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2006年11月 の投稿

思想としての全共闘世代

カテゴリー:未分類

著者:小阪修平、出版社:ちくま新書
 私は全共闘世代と呼ばれることに反発を感じます。いつも、全共闘と対峙する側で行動していたからです。といっても、司法試験に受かって司法修習生となり、弁護士になってからは、もと全共闘の活動家だった人と親しくなり、今もつきあっている人が大勢います。だから、今でも全共闘自体を積極的に評価する気にはなれませんが、そのメンバーだった人まで否定する気はありません。
 著者は、私とほとんど同じ団塊世代です。同じ東大駒場寮に生活していたようです。
 この本を紹介しようと思ったのは、実は、次のような文章にぶつかったからです。
 当時の学生運動家の活動の一つにセツルメントというサークルがあった。いまでいうボランティア活動なのだが、貧しい家庭の子弟の勉強をみたりする活動だった。その底には、おおげさにいうと贖罪意識さえあったのだと思う。自分が社会的エリートの道を進んできたことが貧しい人々を踏み台にしてきたかもしれないことへの贖罪感であり、それを生み出したのは戦後民主主義の平等主義であった。
 なぜ、この本にセツルメントのことが突如として登場してくるのか、前後の脈絡からはよく分かりません。でも、「当時の学生運動家の活動の一つ」としてセツルメントがあげられると、私にはかなりの異和感があります。といっても、それが間違っていると断定するわけでもありません。たしかに、セツルメント活動をしているうちに「目覚め」て学生運動の活動家に育っていった人はたくさんいます。セツルメントは、いわば学生運動の活動家を輩出する貯水池のような大きな役割を果たしていました。
 「貧しい家庭の子弟の勉強をみたりする活動だった」というのも、物足りません。これはセツルメント活動の一つの分野でしかありません。私自身は青年労働者と交流する青年部に属していました。法律相談部は戦前からの伝統を誇っていましたし、保健部や栄養部など専門分野と結びついた活動もありました。そして、「自分が社会的エリートの道を進んできた」ことからくる贖罪意識があったと言われると、ええーっ、そんなー・・・と、いう感じです。大学が大衆化していて、一つのセツルメント・サークルだけで100人を軽くこえ、川崎セツルメントや氷川下セツルメントは、それぞれ150人ほどのセツラーをかかえていました。学生セツラーは10以上の大学から来ていました。全国セツルメント連合大会は、年2回、1000人も全国から集まるほどの大衆的なサークルでした。むしろ、学生が根無し草のようで、現実に地についていない、将来どう生きていったらよいか不安だという多くの学生の心をつかんで地域で活動していたのです。そして、セツルメントがボランティア活動だと言われてもピンとこないところがあります。地域のなかでの自己発見の活動でもあったからです。著者の指摘は、セツルメント活動の外にいた人には、そう見えていたんだな、と思いました。
 著者は全共闘世代が体制を批判していたのに、卒業したあと積極的な企業戦士になっていったからくりの秘密を次のように分析しています。
 これまで自分が批判していた現実を肯定するために、自分が「現実的」であることをことさらに正当化せざるをえなかったケースも多かったはずだ。なまじ学生運動の経験があるだけに、声は大きいし、政治的な駆け引きもできる。陰謀をたくらむこともできる。場合によっては、労組つぶしも、お手のものである。
 この分析は、かなりあたっているのではないかと私も思います。
 著者は予備校で教えてきました。子どもたちが変わっていると言います。
 90年代の半ばころから、生徒たちの印象は明らかに変わった。そとづらは「よい子」が増えた。自分が思いついた、ものすごく狭い範囲の「分かり」にとらわれている印象が強い。必要以上に深入りせず、他人と距離をもつ、という態度が目立ってきた。
 うむむ、これでは結婚しない若者が増えても不思議ではありませんよね。結婚って、男女の泥臭い、裸のつきあいをするわけですからね。
 花伝社から1968年の東大闘争とセツルメントを描いた「清冽の炎」第2巻が発刊されました。なかなか売れそうもない本ですが、ぜひみなさん買って読んでやってください。著者が大量の在庫をかかえて泣いています。

栄家の血脈

カテゴリー:未分類

著者:王 曙光、出版社:東洋経済新報社
 中国の国家副主席にまでのぼりつめた栄毅仁の一生をたどった本です。今も、栄家は中国大陸と香港で栄華を極めていますが、その繁栄の源(みなもと)を明らかにした440頁もの大作です。
 中国最大の民族系実業家として繁栄し続ける栄家五世代が記録されています。それは、清王朝の末期から、辛亥革命、中華民国期、抗日戦争期、国共内戦・中華人民共和国成立期、新中国建設期、文化大革命期、改革開放期という、激動する中国近現代史の七つの時代と重なっています。
 栄毅仁は国共内戦期に大陸に残ります。新中国建設期に毛沢東に出会い、躍進したものの、文化大革命のときには地獄に落とされてしまいます。そして、改革開放によって、?小平によって支えられ、再び大きく躍進するのです。
 今、栄家を継ぐ栄智健は香港にいながら、中国政府からも守られて自由自在に活動することができる。その富の源泉は、中国政府のトップ情報をいち早く入手できることにあるのです。
 その栄智健は、若いころ、文化大革命のさなかに栄家一族の人間として大きな迫害を受けました。辺地の水力発電所の技師として5年ほど勤務した経験もあります。ところが、父の栄毅仁が?小平の引きたてによって出世すると、息子である智健もたちまち出世していきます。もちろん、才能あってのことではありましょうが・・・。
 この本を読むと、中国ははたして社会主義(共産主義)の国なのか、改めて疑問に思えてなりません。官僚統制の強い国だということは良く分かるのですが・・・。また、毛沢東の文化大革命の負の遺産を今なお中国が引きずっていることも痛感します。なにしろ、日本でいう団塊世代、つまり、私の世代が、中国ではほとんど活躍していないというのです。紅衛兵として華々しく活動していたので、かえって失脚してしまったということのようです。地道に勉強しないと、結局、社会から受けいれられないということのようです。
 それにしても、この栄家という存在は、日本の財閥をはるかに越えた力をもっているようですね。本当に、そんなことでいいのでしょうか・・・。

ぼくと1ルピーの神様

カテゴリー:未分類

著者:ヴィカス・スワラップ、出版社:ランダムハウス講談社
 テレビのクイズ番組に出場。12の質問のすべてに正解し、なんと10億ルピーの賞金を獲得した少年がいます。それが、ラム・ムハンマド・トーマスです。
 フランスの通貨でユーロであること、最初に月に降りたった宇宙飛行士がアームストロングであること、現在のアメリカ大統領がジョージ・ブッシュであることを知らないのに、とびきり難問ぞろいのクイズ12問の全問に正解したというのです。ですから、インチキが疑われても当然です。なにしろ、ラム・ムハンマド・トーマスは、レストランのしがないウエイターでしかなく、まったく学問に縁が遠いからです。
 では、番組スタッフと組んでインチキをしたのか。アメリカでも日本でも、そんなことがあり、内幕が暴露されて大問題になったことがあります。でも、ここではそんなこともありえません。では、いったいどうやって12問全問正解が可能だったのか。
 この本は、ラム・ムハンマド・トーマスの生いたちをたどることによって、少しずつ謎解きをしていきます。このあたりが、小説として本当によく出来ていると感心してしまいました。なにしろ、インド社会の矛盾と悲惨な現実を、読者は次々に、ちゃんとちゃんと学ばされるのです。
 教会の神父は同性愛にふけり、隠し子をもっている。孤児院で子どもたちをもらい受ける悪党は、もらい受けた子どもに芸を仕込んでは盲目の障害児に仕立て上げ、列車で乞食をさせてもうける。
 その状況を少年はなんとか生き延びていきます。そして、その状況でつかんだものがクイズの質問と正解につながるのです。まさに奇跡です。それがほとんどわざとらしさを感じさせないのは、作家の筆力もさることながら、少年の置かれている悲惨な境遇に心を魅かれ、つい応援したくなるからでしょう。
 少年は売春宿で働く少女と恋をし、なんとかして身請けするお金をつくろうとします。また、重病人を助けるためにも大金が必要となります。そのため、このクイズ番組に応募して出場することになったのです。なかなか巧みな筋書きです。
 ラムというのは典型的なヒンドゥー教徒の名前で、ムハンマドはイスラム教徒の、トーマスはキリスト教徒の名前。だから、ラム・ムハンマド・トーマスという変わった名前は、ありえない名前なのです。
 心あたたまる、そしてゾッとする現代のおとぎ話でした。

狼花

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著者:大沢在昌、出版社:光文社
 新宿鮫とも呼ばれる鮫島警部は、今回はナイジェリア人の大麻取締法違反事件の捜査に従事するようになります。
 基本的にクスリをやる奴に利口はいない。夢がない、未来がない、生きていても楽しいことのない奴が、最後の楽しみで手を出すのがクスリだ。ガキがクスリをやる国は、もう終わりだ。日本はそうなりかけている。
 残念ながら、そのようです。
 日本がこれまで犯罪の少ない、治安の良い国だと言われてきた理由は何か。それは、日本警察が優秀だったからではなく、遵法意識が高く、犯罪者の検挙に協力を惜しまない国民性による。しかし、金持ちが増える一方、自分はどんなにがんばってもああはなれないと悟った人間が、一瞬で高額の対価を得る手段として犯罪を選ぶ。貧富の差の拡大が犯罪を多発させる。そんなに単純ではないとしつつ、これを肯定していますし、私も、そう思います。
 ヤクザの世界では、10人が10人、暴力的な人間というのではない。暴力がまったくダメというのは向いていないが、殴りあいにいくら強くても出世できるとは限らない。逆に、腕っぷしし自信のある人間は、トラブルを力で解決したがる傾向があって、一時的には存在が目立つが、いずれはダメになる。本当にケンカが必要なときにはためらわず、とことん、いく。だが、それ以外のときには、なるべくおとなしくしている。それが一番だ。なるほど、きっと、そうなんでしょうね。
 この本は、日本警察のトップが外国人犯罪集団を排除するため、日本の最有力暴力団と組もうとしている事実を指摘しています。うむむ、そんなことを本当にしていいのだろうか・・・、とついつい思ってしまいました。
 そして、闇マーケットの主催者は、実はかつて学生運動が盛んなときにスパイとして潜入していた公安刑事だったというストーリーです。この本の末尾に「公安警察スパイ養成所」(宝島社)という本が紹介されています。私も読みましたが、たしかに、そのような現実があったようです。そして、スパイに仕立てあげられた青年は自殺してしまいます。スパイの非人間性を示す悲惨な話です。でも、スパイって、まさに日陰の身ですよね。マフィアに潜入した捜査官の本を読み映画を見たことがありますが、学生運動の潜入捜査官って、大義名分も何もない、単なる密告稼業ではないんでしょうか・・・。人間としての性格がひねくれてしまうでしょうね、きっと。結婚して、子どもに対して、自分の職業を誇らしく語ることができるのでしょうか。
 新宿あたりの犯罪の現実は、いつ読んでも、かなり重たい気分にしてしまいます。

私のように黒い夜

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著者:J・H・グリフィン、出版社:ブルース・インターアクションズ
 衝撃そのものでした。オビに、世界に衝撃を与えた幻の「奇書」と書かれています。「奇書」だというのには異和感がありますが、世界に衝撃を与えた、というのはなるほど、そうなのだろうと思います。
 著者と、その周囲の人々は、この本を刊行したあと、いつ自分と家族が殺されるかと本気で心配したといいます。いえ、キリスト教やイスラム教の原理主義者から襲われるというのではありません。一見するとフツーの白人からテロ攻撃を受けるかもしれないと恐れたのです。
 では、いったい著者は何をしたのでしょうか。白人の作家が紫外線で皮膚を焼き、白斑病の治療薬を飲んで黒くなり、顔に黒い顔料をすりこんで、頭もそって黒人に化けてアメリカ南部の町々を渡り歩いたのです。そうなんです。たったそれだけのことで、まるで別世界に入りこむのです。そこでは非人間として扱われます。黒人がアメリカで、どんな差別待遇を受けているのか、それを告発するレポートを書いたのです。おかげで白人至上主義から強烈な反発を喰らいました。それは、まさしく自分と家族の身の危険を感じるほどのすさまじさでした。
 といっても、実は、これは今から34年前のアメリカでの話です。正確には1959年10月から12月、ミシシッピー州のニューオーリンズなど南部の町での体験記です。
 黒人になったとたん、彼はトイレにも自由に行けなくなった。黒人用のトイレは町はずれの不便なところにしかない。普通の店には入れないし、トイレを利用するなんて、もってのほか。下手すると、水だってありつけない。黒人用トイレにたどり着いて、そこで水を飲むしかない。
 一生この町に住んでいたって、調理場の下働きとして以外、有名なレストランには黒人は絶対に入れない。黒人は二流の国民どころか、十流の国民としか扱われていない。
 ただし、軍服を着ている軍人、とくに将校はめったに差別をしない。これは、おそらく軍隊における無差別待遇のためだろう。
 白人の女には、目を向けてもいけない。下を向くか、反対の方を向くようにするんだ。映画館の前を通ったとき、外に白人の女のポスターが出ていても、それを見てはいけない。
 白人の男は、すべて、黒人の性生活について病的なまでの好奇心を示す。黒人は人並みはずれた大きな性器と千変万化の性行為の体験をもった、疲れを知らないセックス・マシーンであるという、判で押したようなイメージを心の底に抱いている。一見すると紳士の男たちが、相手が白人なら、たとえどんな社会の落伍者であっても示す遠慮というものを、相手が黒人ならば示す必要がないというのを見せつける。
 白人のオレたちは、お前たち黒人に恩恵を施している心算(つもり)なんだ。お前たちの子どもに白人の血を分けてやってな。白人の男たちは、黒人の女を抱きたがっている。これは、それを合理化する言葉なのです。
 このあたりのやり方を教えてやる。白人のオレたちは、黒人のお前たちと商売はする。それに、もちろん黒ン坊の女は抱く。しかし、それ以外は、オレたちに関する限り、お前たちは完全に存在しないも同然なんだ。お前たちがそういうこと頭に叩きこんでおけば、それだけお前たちは暮らしよくなるってわけだ。
 著者が本を出してから受けとった手紙は6000通。そのうち、罵りの手紙はわずかに9通だけ。多くの好意的な手紙が最南部の白人から来た。これは、南部の白人は、一般に異端視されるのを怖れて隣人には隠しているが、実際には、見た目よりもはるかに立派な考えをもっていることを示している。しかし、彼らは黒人を怖れる以上に、仲間の白人の差別主義者を怖れている。
 当時のアメリカ国民は、人種差別という忌まわしいことが行われていることを否定し、この国では、あらゆる人を人間としての特性で判断していると心から信じていた。しかし、この本は、それをまったく間違っているとした。
 そんな真っ当なことを言うと、近所の人にアカ、つまり共産主義者と言われてしまう。だから、アメリカには勇気ある立派な共産主義者が少なからずいることを「証明」してしまった。
 著者が恐れたのは根拠なきことではありませんでした。実は、一度、KKK団につかまり、容赦なく叩きのめされてしまったのです。それでも著者は生きのびて人種差別とのたたかいを続けました。1年間に7人の同僚・友人を失ったことがあります。そのうち自然死は1人のみで、残りの6人は殺されたのです。
 こんな厳しい状況で敢然とたたかったわけです。さて、40年たって、いまのアメリカに人種差別は本当になくなったのでしょうか。好戦的なライス国務長官の姿を見るにつけ、アメリカにおける人種差別は手を変え、品を変えて残っていると私は思わざるをえません。みなさん、いかがでしょうか。
 最後に付言します。ご承知のとおり、今どき白人、黒人とは言いません。アメリカ系アフリカ人とかアフリカン・アメリカ人と言います。でも、40年前のアメリカの実情を紹介した本なのですから、ここでは、この本にあるとおり昔ながらの白人と黒人としました。言葉だけ変えても意味ないからです。

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