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2006年9月 の投稿

日本のがん医療を問う

カテゴリー:未分類

著者:NHK特別取材班、出版社:新潮社
 がんの死亡率は欧米では下がりはじめている。アメリカでは1993年をピークに減少に転じた。イギリス、フランス、ドイツでも死亡率は頭打ちになっている。ところが、日本では依然として増え続けている。年間30万人、日本人の3人に1人が、がんで亡くなっている。
 世界の治療現場で標準的につかわれている抗がん剤が、日本ではつかえない。アメリカの臨床医の教科書に標準的な治療薬として掲載されている抗がん剤111種のうち、3割にあたる35種が日本では承認されていない。
 放射線治療施設と治療器の数がアメリカに次いで世界第2位でありながら、日本は、品質保証体制がまったく整っていない国となっている。専門医も診療放射線技師も少ない。
 日本には、がん難民がうまれている。ほとんどの病院には、抗がん剤治療を専門とする腫瘍内科医がいない。抗がん剤は、誰がつかっても同じような結果の出る抗生物質のような薬とは違う。たとえば、乳がんの薬は、ホルモン剤や分子標的治療薬も含めておよそ20種。少ないとは言え、ほかのがんの倍近くある。その特性を知って、効果的にがんをやっつけなければいけない。それが腫瘍内科医の仕事なのだ。
 日大病院では2003年度に手術を受けた乳がん患者のうち、温存手術は第一外科で 61%なのに、第二外科では27%、第三外科では46%だった。受診した曜日によって乳房を残せるかどうか左右されていた。治療方針は医局によって、それほど異なっていた。
 全国のがん患者を128万人と推計し、そのうち半分の64万人が抗がん剤治療を必要とし、一人の医師が1年間で抗がん剤をつかって治療する患者を20〜50人とすると、抗がん剤を専門とする専門医が2万人は必要となる。
 そして専門医をめぐって、2つの学会が争った。専門医は、明らかに不足しているのですが・・・。
 集団検診がどれほど有効なのか、人間ドッグで本当にがんの治療ができるのか、いろいろ考えさせられました。

最後の狩人

カテゴリー:未分類

著者:ニコラ・ヴァニエ、出版社:小峰書店
 お盆休みに、福岡の小さな映画館で、この映画をみました。カナダのロッキー山脈の雄大な大自然がよく描かれています。
 実在の罠猟師がそのまま主人公で出てくる映画です。彼が、木がどんどん伐採されて森に木がなくなりつつある、動物たちも減少していると嘆いているのをみて、森林とそこに棲む動物たちがいなくなったら、人間の将来もないなと思わざるをえませんでした。
 テレビにもラジオにも縁のない、森の中での生活です。エスキモーの妻が留守を守り、犬たちと一緒に狩りに出ます。犬ぞりに乗って・・・。
 スノーモービルだと故障したら、もうどうしようもない。しかし、犬は故障しない。
 シベリアン・ハスキーが森の中で生き生きと活躍し、素敵です。暑くて自然に乏しい町のなかで生活するような犬ではないのですよね。
 凍った湖を犬ぞりで走行中に割れた氷のなかにおぼれるという実体験が、映画のなかで再現されています。スノーモービルなら氷中に落っこちたら、とても助からなかったことでしょう。でも、犬たちに呼びかけていたら、引き返してくれたのです。そこは日頃の付きあいのたまものでした。
 主人公はいつも犬に話しかけ、ほめる。犬との付きあいの基本はほめること。そうやって心を通じていないと、いざというときに、いうことをきかない。
 冬は氷点下40度の世界だから、氷中に落ちたとき、たとえはいあがれたとしてもマッチやライターが濡れていると、火はなかなかつかない。かじかんだ手もいうことをきかず、火をおこせない。凍死の危機が迫る。映画では犬の身体で手指のしびれをなくしてマッチをこすることができました。彼らは、こんな事態にそなえて、ワックスで防水したマッチを常にオーバーやシャツの襟に何本か縫いこんでいるというのです。
 極北の地では体力と知力を総動員しないと生きていけない。これをフルライフという。一度フルライフを経験したら、快適な都市生活は安易に過ぎて退屈なのかもしれない。
 オオカミは犬を襲う。しかし、近くに人間がいると襲わない。オオカミは物語と違って人間を襲わない。初めて知りました。
 犬ぞりでシベリアを3ヶ月かけて8000キロ走破したという冒険家が監督した、大自然の素晴らしさを描いた映画です。

異端の大義(下)

カテゴリー:未分類

著者:楡 周平、出版社:毎日新聞社
 船が沈み始めてからではもう遅い。
 ぐさっと胸につきささる言葉です。47歳でサラリーマンが転職しようとしても、どこにも引き取り手がないというのです。なんとむごい言葉でしょうか・・・。
 窮地に陥ってから慌てて次の船を探すような人間に手をさしのべる企業はない。気配を察して、次の船を探す。それくらいのしたたかさと決断力がなければ、どこの企業も雇いたがるはずはない。最大の問題は決断力の遅さにある。
 うむむ・・・、こう言われてしまったら、返す言葉はありません。
 どんな会社でも、余人をもって代え難いなんて仕事はない。誰かが抜けたら、その後任が仕事を引く継ぐ。それが組織だ。これは私も、そう思います。
 早期退職制度、年功序列の撤廃、能力給の導入、これらが会社にとって本当にプラスになったのか。早期退職制度は、事実上の指名解雇だ。同時に有能な社員の多くが会社を去っていく。不必要な人間の何倍もの能力をもち、多大な貢献をしてきた社員が真っ先に辞めていく。真っ先に手を上げるのは、人事考課が優れているうえに将来を嘱望される人間だ。有能な社員は再就職に苦労しないから。まして割り増しの退職金をもらえるなら、なおさらのこと。
 同族企業の経営には問題がある。その経営は代々、創業者に連なる人間によって行われてきた。彼らがこれと目をつけた人間は、早くなら社内でグループを形成し、それに属さない人間たちよりも早い出世、重要なポストが与えられてきた。労働組合もそう。組合執行部の重要な役職につくメンバーは事前に会社からの内諾を得なければならず、賃金交渉や人事制度の改変も、すべて会社側の意向が100%反映される仕組みができあがっている。
 成果主義といっても言葉のうえだけのことで、実際はそのグループに属する人間たちのサジ加減ひとつで決められている。だから、社員の士気が低下するのも当然だ。
 会社の厳しい状況がよく伝わってくる本です。同時に、日本企業が倒産に直面していると、外資ファンドがそれをターゲットとして、金もうけに乗り出してくるカラクリも描かれています。
 私の住んでいる街でもリゾート・ホテルが外資に買収されてしまいました。そして、それがまた売られようとしています。彼らは、投資額がどれだけの利まわりで回収できるか、しか頭にないのです。それでは企業に働く人々はいったいどうなるのでしょうか。
 今日の日本企業の置かれている状況がよく分かる本でした。すごく調べてあるのに、つくづく感心します。モノカキは、こうでなくっちゃ、いけませんね。これは自戒の言葉です。

大学生が変わる

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著者:新村洋史、出版社:新日本出版社
 青年期は、それこそ疾風怒濤の時代である。
 久しぶりに、この言葉を目にしました。私の青春時代にはよくお目にかかったものです。たしかに、いろんな意味で大いに揺れた年頃でした。
 今の学生たちも、まともな自己形成の道をたどっているし、また、たどることができる。しかし、次のような学生が増えてきたのも事実。本を全然読まない、文章を読解できない。つらい課題に我慢や忍耐力をもって挑戦してみることをしない。嫌なことは絶対にやろうとしない。
 概して授業態度は真面目であり、いわゆる良い子や消極安定型の学生がふえた。精神的に安定はしているが、新機軸をうち出して何かに挑戦してみようという気概が乏しい。表情に乏しい学生、他の学生と関わりをもとうとしない学生の多いのが気になる。
 企業の側から、今の学生について、やる気や学ぼうという意欲が不足している、文章の読み書き能力の不足、何が問題かを見つけて解決する力が弱い、思考力・判断力・表現力が低いという指摘がなされている。なるほど、そうかもしれませんね・・・。
 自分としっかり向きあい、自分をみつめ、自我を拡大していこうという意識や意欲を失っている傾向が強い。自我理想を旺盛に心に描いたり、アイデンティティーを獲得・確立しようと勉強に励んだりすることが青年期の発達特性であるとされてきたが、この力が衰退しているのではないか。
 自己発見、自己形成、自信獲得は学生の求める根源的な課題。ところが、自己概念が否定的で、自己肯定感をもてない学生が多くなっている。
 学生のやりたいことは、私生活にかかわる狭い個人的な世界の事柄、たとえば、おいしいものが食べたい、映画をみたい、スポーツをしたいなど、に限定されてしまう。自分が置かれている現代社会への関心や公共的・共同的な関心が最初からほとんどないという生活感覚が認められる。
 主体的・自律的な学びをしめだし、特定の知識・技能やルールに生徒を適応させていくような大学の学校化、専門学校化は既に極限にまで達している。資格獲得型の大学で、教養や自己形成の教育を創造していくのは、至難の業だ。
 今の大学生は、誰とでも友だちになれるというわけにはいかない。仲間集団は2人から5〜6人。自分のホンネを出して言いあうことは避け、内心の真実を吐露しあうこともあまりない。自分や相手の価値観やプライバシーにかかわる話は避ける。話題は、いきおい、たわいもないことに限られてくる。友人関係、人間関係は貧困で空虚なものになっている。
 これはこれで、けっこう神経をすり減らす。そんな一日を終えて帰宅すると、どっと疲れが出る。明日の授業の予習どころではない。満たされないむなしさ、空虚感をそこはかとなく感じながら、ただぼんやりとテレビを見ながら夜をすごす。仲間集団という親密圏でのこまやかな気遣いは、その反面の公共的・共同的問題に対する無関心や無力感と対をなしている。
 何かの目標に向かって情熱を秘め、孤独に耐えて一人で本を読み考えるという営みができない。このような、仲間集団のなかの自我・人格が交錯しない空虚な人間関係それ自体が、人間としての孤立を意味しているのに、学生は孤立することを恐れている。
 およそ2〜3割の学生しか、自分自身の未来が明るいと感じていない。そうですよね。自分の将来がバラ色、明るいと思える学生なんて今どきいるんでしょうか・・・。
 関心というのは、結局のところ、主体的に世界を読みとり、世界に主体的にはたらきかけていく生き方や価値意識と同義である。
 学生には、不安感や恐怖感が常にある。実は、私も大学生のころ、そうでした。いったい自分は何になったらいいのだろうか、そんな不安と恐怖心をずっともっていました。これはホントのことです。消去法で司法試験をめざすことを決めたとき、一応それは解消しました。でも、受験中は別の不安がつきまといました。この試験にずっと受からなかったら、いったい自分はどの道を選んだらいいのだろうか・・・、と。
 自分がかけがえのない人間だという自己尊重の意識の発達、自我の成長発達を踏みにじるのは大人社会と教育の最大の間違いである。日本の子どもと青年は、学校に行くことや学ぶことを自分の権利とは考えていない。大人社会や親への義務として、仕方なく学校へ行くという観念は今も根強い。
 実は、この本を読んでぜひ紹介したいと思ったのは、今までふれていない著者の大学教育の実践記録なのです。無力感にとらわれていた女子大生がこんなに大学の授業が面白くていいのかな、他人事と考えたり傍観者ではいけないという実感をもてた、自分だってもっと胸を張っていいと自信がもてた、・・・そんな学生に変身していく様子が描かれ、感動的でした。その部分だけでも読むことをおすすめしたいと思ったのです。
 日曜日に久しぶり庭の手入れをしました。ナツメの木に実がなっていましたが、大半は地面に落ちてしまっていました。もったいないことをしました。昨年は、ナツメ酒をつけこみました。少しこってりとした味になっています。ナツメって漢方薬によく登場してきますよね。いま、芙蓉の花が咲いています。そのうち酔芙蓉の花も咲いてくれると期待しています。朝のうち白い花が昼からはピンク色に染まって、いかにも酔った感じの感じのいい素敵な花です。

砂漠の女王

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著者:ジャネット・ウォラック、出版社:ソニー・マガジンズ
 イラク建国の母といわれるイギリス女性がいたということを初めて知りました。ガートルード・ベルという女性です。
 ガートルード・ベルは2歳のとき、母を亡くしました。
 怒りや裏切られて棄てられたという思いは、親を亡くした子どものなかにうねる感情だ。けれど、ガートルードには彼女を包む父の愛があった。彼女は幸運だった。なにより父は彼女の手本となった。ガートルードは、誰よりも父の行動をならい、つねに父に認められることを望んだ。そして、父から大いなる自信と、障害を克服する態度を受けついだ。
 父が再婚したとき、ガートルードは本に逃避することができた。本は彼女の魔法の絨毯だった。当時、どれほど優秀であっても、ガートルードと同じ階級の少女たちが学校へ送られることはめったになかった。そのかわり、彼女たちは家庭教師をつけられ、17歳になると宮廷で拝謁を得て社交界にデビューするのがしきたりだった。そして、デビュー後3年以内で、生涯の伴侶を見つけることが求められた。
 ガートルードは、オックスフォード大学に入った。18歳の彼女は、自分はどんな男性とも同じ能力があると信じていた。もし、それに疑いをはさむ人間がいても、彼女には、自分の信念を支持してくれる父がいた。
 話題がなんであれ、だってお父様がそうおっしゃるんですものと熱心に言いはり、議論に決着をつけさせようとした。
 誰ひとり彼女に結婚を申し込まず、彼女のほうも結婚したいと思う相手はいなかった。いえ、若い男性と過ごすのを彼女は楽しまなかったわけではない。けれど、彼女の容赦ない言葉は男性のエゴを切りきざんだ。また、知的な刺激に飢えているガートルードが、男性のお粗末な知識で満たされることはなかった。
 1900年。31歳になったガートルードはエルサレムに赴いた。フランス語、イタリア語、ドイツ語、ペルシア語そしてトルコ語を自由にあやつり、苦もなく言語を切りかえた。アラビア語だけは苦手だった。それで、アラビア語の教師を雇い、朝4時間、夜も2時間ほど毎日勉強した。
 イギリスで婦人参政権運動が起きたとき、ガートルードはそれに反対する運動を熱心にすすめた。東方では大胆な行動をしたガートルードも、故国イギリスでは伝統の境界の範囲内で行動した。彼女の伝統とは、上流社会の、特権をもち保護された人間のものであり、貧しく、教育もない労働者階級がそれに挑むことは許されなかった。
 ガートルードは鉄工労働者の妻たちを助ける活動にも長く関わった。その活動から、女性には市町村の役場で働く権利はあるが、国政レベルに関わる力はないという認識をますます強めていた。ガートルードは、自分を男性と同等と見なしていたが、大半の女性は同等ではないと信じていた。
 ガートルードは、砂漠を6回も長期にわたって旅した。そのため、シリアやメソポタミアの部族にも明るかった。北部そして中央アラビアのアラビア人の気質や政情に通じているという点で並ぶもののない専門家だった。
 そのころ、アラビアのロレンスもいた。ガートルードは英国でも名の知れた家のひとつにあげられる一族の長女で、ロレンスは中流階級出身。出自はまったく異なる社会層だが、二人はよく似ていた。つまり、変わり者で、主流からはずれ、ひとりでいることを好み、人の多い応接間より閑散とした砂漠にいるほうに安らぎを感じた。この二人からみると、イギリス人よりベトウィンのほうが受容力があった。
 1917年3月。イギリス軍が進軍してきたとき、バグダッドの街には20万人しか住んでいなかった。その多くはスンニ派イスラム教徒と、ユダヤ人だった。
 ガートルードはイギリスの東方書記官となった。諜報活動を得意とした。教育を受け都市に住むスンニ派、地方の多数派であるシーア派、バグダッドの大きなユダヤ人社会、モスルのキリスト教徒。これらの動向をガートルードは見守った。
 ガートルードはメソポタミアの自治を主張した。しかし、これはイギリス本国政府の政策に反していた。
 イギリスのメソポタミアにおける商業的利益は長く深いものだった。メソポタミアの市場の半分はイギリスからの輸入品、石炭、鉄、織物などが占め、輸出品、ナツメヤシ・イチジク・オリーブ油・穀物の35%がイギリス向けだった。それに加えて、イギリス海軍そして空軍のため石油資源を確保する必要があった。
 イラクには、1万7000人のイギリス軍と4万4000人のインド軍が駐留していた。
 イギリスが委任統治という仕組みを導入しようとしているバグダッドで、ガートルードは無冠の女王と呼ばれた。イギリスの政策からはずれたため活躍の場所を狭められたガートルードはひどいうつ状態となり、1926年7月、いつもより多い睡眠薬を飲み、二度と目覚めることはなかった。
 イラク独立の前史に関わったイギリス女性の一生を紹介しています。大英帝国のなかで羽ばたいたものの、結局は国家に利用され、押しつぶされた女性だという印象を受けました。

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