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2006年7月 の投稿

真実と正義のために

カテゴリー:未分類

著者:諫山博さんを語るつどい、出版社:福岡第一法律事務所
 諫山博弁護士の追悼文集です。諫山弁護士は2004年11月27日、82歳で亡くなられました。1949年に九大の哲学科を卒業し、1951年から福岡市内で弁護士をしてこられました。司法修習3期です。1972年から衆議院議員を4年間、1986年から参議院議員を6年間つとめられ、国政でも日本共産党の議員として大活躍されました。
 この本の表紙は諫山弁護士の精悍そのものの写真になっています。わたしも一度だけ刑事事件をご一緒しました。公選法違反事件(戸別訪問事件)でした。
 諫山弁護士は公訴権濫用論を初めて提起した弁護士として有名です。
 林健一郎弁護士が、諫山弁護士は膏薬弁論とペニシリン弁論というたとえで問題提起していたことを紹介しています。次のような言葉です。
 私はしみじみ考えます。弁護士は膏薬貼りの弁論に甘んじてはいけない。社会の表面に吹き出たものにいくら膏薬を貼ってみても、できたものの根がなくなるわけではない。ふきでものの根を絶つ弁論、膏薬貼りの弁論ではなく、ペニシリン注射的な抜本的な弁論、これはまさに政治の仕事ではないのか、これが私の心境です。
 すごい指摘です。刑事事件(ほとんど国選弁護です)を扱うなかで、まさにここにある膏薬貼りの弁論しかできていないことを恥ずかしく思いました。といっても、なかなかペニシリン注射的な弁論というものを考えつきません。
 諫山弁護士は大の甘党でした。小泉幸雄弁護士が一緒に外出したとき自分の分と思っていた梅が枝餅を食べられてしまったという、ほほえましい思い出を書いています。
 椛島敏雅弁護士は諫山弁護士から諭された言葉を紹介しています。
 弁護士は法廷では臆してはいけない。傍聴人に分かりやすい言葉で、大きな声で弁論するようにしなさい。ぼそぼそと小さな声で発言すると、当事者が不安がります。
 まことにもっともな指摘です。
 諫山弁護士は公安警察と果敢にたたかいました。古くは菅生事件です。現職警察官が駐在所を爆破して共産党に責任をなすりつけ、逃亡した事件です。犯人の戸高公徳警部補は、発覚後も警察内部で異例の大出世をとげました。警察の体質を露呈しています。
 また、公安調査庁の共産党スパイ盗聴事件のときには現場で摘発しています。
 「語るつどい」のとき、仁比聰平参議院議員が諫山弁護士の三池争議における活躍を紹介しながら、心温まる挨拶をしたのも大変印象にのこりました。

陣屋日記を読む

カテゴリー:未分類

著者:成松佐恵子、出版社:雄山閣
 いやあ、日本人って、本当に記録を残すのが大好きなんですねー。もちろん、私もその一人なのですが・・・。まあ、おかげで江戸時代の人々の暮らしが実によく分かります。
 奥州守山藩なんて言われても、まったくピンときませんよね。それもそのはずです。石高わずか2万石。藩士は200人ほどで、お城もない。元禄13年(1700年)に成立し、幕末まで170年のあいだ存続した。所在地は現在の福島県郡山市。水戸藩の支藩です。守山陣屋に定詰(じょうづめ)の藩士は10人にもみたなかった。
 この守山陣屋に御用留(ごようどめ)と呼ばれる陣屋日記が、なんと143冊も残っているのです。郡奉行サイドでしたためた郡方政務日誌といえる内容なのです。これを学者の指導を受けた素人が解読していき、一冊の本をまとめたわけです。本当にすごいことです。日本人って偉大なんですね・・・。
 守山藩の藩主はずっと江戸にいて、参勤交代の義務はなかった。そこで、江戸と守山陣屋のあいだでは御用状と呼ばれる書面が頻繁にやりとりされている。
 郡奉行にとって人口減少の著しい領内の農村対策が最大の課題だった。
 郡奉行の下に位置するのは目付で、なぜか頻繁に交代している。化政期20年間に13人が入れ替わり江戸から着任した。
 郡奉行が借用金に関する不正が発覚して捕縛され入牢の身となり、結局領外追放という厳しい処分を受けたこともあった。
 庄屋は守山藩では、すべて陣屋が任命した。世襲でもあった。たまに「役儀不当」として罷免されることもあった。
 治安維持に関してみると、博打が全国的に流行していて、文化年間に3回も老中触れが出されている。守山藩でも文政年間に12回も摘発があった。しかし、十分な取締効果はあげていない。
 それでも守山陣屋わずか10人の武士で6000人もの領民を支配していけたのは、村役人を通じての間接統治があったからこそ。
 陣屋日記で紹介されているなかで注目すべきは訴訟沙汰の多さです。
 文化文政におこされた訴訟11件のうち、8件が他領より訴えられ、そのうちの6件のべ24人が個人的な金銭債務で訴えられている。利息つき無担保の、いわゆる金公事(かねくじ)である。金公事のほかにも、川筋を上流の村が閉め切ったため不漁になった下流の村が訴え出たり、神社の神職間の紛争もおきている。
 日本人は実は昔から訴訟(裁判)が好きだったことが、この本からも分かります。といっても、江戸時代には判決にいく前に調停(内済)させられることが多かったのです。扱人(あつかいにん)と呼ばれる第三者が介入して話をまとめようとします。
 農民が集団で村を抜け出して水戸本藩に越訴(おっそ)しようとしたり、他領(二本松藩)に駆けこんだりしています。決して百姓はおとなしくはなかったのです。
 庄屋が商用と称して領外へ出かけることも多くありました。その期間も2〜3ヶ月から最長6ヶ月もあったのです。年に4、5回、多いときには10回もありました。
 湯治や参詣を目的とした外出も多かったようです。1回30日ほども温泉に湯治に行っていました。三斗小屋に26日間行ったというのが記録に出てくるのを見て、私の大学時代の4泊5日の夏合宿をなつかしく思い出しました。
 守山藩には、文化文政の20年間に90歳に達した者が男12人、女21人いました。養籾(やしないもみ)2俵(9斗)が生涯わたされることになっていた。およそ一人一年分の食い扶持にあたる。要するに、90歳になったら老後の心配はしなくてよいということなのです。今の日本はどんどん福祉の切り捨てがすすんでいて、老後の不安が高まっています。週刊誌に「高齢者の税金が10倍。これが小泉政治の本質」という記事が出ていました。まさしくそのとおりです。年寄りを大切にしない社会では日本も長いことありません。
 欠落(かけおち)は守山藩では草隠(くさがくれ)と呼ばれていた。文化期の9年間に1年に平均10件、21人が草隠人が出ていた。村でなにかの不祥事をおこすとお寺に駆入り救いを求めるということが次第に習慣化していた。
 面白いですね。このようにして江戸時代の実相がどんどん分かっていくのですね。江戸時代は決して暗黒の世紀ではなかったのです。

トム・クランシーの空母

カテゴリー:未分類

著者:トム・クランシー、出版社:東洋書林
 現代のニミッツ級空母は、4.5エーカーに集積されたアメリカの小都市に相当する。いつでも一日に700海里以上も移動でき、完全な医療支援、機械整備、ジェット・エンジン試験室、給食活動、コンピューター支援、発電その他を提供できる。
 一隻の空母は60〜70億ドルの価値をもち、6000人以上を雇っているビジネス体であるが、従業員の平均年齢は21歳以下である。
 一個の空母戦闘群に国は200億ドルの資産を投入する。乗艦している1万人の兵士に食事、給与、医療を提供しなければならず。その運用・維持に年10億ドルの費用がかかる。現在、アメリカは12個の空母戦闘群の維持を計画している。通常、2〜3個の空母戦闘群が前方展開している。
 空母には離艦する航空機に速度を与えるカタパルトがある。これは基本的に蒸気動力ピストンである。キャデラックを1キロ先まで飛ばす力がある。
 空母に着艦するのは難しい。2階の窓から白鳥を飛びおりさせ、地面上の郵便切手を舌で見つけ出すことに匹敵する。
 作業が適切なら、20秒から30秒おきに1機を空母に着艦させることができる。
 冷戦時代には、毎年10万人の新兵を採用していた。平和な現在でも毎年5万人ほどを必要としている。新兵募集の目標は、高校卒業が95%、うち65%の知能指数がクラスの最上位にあることとしている。
 1970年代半ばから、空母には男女別々の寝台設備とトイレの区画をもつよう改造された。今では、女性まで殺人マシーンに組み込まれているのですね。
 ニミッツ級空母には6000人が乗る。空母要員として士官155人、水兵2890人、航空要員として士官365人、下士官2500人が乗っている。
 また、ジェット燃料9000トンと爆弾・爆薬・ミサイルを2000トン積んでいる。
 F14・トムキャットは全長19.1メートルの複座・双発の戦闘機である。そして、写真偵察ができる。前方と下方を見るカメラ、航空機の両側を水平線から水平線まで撮影するパノラマ・カメラ、航空機の直下を掃査する赤外線スキャナーをつんでいる。デジタル・カメラとなっているので、飛行中に空母に解像度の高い画像を送ることができる。写真をとって情報士官が確認するまで5分しかかからないシステムで、これは移動目標を迅速に攻撃するために必要な情報を戦闘群指揮官に提供できる。
 トムキャットの最大の欠点は、購入と維持に要する巨額の費用である。
 アメリカ軍の原子力空母の日本寄港が日常化しつつあることを私は大変危惧しています。日本は本当に独立国家といえるのか、根本的な疑問を感じるのです。
 横須賀基地に原子力空母ジョージ・ワシントンが2年後に配備されようとしています。これはアメリカ軍の世界的規模での再編の一環です。アメリカ国防省が今年2月に発表した国防計画の見直しによると、航空母艦や戦略原潜・攻撃型原潜の60%をアジア向けに太平洋に集中配備するということです。横須賀基地への原子力空母の母港化は、そのカナメをなすものです。
 過去の海軍は海上の戦争だけを考えていればよかったが、グローバリゼーションがすすんだ現在では、陸上の作戦に全面的に関わらなくてはいけない。つまり、海から陸上に攻撃をしかけ、大陸のなかにまで軍事的支配を広げることが海軍の中心目標になっている。
 また、石油節約のため、原子力推進艦船をアメリカはさらに重視している。なにしろアメリカ政府機関全体の一日の石油消費量33万バレルの90%をこす30万バレルをアメリカ軍がつかっているのです。
 アメリカ軍の世界戦略にどっぷり組みこまれている日本ですが、それが強まれば強まるほど、戦争に巻きこまれる危険は高くなります。おーいやだ、いやだ。私は絶対にいやです。やっぱりヤンキー・ゴーホームです。

レンタルお姉さん

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著者:荒川 龍、出版社:東洋経済新報社
 訪問して引き出そうとする相手が、仮に「ノー」だと拒んだとしても、それが100%の「ノー」だとは限らない。相手が口にした「ノー」のなかにも、いまの生活ではいけないという危機感にもとづいた、30%のイエスが隠れているかもしれない。そんなイエスを信じてがんばる。30%のイエスを、創意工夫で40%、50%へと大きくしていく。それがレンタルお姉さんの仕事だ。
 レンタルお姉さんという語感からは、何かいやらしいイメージを抱かせそうになりますが、これはまったくそういうものではありません。ニートとも呼ばれる若者たちを家庭の外へ、実社会の中へひっぱり出そうという仕事なのです。
 レンタルお姉さんたちは何かの資格をもったカウンセラーや医療関係者ではない。フツーの20代、30代の女性たち。レンタルお姉さんは、ともかく相手の言い分を受けとめる。受けとめることで相手を尊重する。けっして相手を否定しない。
 レンタルお姉さんの仕事は、ニートの若者と交流して、彼らが自宅に引きこもる生活をやめさせること。そして就学や就労に向けて新たな行動を起こさせること。それは、手紙、電話そして訪問という順序ですすめられる。最初に本人に会うまでに3ヶ月から半年。ひきこもりをやめさせ、新たな生活を始めさせるのに半年というのがひとつの目安となっている。手紙は手書きが原則。メールもダメ。
 彼らに社会に出るための練習段階として、NPO法人(ニュースタート)が運営する「若者寮」に入ることをすすめる。ここで同じような経験をもつ若者たちと共同生活をし、仕事・体験をしてもらう。寮生活は平均1年3ヶ月。最長2年。卒業生は、この7年間で500人をこえる。
 ただ、レンタルお姉さんと本人の関係が悪化してしまうこともある。あのレンタルお姉さんだけは絶対に許せないと、徹底して毛嫌いされることすらある。だけど、ひきこもり生活をやめさせ、新たな生活を始めさせることが彼女たちの仕事だから、ときには悪役に徹しなければならない。自分が嫌われても、本人の危機感をあおって家の外へと踏み出させる。
 訪問先の相手と仲良くなることは得意でも、引き出す相手に嫌われたくないと思う人では、レンタルお姉さんはつとまらない。
 自宅に引きこもって感情の起伏さえない生活を送っている若者が怒ったら、それは全身のありったけの感情を総動員して相手にぶつける最大限の自己表現。ひとつの前向きなシグナルととらえる。
 ところが、56歳のひきこもりも相手としている。もちろん、もはや若者ではない。本ニートと言うしかない。30年間も、家にとじこもっている人がいる。
 引きこもり生活が長くなると、表情を失っていく。まるで能面のような顔になった若者もいる。他人と話して喜怒哀楽の感情をつかう機会がないから。感情が退化すれば、表情も消える。声を出して話す必要がなくなるから、声も極端に小さくなる。言葉がうまく出てこなくなる若者もいる。私も司法試験の受験勉強を部屋に閉じこもって、一日中ほとんど人と話をしない生活をしていて、失語症になってしまったと心配したことがあります。つい、それを思い出してしまいました。
フリーターは213万人。ニートは64万人と推定されている。
 若者といっても、会社員経験のある20代、30代のニートが最近ふえている。退職型ニートと呼ばれる。30代は対応が難しい。この退職型ニートは社会人経験があるため、プライドも高く、自分をニートと一緒にするなと強く拒絶する。リストラや退職などの挫折体験と就職できないことへの焦りなどもあって、かなり精神的に屈折していることが多い。
 レンタルお姉さんは、訪問先の親とは極力コミュニケーションをとらない。
 親は、子どもの言動の揺れにふりまわされず、毅然とした態度をとる必要がある。しかし、たとえば、本人の意思を尊重するフリをして、父親として進路に迷う息子の方向づけをするという責任を負うことなく、問題を先送りしている親が多い。子どもと同じで親自身も孤独。親戚や近所づきあいもあまりない。世間体はあるので、子どもがニートだということを隠したい気持ちは強い。
 レンタルお姉さんが子どもを引き出しにかかれば、親はニートの子どもを家から押し出そうとする必要がある。その両方の働きかけがないと、ニートのひきこもり生活をやめさせるのは難しい。
 ニートの親の多くが、勤務先やパート先以外の社会との接点をあまりもっていない。会社と家との往復だけで、ろくに近所づきあいもない。親である前に、一人の人間として、自分の人生を楽しくネットワークやノウハウがとても乏しい。親自身があまり楽しそうに人生を生きていない。子育ては失敗が許されないもの、と考えている親が意外に多い。親子ともども失敗への許容範囲がとても狭い。
 ニートとは、実は親たち自信の問題でもある。だから子どもがニートになって自宅にひきこもると、親も相談できる人がいなくて、家族全員が社会から簡単にひきこもってしまう。うんうん、なるほど、そういうことだったのですね。よくわかりました。
 現代日本社会の実相がよく分かる本でした。
 街路樹でセミが鳴きはじめました。庭に早くもアキアカネが飛んでいます。日曜日、いつもより早起きして仏検(準一級)の口頭試問を受けてきました。いつも緊張します。5分前にペーパーを渡されます。2問あって、うち一問を選んで3分間スピーチをします。一問は、このところ子どもの虐待が起きているのをどう考えるかでした。こちらはパスして、二問目の勝ち組・負け組についてどう考えるかと選びました。メモをとらずに頭のなかで3分間スピーチをまとめるのって本当に難しいんですよ。昨年はまるでダメでしたが、今年はトツトツと話して、なんとか試験官と対話らしき格好はつきました。10分足らずのやりとりですが、たっぷり一日分の仕事をした気分になりました。

三日月が円くなるまで

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著者:宇江佐真理、出版社:角川書店
 神田堀に架かる栄橋を渡ると久松町だった。
 この出だしで、江戸の町並みと人々の営みにスィーッと引きずりこまれてしまいます。函館市に生まれ、今も同地に住む(?)団塊世代の著者の鮮やかな筆力で心地よく江戸の暮らしを味わうことができます。
 古道具屋と薬種屋を兼ねる紅塵堂(こうじんどう)に下宿することになった25歳の刑部小十郎の話が展開していきます。といっても、藩主の汚点を雪(そそ)ぐために指名された庄左衛門の助太刀をする役目です。決して気のすすむ役目ではありません。入居そうそう、主の娘に笑われて、小十郎は気を悪くします。でも、この娘、口は悪くても案外に気だては優しそうなのです。
 行雲流水(こううんりゅうすい)の心持ち、だとか、床見世(とこみせ、商品を売るだけで人の住まない店)だとか、見知らない言葉が頻出するのも時代物ならではです。
 小十郎は曹洞宗のお寺で特訓を受けることになります。東司の作法を真先に教えこまれます。
 東司に就いたら蒲(かま)でこしらえた草履に履き替え、衣の端をもってかがんで用を足す。汚してはいけない。声を上げてもいけない。はなをかんだり唾を吐いてはいけない。落書きしてはならない。歌ってはならない。
 用を足したら、また草履を履き替え手洗い場で備えつけの灰を手にとり、三度洗う。次に、土を水に点じて三度洗う。さらにサイカチの実の粉を取り、水桶に浸して丁寧に洗う。都合七度。
 次は行鉢と呼ばれる食事の作法。応量器と呼ばれる五鉢ひと揃いになった食器を使用する。応量器には、畳を濡らさないようにする水板と鉢単と呼ばれる敷物がついている。そして、サジやハシと一緒に袋に収められる。
 私も一度だけ永平寺を訪れたことがあります。春のことだったと思いますが、木立の奥深くにありました。そこで、食事やトイレの作法のことを聞かされたことを思い出しました。真理を究めるにも、まずは形から入るということのようです。
 小十郎たちは、結局、仕返しに失敗します。庄左衛門は責任を取らされ、市中引きまわしのうえ、獄門となりました。武士の身分を離れて浪人になっていたからです。
 引き廻しの行列は、小伝馬町の牢屋敷から江戸橋、八丁堀、南伝馬町、京橋、札ノ辻まで行って引き返し、赤羽橋、溜池、赤坂、四谷、牛込、小石川、本郷へ向かい、上野、浅草、蔵前を通り、馬喰町から牢屋敷へ戻る行程だった。
 小十郎は、それでも運よく処分を免れ、ついには恋する町娘と晴れて結婚できました。
 江戸時代の結婚も、その気になればかなり融通無げのところがあったようです。武家と養子縁組すればよかったのです。いつもかつも四角四面に江戸の人々が生きていたと考えるのは正しくありません。

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