラスのパン屋さん」などいいものがたくさんあります。絵本は3人の子どもたちに次々に読んでやりましたのでボロボロになったのもありますが、みんな捨てがたいので残してあります。そのうち孫ができたらよんでやろうと思うのですが、いつのことやら、というのが我が家の状況です。残念ですが、こればかりは、どうしようもありません。
 私も一度だけ絵本に挑戦しました。弁護士会の職員で絵の描ける人がいたので、私が文章をかいて、彼女に絵を描いてもらいました。出版社に持ちこみましたが、残念ながら入賞はできませんでした。でも、せっかくなので出版してみたのです。ちっとも売れませんでしたが、いい記念になりました。

シュメル人たちの物語、5000年前の日常

カテゴリー:ヨーロッパ

著者:小林登志子、出版社:新潮選書
 シュメル人とは、どこからやって来たのか分からない民族系統不詳の人々である。シュメル語は、日本語と同じように、「てにをは」のような接辞をもつ言語だった。
 石碑に書かれたシュメル語の碑文が解読されています。学者ってホント、たいしたものですね。
 碑文は神に読んでもらうためのもの。当時の民衆の識字率は低く、民衆のほとんどが碑文を読めなかった。王自身も文字の読み書きができるとは限らなかった。
 シュメル人の衣服は縫わなかった。シーツのようなたっぷりした布を身体に巻きつけて、ピンでとめていた。
 王や王子たちは文字の読み書きができなくても差し支えなかった。そのかわり、王に仕える書記、つまり役人は文字の読み書きができなくては仕事にならない。書記になろうとする男の子たちは学校へ通わされた。シュメルの父親は教育熱心だった。
 シュメルは文明社会であり、法によって治められる社会だった。殺人は死刑と定められていた。
 シュメル人の庶民の結婚には父親の同意が不可欠だった。婚姻契約を結び、王の名にかけて証人の前で婚姻締結を宣言した。女性の処女性は重視されており、妻は夫に貞操義務があった。契約書なしの内縁関係では、離婚するとき慰謝料を支払う必要はなかった。夫婦は同居の義務があったが、財産は別だった。
 夫の家庭内暴力から逃げ出した妻がいるという話も紹介されます。
 シュメルで女性は、いくつかの重要な法的権利をもっていて、財産を所有できたし、証人として出廷できた。
 シュメル人の死生観には地獄がない一方で、天国や極楽もない。一度だけの生をよく生きると定めざるをえない。あの世よりも、この世を大切に生きた。死者は生前のおこないの善悪にかかわらず、死ねば一律にクルヌギに行き、飲食物に不自由するので、生きている者は死者のために供養する義務があると考えられていた。
 5000年前、古代メソポタミアの人々の生活が案外、今の私たちと同じようなものであることに驚いてしまいました。古代の文字が解読されるって、ホントすごいことです。

蘇我氏四代

カテゴリー:日本史(古代史)

著者:遠山美都男、出版社:ミネルヴァ書房
 蘇我入鹿は王位の簒奪という許されざる野望を抱いたため、それを阻止しようとした中大兄皇子に大極殿で討たれた。そして、その父蝦夷もまた討伐軍に滅ぼされ、ここに権勢を誇っていた逆臣蘇我氏は滅亡し去った。これが通説です。しかし、著者はこれに対して敢然と挑戦します。わずかの資料を手がかりに想像力をフルに発揮して謎解きをしていきます。学者って、すごい才能とくに想像力と総合力の持ち主だということを痛感します。
 蘇我氏の活躍した時代はまだ天皇とは呼んでいなかったので、大王と表記されています。ですから、皇子も王子です。この時期、王宮内に「大極殿」はない。
 蘇我氏を百済系の渡来人とする説がありますが、著者はそれを否定します。
 5世紀の日本では、大王位は後世のように特定の一族に固定はしていなかった。この時期、大王を出すことができる一族は複数存在した。ところが、5世紀後半から6世紀半ばは欽明大王の時代には、大王位が特定の一族、すなわち欽明の子孫で限定、固定されるようになった。ここに初めて、厳密な意味での王族(大王家)が成立した。
 蘇我氏とは初代の稲目が葛城氏の娘と結婚し、葛城氏の血脈に連なることによって成立した豪族だった。稲目は、かつて大王を出すことができた一族で、その資格をもっとも早く否定された葛城氏の血脈を相承する存在だったからこそ、彼の娘は大王の妃として迎えられる資格を存在的に認められていた。
 蘇我氏とは大和国高市郡の曾我の地名に由来する。曾我というのは、この一帯がスゲ(菅)の繁茂する地として知られていたことによる。スゲは事物を浄化する呪力を秘めた神聖な植物と見なされていた。蘇我というウジナは、大王に奉仕する一族の政治的な称号だった。
 初代の稲目は、今では、その祖父の名前すら伝わらない、その限りでは氏素性の分からない人物だった。そのような稲目が大王の政治・外交を補佐する筆頭である大臣という住職に就任できたのは、やはり稲目に代表される蘇我氏が葛城氏の血脈を継承していたから。厩戸は王位継承資格者の一人ではあったが、皇太子ではなかった。この時期にはまだ摂政と呼ばれる公的な地位もない。唯一の皇位継承予定者としての皇太子の地位が成立するのは100年後の689年のこと。
 厩戸の両親は、いずれも蘇我稲目の娘を母としていたから、彼が蘇我のテリトリーのなかで育てられたことは疑いない。
 蘇我蝦夷は、その母を介して、自分は物部氏の一員であるという意識をもっていた。当時のこの階層の者は等しく、父方・母方いかなる一族に属するかということで自己を認識していた。
 皇極大王と軽王子という姉弟は、いわば共謀して入鹿を殺害し、中大兄皇子の即位資格を否定した。入鹿暗殺の責任は皇極大王と、皇極の同母弟である軽王子(のちの孝徳大王)だった。
 斬りつけられたときの入鹿の言葉が、有名な次の言葉です。
  臣、罪を知らず。
 この言葉は、蘇我家が大王家乗っとりなどとはまったく無縁であったことを反映するものだというのです。うむむ、これだから歴史書を読むのは大変楽しいんですよね。

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