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2006年7月 の投稿

旅と交遊の江戸思想

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著者:八木清治、出版社:花村書房
 文化元年(1804年)、筑後国は福嶋町(八女市)の作右衛門一行19人が伊勢神宮へお参りに出発しました。72日間の旅です。伊勢神宮だけではありません。厳島神社、金比羅宮、高野山、京都・奈良の神社仏閣もこまめにまわっています。
 そして、40年後の天保14年(1843年)にも、今度は同じ福嶋町の清九郎一行17人が、ほとんど同じ順路で68日間の旅をしています。順路ばかりでなく、途中に立ち寄った社寺、高野山の宿院、京都・大阪の宿泊先などもほとんど共通しています。つまり、規格化・画一化された観光旅行のコースが設定されていたのです。
 そして、天保6年(1835年)には、筑前国須川村の古賀新五郎重吉以下総勢76人に及ぶ一行が、ほぼ似た順路で68日の旅行をしています。
 いずれも旅行日記が残っていて、道中、どこで何を食べたのかまで記録されているのです。伊勢神宮は信仰から娯楽へと性格を変えていたと著者はみていますが、まったくそのとおりでしょう。
 2月から4月にかけての農閑期とはいえ、2ヶ月もの旅行を20人とか70人の集団で農民がしていたという事実に圧倒されてしまいます。
 元禄時代に日本に滞在していたドイツ人医師ケンペルは、自らの見聞にもとづいて、日本人について「他の諸国民と違って、彼らは非常によく旅行する」と書いています(「江戸参府旅行日記」)。
 貝原益軒は福岡藩士でしたが、江戸へ12回、京都へ24回、長崎へ5回も出向いています。旅人益軒と呼ぶのは、ぴったりの言葉です。益軒にとって旅は楽を得る方法であり、とかく旅行は辛いものという考えとは無縁でした。
 文人墨客の遊歴は、体のよい出稼ぎだったという評価があるそうです。文化人たちは、全国を旅行して、地方の富裕な人々から家宝の鑑定を依頼されたり論語を講義して謝礼をもらっていたのです。

人間らしく、誇りをもって働きたい

カテゴリー:未分類

著者:三上礼次、出版社:自治体研究所
 私も韓国には何回か行ったことがあります。といっても、いつも弁護士会同士の交流で行ったもので、実は釜山だけなのですが・・・。
 その釜山にある労働組合の委員長が2003年10月に工場内のクレーンで首吊り自殺しました。労組委員長が自殺するなんて珍しくないんだそうです。この本によると、韓国では労組委員長の自殺が相次いでいるというのです。ちっとも知りませんでした。
 韓国の社会には、これまで長いあいだ、労働争議で会社側が蒙った被害額を、労働者個人に賠償させるために告訴するという悪習がある。会社側は損害賠償請求と仮差押を労働組合弾圧の手段として乱用しており、損害賠償請求額は560億ウォン、仮差押額は790億ウォンにのぼる。
 訴訟に負けた労働者は、労組の資産はもとより、労働者の賃金や家屋敷まで取り上げられる。自殺した労組委員長は、財産を差押えられ、労組指導者として労働者の利益を守れない状況に追い込まれていた。ほかにも労組委員長が焼身自殺を図った例が紹介されています。日本では想像もできない事態です。
 少し前、国鉄が国鉄労組に対して巨額の損害賠償請求の裁判を起こしたことはありましたが、労組委員長の個人責任が問われたことはなかったように思います。
 韓国でも、日本と同じように、大量の非正規労働者がいて、大きな社会問題となっています。韓国と日本は、司法界も似ていますが、こんなところも同じなんですね・・・。
 非正規労働者は、政府の公式統計で労働者全体の32%、460万人いる。労働界の方では780万人いるとみている。ここ2年のあいだに100万人が増えた。銀行業では10人に3人以上が非正規。造船や流通業界では、非正規職の方が正規職の人数を上まわっている。
 近くて遠い国、韓国の実情を少し知ることができました。本文は50頁たらずの薄さです。さっと読めますので、一読をおすすめします。

わが真葛物語

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著者:門 玲子、出版社:藤原書店
 只野真葛(ただのまくず)という江戸時代後期の女流文人を紹介した本です。一見ペンネームのようですが、本名です。父親は仙台藩江戸詰の医師であった工藤平助で、田沼意次に「赤蝦夷風説考」を献上し、自ら蝦夷奉行になれるかと期待したこともある人です。これは、田沼の失脚で夢と消え去りました。
 江戸に生まれた真葛は、仙台藩士の只野伊賀行義(つらよし)に嫁ぎ、35歳で仙台に下りました。寛政9年(1797年)のことです。夫のすすめから著作活動に入り、「みちのく日記」などを書き、代表作の「独考」について滝沢馬琴の批評を求めました。馬琴は手厳しい批判をしたようですが、これは彼女を高く評価していたということです。
 当時の女性にとって、大名の奥御殿に勤めることは、広く世間を見て、自分の教養・才能を活かし活躍できる最上の場だった。真葛も16歳のとき、仙台藩の御殿に上り、伊達夫人に仕えています。
 江戸時代にも多くの女性が文章を書いているが、女性の作品が刊行されることは、ごく稀であった。真葛は松島に遊んで紀行文を書いたが、その前に2人の女流俳人が紀行文を書いた。九州筑後出身の諸九尼(58歳)と長門の菊舎尼(30歳)であった。昔も今も、ほんとうに日本女性は旅行好きなのですね。
 「独考」は、たしかにかなりユニークな内容です。
 儒教の教えというのは、昔からご公儀がご政道に専用と定められているので、真の道だと思われがちだが、実は人のつくった一つの法に過ぎず、唐国から借りてきたもの。いわば表向きの飾り道具であって、小回りのきかないことは街道を引く車に似ている。家の内のことは、もっと融通無碍の、人情にそった処理法がある。
 人の心は性器を根源として体中にはえひろがるので、男女が逢いあう結婚というものは、心の根源たる性器を結合して勝劣を決めるのである。
 ここでは男女の性交渉(セックス)を、男女間の勝劣の観点でとらえています。セックスを正面から論じているのに驚かされますが、少しずれているように思います・・・。
 武家が町人より借りたお金は、結局、また利子を背負ってふくらんで、貸した町人のところへ帰っていく。そして、お金の尽きた武士たちは仕方なく町人に頭を下げ、お金を借りて日々を送り、利を取られたうえに、町人に卑しめられるのこそ無念である。
 このように、真葛は武家の立場に立ち、町人を敵と見ていたのです。これに対して馬琴は町人の立場から批判を加えています。江戸時代の人々の思索の深まりを感じることのできる本です。

鈴木敏文の統計心理学

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著者:勝見 明、出版社:日経ビジネス人文庫
 セブン・イレブン名物の毎週水曜日の東京本社会議の様子が紹介されている本です。全国から1400人ものOFC(店舗経営相談員。オペレーション・フィールド・カウンセラー)を集めて、毎週毎週、鈴木敏文会長が直接話しかけるというのです。毎週、何をそんなに話すことがあるのか、それが気になって読みました。
 セブン・イレブンの本社は今は移転しましたが、これまでは浜松町近くにありました。今は四ッ谷駅の近くにあるそうです。
 鈴木会長は、話の区切り区切りで、OFCたちに向かって、「みんなわかったね」「約束してくれるね」と念を押す。そのたびに「わかりました」のかけ声があがる。
 鈴木会長は、われわれの競争相手は同業他社ではなく、最大の競争相手は目まぐるしく変化する顧客ニーズであるといい、外資も脅威と考えていない。
 鈴木会長は他店見学をしてはいけないという。今や、もの真似の時代ではないからだ。
 今の日本は多様化の時代というけれど、実は、そうではない。明らかに画一化の時代であり、ますますその傾向は強まっている。みんなが同じ商品に殺到する。
 なるほど、そうなんですよね。多様化どころか、画一化。これが現代日本の困ったキーワードです。個性を生かして、てんでんバラバラというんじゃないのです。
 絶えず仮説を立てて先を見通す努力を怠るべきではないという指摘があり、なるほど卓見だと感心しました。たしかに過去の体験にこだわっていたら、世の中のはやい変化についていけないでしょう。
 ところで、鈴木会長は、「社内では本を読むな」が口癖だといいます。えーっ、そんな、ひどい・・・。そう思いました。ただ、それはハウツー本の類は読むな、ということなので、少し安心しました。そんなものは過去のことをまとめているだけで、新しい時代に向かっては何の約にも立たない。ということなんです。そう言われたら、たしかに・・・、という気もしてきます。
 イトーヨーカードーは、10年前までは2000坪の店舗がもっとも売場効率が良かった。ところが、今は、2倍の4000坪クラスがもっとも利益を上げている。
 セブン・イレブンの顧客の来店頻度は、週2〜3回が31%、週4〜5回と毎日来店をふくめると、週2回以上のお客が63%になる。そんな来店頻度の高いお客にとって、Aランクの商品は、それだけ飽きやすいということ。なーるほど、ですね。それにしても、コンビニに毎日行くなんて人の気がしれません。心の寂しい人なんでしょうね、きっと。
 鈴木会長は、講演に原稿を用意しないという。重要会議でも事前に資料を読まず、テーマも聞かないという。先入観がなく白紙で直観を働かすためだという。そういうこともあるのでしょうか・・・、私にはとても理解できません。
 セブン・イレブンのお客に中高年の比率が高まっている。50歳以上が22%もいる。
 セブン・イレブンで扱う商品は、年間7割が入れ替わる。うーん、なんだか、大変なことですね。若者だけでなく、中高年も寂しい生活を送っている人が、それだけ増えていることなんでしょう。でも、コンビニって、どこでも人間同士のふれあいはありませんよね。若い店員のかけ声はありますが、あれもいかにもマニュアル(教則本)どおりで、嘘っぽくてソラゾラしい気がしてなりません。

チャイナハンズ

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著者:ジェームズ・R・リリー、出版社:草思社
 中国にいたCIAの工作員がキッシンジャーの代理人となり、ついには中国駐在のアメリカ大使にのぼりつめたというのに驚いてしまいました。まことにアメリカというのは謀略を愛する国なのですね。ゾッとします。
 著者は山東半島で生まれたアメリカ人です。父親がスタンダード石油の中国駐在社員だったからです。そして、CIAの要員だったので、この本もCIAから内容のチェックを受けたことが付記されています。
 著者たち一家は1926年に青島に住むようになりました。ええ、チンタオ・ビールで有名な、あの青島ですよ。当時、1万5000人の日本人が青島にいて牛耳っていたそうです。日本人というのは、商人と実業家です。少年の目からみても、外国勢力のなかでは、日本の野望がもっとも貪欲に見えたようです。
 著者はアメリカの大学に進学します。イエール大学です。このイエール大学はアメリカ戦略情報局(OSS)の創設に一定の役割を果たしました。OSSがCIAに改編されたときも、その中核にイエール大学は卒業生を送りこんでいます。
 CIA工作員になった著者は中国で秘密作戦に従事します。毛沢東の共産党が勝利したあと大陸に残った160万人の国民党軍を支援することです。台湾から空路で中国人工作員を満州に送りこんだこともあります。しかし、見事に失敗しました。
 金門、馬祖両島に中国は砲撃しはじめた。この二つの島には、台湾側の軍事基地とCIAが協力してすすめていた中国本土への秘密作戦の発動拠点が置かれていた。私が小学生のころのことですから、今でも記憶に残っています。すぐにも戦争が始まってしまうような暗い雰囲気を子ども心にラジオのニュースに感じ、不安が高まりました。
 少年時代の体験から、中国人は概して外国人に酷い目にあった体験から傷つきやすく、ちょっとしたことで激昂する性格を持ち、国際社会に訴える能力があり、人心操作術が得意な人々である。著者はこのように考えています。
 中国人が歴史体験で深く傷ついているからといって、排外主義を見逃してしまうということにはならない。著者の職業的アプローチは、このように中国という国と、その意図を一定の距離を置いて観察することだ。
 著者は1979年8月に、CIA本部から情報殊勲章を授与されました。それは北京にCIA支局を開設したことを評価したものでした。そして、1986年11月に、著者は駐韓大使として韓国に赴任しました。全斗煥大統領から廬泰愚大統領へ替わろうとする時期です。与党の党大会にもアメリカ大使として出席してにらみをきかせました。大韓航空機が空中爆破され、犯人の一人である金賢姫が捕まった1987年11月も駐韓大使でした。
 そして、1989年3月、中国大使に任命されたのです。4月から天安門広場での民主化デモが始まりました。まさしく激動する中国に赴任したわけです。
 中国のサハロフとも呼ばれていた天体物理学者である方励之をアメリカ大使館内に13ヶ月間も匿(かくま)っていたことを明らかにしています。方夫妻は医療棟を住居にしていたとのことです。
 先日の仏検(準一級)の結果が分かりました。75点で合格していました(基準点は 70点。120点満点)。自己採点のとおりでした。今度の日曜日に口頭試問があります。3分前に問題文を渡され、2問のうち一問を選び、3分間スピーチをします。そして、そのあと4分間、フランス人の試験官と問答するのです。これまで1勝2敗です。思うようにスピーチできません。頭のなかを単語がぐるぐるまわってしまうのです。それでも、がんばってみます。

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