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2006年4月 の投稿

永い影

カテゴリー:未分類

著者:倉橋綾子、出版社:本の泉社
 団塊の世代の著者が自分の生い立ち、そして大学生のときの学生運動の活動さらには憲兵だった父親が中国で何をしたのかを追跡した記録を小説にしたものです。その心うつ描写に、私は一心不乱に読みふけってしまいました。
 家庭内は両親が不和のため冷えびえとしています。母親は父親を敬遠し、家出したりします。父親は元憲兵だったからか、いつも正しくあれと説教ばかり。だから、著者は優等生をめざしてきた。しかし、兄は反撥して父親に背いてしまう。父と息子は理解しがたい仲にあるものです。
 大学に入って、全共闘の反対派に加わり、活動をはじめる。学生たちがゲバ棒をふるい、内ゲバのためケガ人が続出する。やがて大学を卒業し、教員となる。同じクラスで親しかった友人も、支持するセクトの違いから疎遠になっていった。
 卒業して何十年もたって再会しても、その溝は埋まらない。暴力を受けた被害者は加害者を許せない。しかし、加害者も、心にわだかまりをもったまま今日に至っている。両者が再会したとき、加害者が心から謝罪し、ようやくわだかまりのひとつは消えていった。
 あのころ学生運動にかかわった者たちは、当時のことをどう振り返っているのだろうか。どう総括すればいいのか分からないと彼らは言った。しかし、自分自身も、まともに振り返ったことはなかった。メンバーの一員として夢中で過ごしたあの4年間は、自分にとってどういう意味があったのだろうか・・・。思いをめぐらした。
 子どもたちの教育も大変だった。何事によらず、ぐずな末娘が、案外、友人が多くて、その笑顔が客に喜ばれているという。人にはそれぞれがかかえた弱点があり、それを克服するのは容易なことではない。娘の弱点を問題にするばかりで、その悩みを受けとめ、心からのエールを送ることができなかった・・・。そうなんですよね、わが子となると、つい目が曇ってしまうものなんです。
 憲兵だった父親が中国大陸で残虐非道な行為を女性や子どもたちにしていたことが判明します。現地にわざわざ出向いて調べあげたのです。著者は、現地で謝罪します。もちろん、そう簡単に許してはもらえません、さんざん罵倒されてしまいます。何で、今さらそんなことをするのか、そんな声が日本に帰ると聞こえてきます。自虐史観ではないか。親のことを子どもが責任をとることはない。前を向いて生きていけばいいのだ。そんな考えの人から批判されます。しかし、子どもである以上、それを知り、それなりの責任をとるしかない。それは自然の流れだと著者は考えるのです。
 亡き父親との対話をロールプレイとして再現する場面が出てきます。そこまでしないと、親を乗りこえることはできないものなのか、改めて負の歴史の重たさを思い知らされました。
 どこまでが事実にもとづく小説なのかよく分かりませんが、私と同世代の著者が必死になって自分と向きあおうとしている姿勢に、私は深い感銘を受けました。

フランス暴動

カテゴリー:未分類

著者:陣野俊史、出版社:河出書房新社
 フランスでは、日本と違って、ストライキが生きた言葉として通用しています。デモも同じで、大衆デモが時の政府を大きくつき動かします。日本のマスコミが街頭デモをまったく無視し、危険視しているため、政治に対する影響力が大きく減殺されているのとは大違いです。
 1968年5月。私も大学2年生としてベトナム反戦デモに参加していましたが、フランスでは600万人がストライキに参加し、ドゴール政権の弱体化をすすめました。
 1986年12月には、シラク首相(今のシラク大統領)の教育改革に大学・高校生が反発し、100万人の参加するデモがありました。ドヴァケ高等教育相が辞任しました。
 1995年には、ジュペ首相による公務員の社会保障改革に対して200万人がデモに参加し、ジュペ内閣は1997年の総選挙で大敗して退陣しました。
 2003年5月には、公的部門の労働者が年金制度改革に反発し、200万人が参加するデモが起きました。
 そして、この2006年3月に始まったCPE(初期雇用契約)法への反発です。既に法律は成立したものの、事実上凍結され、ついに撤廃されました。はじめは高校生・大学生から始まったデモでしたが、フランス全土での労組ストライキに発展していきました。すごいエネルギーです。日本も大いに見習うべきだと思います。
 ところで、この本はCPEではなく、移民の若者たちが起こした2005年10月に始まる暴動の内情を探ったものです。
 北アフリカ出身の移民労働者が多数を占めるクリシー・ス・ボワ市では、失業率が20%に近い。暴動は3週間ほどで沈静化した。
 1968年に反抗した若者たちはブルジョワ家庭で育った学生たちだったのに対して、2005年秋に反抗したのは主に移民の2世および3世たち。社会の片隅に追いやられ、失業状態に苦しむ人や、学歴のない人たちがほとんど。
 1968年に反抗した若者たちのリーダーは、フランスやドイツでは、政財界の中枢にいるようです。そこも日本と違うところです。かつての全共闘の闘士だった人が何人か国会議員になったりはしていますが、日本では団塊世代で政治家になった人は、その世代比率の高さに反比例して圧倒的に少ないというのが現実です。いったい、なぜなのでしょうか?
 ラップが暴動をあおったとしてフランス政府からにらまれたそうです。いったいどんな歌詞だったのか気になりますので、少しだけ紹介します。
 オレたちの社会は多民族社会、一緒に行動しよう、そして共同体をつくろう、なぜって、ずっと以前から、そう、あまりに前から世界が世界である以上、色は境界線だったから、バリア、それは明らかだった
 オレは宣言する。全世界へ向けて、権威主義の裏側にある戦争を、オレは一掃する。闘う。一人また一人と打ち倒す。
 FN、スキンズ、アパルトヘイト、ゲットー。お前の色がどうであれ、お前の性格がどうであれ、どんな人種も優れちゃいない、ということを。なぜなら、成功者になるためには色なんて関係ないからさ・・・ NTM「白と黒」より
 なんだか、すごく政治的な歌詞ですよね。感心しました。

ビッグ・ファーム

カテゴリー:未分類

著者:マーシャ・エンジェル、出版社:篠原出版新社
 製薬会社は、薬が一番必要で、しかも薬代を支払う余裕のない人たちに対して、他の人たちよりも薬価を高く設定している。20年以上ものあいだ、製薬業はずっとアメリカでもっとも収益性の高い業種であった。2003年には、鉱業・原油生産業、商業銀行業に次いで第3位となったが・・・。
 1960年から1980年までは処方薬の売上はGDPの1%で、ほぼ一定していた。ところが、1980年から2000年の間に、3倍となり、今や1年間の売り上げは  2000億ドル以上だ。2002年の全世界の処方薬の売上高は4000億ドルと推定されているので、半分を占めていることになる。
 1980年にはブランド薬の特許の有効期間は8年間だったが、2000年には14年間となった。
 製薬会社は経営者に手厚い業界でもある。役員報酬は、桁外れに大きく、年収7500万ドルとか4000万ドルであるが、このほかにストック・オプションによって7600万ドルとか4000万ドルがもらえることになっている。
 カナダの方が薬が安いため、アメリカ人の200万人近くが、インターネットを通じてカナダのドラッグストアから買っている。また、カナダへ薬を買いに行くツァーもある。製薬会社の売上げの31%(670億ドル)がマーケティング・運営管理費としてつかわれている。
 薬ビジネスで成功するには、その薬の市場がお金の払える客で成り立っていることが大切。金を払えない客のために薬をつくってもペイはしない。製薬会社がマラリア、睡眠病のような熱帯病の薬を開発することにまったく興味がないのは、それが理由。
 昔は、製薬会社は、病気の治療のために薬を開発していた。今は、その反対が見られることも少なくない。薬にあわせて、都合よく病気をつくりだしている。
 臨床試験の結果を歪めるのによく使われる手口として、データの結果の都合のよい部分だけを見せ、その他の部分は隠すという方法がとられる。
 ほとんどの「新薬」は、少しも新しいものではない。単に既に市販されている薬の焼き直しに過ぎない。これをゾロ新薬という。製薬会社は、年間薬110億ドルのサンプルを医師たちに渡している。そのほとんどが最新の高価なゾロ新薬である。製薬会社は患者や医師にサンプルを使わせれば、サンプルが切れた後も、その薬を使ってもらえるから無料で渡している。もちろん、サンプルが無料のはずがなく、そのコストは薬の値段にはね返っている。
 私は、司法試験に合格したあと、小さなセツルメント診療所の受付事務のアルバイトをしばらくしていました。そのとき、サンプルが流れこんで来るのを目撃しました。
 深刻なのは、多くの薬を一度に服用するケースが増えていること。5剤、10剤、それ以上の薬を一度に飲むことがある。このような多剤投与は実に危険である。副作用がある。服用する薬の種類が多ければ多いほど、いずれかの薬がいずれかの臓器の正常な機能を損なう可能性も高い。
 私は年間を通じて薬を飲むことはまったくありません。目薬はさしますが・・・。風邪をひいたら玉子酒を飲んで、いつもより早めに布団に入って寝るようにしています。薬は身体にとっての毒ではないかと考えています。笑いの力によって自己の免疫力を高めるという説に大いに共鳴し、実践しています。
 製薬業界はワシントンにある138ヶ所の事務所の675人のロビイストをつかい、その費用に9,100万ドルをつかっている。ロビイストのうちの26人が元議員であり、342人が議会スタッフ経験者か政府要人と親しい関係にあった。
 製薬業界は巨額の政治献金をしている。80%が共和党に入っている。
 日本でも「くすり九層倍」と昔から言われるように製薬会社は大もうけしていて、自民党政治を支えているように思います。

ビッグ・ピクチャー

カテゴリー:未分類

著者:エドワード・J・エプスタイン、出版社:早川書房
 映画大好き人間の私ですので、ハリウッドの内情を知りたいと思って読みました。いろいろ面白い話を知ることができました。ハリウッドは遠くで見たことしかありません。ロサンゼルスのチャイニーズ・タウンの舗道にあるスター手形をなつかしく思い出します。
 映画6大スタジオにとって、映画をつくること自体は、財務的にみると、重要度は低くなっている。封切映画は、いずれも恒常的に欠損を計上している。
 ディズニーの「60セカンズ」の制作費は1億330万ドル。内外の劇場に配給するための費用が2320万ドル(うち、プリント代1300万ドル、保険・輸送料など1020万ドル)、世界規模の広告費6740万ドル。残余料金1260万ドル。つまり、2億650万ドルが経費だった。総売上2億4200万ドル。劇場の取り分は1億3980万ドル。つまり、2億650万ドルかかった映画の代価として、半分以下の1億220万ドルしか回収できなかった。
 1947年にアメリカ全国で47億枚の入場券が売れたのに、2003年には3分の1の15億700万枚しか売れていない。
 2003年にアメリカで封切られた473本の映画のうち、6大スタジオがつくったのは半分以下。そこで、入場券売り上げから得たのは総額32億3000万ドルだった。
 今や、6大スタジオは映画を家庭でみせるライセンス料で利益の大半を稼ぎ出している。それは劇場からの収益の5倍となっている。劇場に貸し出す映画から入ってくる小川のような金の流れに比べ、ビデオ・DVDの販売による売上げは津波規模。
 ビデオ・レンタルの大手1社で年間39億ドルを主要スタジオに支払っていた。ビデオとDVDから6大スタジオが得た年間収益は179億ドルに達していた。
 ほとんどの映画は赤字になるようになっている。「プライベート・ライアン」の出演料としてトム・ハンクスとスピルバーグが3000万ドルずつを受けとったため、この映画の予算は7800万ドルから一挙に1億3800万ドルにふくれあがった。スターの取分は収益の分配ではなく、制作費として扱われた。
 撮影は時間との競争だ。撮影期間中は、日々、膨大な出費が生じる。低予算の映画でも、維持費は1日8万ドル、固定費として5700万ドル。「ターミネーター3」のようなスケールの大きいアクション映画だと、日常の維持費は30万ドル。2000年のハリウッド映画の平均的な日常の維持費は16万5000ドルだった。
 監督自身がすべてのシーンの撮影に立ち会ったり、すべてのロケ地に行く必要はない。主要な俳優が出演しないときにはセカンド・ユニットに撮影させる。同時撮影によって映画の製作作業を大いにはかどらせるのだ。
 スタジオのプロダクションの大半は、撮影を3ヶ月から6ヶ月で終える。
 映画は細切れの断片でできている。CGは生身の俳優全員をあわせたより高くつくことがある。「ターミネーター3」のCG効果のため1990万ドルがつかわれた。
 劇場は封切りの週は入場券の売上高の10%と一律に支払われる劇場手当てを受けとる。スタジオは通常、封切後の2週間は入場料収益の70〜80%を手に入れる。劇場が受けとる割合は、週に10%の割合で増えることが多く、4週から5週目に入ると、入場券売上げのほぼ全額を手に入れる。
 劇場の主たる利益はチケットの売上げやスクリーンの広告ではなく、実は飲食物の販売からあがっている。ポップコーンの塩味を強めると、客はノドが渇いて、それだけ余計にソフトドリンク(利ざやが大きい)がほしくなる。
 トッピングに余分に塩を加えることがマルチコンプレックスのチェーンをうまく運営していく秘訣だと劇場幹部は述べている。
 先日、「シリアナ」という映画を東京で見てきました。ハリウッド映画なのですが、アメリカが中東のアラブ諸国をいかに牛耳っているか、その大きな狙いの一つが石油利権であること、気にくわない指導者はミサイルによるピンポイント攻撃で空から抹殺することなどが映像となっていました。少し前の映画「武器商人」も、アメリカが世界各地に武器を輸出してもうかっている事実を紹介していました。
 ハリウッド映画は、単なるアクション映画だけではないところがすごいと思います。

ふふふ

カテゴリー:未分類

著者:井上ひさし、出版社:講談社
 井上ひさしが中学3年のとき、本屋で英和辞典を万引きしようとして店のおばさんにつかまったという話に驚いてしまいました。あの井上ひさしが中学生のときに万引したんだって、えーっ・・・という感じです。とても信じられませんでした。
 ちなみに、私は万引したことは1度もありません。そんな勇気はありません。ただ、学生時代にはキセル乗車は何度もしました。生来、気の小さい私ですから、たった何十円かのキセルでも、いつ見つからないかとドキドキハラハラしていました。幸い一度も見つかったことはありませんでした。改札口を出るとき、前の大人のすぐうしろにぴったりくっついて逃げるように早足で出たこともあります。ラッシュアワーだったから見つからなかったのでしょう。でも、そんな重荷に耐えきれず、大学を卒業してからは一度もキセルをしたことはありません。車内で本を読むのに集中するには、そんなスリルは邪魔になりますから。
 万引を見つけられた井上ひさしは、おばあさんから、こうさとされました。
 これを売ると百円のもうけ。坊やにもっていかれると、百円のもうけはもちろんフイになるうえに、5百円の損が出る。その5百円を稼ぐには、これと同じ定価の本を5冊も売らなければならない。
 うちは6人家族だから、こういう本を一月に百冊も2百冊も売らなければならない。でも、坊やのような人が月に30人もいてごらん。うちの6人は餓死しなければならなくなる。こんな本一冊ぐらいと、軽い気持ちでやったのだろうけど、坊やのやったことは人殺しに近いんだよ。
 こう言ったあと、タキギを割っていったら、勘弁してあげるというのです。もちろん、井上ひさしは喜んで死にものぐるいでタキギを割りました。すると、おばあさんはおにぎりを載せた皿をもってきて、手間賃として7百円渡したのです。そして、そこから英和辞典5百円をとって、2百円の労賃と英和辞典一冊を井上ひさしにもたせました。欲しいものがあれば働けばいい、働いて買えないものは欲しがらなければいいという世間の知恵を手に入れた。井上ひさしは人生の師を得たのです。うーん、いい話ですね。
 本屋の万引率は2%といわれてきたが、最近は10%にもなる。店の利益は20%だから、その半分が万引でもっていかれる。これでは本屋の経営は成りたたない。そうなんですよね・・・。
 アメリカとフランスの大学入試(資格試験)の問題文が紹介されています。日本でも取りあげてみたらどうでしょうか。
 まずは、アメリカです。ここにあなたの一生を書きつづった一冊の伝記がある。その総ページ数は300頁。さて、その270頁目にはどんなことが書いてあるだろうか。その270頁を書きなさい。これまでの人生の総括と未来への展望が問われているわけです。すごい設問ですよね。私ならなんと書くのか、迷ってしまいます。次はフランスです。
 夜ふけにセーヌ川の岸を通りかかったキミは、一人の娼婦が今まさに川へ飛びこもうとするところに出会う。さて、キミは言葉だけで彼女の投身自殺を止めることができるだろうか。彼女に死を思い止まらせ、ふたたびこの世界で生きていく元気を与えるような説得を試みよ。
 この設問に対して、アンドレ・マルローは、「わたしと結婚してください」と説得するしかないと答えたのだそうです。なんともすごい設問であり、答えではありませんか。人生と社会の機微に通じていなければ答えられませんよね。
 小さな本ですが、さすが井上ひさしです。人生の知恵がぎっしり詰まっていて、苦笑、失笑、嘲笑、哄笑のうちに人生のあれこれを考えることができました。

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