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2007年1月 の投稿

検証・国策逮捕

カテゴリー:未分類

著者:東京新聞特別取材班、出版社:光文社
 サブ・タイトルは、経済検察はなぜ、いかに堀江・村上を葬ったのか、です。検察庁は日本の政治を部分的にではあれ、左右しようという意欲と自覚を持つ官庁なのでしょうか。結果的にそうなった、というのなら分かりますが、はじめから、それを意図しているとなると、果たして、その能力と資格があるのか、私などは眉につばをつけたくなります。それほど政治に敏感な人間集団だとは、とても思えませんし、そんなに能力にすぐれた人々がつくっている組織だとも思えないからです。
 ところで、日銀総裁の福井俊彦は日本人の大人のモラルが地に堕ちていることを如実に示す典型の男です。こんな人間が日本銀行のトップとして君臨している限り、日本の指導層に日本人のモラルがどうのこうの、近頃の若者のモラル低下は嘆かわしいなどと言う資格はないでしょう。
 福井俊彦は村上ファンドに個人として投資していた。それを本人は、あまり大した金額ではないとした。実際にはどうか。村上ファンドに投資したのは1000万円で、運用益は1473万円。既に242万円を分配金として受けとっている。6年で元本の2.47倍になっている。これを大した銀額ではないと堂々と言いつのるのだ。信じられない。
 福井俊彦夫婦の総資産は3億5000万円。給与は年3641万円。このほかに年金 778万円をもらう。つまり、年収4419万円だ。それからすると、1473万円の利益なんて、大したことない金額なのだろう。でも、日銀トップがそんな感覚で果たしていいのか。
 村上ファンドの関係で問題となったのは福井俊彦のほかにもう一人、オリックス会長の宮内義彦がいます。なんでも民活と称して、抜け目なく肥え太っている典型的な政商です。オリックスは、2001年から、村上ファンドへの投資窓口として資金集めを代行し、手数料を受けとっていた。村上とは常に密接な関係にあった。
 福井と宮内を国会に参考人として招致せよと野党が要求したとき、宮内は「民間同士の自由な契約関係であり、国会にはそぐわない気がする」と言い逃れました。日本の政財界トップにこんなに低いモラルしかないのですから、下が悪くなるのもあたりまえです。上のほうで大金持ちたちがカネにあかせて堂々としたい放題をし、マスコミがたたくのも腰くだけになって、いつのまにかウヤムヤになってしまうというパターンが続けば、カネこそすべてという風潮が日本にまん延するのは避けられません。教育基本法を改正したのはこんな連中なのです。彼らの卑しい品性が次世代を担う日本の子どもたちに押しつけられてしまうのが、本当に心配です。
 村上の弁護人の中心が則定衛本東京高検検事長だというのを知って、あーあ、またヤメ検かー・・・、とついため息が出てしまいました。いえ、検察官を退職して弁護士になった人全部をけなすつもりはまったくありません。私も、立派なヤメ検弁護士を何人も知っています。それでも、スキャンダルのために検事総長になり損ねたような人物が村上の弁護人になったというのを聞くと、なんだか割り切れない気がしてしまうのです。
 ホリエモン逮捕によって、東京証券取引所の売買システムがダウンし、全銘柄の取引停止という前代未聞の事態に陥った。これは検察にとっても想定外の出来事だった。堀江の保釈は3ヶ月後、保証金は3億円。堀江の六本木ヒルズの家賃は200万円。勾留中に「沈まぬ太陽」(山崎豊子)を読んで感動し、保釈されたあと御巣鷹山にのぼった。
 ライブドアの個人株主は22万人にまでふくれあがった。
 ライブドアに対する特捜部の内定捜査について、本書は政治的な糸や世論の風向きは関係なかったとしています。しかし、国策捜査でなくても狙い撃ちされた感は否めないとしています。その点は、私も同感です。出る杭は打たれるという感じです。あまりに派手にやると叩かれるというのが日本の風土なのでしょう・・・。

豪商たちの時代

カテゴリー:未分類

著者:脇本祐一、出版社:日本経済新聞社
 団塊世代の日経新聞編集委員が書いた本です。さすがに新聞記者らしく、よく調べてあり、いろいろ勉強になりました。ただ、あえて難を言うと、少しゴテゴテと脈絡なしに盛り沢山になっていて、スッキリせず、読み難いところがあります。
 現代日本は世界有数の格差社会となり、金融資産を1億円以上もっている日本人が100万人いるということですが、江戸時代にもスーパーリッチの町人がいました。
 長者と呼ばれるには銀千貫、分限者は五百貫、金持ちは二百貫以上。銀を金に換算し、金1両を銀60匁とする。長者は1万7千両、分限者は八千両、金持ち三千両以上となる。 金一両を米一石、年貢は五公五民とすると、長者は三万五千石、分限者は一万五千石、金持ちは六千石に相当する。しかし、年貢米は籾を米にすると収量は半減するので、石高制にすると実質的に長者は七万石、分限者は三万石、金持ちは一万二千石の大名となる。
 こうやって具体的に数字をあげられると、江戸時代の大金持ちの町人というのは、並みの大名以上の存在だったということがよく分かります。
 江戸時代が外国に対して国を閉ざしていたと考えるのは大いなる誤認だ。著者のこの指摘に、私もまったく同感です。
 茶の湯で利休たちがお茶うけに使ったのは、シイタケやクリ、炒ったカヤの実だった。今日のような砂糖入りのお菓子になったのは江戸時代に入ってから。はじめ貴重な薬種として輸入された砂糖は、吉宗の国産化政策によって、讃岐や阿波で最高級品の和三盆が生まれた。
 1523年に中国の寧波で、堺が大内・博多連合と争った、寧波の乱というものがあったというのを初めて知りました。敗れた堺はやむなく南海路へ迂回せざるをえなくなりました。しかし、これによって種子島に鉄砲伝来したとき、堺にとってはかえってプラスに働いたのです。
 現代の華僑にあたる言葉を綱首と呼んだ。綱首は、13、14世紀に日宋貿易と博多の自治を担った。最初のチャイナタウンは長崎でも横浜でも神戸でもなく、博多だった。
 そうだったんですかー・・・。知りませんでした。博多にある妙楽寺の隣にイエズス会の教会もあった。うーん、なるほど・・・。
 江戸時代には、前半に人口爆発があった。江戸開府のころの日本人の人口は1200〜1500万人。100年後の元禄期末に2倍強の3000万人となった。そして、これは幕末までほとんど同じです。
 文化11年(1814年)、久留米藩と佐賀藩は米切手の不渡りを出してしまった。その額面は、なんと久留米藩は42万石、佐賀藩は20万石分にのぼった。ところが、両藩の大坂回米は、それぞれ最大でも年間7万石と6万石でしかない。
 町奉行所が仲裁して、切手を買った米問屋と蔵屋敷とのあいだで示談が成立した。久留米藩は100万石につき17万石を現銀で支払い、残りは20年の年賦とし、その間の利息は9年の年賦で返済する。佐賀藩は切手発行高の1割を毎年現銀で支払うが、そのうち35%を利息、65%を元本返済に充てるという内容。
 これは、実は米の販売を装った金融取引だった。久留米藩は空米切手事件を引き起こしたとき、堂島の米仲買から総計23万石という巨額の融資を受けていた。その多くは空米切手による借り入れだった。
 空手形の発行というのは、こんなに古くからあっていたのですね・・・。

小説家の庭

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著者:丸山健二、出版社:朝日新聞社
 同じ著者の「荒野の庭」「花々の指紋」(いずれも求龍堂)も読みました。すごい庭です。花と植物が実に生き生きと輝いています。丹精こめて育てている。いえ、慈しんでいるというのが、よく分かります。もちろん、写真のでき具合いが素晴らしいのもありますが・・・。
 私も、モノカキのかたわら、狭くはない庭に花や木を植えています。でも、日曜ガーデニングでしかありません。著者とは段違いです。それでも、わが庭に咲くのと同じ花がいくつかあって、それを見ると、ついうれしくなってしまいます。
 前二作とは違って、著者の家と庭の遠景が紹介されています。水田に隣りあわせていて、遠くに山並みが見えます。これは庭の手入れは大変だ。日曜ガーデニングで50坪ほどの庭の手入れだけでも、ひと苦労している私には、とても真似できそうもない作庭です。
 小さなミドリガエルが緑の葉っぱにちょこんと坐っています。わが家にもいます。梅雨どきになると、なぜか、わが家の門柱の上に毎年、同じように鎮座し、出勤する私を見送ってくれます。
 無限の変転を辿ってやまない動物と植物と鉱物・・・、周辺に満ちるエネルギーを素早く掠め取りながら、一瞬の今を懸命に生きている。
 年末年始、冬と思えない温かい陽気の下で、庭づくりに励みました。畳一枚分を掘りおこし、枯れ草と生ゴミをすきこんで、土を元通りかぶせて、植え替えをします。
 同じ球根でもチューリップは一年しかもたないのがほとんどですが、水仙などはぐんぐん仲間を増やしていきます。庭が水仙だらけになるのも困りますので、間引きせざるをえません。例年なら、庭づくりをしている私のすぐ近くにジョウビタキがやって来て声をかけてくれるのですが、今年は残念なことに通り過ぎてしまいました。
 青紫色の華麗な花を咲かせるジャーマンアイリスがあります。わが庭にも咲きます。人手をかけることを嫌う丈夫な花です。放っておくのが一番いい栽培法です。こんな説明をして、知人の庭にたくさん嫁入り(婿入り)させました。たいてい無事に育っているようです。前に、どなたかトラックバックで、この青紫色のジャーマンアイリスの気品にみちた花の写真をのせていただきました。また、お願いします。
 島根に住む心優しい同期の弁護士から正月牡丹をもらいました。2度目です。何年か前にもらった牡丹は、今でも春になると妖艶な濃赤紫の花を咲かせてくれます。春に咲く牡丹を園芸店のほうで正月に咲くように仕掛けがしてあるようです。今度の牡丹は甘いピンク色の花です。
 ガクアジサイ、クリスマスローズ、クレマチス、わが家にあります。いずれも私の大好きな花なので、庭のあちこちに植えています。
 テッセンとも呼ばれるクレマチスは、赤紫色の花も風情があっていいものですが、その純白の花も見ているだけで心が洗われる気がしてくるほど素敵です。
 年末年始にクワとスコップをふるい過ぎて、右腕が痛くなってしまいました。何ごともほどほどが良いのでしょうが、つい夢中になってしまいます。ともかく心地よい一瞬一瞬なのです・・・。

脳は空より広いか

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著者:ジェラルド・M・エーデルマン、出版社:草思社
 1972年に43歳の若さでノーベル医学賞を受賞した学者による本です。人間の意識を科学的に究明しようという本ですので、やはり難しいところが多々あります。私もよくは理解できませんでしたが、なんとなく分かった気もして読みすすめました。
 ひとつだけ、はっきり分かったことは、脳はコンピューターではない、ということです。コンピューターは前もってきっちり決められたプログラムにしたがって入力されたアルゴリズムや効果的なプロシージャーを実行していく。配線に間違いは許されない。
 しかし、脳はあらかじめこと細かに配線が決まっているわけではない。どのニューロンとどのニューロンが結びつくかは統計的に変動する出来事だ。種としては同じパターンを共有しながらも、その個体にしかないネットワークができあがる。普遍的かつ多様だ。
 脳のふるまいはデジタルな計算処理とは考えられない。たとえば、コンピューターにとっては致命的だとされているノイズが、脳の高次機能を働かせるためには不可欠だ。
 スーパーコンピューターをいくら直結しても、それだけでは意識は生まれない。意識とは何か。もちろん、脳なくして意識はない。しかし、それでは、脳や身体のどのような構造や機能が、意識が現れるための必要十分条件なのか。
 意識は、かたちのある物ではなく、流れていく過程である。
 意識とは、脳のさまざまな領域で分散して活動するニューロン群によって、ダイナミックに遂行されるプロセスである。
 意識を生成するのにある領域が必要不可欠だということは、その領域さえあれば意識が生じるという意味ではない。ある瞬間の意識活動に必要だったニューロンが、必ずしも次の瞬間に必要だとは限らない。
 意識は個人のうちにのみ生じる。
 意識は常に変化しながらも連続している。
 意識は志向性をもつ。
 意識は対象のすべての面に向けられるわけではない。
 意識を内面から見ていると、静止することなく、絶えず変化しているように思える。それでいて、その一瞬一瞬は、ひとまとまりだ。この一瞬一瞬を、著者は想起される現在と呼ぶ。
 大脳皮質には、少なくとも300億個のニューロン(神経細胞)が含まれ、シナプスと呼ばれるつなぎ目は、なんと10万×100億個にも達する。仮にシナプスを今から数えはじめ、1秒に1つ数えると、数え終わるのは3200万年後になる。
 意識の発生を理解するのに大脳皮質と並んで重要な構造は視床だ。視床は意識の働きに絶対欠かせない存在だ。
 脳は空より広いのです。そうでしょう。だって、みんな私の頭のなかに入ってしまうのですものね。

アメリカ監獄日記

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著者:高平隆久、出版社:草思社
 前にアメリカの刑務所生活を体験した日本の若い女性の書いた本を紹介しました。今度の本は、日本人の中年男性が同棲していた若い日本人女性からレイプ犯として告訴され、拘置所で生活した体験を報告したものです。
 この本を読んで、アメリカという国は本当に怖い国だとつくづく思います。拘置所のなかで抹殺(リンチ)されることが現実にあり、その恐怖の下で生きていかなければならないのです。日本ではそんな話は聞きません。
 同棲していた若い女性とのあいだでレイプ罪が成立するかどうかについては、私にはもちろん分かりません。本人は無罪を主張していますが、結果としては司法取引に応じて有罪となり、日本へ送還されたのです。
 逮捕されて拘置所に入ってから、パブリックディフェンダー(公選弁護人)を頼むのですが、低い評価しかなされていません。パブリックディフェンダーの弁護士は役に立たないって有名だ、とされています。残念です。
 逮捕されて2週間あまりで、パブリックディフェンダーが4人交代した。著者は本当にいい加減なシステムだと怒っています。たしかに、こんなにコロコロ変わってしまうのでは、心細い限りですね。
 拘置所の住人の多くは前歯がない。これはフリーベースという、コカインに重曹を入れて熱したものを吸収し続けていると、歯ぐきがやられて歯が抜け落ちてしまうからだ。
 それほどアメリカでは薬物中毒者が多いということです。
 拘置所は体力勝負のところ。着いたらすぐ喧嘩になるかもしれないし、夜中に襲われるかもしれない。強そうに見える人間には、すぐにいろいろな人間が力試しに喧嘩を売って
くる。弱そうな人間は、すぐにボクシング大会と称して戦わされる。そして、それが見てる者の賭けの対象となる。勝った方も、生意気だと、ボスにやっつけられる。
 アジア人の集団のなかにヒスパニック系の人間を入れると、たちまちリンチが始まる。もちろん、逆も真なりだ。
 サウスサイダーとは、不法入国してきたヒスパニック(ほとんどがメキシカン)の親をもつ、アメリカ生まれのアメリカ国籍にヒスパニック系アメリカ人のこと。
 ジュートボールとは、人間の一日に必要なミネラルやビタミンが固められているボール状の食事。懲罰房に入れられたときの食事。
 拘置所の面会は土・日の午後1時から5時まで、3つあるトイレは夜中には1人ずつしか使えない。アメリカでは、にんじんとタイレノール(鎮痛剤)が、キリストと同じくらいに厚く信仰されている。
 部屋は不潔で、ねずみがすぐに捕まえられるし、クモにかまれることもある。シャワーも数が少ないので、気の弱い人間はとてもつかえない。
 いやあ、アメリカって、本当に大変な国ですね。勝ち組のアメリカ人は負け組のことなんて人間とも思っていないのでしょうね。だいいち、刑務所人口が何百万人(200万人と言われています)いても、選挙権がないのですから、無視できます。また、処罰を厳しくせよと叫ぶほうが票が集まるのですからね。ともかく、ぞっとする本でした。

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