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2006年11月 の投稿

霞っ子クラブ

カテゴリー:未分類

著者:高橋ユキ、出版社:新潮社
 人気ブログが単行本になったものです。手軽に、さっと読めます。中味は裁判ウォッチングです。平均年齢27歳の4人娘による裁判傍聴記なのです。
 副裁判官という言葉にぶつかり、えーっと、思いました。裁判長の左右にいる人を指しているようです。でも、副裁判官というと、なんだか準裁判官っていう感じですよね。実は、私の業界では副裁判官という呼び方はしません。
 スーパーで1394円の万引きをして正式裁判になった事件が紹介されています。本当にそんな事件があるんです。しかも、少なくないんです。そして、結果は懲役1年前後の実刑になってしまうことが多いんです。なぜかって言うと、たいてい常習だからです。所持金8000あって、600円の梨を万引きしようとして、求刑が懲役5年というケースにもぶつかっています。何億円も業務上横領した会社トップは大弁護団をかかえて争い、無罪になったりします。ホント、矛盾を感じますよね。
 裁判所や弁護士会館の地下にある食堂も紹介され、4人娘のコメントがのっています。私の大好物でもある弁護士会館地下のソバ屋のごまだれせいろウドンも紹介されています。これって、安い(580円)うえに本当に美味しいんです。ぜひ一度、食べてみてください。そして、農水省の地下食堂と売店もおすすめです。ここも安くて美味しいのです。
 法廷における裁判官、検察官そして弁護士たちの、あっ、もちろん被告人も、彼らの生態がきわめてリアルに、かつ情け容赦もなく、こと細かに紹介されています。こんな女性たちが傍聴席にいたら、気になって仕方がないでしょう。
 実際の裁判はどう進行しているのか、それを知るために役に立つ本です。

山の学校の子どもたち

カテゴリー:未分類

著者:長倉洋海、出版社:偕成社
 アフガニスタン北部のパンシール峡谷にある小さな山の学校の子どもたちが生き生きと学んでいる様子を紹介した写真集です。1980年からアフガニスタンを撮りつづけている写真家が標高3000メートルの山村に暮らす子どもたちの素顔を撮りました。どの子の顔も、実に生き生きと輝いています。はじける笑顔に圧倒されそうです。
 家から学校までは平均1時間。なかには2時間かけてやってくる子もいます。上流と下流の10の集落から170人ほどの子どもたちが毎日通ってきます。
 早朝の仕事を終え、朝食をとったあと、子どもたちは学校へ出かける。お母さんは、子どもと交代で放牧に行った。学校はお昼で終わる。そのあとは、放牧の仕事につく。
 朝8時から授業が始まる。校舎には窓ガラスも扉もない。たまに放牧中の牛が入ってくると、授業は中断する。教科書が足りないから、一緒に見る。椅子がないから、石を並べてすわる。
 休み時間になると、男の子たちはサッカーに打ち興じる。女の子たちは縄飛びをする。まるで日本の子どもたちを同じです。
 昼食は家からもってきたナンを食べる。学校のそばを流れる用水路の冷たい水を飲む。家で刈り入れが忙しいときには、子どもたちは学校を休んで仕事を手伝う。子どもたちも貴重な労働力なのだ。
 夕方、放牧から戻り、家畜を家に入れると、一日が終わる。
 山の学校の校舎は、戦争中は、難民の避難所としてつかわれ、学校は閉鎖されていた。この学校の机と椅子は、日本人がプレゼントしたもの。日本人のボランティアがここでも活動しているんですね。
 パンシール峡谷というと、ソ連軍がアフガン・ゲリラによって待ち伏せ攻撃などを受けて苦戦したところ、というイメージがあります。写真でみると、パンシール峡谷って本当に美しい地方のようです。でも、戦争のため、子どもたちの身内の多くが殺されているという現実もあります。
 アフガニスタンの山に住む子どもたちの様子を知ることができる素晴らしい写真が沢山あります。

生者の側

カテゴリー:未分類

著者:高岩 震、出版社:影書房
 「ベトナム・解放30年の現在(いま)」というサブ・タイトルのついた写真集です。
 著者が1993年から2002年にかけてベトナムで撮った写真が紹介されています。10年のあいだに計6回、のべ5ヶ月ほどベトナムに通ったというわけですから、ベトナムの庶民の暮らしぶりがよく分かります。
 元ホーチミンルートの村にも入っています。そこには鉄屑回収業者がトラックで村にやってくるのです。250キロ爆弾を1つ見つけると、1万円。これは農家の年収近くになります。戦後20年たっても、これだけの鉄が回収されています。なにしろ、アメリカ軍は、ベトナム戦争のとき、第二次大戦中に全世界でつかった砲爆弾の3倍を、狭いベトナムの国土に叩き込んだのです。今でも、人の足が入っていないヤブのなかに入ったら地雷の心配があるといいます。
 枯れ葉剤によって出来上がった禿山が延々とつらなっている光景は、見る者の心を寒々とさせます。
 自転車に乗って通学途上の女子高生たちの写真があります。みんな純白のアオザイ姿です。その凛々しさに目が魅かれます。
 大学生たちが休日に海水浴へ出かけます。ところが、あいにく海が荒れていて遊泳禁止。そこで、砂浜で、人間綱引きをしました。綱はつかわず、前の人の腰に両手をあてて、二手に分かれて引っぱりあうのです。
 ベトナムの娘さんと結婚する日本人の商社マンも紹介されています。ふっくらした美人の花嫁さんです。どうぞ、末永くお幸せに。
 ベトナムの人々は商売上手で有名です。中国人(華僑)にも負けないようです。
 ベトナムの最近の様子を紹介する綺麗な写真集です。

ドイツ病に学べ

カテゴリー:未分類

著者:熊谷 徹、出版社:新潮選書
 ドイツは世界最大の輸出国。EUのなかでも最大のパワーを誇っている。ユーロは、今やドルと円に並ぶ第三の基軸通貨としての地位を確立した。2005年以降は、中国や中東、日本の機関投資家がドル偏重を改めて、ポートフォリオの多角化を図るために、ユーロを積極的に買っている。
 ドイツからの輸出の44%はユーロ圏向け。ユーロ導入によって為替リスクを減らし、域内での競争を高めるので、ドイツ企業に利益をもたらす。今後、ユーロ圏が拡大すればするほど、最大の輸出国ドイツにとっては有利になる。
 ドイツの2004年の自動車生産台数は557万台で、アメリカ、日本に次いで世界第3位。ドイツ企業の強みは、プラントや工作機械、環境関連技術の輸出である。
 ドイツの電球は寿命が長いので有名だし、ドイツの平気は今も外国に人気がある。
 2005年には、ドイツのGNPの成長率は、わずか0.9%。日本は2.7%だった。
 ドイツの財政赤字は2002年から4年連続してGDPの3%をこえ、基準違反国となった。ドイツの失業率は12.7%、失業者は529万人。1994年以降、失業率が10%をこえる状態が12年間も続いている。
 国土の面積は日本と同じくらいで、人口は日本より35%少ない。旧ドイツの人口は、統一からこれまでに150万人も減っている。12年間でも120万人減っている。2005年ころから、国内で仕事が見つからないので、スイス、オーストリア、オランダ、デンマークなどへ移住するドイツ人が急増している。
 ドイツはストライキが最も少ない国として有名だった。労働者に強い発言権を与える制度が、労使間の情報交換とコンセンサスにもとづく決定を促進し、ストライキによって労働時間が失われるのを防いできた。
 離婚件数は1991年に14万件だったのが、2003年には57%も増えて21万件となった。
 1900年に制定された閉店法が今も生きている。ただし、今では平日は夜8時、土曜日も夕方6時まで買い物できる。もっとも、日曜日は、今でもパン屋やガソリンスタンドを除くと原則として禁止されている。
 ドイツでは、売春も合法的なビジネスとして認められている。売春婦には、年金、失業保険、健康保険などの社会保険の対象とする法律がある。つまり、売春婦も社会保険料や税金を払わなくてはならないかわりに、失業したら別の仕事につくための職業訓練を受けられる。
 ドイツのホームレスは、2002年に37〜45万人いる。貧困層は1,100万人。
 自己破産は、2005年に4万9000件。2006年には6万6000件。その主な理由は、失業、クレジットカードのつかい過ぎ、離婚。300万世帯が債務超過に陥っているとみられている。ドイツの自殺者は1万2000人。日本は3万人で、人口10万人あたりにすると23.6人。これに対してドイツは14.5人。
 年収1億4000万円をこえる市民が1万2400人いる。国民の0.02%。日本は、140万人で、国民の1.1%。所得格差は、日本の方が格段に大きい。
 この本は、日本とドイツの社会の状況を大変よく分析していると思いましたが、NHK記者だったせいでしょうか。今の日本のマスコミ論調とまったく同じで、何でも自由化を礼賛し、労働者保護の諸立法を経済発展の障害とみる傾向が強すぎます。私には、それがいささか気になりました。

パティシエ世界一

カテゴリー:未分類

著者:辻口博啓、出版社:光文社新書
 店での仕事のすべてはコンクールで優勝するため、さらに言えば、自分の店を持つためのものだった。僕は一文無しだったし、たとえどんなに節約して、こつこつ貯金しても、5年や10年で店を持てるだけのお金がたまる計算にはならなかった。
 しかし、世界的コンクールで優勝すれば、きっと僕の良さを分かってくれるスポンサーが現れると思った。世界ナンバーワンになることが、僕にとって店を持つ近道だと、当時からそう考えていた。
 田舎から東京に出た。何のコネクションもない大都会で、じゃあ、成り上がるためにはどうしたらいいかを考えた。
 僕がコンクールに強いと言われるのは、食べていくため、成り上がるため、生活をつかみ取るため、そういう明確な目的を持って取り組んでいたからだと思う。ある程度の生活の保障がある人たちとは違って、飢えるってことが、どんなに恐ろしいことか分かっていたから。うーん、すごいですね。このハングリー精神で、見事にパリで開かれたお菓子の世界的コンクールで優勝してしまうんです。
 うちのシュークリームは1日200個の限定品。1個200円。実は原価割れの値段。つかっている卵は秋田の比内鶏(ひないどり)が産んだもの。店で10個800円で売っている。卵をこれに変えたら、味が劇的に変わり、自分でもびっくりした。バニラビーンズはタヒチ産。香りも、のびもいい。牛乳は低温殺菌。風味がいい。
 新しいものは、試作したら必ず商品になる。100%。というのは、試作前から頭の中で、味もデコレーションも含めて完全に出来あがっているから。僕の頭の中は基本的にお菓子だけ。今、僕にとってお菓子づくりは仕事であると同時に、趣味でもあるし、遊びでもある。でも、好きなことに打ち込んでいるからこそ、仕事としてお金をもらってもいいんじゃないかと思う。
 うちのプリンは、濃厚で、まったりしているんだけど、大人の感じが忍んでいるような・・・、そんなイメージを味にしてみた。
 うちでつかうアーモンドはスペイン産のみ。スペイン産は、丸みがあって、やや皮が堅く、中に含まれる油脂分が多い。この油脂分に旨みや香りが含まれている。カリフォルニア産に比べて、値段は3倍もする。しかし、味わい深いし、香りも抜群。
 うちの店では、チョコレートを1日に何十キロもつかう。バレンタインシーズンになると、毎日100キロくらい使う。ええーっ、そんなに大量につかうなんて・・・。
 人間って、不思議なことに、ひとつ手を抜きはじめると、これも、あれも、となってしまう。
 朝食は、いつも厨房で店のパンを食べる。飽きない。美味しい。なーるほど、すごい自信なんですね。こうまで言われると、私も食べたくなります。
 店を建ちあげる前、スポンサーとしてある女性に決めた。あなたの本当につくりたいものが作れるお店をやっていいわよ。この一言で決めた。それで、とりあえず、1億5000万円渡され、店を探しはじめた。半年前も店を探しまわって、やっと決めたのが今の店。今では、自由ヶ丘の人の流れを変えたとも言われているらしい。自由ヶ丘はパティスリー激戦区だということです。
 実は、オープンして半年間は、毎日、ポリバケツ2個分も捨てていた。今では、お菓子が売れ残ることは、ほとんどない。年に2度、ケーキが100個も残る日がある。大雪の日と台風の日。そんな日でも同じ量のケーキをつくる。そして、その残ったものをスタッフが楽しみにして食べる。月曜日も、夕方まで商品に余裕がある。うーん、ということは、月曜日の夕方に行くしかないみたい。
 店の朝は早い。スタッフは5時半。シェフは6時半。9時半に毎朝15分から30分間のミーティングをする。スタッフは、3人の枠に30人の応募がある。
 人生は、いつも思いどおりにはいかず、みんな一度は負けると思う。劣等感にさいなまれる時期もあると思う。でも、それさえバネにしてしまう強さと継続が何より大事。それがまた感性にフィードバックしてくると思う。実は、この最後の文章に出会ったとき、ぜひこの本を紹介しようと私思ったのです。さすがにコンクールで世界一になった人の言葉は違います。見習いたいものです。
 先日、能登に行ってきました。著者は七尾出身の人です。そこのホテルで、親しい友人から有名なパティシエだと聞かされ、さっそくお菓子も買ってきました。なるほど、評判を裏切ることのない味でした。ぜひ今度、上京したとき自由ヶ丘まで足をのばしてこようっと。

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