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2005年12月 の投稿

再審と鑑定

カテゴリー:未分類

著者:谷村正太郎、出版社:日本評論社
 著者の古稀を記念して刑事弁護に関する論稿を集めて本にしたものです。著者と対話したことはありませんが、そのお話を聞いたことは何度もあります。誠実そのもの、謙虚な口ぶりの話に、いつも感心しながら聞いていました。
 白鳥事件と芦別事件が大きくとりあげられています。ご存知のように白鳥事件は、再審事件の門戸を大きく開いたとされる最高裁判決が出ています。でも、いま読んでみると、なーんだというような、当然のことが書かれているにすぎません。
 白鳥(しらとり)事件は1952年1月21日、札幌市内の路上で自転車に乗って走行中の白鳥警部(警備課長)が拳銃で射殺されたというものです。当時28歳だった村上国治・共産党札幌市委員長が10月10日に逮捕され、3年後の1955年8月16日に殺人罪で起訴されました。村上国治は現場にいたのではなく、殺害を指示したというのですから、共謀共同正犯です。ところが、物的証拠は何もありません。唯一の証拠が弾丸でした。白鳥警部の体内から出てきた弾丸と、札幌市郊外の幌見峠で拳銃の射撃訓練をしたときに「発見」されたという弾丸が同一のものかが問題となり、同一だとする鑑定書が出されました。しかし、その鑑定書をつくった学者は自分でしたものではないことが判明したのです。
 最高裁の1975年5月20日の決定は次のように述べています。
 「無罪を言い渡すべき明らかな証拠とは確定判決における事実認定につき合理的な疑いをいだかせ、その認定を覆すに足りる蓋然性のある証拠をいう」
 「明らかな証拠であるかどうかは、もし当の証拠が確定判決を下した裁判所の審理中に提出されていたとするならば、はたしてその確定判決においてなされたような事実認定に到達したであろうかどうかという観点から、当の証拠と他の全証拠とを総合的に評価して判断すべきである」
 「再審開始のためには確定判決における事実認定につき合理的な疑いを生じぜしめれば足りるという意味において、疑わしいときには被告人の利益に、という刑事裁判における鉄則が適用されるものと解すべきである」
 なかなかいいことを言ったのですが、それでも最高裁は結論として再審開始を認めませんでした。運動の盛りあがりに押されるようにして村上国治は17年間の獄中生活のあと、仮出獄することができました。45歳になっていました。お金に替えられない貴重な青春が奪われてしまったわけです。
 芦別事件も、同じ1952年の7月29日、北海道の根室本線の芦別駅付近で線路がダイナマイトで爆破されたというものです。被告人がつかったとされた発破器は盗まれたのではなく、土砂崩れのために埋まっていたのであり、会社はそれを発見してつかっていた。検察は、それを知っていた。したがって、被告人が犯人ではありえないことを知りながら当初の筋書きどおり起訴した、というのです。本当にひどい事件です。
 著者は刑事記録を読んでこのことを知り、それまで抱いていた裁判所に対する幻想がうちくだかれたとしています。私も、このくだりを読んで、腹がたってしかたがありませんでした。権力をもつ人間のやることは、昔も今も変わりません。決して、単に昔のこととすますわけにはいかないのです。
 それでも、そんなひどいことをした検察官の個人責任は認められませんでした。いえ、一審判決は認めたのですが、二審も最高裁も認めなかったのです。こんなことでいいのでしょうか・・・。
 先輩弁護士に学ぶべきところは大きい。それを実感させられた本でした。

鳥たちの旅

カテゴリー:未分類

著者:樋口広芳、出版社:NHKブックス
 すっごく面白い本です。私と同じ団塊世代の学者の書いた本ですが、その日頃の多大な労苦に心から拍手を送ります。その地道な研究を、このように素人にも分かりやすくまとめていただいて、心から感謝します。
 「グース」というアメリカの映画を少し前に見ました。ガンのわたりを追いかけたものです。小型の飛行機で撮影したようです。「ミクロコスモス」というフランス映画がありました。オスとメスのカタツムリによる愛撫シーンは、あまりに官能的なので鳥肌が立ち、その匂いたつエロスにすっかり圧倒されてしまいました。同じ監督がつくったのが「WATARIDORI」(渡り鳥)です。渡り鳥の生態を刻明に、超軽量飛行機に乗ってどこまでも追いかけた映像の素晴らしさには、声も出ないほど、息を呑むばかりでした。
 この本で、著者はコハクチョウに送信機をつけ、北海道からロシアへ渡るのを追いかけます。マナヅルが九州(鹿児島)から朝鮮半島そして中国・ロシアに渡るのも追跡しました。50日間で2千キロをこえる旅です。コンピューターの前にすわって、送信機からの電波を解析しながら追跡していくのです。
 サシバ(タカ類)が石垣島から東北・福島まで渡ってくる。福ちゃんと呼ぶサシバを追跡する。福ちゃんは3月17日に石垣島を出発し、4月15日に福島県白沢村にたどり着く。31日間で2900キロの旅だ。別のサシバ「新子」は新潟県を9月7日に出発し、10月13日に石垣島に到着。37日間で2271キロを移動した。
 ハチクマは長野県の安曇野を9月19日に出発し、11月9日にインドネシアのジャワ島に到着。52日間で1万キロ近くを移動した。春は2月22日に出発し、5月18日に安曇野に戻った。58日間、1万6千キロの旅だった。戻った場所は、前年とまったく同じ安曇野の同じところ。毎年ほとんど同じ日に旅に出る。カレンダーもないのに不思議だ。
 このような追跡は、鳥に送信機をつけることによって可能となる。この衛星追跡システムをアルゴスシステムとも呼ぶ。アメリカの気象衛星(ノア)を利用している。ここでもドップラー効果を利用して鳥の位置が探知される。
 鳥にどうやって送信機を取りつけるのか。送信機の重さは鳥の体重の4%以内なら影響はないとされている。重さは12〜100グラムほど。羽毛に直接貼りつけたり、テフロンリボンをつかってランドセルのように背負わせる。
 鳥が渡りをするのは寒さから逃れるためではない。鳥は定温動物なので、気温の変化にはそれほど左右されない。鳥が渡るのは、食物を十分に確保するため。
 鳥が渡るときには、太陽の位置を体内時計で補正しながら飛んでいる。夜には星座を利用するし、地磁気も重要な手がかりとしている。それにしても、秋の出発地と春の到着地がまったく同じというのは、地図情報がなくてもできることなのか・・・。
 朝鮮半島の非武装地帯は、鳥たちにとって、残された数少ない良好な自然環境である。今や鳥たちがあてにできる自然環境は激減し、鳥の生存が脅かされている。
 送信機をつける鳥をどうやって捕まえるのか。ロシアでは、大型ツル類をつかまえるには、ヘリコプターで近づき、地上2メートルから人間が飛びおりて、ツルに抱きつく方法がとられている。しかし、これは人間がケガする危険は大きい。だから、睡眠薬を利用したり、わなをつかったりする。
 衛星追跡するには、10個体200日の追跡で850万円もの費用がかかる。うーん、大変です。写真のほか、大変わかりやすいイラストがついています。楽しく渡り鳥の生態が学べました。本当に学者って、すごいですよね。

吉備大臣入唐絵巻の謎

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著者:黒田日出男、出版社:小学館
 1943年うまれの著者は海外に一度も行ったことがないそうです。本当でしょうか。
 この本は、いまアメリカのボストン美術館に現物がある吉備大臣入唐絵巻(きびだいじんにっとうえまき)を解説した本です。この絵巻には欠けているものがあると指摘し、その謎ときを試みています。読んでいるだけで、なんだか胸がワクワクしてきて、うれしくなります。目で見る絵巻なので、とても分かりやすいというのもいいですね。
 絵巻は日本の誇るユニークな美術品。有名なものだけで515点もある。源氏物語絵巻、信貴山縁起絵巻、伴大納言絵巻、鳥獣人物戯画は、四大絵巻と呼ばれているが、いずれも平安末期、12世紀ころの作品。
 吉備大臣(吉備真備)は、実在の人物であり、奈良時代の政治家・学者(693〜775年)。養老元年(717年)に遣唐留学生として入唐し、天平6年(734年)に帰国。孝謙(称徳)天皇の信任を受けた。天平勝宝3年(751年)に再び入唐し、同5年に帰国。藤原仲麻呂の乱の鎮定に功を立て、中国の文物の紹介・導入に尽力した。吉備(岡山県)の地方豪族の出身でありながら、右大臣・正二位にまでのぼった。
 この絵巻は、一人の画家が描いたのではなく、画家の工房によって制作されたものである。源氏物語絵巻もそうでした。
 絵巻は物語の進行を逆戻りさせることはない。それが絵巻表現のルールである。画家たちは、中国・唐朝の身分秩序を服装や被り物によって描き分けるだけの知識をもっていなかった。だから、それらしく中国風に描くしかなかった。
 中国の風俗を、行ったこともない日本の画家たちがいろいろ想像して描いてわけです。それにしてもよく出来ていると感心させられます。日本文化も、なかなか捨てたものではありません。楽しい絵巻の謎ときでした。

ミネラルウォーター・ガイドブック

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著者:早川 光、出版社:新潮社
 ミネラルウォーターについての実用的なガイドブックです。大いに参考になりました。
 高校生までは水道の蛇口から直接のんでいました。夏でも冷えた水で、うへぇー、鉄管ビールは美味しいや、などとふざけながらも、本当に美味しいと思って水道水を飲んでいました。私がミネラルウォーターを愛用するようになったのは、まだ10年にもなりません。今では、自宅では夏でもビールをほとんど飲まなくなり、かわってミネラルウォーターを飲んでいます。少し前までは、ビールのかわりに牛乳を飲んでいましたが・・・。年齢(とし)をとると、嗜好が変わるって本当ですね。きっと、身体が求めるのが違うのでしょう。
 2年前に中国のトルファンを旅行したとき、中国人のガイド氏がペットボトルのミネラルウォーターは必携だと再三注意していたこと、まさにこれは生命の水ですよねと言いながら、さも美味しそうに飲んでいたことが忘れられません。日本で水道水を飲んで下痢することはありませんが、外国に行くとその心配がありますから、ビールを飲むかミネラルウォーターに頼ってしまうことになります。それでも、今や日本人の47%が家で水道水をそのまま飲まないと回答しているとのことです。私もその一人です。朝おきたら、一番に前の晩のうちに昆布をコップ一杯のお湯につけたものを飲みます。
 日本ではミネラルウォーターは天然水とは限らない。日本のナチュラルミネラルウォーターは濾過・沈殿および加熱による殺菌(除菌)が義務づけられている。しかし、ヨーロッパの水は例外的に無殺菌での販売が認められている。なぜか? それは源泉の安全管理や周辺の環境保護において日本とは格段の差があるから。つまり、無殺菌で売れるほど安全だからだ。たとえば、「ボルヴィック」では、源泉の周囲5キロ以内を保護区とし、地上に建造物を建てるのはおろか、すべての地下活動も禁止して地下水を守っている。すごーい・・・。でも、それくらいするのが当然ですよね。日本がそれをしていないのがおかしいのです。
 日本人向けのミネラルウォーターが売り出されたのは1929年(昭和4年)が初めて。これは、現在の富士ミネラルウォーター。1983年(昭和58年)に売り出された「六甲のおいしい水」が一般家庭に初めて登場したミネラルウォーター。日本のミネラルウォーターは東京・大阪・福岡など、水道水に問題をかかえた地域に集中している。水道水の水質が比較的良好な名古屋では伸び悩んでいる。へー、そうなんだー・・・。
 しかし、今では水道水への不信からだけではなく、健康維持のためにも売れている。ミネラル摂取の不足、そして日本人の味覚が硬度の高い水に慣れてきたことにもよる。それでも、国民1人あたりのミネラルウォーターの年間消費量はフランスの142リットルに対して、日本はケタ違いの10リットル以下にすぎない。
 アルカリイオン整水器については、下痢や胃酸過多への効能や美容効果はほとんど期待できないことが分かっている。フランスの「コントレックス」は若い女性にやせる水として親しまれている。利尿性が高いこと、重くて渋いので胃に充足感を与えてくれ、空腹感を緩和するので、食べすぎという肥満の原因を除去してくれる。美味しいごはんを炊くには、「ボルヴィック」のような軟水をつかうべきで、「コントレックス」のような硬度の高い水だとパサパサになってしまう。
 たかが水、されど水です。安心して飲める水を子々孫々に残すのは、いまを生きる私たちの重大な責務だと思います。

蝉しぐれ

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著者:藤沢周平、出版社:文春文庫
 映画も見て、しっとりした江戸情緒を心ゆくまで堪能しました。薄暗い映画館のなかで過ぎ去った青春時代を思い起こしながら胸を熱くしました。味わい深い原作をもとに、大自然のこまやかな季節の移ろい、そして人さまざまの生き方が見事に描き出されています。
 陽炎のたちのぼる炎暑の坂道にさしかかり、父の遺体を汗だくになって必死に運ぶ文四郎。それを手伝おうとして隣の娘ふくが坂の上から駆けおりてくるシーン。黄金の稲穂が風に揺れる風景。水田に入って作柄の様子を調べている見まわり役人の苦労。雪をいただいた、威厳すら感じさせる堂々たる山並み。何かしら胸の奥につきあげるものを感じます。いかにもニッポンの原風景です。山田洋次監督の映画「たそがれ清兵衛」にも美しい情景と鮮やかな殺陣に魅せられてしまいましたが、同じ藤沢周平が原作でした。
 凛とした、張りのある美しい女優さんに強く魅せられました。憂いのある微笑みがアップでうつしだされると、ほかには何も目に入りません。まさに至福のひとときです。
 海坂(うなさか)藩普請組の軽輩・牧文四郎の父は藩内部の抗争に巻きこまれ、突然、切腹を命じられた。文四郎はその子どもとして苦難の道を歩みながら大きくなっていく。そして隣家に住む幼なじみの少女ふくは江戸にのぼる。やがてお殿さまの手がつき、側室となって郷里に帰ってくる。
 剣の道をきわめた文四郎に側室の子どもを奪う命令が下る。そこへ刺客たちが乱入し、側室と殿の子どもの命が狙われる。文四郎の殺陣まわりは迫真のものがあります。日本刀で人を斬ると血が人間の身体から噴き出し、刀はこぼれて使いものにならなくなります。斬り合いがいかに大変なことか痛感しました。
 そして20年後、文四郎は殿様と死別した側室ふくに呼び出され、久しぶりに再開します。静かな屋敷で、並んで庭を眺めながら話します。
 「文四郎さんの御子が私の子で、私の子どもが文四郎さんの御子であるような道はなかったのでしょうか」
 「それが出来なかったことを、それがし、生涯の悔いとしております」
 「うれしい。でも、きっとこういうふうに終わるのですね。この世に悔いを持たぬ人などいないでしょうから。はかない世の中・・・」
 原作と映画では、このあたりが微妙に異なっています。原作は、この会話のあと何かが起きたことを暗示していますが、映画の方はあっさりしたものです。どちらがありえたのか・・・。私は原作を選びます。でも、映画の方がいいという人も多いことでしょうね。
 ふくを見送る文四郎を、黒松林の蝉しぐれが耳を聾するばかりにつつんで来た・・・。
 そうなんですよね。みんな青春の淡く、ほろ苦い思い出があるものなんです。

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