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2007年2月 の投稿

三角縁神獣鏡・邪馬台国・倭国

カテゴリー:日本史

著者:石野博信、出版社:新泉社
 三角縁神獣鏡は、単なるおまじないの鏡だったという説が紹介されています。驚きです。古墳のなかに置かれていた位置と数からして、本当に値打ちの高い良い鏡だったか疑問だというのです。うーん、そう言われても・・・。
 この本では邪馬台国・九州説がコテンパンにやっつけられています。福岡県南部に生まれた私としては、もちろん昔から心情的には九州説なので、大変悲しいことです。山門郡のある瀬高(女山。ぞやま)あたりだという本居宣長(もとおりのりなが)の説に共感してきました。しかし、瀬高だったら船で30日かかる距離ではないし、遺跡も多くはないとバッサリ切り捨てられています。
 それでは、最近有名な、あの吉野ヶ里ではどうでしょうか・・・。これもダメというのです。民家が密集しているようなところは、広大な王宮と矛盾するとされています。
 そして、戸数5万戸あるという投馬国が九州説ではどこに位置するのか、説明されていない。ここが最大の弱点だと指摘されています。
 著者は、投馬国は吉備国(今の岡山)、邪馬台国は大和だとしています。大和国山辺郡を想定しています。
 奈良盆地には、古くから山辺(やまのべ)の道と上(かみ)つ道がある。そこらあたりに邪馬台国はあった。私も、この2本の古道を現地で歩いてみたいと考えています。
 卑弥呼は魏王から銅鏡100枚を贈られました。このとき倭国使節団は、別に2000〜3000枚もの鏡をつくらせて倭国へ持ち帰ったと著者は推定しています。
 三角縁(ふち。えん)神獣鏡は日本に500面が見つかっているが、中国では一枚も見つかっていない。そうなんですよね、なぜなのでしょうか・・・。
 「卑弥呼以死」とあるのを、卑弥呼は殺されたとする新しい解釈が提起されています。そして、卑弥呼は、自分の生きているうちに墓(寿墓)をつくっていたのだ、というのです。松本清張が言い、それを支持する学者もいるそうです。「以死」というのは自然死のときには使わない用語だというのです。
 前方後円墳というのは、幕末の勤王志士・蒲生君平(がもうくんぺい)が名づけたもの。しかし、長突円墳と呼ぶべきだとの主張が紹介されています。そして、これは壺の形に似せてある。蓬莱山をあらわしているというのです。
 最新の学説の状況が分かる面白い本です。

修身教授録

カテゴリー:社会

著者:森 信三、出版社:致知出版社
 戦前の昭和12、13年、教師養成期間である師範学校の生徒を対象として修身科の授業をした、その講義録です。生徒に口述したものを書き取らせるという授業のやり方でした。修身の国定教科書をまったく使わず、独自に口述したのです。異例なことでした。
 中味は、こうやって70年後に復刻されるだけの価値があります。とても高度で、濃い内容の授業です。倫理・哲学の講師であった著者42歳のときの渾身の授業です。
 われわれの日常生活の中に宿る意味の深さは、主として読書の光に照らして、初めてこれを見いだすことができる。もし読書しなかったら、いかに切実な人生経験をしていても、真の深さは容易に気づきがたい。書物を読むことを知らない人には、真の力は出ない。
 読書は、われわれ人間にとっては心の養分なので、一日読書を廃したら、それだけ真の自己はへたばるもの。一日読まざれば、一日衰える。
 人間は、読書しなくなったら、それは死に瀕した病人がもはや食欲がなくなったのと同じで、なるほど肉体は生きていても、精神は既に死んでいる証拠だ。ところが、多くの人々は、この点が分かっていない。心が生きているか死んでいるかは、何よりも心の食物としての読書を欲するか否かによって知ることができる。大丈夫です。これを読んでいるあなたは、今、しっかり生きています。
 本を読むとき、分からないところがあっても、それにこだわらずに読んでいく。そして、ところどころピカリピカリと光るところに出会ったら、何か印をつけておく。ちなみに私は、すぐに赤エンピツでアンダーラインを引くようにしています。
 人を知る標準に五つある。第一には、その人が誰を師匠としているか、第二に今日まで何を自分の一生の目標としているか、第三に今日まで何をしてきたか、第四に愛読書は何であるか、第五に友人は誰なのか、ということ。
 人間の知恵は、自分で自分の問題に気がついて、自らこれを解決するところにある。人間は、自ら気づき、自ら克服した事柄のみ、自己を形づくる支柱となる。単に受身的に聞いたことは、壁土ほどの価値もない。自分が身体をもって処理し、解決したことのみが、真に自己の力となる。
 人間が学校で教わることは、ちょうど地下工事にあたる。その上に各人が独特の建物を建てる。その建物のうち、柱は教えであって、壁土は経験である。
 性欲の萎えたような人間には、偉大な仕事はできない。みだりに性欲をもらす者にも、大きな仕事はできない。人間の力、人間の偉大さは、その旺盛な性欲を、常に自己の意志的統一のもとに制御しつつ生きてくることから、生まれてくる。
 人生は、ただ一回のマラソン競争みたいなもの。この人生は二度と繰り返すことのできないもの。この人生は二度とない。いかに泣いてもわめいても、われわれの肉体が一たび壊滅したら、二度とこれを取り返すことはできないのだ。したがって、この肉体の生きている間に、不滅な精神を確立した人だけが、この肉の体の朽ち去った後にも、その精神はなお永遠に生きて、多くの人々の心に火を点ずることができる。私がモノカキとして精進しようとしているのも、ここに理由があります。
 一時一事。人間というものは、なるべく一時(いっとき)に二つ以上のことを考えたり、あるいは仕事をしないようにしたほうがいい。ある一時期には、その時どうしてもなさなければならない唯一の事柄に向かって、全力を集中し、それに没頭するのが良いのだ。
 いろいろ考えさせられることの多い修身授業ではありました。やはり、国定教科書を押しつけるなんて、ダメなんですよね。「心のノート」なんて、まったくうわべだけのものと思います。

プーチンのロシア

カテゴリー:ヨーロッパ

著者:ロデリック・ライン、出版社:日本経済新聞出版社
 エリツィンは共産主義打倒に全身全霊で打ち込んだ。そしてある程度の成功を収めた。その後も共産党はロシアの政界で相当の組織力を維持している。しかし、1996年の大統領選挙でエリツィンがジュガーノフに勝ってからは、ロシアが共産主義イデオロギーや計画経済に復帰する可能性はなくなったようだ。
 共産党の幹部や議員は、政権を黙認することで特典にありつける現状に満足しているようだ。
 エリツィンが共産主義に対する勝利を得た代償として、民主主義と経済は犠牲にされた。1996年にエリツィンが再選されたのは、ごく少数の財界人たち、のちに新興財閥(オリガルヒと呼ばれる)による資金援助とテレビ支配のおかげだった。
 プーチンはチェチェンに対するロシアの反撃を指揮した。それは長い屈辱の日々の終わりかと思え、その効果によって、国民のあいだにプーチンについて、強固な意志と実行力を兼ね備えた人物だというイメージが生まれた。
 プーチンの個人的人気こそ、プーチンの二大資産の一つだ。もうひとつは、大統領という地位そのものにある。
 ロシアでは、下院の議席は多くの議会人にとって実入りのいい収入源と化していた。下院の独立性は次第に失われていった。
 ロシアは理想にはほど遠い状態にある。今なお組織犯罪や契約殺人が頻発している。それでも、他の過渡期にある国や新興国に比べると、公正で迅速な裁判が受けられると考えられるようになった。
 ユコス事件で経営者が逮捕されたことから、プーチンに対して本気で挑戦する者は容赦されないことが明らかになった。見せしめとして狙い撃ちされたのだ。
 プーチンの「統一ロシア」は3000万人の党員確保を目ざしている。旧ソ連の共産党員は2200万人だった。
 男女あわせると100万人をこす軍人がいるし、退役軍人も数百万人いる。
 かつて軍は権力装置のひとつであり、国の誇りであり、社会の中心的な支柱だった。しかし、現在の軍には、その面影はない。徴兵者の大部分は入隊を拒み、実際に入隊した若者はひどい虐待を受け、軍とは関係のない建設現場で働かされたりする。
 ロシア国内には400をこえる大規模犯罪グループが存在し、およそ1万人が関わっており、国家的脅威となっている。
 実際の法執行はきわめて弱く、末端レベルでは贈収賄が横行している。
 ロシアの人口は1億4300万人。1993年から500万人も減った。今も、毎年 70万人ずつ減り続けている。2010年からは年に100万人ずつ減っていくと予測されている。えーっ、それはすさまじいことです。
 男性の平均寿命は59歳となった。1980年代初めは65歳だったのに・・・。自殺は5万9000人。殺人による死は4万7000人。アル中による中毒死は6万7000人。
 ロシアの軍需生産の5割以上が輸出向けで、年平均10億ドルもの兵器を購入する中国が最大の輸出国。
 ロシアでは政治的自由がしだいに制限されていっている。KGBの後継機関(FSB)が息を吹き返し、法と説明責任をこえて活動している。
 私は、もともと旧ソ連に社会主義なるものがあったとは思いません。そこには社会主義に名を借りた封建主義があったと思います。そして、今は、資本主義の名のもとにとんでもない自由放任主義、すなわちお金と力(暴力)をもつものが社会にのさばっている現実があるとしか言いようがありません。
 ロシアの現実を知ると、「社会主義はダメだ。資本主義、万歳」だなどと叫ぶ人の気がしれません。

「特攻」伝説

カテゴリー:日本史(戦後)

著者:原 勝洋、出版社:KKベストセラー
 第二次大戦中に、日本軍のカミカゼ特攻隊がアメリカ軍の艦船に体当たりしていった事実はよく知られています。この本は、アメリカ・メリーランド州にあるアメリカ国立公文書館?にある太平洋方面における戦闘記録と写真を掘り起こした写真集です。
 日本軍の陸海軍機がアメリカ軍の艦船に体当たりしていく状況をとらえた写真360枚が紹介されています。まさしく迫真の状況です。
 アメリカ軍は、カミカゼ特攻機が飛来し、爆弾を抱いて突入する姿、艦に体当たりする瞬間、被害箇所を克明に撮影し、記録していたのです。
 61年前の若い日本人青年たちが、体当たりの一瞬に人生のすべてを燃焼させていった記録写真です。彼らの出撃前のあどけない顔写真もあわせて紹介されています(こちらは日本軍がとった写真です)。
 この本によると、特攻機の命中率は語られていた以上に良かったようです。アメリカ軍の作成した資料によると、1944年10月、特攻機の命中率は42%、至近弾として損害16%で、合計58%。これによる損害として、命中した艦船は17隻、沈没したのは3隻。1944年10月から1945年3月までの間に、特攻が356回実施され、命中したのが140回で39%、命中と至近弾損害をあわせると56%にもなっている。命中した艦船は130隻で、沈没したのは20隻。沈没した船は1944年12月に11隻だったが、1945年に入ると、1月3隻、2月1隻、3月にはゼロとなっている。
 著者は、この写真と記録を見て、平和の時代に生きて良かったと実感させられたと述べていますが、私も本当にそう思いました。あたら有能な青年の前途を奪った戦争をくり返させてはなりません。
 アメリカ軍艦船「イントレピッド」の飛行甲板に突入した体当たり機操縦の特攻壮士の遺体写真について。人間の生命を犠牲とすることを前提とする特攻。この現状を知ってなお、「特攻攻撃は操縦する特攻壮士の崇高な意志を信頼してはじめて成立するもの」などと言えるだろうか。遺体写真のキャプションとして、著者は、このようにコメントしています。同感です。
 特攻は特別攻撃隊の略語であり、これは確実な死を意味していた。まだ一縷の生還の望みがある決死隊とは、まったく違うもの。
 それにしてもよく撮れたと思える写真です。はるか上空にいる日本のカミカゼ特攻機。艦に体当たり寸前の特攻機。本当に鬼気迫るものがあります。見上げるアメリカ軍兵士の顔が恐怖でひきつっているのまで判読できます。
 この特攻攻撃の自己犠牲は、アメリカ海軍の将兵にとっては理解のできない、身の毛もよだつ行為だった。アメリカ軍の検閲当局は、体当たりカミカゼによる被害関係情報を一切禁止した。
 出撃直前の特攻隊士の集合写真のなかには笑顔の青年も認められます。緊張した顔つきの兵士が大半ですが、それほど自己犠牲を当然視できていたのでしょう。教育の効果とは本当に恐ろしいことです。
 この本にはアメリカ側の記録だけでなく、日本側の出撃記録によって、いつ、どこから、誰が出撃していったのか、その氏名も明らかにされています。ですから、この写真にうつっているカミカゼ特攻機にのっているのは誰だろうという推測も書かれています。
 亡くなった日本人青年の冥福を祈ると同時に、こんな時代(事態)を再び招かないためにも、平和憲法を守り抜きたいと決意したことでした。
 いずれにせよ、手にするとずしりと重たい写真集です。

コトの本質

カテゴリー:社会

著者:松井孝典、出版社:講談社
 中学時代の著者は、色浅黒く、剣道がやたら強いだけの少年だった。高校生になってからは、とくに際だつところも見られなくなった。学校の成績もトップレベルではなく、とくに目立つところは何もなかった。
 ええーっ、と思う紹介文です。著者は東大理学部に入り、今も東大教授をしています。アメリカやドイツで大学教授もしているのですよ。そんな人が、中学・高校時代に目立つ成績ではなかったなんて、とても信じられません。
 でも、この本を読むと、その秘密がなんとなく解けてきます。
 毎日が楽しい。ゴールがはっきりしているから。何のために生きているかそれがはっきりしているから。自然という古文書を、読めるだけ読んで死んでやろう。そう思って生きている。
 私の楽しさは、どう生きたいか、というところに根源がある。自分の人生なのだから、思うように生きてみたい。せっかくの人生だから、悔いがない形で、やりたいことはみなやって生きる。そう思っている。
 うーん、まったく同感です。私は、人間というものを知りたい、知り尽くしたい、そう思っています。本を読み、人の話を聞くのも、みんなそのためです。
 私の歓(よろこ)びは、考えるということと結びついている。考えていなければ、ひらめくことはない。それも四六時中、考えて考えていなければ突破できない。考えるということは、私の仕事。四六時中、考えに考えている状態。それが、まさに自分の望んでいた人生そのものなのだ。
 考えるべきことは、頭の中に全部ある。混沌として霧に包まれた状態のなかにあるが、解くべき問題としてはきちっと整理されている。頭が澄み切っていて、何でもことごとく分かるように思える。そういう日が一年のうちに10日くらいある。
 残念ながら、私にはそのような体験はありません。でも、今が一番、頭が澄み切って、冴えている。そんな気はします。少しは世の中のことが見えてきました。ですから、酔っぱらってなんかおれない。今のうちに、たくさん書いておこうという気になっています。
 過去と未来を考えて生きているのは人間だけ。人間という存在は、時間的にも空間的にも、限りなく広い領域で、その果てを絶えず求めている。そういう存在なのだ。脳の中の内部モデルとしては、果てというものはない。したがって、我々はそれを永遠に追い求めていく。
 やりたいことは、際限もなく出てくる。何でも興味があるから。
 この世に生まれてきたということは、どういうことなのか。それは、その間だけ、自分で好きなように使える時間を得たということだろう。その時間こそ自分の人生そのものなのだから。それを100%自分の意志のままに使いたい。それこそが最高の贅沢で、至上の価値だろう。
 自分の時間を人に売ってカネをもらうというのでは、何ともわびしい。自分の人生であって、自分の人生ではないようなものではないか。自分の時間を人に売り渡さず、考えることだけに没頭したい。
 うんうん、良く分かります。本当に私もそう思います。
 自分の知っている範囲のことをすべてだと思いこみ、あたかもそれが正論であるかのように、堂々としゃべる。そんな風潮が目につき過ぎる。そういう人たちには謙虚さがない。いまの日本は、限りなくアマチュアの国になりつつある。
 私とは何なのか、そもそもそれを考えたことのないような人たちが、平気で我を語り、我を主張している。
 問題がつくれない人は、エリートではない。解くべき問題を見つけるまでが大変なのだ。問題が立てられれば、解くのはある意味で簡単だ。
 学問の世界では、自分で問題がつくれなければ、プロとして本当の意味で自立することはできない。
 分かるということは、逆に言うと、分からないことが何なのか、ということが分かること。分かると分からないとの境界が分かること。
 自分の身体は自分のものと考えているかもしれないが、本当は寿命のあいだだけ、その材料を地球からレンタルしているだけ。死ねば地球に戻るもの。生きるというのは、臓器とか神経系とかホルモン系とかの機能を利用することであって、物質は、その材料にすぎない。物質は、その機能を生み出すために必要なものにすぎない。
 うーん、よく考え抜かれていることに、ほとほと感心してしまいました。さすがですね。すごい人がいるものです。私よりほんの少し年上の人だけに、つい悔しくなってしまいました。まあ、これも身のほど知らずではありますが・・・。
 きのうの日曜日、庭に出るとウグイスが澄んだ声でホーホケキョと鳴いていました。いつもは初めのころは鳴きかたが下手なのですが、今年は、初めから上手に鳴いて感心しました。梅にウグイス。もうすぐ春ですね。気の早いチューリップは、もうツボミの状態になっています。庭の隅の侘び助に赤い花が咲いていました。

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