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2005年12月 の投稿

インターネットは僕らを幸せにしたか?

カテゴリー:未分類

著者:森 健、出版社:アスペクト
 IT企業につとめる社員が1日に受けとるメールは300通。これだけのメールを読まないと、中間管理職として怠慢だと非難される。しかし、メールが来るたびに読んでいると思考が中断され、まとまって考えることなんかできない。
 メールは考えずに勢いで返すのが基本。そうじゃないと非難される雰囲気がある。
 中高生の世界も同じ。1日に100通以上の携帯メールをやりとりする。即レスが基本だから、肌身離さない。これは、半強制的な拘束力をもった受動的な行動なのだ。すぐに返信しないと嫌われてしまう。ヒステリックなまでの携帯メールの執着は、そんな危機感によって駆りたてられている。これでは、ノイローゼにならない方が不思議だ。
 著者が1日に受ける迷惑メールは300通。その8割は海外、2割がウィルスメール。マイクロソフト社のビル・ゲイツ会長に送られる迷惑メールは、なんと1日400万通。NTTドコモのアドレスに送られる宛先不明のメールは1日9億通。迷惑メールの対策のため年間30億円をつかっている。累計では500億円をこえている。もはやウィルス対策は、すべての操作の前になすべき必須の作業。まずはじめにリスク管理があり、その先にネットの利用がある。これが今や常識。
 検索エンジンは、ヤフー、グーグル、MSNで8割以上を占めている。とりわけグーグルが注目されている。ビジネスの世界では検索エンジンの上位にあがると、収益の伸びにつながることが証明されている。
 いまや検索エンジンは、思考を拡大再生産的に増幅させる強力なメディアであり、実は思考を統御する仕組みさえ内在している。検索結果が上位に表示される情報によって、ユーザーは常に画一的な方向に導かれる可能性がある。検索結果で小さいものは、たとえ有用な情報であっても、この仕組みのなかでは検索サイトから表示されにくい。
 ウェブ機能の進化は民主主義にとって危険な徴候となりうる。なぜか?
 「6次の隔たり」という言葉がある。この世界は、わずか6人の間をつなぐことで60億人をこえる世界の人すべてと結びついてしまう。もし、自分に50人の知人がいて、その知人に50人の知人がいたら、自分から2人目となる人数だけで2500人となる。同じ繰り返しで50倍を重ねたら、6人目に広がる数は150億人をこす。
 パーソナリゼーションが極度に進んでいくと、自分が知りたい情報だけしか摂取しなくなる。特定の関心をもつスモールワールド的な集団が多数できると、その輪のなかでの情報密度は増すが、雑多で広氾な情報共有ができなくなる。ユーザーが個人の嗜好にそった消費者的な志向を強めることによって、本来、市民がもつべき自由の権利をも失っていく。
 インターネットの特徴は、嘘の噂をバラまくこともできれば、偽善を暴露することもできることである。だが同時に、信用できそうな情報を膨大な数の人に送れることは、恐怖、誤解、そして混乱の元凶にもなりうることを意味する。それは民主的な目標をはじめ多くの社会目標を脅かすものである。
 むむむ・・・、便利さの裏にひそむ怖さを改めて思い知らされました。それにしても、私のこのブログにトラック・バッグを設定してくれている方々には、いつも感謝しています。毎日、今日はどんなトラック・バッグがついているのかなと楽しみに見ています。どうぞ、トラック・バッグをたくさんつけてください。よろしくお願いします。

韓流インパクト

カテゴリー:未分類

著者:小倉紀蔵、出版社:講談社
 いつも切れ味の鋭い著者の論評には感嘆しています。今度の本も、なるほど、そうなのかー・・・と、ついうなずいてしまいました。
 韓国のGDP(国内総生産)は、日本の10分の1で、神奈川県と千葉県とをあわせたほどの経済規模。それにしては日頃、意外に大きく感じてますよね。とくに三星(サムスン)が世界一になったというのを聞いたりしていますと・・・。
 著者は、ルック・コリアは3度目だと指摘します。
 日本が朝鮮半島に学んだ時期は、これまでに2度あった。1度目は古代の国家創成期。朝鮮半島からの渡来人は、古墳時代の阿知使主(あちのおみ、5世紀初め)、王仁(5世紀初め)、弓月君(5世紀初め)、6世紀の五経博士、易博士、暦博士、医博士。飛鳥時代の恵慈(えじ、595年来日)、恵聡(えそう、595年来日)、観勒(かんろん、602年来日)、曇徴(どんちょう、610年来日)などなど。
 2度目は、16世紀から江戸時代にかけて、朱子学を中心とした儒学や陶磁器づくりなどを学んだ。とりわけ、朝鮮の李退渓(イテゲ、16世紀)は、日本の朱子学に深い影響を与え、日本の儒者たちから尊拝されていた。
 日本の「冬のソナタ」などにみられる「韓流」は大変な経済効果をもたらしている。それは、1430億円にものぼり、韓国のGDFを0.18%押し上げた。韓国への観光客の8割が日本人である。
 ところで、「冬のソナタ」は、その外見上の純粋性にもかかわらず、内実は日本や外国の多様な作品からの引用によって始めて可能となった作品であり、その意味で制作方法論としては雑種性、越境性が強調されるべき作品である。
 主人公チュンサンはユジンにこう語った。
 道に迷ったときは、ポラリス(北極星)を探してごらん。いつも同じ場所にあるから。
 日本では、このポラリスという言葉になじみがない。しかし、韓国社会はポラリスという言葉を大変好む。その背景には儒教がある。儒教でもっとも重要な星が北極星なのである。だから、チュンサンは特別なことを言ったわけではない。ドラマの脚本家は若い女性2人だったが、ポラリスは若い女性でも知っている日常的で常識的な言葉なのである。その言葉が日本では衝撃的だったし、新鮮に映った。ふむふむ、そういうことなんですね。
 韓国の市民運動は著しく中央志向、政治志向であるし、韓国においては「左翼」だからといって「反愛国」「反愛族」ではなく、根っからのナショナリストである。いわば民主と愛国が強固に合体しているのが韓国の市民運動なのである。
 韓国は、儒教・ナショナリズム・ミリタリズムという戦後日本の左翼がもっとも忌み嫌ったものがセットになってそろっている国である。この三点セットがそろって初めて韓国という社会が成り立つのであって、ひとつでも欠ければ韓国のダイナミズムは弱体化する。
 儒教社会では、科挙によって選抜された有能な官僚が政界を支配する。すなわち、実力があれば若者でもどんどん出世できるのである。科挙に一番で受かった若造が一気に中央官庁の局長クラスに抜擢されるということもある。朝鮮王朝でも、重要な思想上の論争の担い手は20代の若者が多かったし、20代で大臣クラスになった若者もいた。儒教で年寄りを大事にするというのは、この激烈な競争社会における弱者救済の一手段であることを理解すべきである。
 うへぇー、そうなのかー・・・、ちっとも知りませんでした。昔からそんなに激しい競争社会だったんですね。ところが、そんな韓国の若者が日本人化しているというのです。
 学生が団体行動をしなくなった。飲み会をしても学生達はあまり現れなくなった。MT(メンバーシップ・トレーニング)に参加する学生が激減してしまった。学生同士の紐帯た弱くなったと同時に、これまでよく守られてきた垂直的な人間関係における秩序と礼儀も崩れかけている。こうなっているんだそうです。
 韓国は弱肉強食の社会、徹底的な競争社会である。しかも、学歴が唯一の尺度になってしまっている。それを補填するものとして血縁や地縁のネットワークがある。しかし、勝者と敗者とがはっきり分かれる社会である。この歪みを補うものとして宗教的な相互扶助と救済・祈福がある。だからこそ、宗教の力は韓国社会では絶大である。
 要するに、韓国社会とは、新自由主義と儒教および諸宗教が合体した社会だと思えばいい。社会福祉が整備されていないため、人々の情と神の救いが頼みの綱なのである。だから社会が不安定になればなるほど、情と信仰は強くなる。
 うーむ、このように分析されると、それならまるでアメリカ社会と同じで、日本人としては単純にルック・コリアと叫んで真似するわけにはいかないということになります。
 閑話休題。今日は私の誕生日です。でも、この年齢になると子どものころと違って、誕生日といってもうれしくなんかありませんよね。1日1日を大切にしたい。健康で、冴えた(スッキリした、という意味です)頭をたもって、たくさん本を読み、おおいに本を書いて出版したいと考えています。親友の書いた「清冽の炎」第1巻、買っていただきましたか。本屋で見かけなかったら、花伝社に注文してくださいね。なにとぞよろしくお願いします。

ようこそ、と言える日本へ

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著者:土井香苗、出版社:岩波書店
 東大法学部の3年生が司法試験に合格し、アフリカのエリトリアに司法制度づくりの支援に行ったというのは新聞を読んで知っていました。たいしたものだ、すごく勇気があるなと驚いたことを覚えています。
 彼女が弁護士になってから、福岡の迫田弁護士から親友ですと紹介されて挨拶したこともあります。フツーの女の子なんだなと、そのとき思いました。いかにも才媛という感じではありませんでした。
 大学3年生で司法試験に合格するということは、入学してからずっと真面目に法律の勉強をしていたんでしょうね。でも、勉強のあいまにはピースボートのボランティアスタッフもしていたというのです。偉いものです。
 人口420万人のエリトリアはエチオピアに併合され、支配されてしまいました。もちろん、独立運動が起きます。激しい弾圧をはねのけ、ついに1993年に独立することができました。そこに押しかけて、彼女はエリトリアに検察組織をつくりあげるために世界の法体系を調査する仕事に没頭したのです。
 この本には、彼女がなぜ「いい子」でいたのか、ずっと勉強してきたのかも赤裸々に描かれています。両親は家庭内離婚状態で、母親からは女は資格がなければ生きていけないと叱られてばかり。ホンネを隠して、表面上は「明るくて楽しい土井さん」という仮面をかぶっていたというのです。母の怒りに触れずに安全でいるには「いい子」でいるしかない、勉強して学校の試験でいい点をとるほかにやるべきことがない。このように書かれています。実に寒々とした情景です。彼女が大学2年生、妹はまだ高校2年生のときに、母のもとを2人して家出してしまいました。すごーい、感嘆のあまり声が出ません。
 家出して2ヶ月後の短答式試験に合格し、論文試験そして口述試験にも続けて合格したといいますから、そのガンバリたるや、ちょっとやそっとのものではなかったでしょう。それでも、当時の私は20年間の人生のなかでもっとも気持ちが前向きだった、というのです。死にもの狂いだけど、夢をもっていたということなのでしょう。うーむ、なかなか並みの人にはできないことですよね。
 弁護士になってから、日本にいる難民の救援活動に取り組みはじめます。そうなんです。日本は外国人の人権にものすごく冷淡なのです。外国人労働者を利用しても、その生活や権利なんか知らない。これが日本の政府の考え方です。裁判所も、政府の考え方に追随するばかりでしかありません。そこを難民支援の人たちと弁護団が、まさに不眠不休で活動するのです。彼女らこそが日本人の良心だ、読みながらそう思いました。
 彼女の結婚式のときの写真があります。アフガニスタンから逃れてきた難民の1人が花束をもって駆けつけ、お祝いをしてくれたのです。
 日本には外国人労働者が76万人いて、そのうち24万人が在留資格をもたない外国人労働者が底辺から日本経済を支えてきていた。一方で必要として利益を享受しておきながら、一方で「存在してはならない人」として人権をまったく保障せずに取り締まるだけ。このような日本は偽善社会ではないか。土井弁護士は厳しく問いかけます。
 イラクで3人の日本人が拘束され、解放されたとき、日本の政府とマスコミは自己責任論をぶちあげて非難しました。このとき土井弁護士たちは、それは違うじゃないのと叫んで救援に立ちあがったのです。私も、あの異常なバッシングには怒りを覚えました。日本からアメリカの言いなりになって自衛隊がイラクへ行ったので、彼ら3人は拘束されたのです。悪いのは自衛隊を派遣した日本政府だ。私はそう思っています。
 若くして司法試験に合格し、ビジネス・ローヤーになって何千万円、何億円という大金を扱い、人権擁護とかそんなことは一瞬も考えたことがない。そんな弁護士が増えているなかで、土井弁護士は貴重な存在だとつくづく思いました。彼女のあとに、大勢の若い人が続いてくれることを期待しています。なによりそこには正義があり、自分をも独立した人間として解放してくれる場があるのです。

うつ病を体験した精神科医の処方せん

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著者:蟻塚亮二、出版社:大月書店
 団塊世代の精神科医です。自らもひどいうつ病にかかり、いっそ死んだほうが楽だと思うような日々が2年ほど続いたそうです。青森県の病院で長く活動してきましたが、今は沖縄に移住しています。沖縄の方が住みやすいのでしょうね。
 うつ病は7人に1人が生涯のうちに1回はかかる病気とのことです。私の親しい弁護士が最近よく眠れないとこぼしていました。夜中に一度目が覚めたら、ずっと眠れず、明け方になって寝入るので、結局、朝は9時まで布団の中にいるというのです。それはきっとうつ病だよ。彼の症状を私から聞いた別の弁護士が即座に診断を下しました。さもありなんです。うつ病の症状のひとつが眠れないということだからです。
 頼まれると断れない性格。仕事にみる精力性・熱中症。これがうつ病に結びつきやすい。
 うつ病は時間をかければ、必ず回復する。著者はこのように断言しています。ただし、治るということの真意は、病気になる前の状態に復することではなくて、肩から力を抜いてもっと楽な生き方に変わることに他ならない。
 うつ病は、家庭や職場、学校などの環境要因と、必要以上にくよくよしたりする性格などが反応しあって発病する。性格だけでうつ病になるのではない。
 身体が、癌の存在をうつ病というサインによって警告することがある。これを癌による警告うつ病という。まだ気づかれていない癌が体内にあるときにうつ気分が持続する。
 末川博博士は色紙にこう書いた。20歳までは他人様に育てられ、20歳から50歳までは他人様のために生きる。50歳を過ぎたら自分のために生きる。
 本当にそのとおりだと私も思います。私も、自分でも信じられませんが、あと3年で還暦を迎えます。ですから、自分のために生きることをますます優先したいと考えています。
 うつ病は心の風邪だと言われることがある。しかし、うつ病のつらさは独特である。悲観的な気分が全身を締めつける。
 切れる刀は折れやすい。
 悲しむ能力こそ真に人間らしい能力だ。
 うつ病になるともっぱら絶対化してしまい、相対化という視点が乏しくなる。
 家庭のなかで習慣化されたものをもっている人の精神衛生は安定している。
 私にとって、それは子どものとき以来の雑巾がけです。家中を雑巾がけすると、すっきりした気分になります。そして、夏でも冬でもシャワーをあびるのです。おかげでめったに風邪をひきません。もっとも、週一回の水泳を続けていますが、これも皮膚を鍛え、心身によいようです。1回30分間、自己流のクロールで1キロ泳ぎます。全身運動ですから、無心に泳ぎながら、全身を点検します。どこか調子が悪いと30分間はとても泳げません。30分のあいだ泳げたら、まだ大丈夫だなと自信がつきます。毎週、人間ドッグに入っているようなものです。
 日曜日に朝寝すると、月曜日によけいに辛くなる。だから、日曜日も早く起きる方がよい。そうなんです。私は1年中、朝は7時に起きることにしています。若いころは、私も日曜日は布団のなかで、いつまでもぐずぐずしていました。でも、今では、日曜日は朝早く布団から出て、さあ今日一日は自分の時間だ、そんな楽しい気分で動きはじめます。
 人はなぜ自殺するのか。この問いに対して、著者は、それは今よりも、もっとよりよく生きたいからだ、と答えています。うーむ、そうなのかー・・・、と思いつつ、この答えがもうひとつよく分からないでいます。もっと深く考えてみる必要があるようです。
 いろいろ考えさせられる、いい本でした。

離れ部屋

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著者:申 京淑、出版社:集英社
 現代韓国文学を代表する「自伝的」長編小説。オビにはこのように書かれています。
 不思議な余韻が心に残る気のする小説です。私にはとてもこのような文章は書けません。
 私は16歳の少女。パク・チョンヒ大統領の時代。ここは済州島。維新体制と緊急措置の撤廃を求める声がみちあふれている。
 ソウルへ兄を頼って少女は上京する。職業訓練院を経て電機会社の女工として働き始める。低賃金で無権利状態のなかで労働組合が結成され、誘われて組合員になる。しかし、やがて組合の支部長を裏切って学校に通うようになる。そして、念願の小説を書きはじめる。それがマスコミに注目され、インタビューを受ける。
 16歳の少女と、それから20年たって小説を書いている私とが交互に登場してきて、過去と現在の言葉が矛盾を感じさせないまま、見事な織物のようにつむぎ出され、読み手をアナザーワールドへとぐいぐいと引きずりこんでいくのです。実に不思議な感触です。時代背景もしっかり書きこまれています。たとえば、光州事件、ソウルでのデパート崩壊事件なども織りこまれています。
 18歳になり、19歳になった。私は書きつけていった。
 夏にこの家へ来ると、決まって食べたくなるものがあった。お芋のツルの皮をいちいちむいて、キムチのように漬けたものと、タニシ入りの味噌チゲ。
 身体の記憶力は、心の記憶力よりも穏やかで冷たく、細やかで粘り強い。気持ちよりも正直だからだろう。
 さあ、ためらっていないで飛び立つのよ、あの森の中へ。目の前に立ちふさがる稜線を越えていくのよ。はるかな夜空のもとで、星を目ざして高い木々の枝々で艶やかに眠るがいい。
 年々歳々、忘れることはないだろうから、いつかふたたび、新しい文章になって戻っておいで。
 最後に、著者は日本の読者のみなさんへ、という言葉を寄せています。
 小説というのは、互いに知らぬ者同士の間をたゆたいながら流されていく、帆船のようなものだ。その帆船に乗っているのは人間の物語である。
 ふむふむ。なるほど、そう、そうなんですよね、。どこに流されていくのか、よく分からないまま、みんなたゆたいながら流れていっているわけです。それを文章にして、元いた場所に戻っていき、また、現代にかえって、さらに生きていきたい、私もそのように痛切に願っています。

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