法律相談センター検索 弁護士検索
2005年11月 の投稿

隠蔽捜査

カテゴリー:未分類

著者:今野 敏、出版社:新潮社
 東京は霞ヶ関に君臨する警察庁内部では、キャリア組の高級官僚同士が日々、醜い出世競争をくり広げている。その様子を背景とした小説です。
 官僚の世界は、部下であっても決して信用してはならない。官僚の世界は常に四面楚歌。
 20代の半ばで警察署長になる。部下のほとんどが自分より年上だから痛快だ。親のような年齢の部下がぺこぺこと頭を下げてくる。署長の経験を積むと、県警本部の役職が回ってくる。そして、いかに早く中央の警察庁に戻ってくるかが、出世の一つのバロメーターになる。キャリア組は出発の時点から、退官まで出世競争を強いられる。
 テレビでも新聞でも、本当に大切なことは報道しない。事件報道でも、警察が発表したことだけを報道する。政治に関していえば、もっと極端だ。本質は常に隠されている。国民はさまざまなブームに踊らされ、大切なことから目をそらすようにコントロールされている。うーん、本当にそうなんですよねー・・・。
 かつては日本国内で拳銃は特殊なものだった。しかし、80年代から事情が変わった。中国あたりから、トカレフのコピー銃などが大量に出まわりはじめた。今では、暴力団の3人の1人が拳銃をもっている。かつてのように拳銃は珍しいものではなくなった。うーん、恐ろしい世の中になってしまいました・・・。
 警察官が事件の犯人だったことが判明します。世間の目を恐れて何とか隠し通してしまおうという幹部と、早いところ明らかにした方がかえっていいという幹部とが対立します。これを読んで、すぐに國松長官を思い出しました。警察庁長官の狙撃犯とされた小杉巡査は、いったいその後、どうなったんでしょうか・・・。
 キャリア組で出世コースに乗る警察官僚の息子が受験の挫折から覚せい剤に手を出してしまいました。そのことを知ったとき、親としてどうしたらよいか・・・。こんな難問をおりまぜて話は展開していきます。たしかに、なかなか読ませます。新境地を拓く警察小説だというのも、まんざら嘘ではないでしょう。

吉野ヶ里遺跡

カテゴリー:未分類

著者:七田忠昭、出版社:同成社
 吉野ヶ里遺跡には何度か出かけました。今ではかなり整備されていますので、1989年の衝撃のデビュー当時の、いかにもにわか仕立ての発掘遺跡めぐりとはがらり様子が変わっています。すこぶる頑丈に想像復元されています。どれほどの科学的根拠があるのか素人の私には分かりませんが、なるほど当時はそういう状況だったのかと、ビジュアルに理解できて助かります。年に50万人もの見学者が訪れるそうです。私も知人が来たら、九州の観光地として、阿蘇と並んで吉野ヶ里を見ることをすすめています。ともかく、ペンペン草のはえるような工業団地になんかしなくて本当に良かったと思います。
 たくさんの甕棺墓があります。首のない人骨が入っていました。そのころにも、戦争があったのでしょうか。弥生時代のお墓が3300基もあるというのですから、半端な数ではありません。吉野ヶ里は、まだまだ発掘途中ですので、今後がますます楽しみです。
 この本には発掘直後の様子と復元後の現状とが写真で対比させられていますので、よく分かります。やはり素人は現地を見ただけでは、その意義がよく分からないのです。
 壮年女性の人骨の両腕にイモガイ製腕輪がありました。右腕に25個、左腕に11個もあったのです。このイモガイは、奄美大島より南でしかとれないものです。
 中国の新時代の銅貨「貨泉」も1枚発見されています。さらに銅鐸が出土して、世間の注目を集めました。また、さまざまな織りの絹布や繊細な大麻布が出土しています。これらは染色もされていました。縫製技術まであったのです。このことは、特別な身分の人々が存在したことも意味します。
 本書は、最後に、大胆にも吉野ヶ里遺跡は邪馬台国の有力な候補地の一つとしてクローズアップされるべきだとしています。九州説の私も、まさかとは思いますが、現地に立つと、あながち考えられないわけでもない、そんな気がしてくるのです。
 もし、これを読んだあなたがまだ一度も吉野ヶ里遺跡の現地を見たことがないのなら、あなたに古代日本を語る資格があるのか、私は疑問を呈したいと思います。さあ、一刻も早く現地に駆けつけましょう。

隠居の日向ぼっこ

カテゴリー:未分類

著者:杉浦日向子、出版社:新潮社
 著者による見事な、ふっくらとした挿し絵が付いていますから、江戸の風情を目でも味わいながら洒脱なエッセイを楽しめました。
 月代(さかやき)というのは、江戸時代の武士の頭部にある、頭頂部を剃るものです。これは、戦国期に、兜を被ったときのムレによる、のぼせを軽減するためのものでした。平和な江戸時代にも、男子たるものの覚悟の証しとして、その風習が残ったのです。
 江戸時代、ほとんどの人は鍵とは無縁の生活をしていました。外出して家を空けるときも近所の人に一声かけるだけでした。大きな家では留守番をたのみます。夜、寝るときは寝込みを襲われないように戸締まりはしていましたが・・・。
 鍵は、おもに蔵か銭函のものでしたから、鍵を持つ人とは、金持ちか信用の厚い人の代名詞だったのです。ふーん、なるほど、そうだったのかー・・・。
 肥後守(ひごのかみ)。私にも、もちろん覚えがあります。筆箱には必ず入っていました。今では学校の持ち物検査で見つかったら先生に取りあげられてしまうのでしょう。でも、私たちのときには、子どもたちの必携品のひとつでした。なまくら刀でしたが、それで工作をし、鉛筆を削っていました。
 この本を読んでもっとも驚いたのは、江戸時代には、耳掻きもひとつの生業(なりわい)になっていたということです。金の耳掻き、銀の耳掻き、竹の耳掻きの三種があって、それぞれ値段がついていました。
 金の山、銀の山、お宝掘りましょ、竹もすくすく伸び栄えます。
 こんな文句を調子よく言って、路地路地を歩いていました。おっさんの仕事です。美女ではありません。掘った耳垢を披露するのですが、かねて用意の松脂(まつやに)の削り屑をまぜて立派な耳垢にして示すのです。
 ホホウ、これはこれは、見事たくさん掘りあてました。津々浦々、評判きこえわたり、お家繁盛、代々万栄、きっと間違いありますまい。こうやって褒めそやしたそうです。
 お茶の子さいさい、という言葉の意味も知りました。江戸時代の食事は1日7回ありました。おめざ、朝飯、茶の子、昼飯、おやつ、夕飯、夜食。
 茶の子はおやつと同じで、菓子そのものも指し、お茶の子さいさいとは、菓子をつまむように手軽なことをいいます。
 私より10歳も若い著者ですが、残念なことに本年7月、病死されました。漫画家としてデビューし、江戸風俗をテーマとしたエッセイなどがあります。本当に惜しい人をなくしてしまいました。

サラ金トップセールスマン物語

カテゴリー:未分類

著者:笠虎 崇、出版社:花伝社
 中央大学法学部を卒業して、大手サラ金に入社し、不動産担保ローン部で2年4ヶ月のあいだ働いた体験記です。経歴を隠して潜入したのではありません。会社からは新卒が来たといって、新人教育も受け、大事にされたようです。無担保・無保証・小口貸付のサラリーローンとは違って、不動産を担保にとる大口の融資ですから、同じサラ金といっても、かなりの違いがあります。
 それでも、2年あまりのサラ金会社に勤めた体験が活字になるというのは貴重です。私のようにサラ金問題にとりくむ弁護士にとって、大いに勉強になりました。
 サラ金は、ほんとは悪いもんだけど、必要なもんなんや。しばらく仕事を続けていくと、オレの仕事って、社会の役に立っているんだろうかと思うかもしれん。だけど、金貸しは社会に必要なんや。タバコといっしょで、サラ金は必要悪なんや。
 私もそのとおりだと思います。高利貸しをなくそうというスローガンを叫ぶ人がいますけれど、それは売春をなくせというのと同じで、かなり無理があると思います。(念のために言っておきますが、もちろん私は売買春はなくすべきだと考えています。ただ、世界の現実は、スローガンを叫んでいたらいつかなくなるという単純なものではないということを言いたいのです。その点、誤解のないようにお願いします。同じことは高利貸しについても言えます。人間の欲望をみたす手段のひとつとして金融業が発達してきているのですから、単純になくせと叫ぶだけでは実現不可能だと思います)
 私は、サラ金を必要悪だということで肯定もしません。隣りに暴力団が住んでいるのと同じで、私個人は暴力団がなくなったらいいと思いつつ、暴力団やサラ金の撲滅運動に加わりたくはありません。サラ金は決して必要なものではありません。こんなものない方がいいに決まっています。昔は質屋はあっても、サラ金はなかったのです。もちろん、クレジットカードもありませんでした。パチンコ屋が繁盛しているのと同じで、サラ金が隆盛をきわめているのは、日本人の日常生活と文化の貧困を示しているものだと考えています。
 金融業の鉄則は性悪説。人を疑うことからはじめる。客の言ったことを、一つ一つ疑ってかかっていく。まずは疑ってかかること。自分で確認したものしか信じないこと。それが金融業の基本だ。
 会社の成績が悪いやつに限って残業したがる。成績があがらないから残業代で稼ぐ。遅くまでやっているのは、仕事ができない人間だ。仲良くない集団っていうのは、一人、その集団の中にいじめの対象をつくる。すると、他のみんなはうまくいく。弱い者をいじめるという共通の話題をつくっておけば、お互いに干渉しあわないですむ。
 サラ金は、貸すときは若い女性を窓口に立て、その管理は若い男性店長がして、取立はまとめて取り立てセンターで熟練の社員がやるというシステムだ。
 客っていうのは卑怯なもの。いざ契約となったら迷ったりとかして、営業担当者の同情をひこうとする。そこで優しい言葉をかけたら、あとが大変になる。あとで返済が遅れて、きっといろいろ言い出す。
 客との駆け引きは恋愛みたいなもの。ただ相手に気に入られようとして、いいことばかり言ってもダメ。ときには怒ったり突き放したり、相手をじらす。でないと、相手は高飛車になる一方。客がどうしても必要なのはお金。だから絶対にそのうち戻ってくる。
 取り立てするときは、自分じゃない別の人間になりきる。取立の極意は、役者になりきれるかどうか。のっけから喧嘩ごしというか脅し口調で迫る。
 おい、あんた。何ふざけたまねしてるんや。オイコラ、ちゃんと聞いてるんかい・・・。おたく、なめとるんかい。仏の顔も三度までやで。家財道具でも売って身辺整理しておきなはれ。
 電話が終わったら、演技は終わりだと切り替えて、普通の自分に戻る。そうしたら、自分が嫌な電話をかけたとは思わないから。演技だから、多少おおげさでもいい。自分を捨てて、役になりきる。
 大事なことは、返済の遅れを、こっちはものすごく気にしているということを相手にきちんと伝えること。返済が遅れている客には毎日必ず連絡をとること。取り立ては暴力というより、心理戦というか頭脳戦。自分が貸したお金だと思って回収にあたることが大切。
 うーん、そうなんだー・・・。やっぱり、どこの世界でも極意があるものなんですね。

弁護士の仕事術・論理術

カテゴリー:未分類

著者:矢部正秋、出版社:成美堂出版
 著者の「国境なき弁護士たち」を読んだことがあります。国際的に活躍する渉外弁護士と、地方をはいずりまわる「田舎」弁護士との違いこそあれ、本質的には変わらないんだと感銘を受け、私の本(「法律事務所を10倍活性化する法」)にも引用しました。
 弁護士として30年間、国際ビジネスに携わってきた著者は、弁護士にもっとも必要なのは人間学であると喝破します。まったく同感です。私も弁護になって30年以上たちましたが、相変わらず法理論の展開には自信がありません。とくに、最近のように次々と新法が出来て、法改正がすすむと、まったくお手上げです。それでも弁護士としてなんとかつとまるのは、それこそ年の功で、いささか人間を見る目ができ、大局感が少しは身についたと自負しているからです。
 トイレで用を足しながらケータイをつかっている若者やビジネスマンを見かけた。彼らは自分のもっともプライベートな時間まで、他人の干渉を許している。自分ではケータイをつかっているつもりなのだろうが、これではケータイに使われているだけで、自分というものがまったくない。
 ケータイを多用する人は、一種の躁状態にある。外部から注入される情報を無批判に受け入れ、自分で考える余裕もなくアウトプットする。多くの場合、それはジャンク情報を入手し、出力するにすぎない。饒舌は人を愚かにする。ケータイはなるべく使わない。
 実は、私も同じなんです。ケータイは一応もっていますが、一日に1回つかうかどうかです。ケータイはあくまで私から事務所へかけるためのものなのです。最近では裁判所にも公衆電話がないようになりましたから、ケータイがないと不便です。相手方との交渉のときにも自分のケータイはつかいません。自宅にまで電話があったら嫌だからです。そんなときには、わざわざ公衆電話を探しに出かけます。駅のほかにはコンビニにしかないようになって、本当に困っています。
 自分に制御できることと、できないこととを峻別する。これができれば、少なくともあせりの感情からは解放される。人は制御できないことをコントロールしようとするから、心を乱す。うーん、そうなんですよね。でも、これって、言うは易く、行うは難し・・・です。だけど、大切なことですね、うん。
 危機に直面したら、現状を把握し、対策を考えることが大切。過去のいきさつを批判する余裕なんかない。ふむふむ、そうなんだー・・・。やっぱり、どう打開するか前向きの発想に切り替えるしかないんですね・・・。
 人間の頭は複雑な思考をするようにできてはいない。それを補うにはメモが効果的。メモをとることは思考過程を目で見ること。考えの道筋を目でたどれるから、洩れも簡単に発見できる。見落としていたポイントにも気づき、常に現実的な思考に立ち戻ることができる。また、メモにはカタルシス効果(吐き出し効果)もある。つまり、メモをとることで、感情の揺らぎを吐き出して緩和し、理性的・論理的に考えることができる。
 私も絶えずメモ帳を持ち歩いています。自動車運転中にはっと気がつくことがあります。そんなときには、信号待ちのときにメモに書き込みます。助手席のすぐ手の届くところに、メモ用紙とペンを必ず置いています。
 文章は自分の分身である。効果的にアピールするには、必ず読み手を念頭に置くこと。
 これは私の胸にグサリとくる文章でした。私も、読み手を念頭において書いているつもりなのですが、つい、時間がないから、などの弁解とともに自分のひとりよがりを書いてしまい、反省しています。
 相手の小さな「間違い」を気にする人は、実は本人の精神が不安定なのだ。
 これは、けだし名言だと思いました。私もゆとりがないときには、相手のミスをあげつらうことがあります。でも心がゆったりしているときには、私はこんな間違いはしないようにしようと、ゆとりをもって接することができます。それにしても、この世の中には、なんと威張りちらす人が多いのでしょう。驚きますね。レストランでも、飛行機に乗っても、大声を出したり、ふんぞりかえって命令口調で指図する人が大勢います。そんな光景を見ると、きっとこの人は小さいときからよほど大切にされてこなかったんだな、お気の毒に・・・、とつい同情してしまいます。かといって、そんな人の味方をするつもりは決してありません。
 国際弁護士は、6分間きざみでタイム・シート(業務日誌)をつけなければいけません。1ヶ月に200時間も依頼者に請求するのです。30代の弁護士が年間3000時間も働いているというのに驚いたそうです。まったく考えられない長時間労働です。土・日も休まず、夜は事務所近くのホテル止まりというのです。これでは人間がこわれてしまいます。
 著者は、仕事で徹夜したことは一度もないとのこと。私もそうです。これまで徹夜したのは高校生のとき受験勉強中に実験的に1度したことと、大学生のとき合宿のときに1度あるだけです。翌日、まったく頭がまわらないので、合理的でないと思ってやめました。
 日頃の生活を見直すうえでも役に立つハウツー本です。

福岡県弁護士会 〒810-0044 福岡市中央区六本松4丁目2番5号 TEL:092-741-6416

Copyright©2011-2025 FukuokakenBengoshikai. All rights reserved.