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2005年7月 の投稿

パレスチナから報告します

カテゴリー:未分類

著者:アシラ・ハス、出版社:筑摩書房
 パレスチナに住む生粋のユダヤ人女性ジャーナリストのレポートを本にまとめたものです。情景描写が生々しく、いかにも不条理な暴力がパレスチナでは日常的となっている様子が報じられていて、胸をうちます。
 イスラエルの兵役制度は、男子が18歳から29歳までに3年間、女子は18歳から 26歳まで21ヶ月の兵役義務がある。ただし、ユダヤ教徒は義務であっても、キリスト教徒とイスラム教徒は志願制。
 多勢のパレスチナ人の若者が自爆攻撃を実行したが、さらに何十人もの若者が実行者になる順番を待っている。だから自爆テロを終わらせたいなら、なぜ、多くのパレスチナ人がそれを支持するかという問いをたてねばならない。人々の支持がなければ、パレスチナ人の組織はあえて自爆攻撃者を送り出し、予想されるイスラエル側の規模拡大につながる応対を招くようなことはしないはずだ。
 つまり、できる限り迅速に、より大きな武力をつかって、より多く殺して苦しめることが、相手に教訓を与え、相手の計画を未然に防ぐことになるという概念は完全に間違っている。
 うーん、そうなんですよね。私も本当にそう思います。
 日本はパレスチナの大きな援助国。しかし、パレスチナ当局に対する援助金は、結果的にイスラエルの占領を補助している。たとえば、イスラエルが破壊したパレスチナの道路や建物を修復するために援助資金が使われる。日本の援助はパレスチナ社会の発展につかわれるのではなく、イスラエルの占領が引き起こしている損害の補填につかわれている。
 ユダヤ人が軍事的な優位だけが自分たちの将来を保障することができると信じ続けていたら、ユダヤ人社会の将来にとっても、とても危険なことだ。
 ユダヤ人であることを強く自覚しているジャーナリストの言葉だけに、すごい重味のある言葉だと思いました。

荒蝦夷(あらえみし)

カテゴリー:未分類

著者:熊谷達也、出版社:平凡社
 平安時代の東北地方は、まだ朝廷が完全におさえきってはいませんでした。坂上田村麻呂が活躍する前のことです。
 高橋克彦の「火怨」では、阿弖流為(あてるい)が主人公となって活躍しますが、その一世代前の話として面白く読みました。蝦夷(えみし)が大和の支配下に入りつつある状況で、なんとか蝦夷の独立性をたもとうとするのですが、大和の大軍の前に徐々に追いつめられていきます。しかし、そんななかでも、蝦夷の意地を示そうとする部族がいるわけです。日本は大和朝廷ひとつで初めからまとまっていたわけではなかったことを再認識させられます。

極限環境の生命

カテゴリー:未分類

著者:D・A・ワートン、出版社:シュプリンガーフェアラーク東京
 ラクダは15日間、水を飲まずにいることができる。全体重の30%が減ってしまうほどの脱水状態にも耐えられる。そのかわりラクダが水を飲むときはとてつもなく大量に摂取する。200リットルを数時間で飲む。バスタブ1杯分を数分間で飲み干してしまう。急に水分が血流に入ると、そのための浸透圧ストレスによって多くの動物の赤血球は破裂してしまうが、ラクダの赤血球は大丈夫。ラクダは体温を変動させることによって、水分の蒸発を減らしている。
 海底から350度という高温のお湯が噴き出している。その熱水の噴出口付近は、予想に反して生物にみちあふれている。超好熱菌がいるのだ。
 うーん、生命って地球上のいたるところに、まさに無数に生きているんですね・・・。45億年前に地球は誕生し、それから10億年すぎて生命が誕生しました。その点は化石があるので、証明は可能。38億年前に生命が誕生したという状況証拠もあるそうです。
 うーん、生命っていったい何だろう・・・。生命の不思議さをチョッピリだけ実感させられました。

太平洋戦争と上海のユダヤ難民

カテゴリー:未分類

著者:丸山直起、出版社:法政大学出版局
 センポ・スギハラとして名高い、リトアニアの杉原千畝・日本総領事が発行したビザで助かったユダヤ人の流れついた先のひとつが上海でした。上海には日本軍が占領した当時、2万人をこえるユダヤ人がいて租界をつくっていました。
 日本軍がユダヤ人排斥に走らなかった理由のひとつに、満州にユダヤ資本を導入しようという狙いがあったことが指摘されています。満州の関東軍参謀長だった東条英機もその趣旨の通達を出しているそうです。日本軍部は日独伊の三国同盟を結びつつも、ドイツの言いなりにはならず、ユダヤ人を排斥しませんでした。それは彼らなりの思惑があったからです。ただ、満州にユダヤ人の入植地をつくろうという日本側のプランはユダヤ人側から拒絶されました。日本軍の占領地という不安定なところに入植しても、将来性がないとユダヤ人側は判断したのです。
 1941年に上海にいたドイツ人は2万5000人。そのうち2万2000人がユダヤ人で、ナチ党員はわずか300人程度でした。日本とドイツの関係がぎくしゃくした原因のひとつがスパイとして摘発されたゾルゲ事件でした。ゾルゲ事件については何冊も本を読みましたが、ゾルゲの使命感と有能さには感嘆すべきものがあります。
 上海にユダヤ人を居住する区域が指定されましたが、そこには中国人やロシア人も住んでおり、いわゆるゲットーとか強制収容所ではありません。通行証があれば外出もできました。ヨーロッパ各地から流れてきたユダヤ人たちは、逆境に耐えつつ、音楽や演劇コミュニティの活動にうちこむ余裕をもち、かえってユダヤ人としての自覚を高めていくたくましさをもっていました。戦後、イスラエルの要人となった人物を何人も輩出しているのです。さすがはユダヤ人です。

失われた革命

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著者:ピート・ダニエル、出版社:青土社
 1950年代のアメリカ南部を深くえぐり出した快作です。520頁もの厚さですが、ぐんぐん引きずられるようにして一気に読んでしまいました。オビの文章を紹介します。
 資本主義の波に翻弄される農民たち、プレスリーに象徴される黒人音楽と白人文化の融合の可能性、公民権運動の台頭、人種隔離主義者の反撃、そして人種共栄をめぐるリトルロック事件。混沌と激変の狭間でいくども訪れた改革・融和のチャンスがことごとく失われてしまったのはなぜか・・・。
 この疑問を見事に解明していく文章には胸のすく思いがあり、同時にアメリカ社会の病根の深さに暗澹たる思いにもかられます。では、少し内容を紹介しましょう。
 公民権運動は、白人を困惑させ、アフリカ系アメリカ人(この本では黒人とはいいません)に希望を与えた。白人の多くは人種隔離や宗教や男女観などにみられるゆがんだ歴史観を受け継いでいた。黒人労働者と白人労働者とを統合しようとする動きは戦後すぐに挫折し、共産主義(アカ)のレッテルを貼られて粉砕されてしまった。小心な聖職者たちは関わりあいを恐れてしりごみし、優柔不断な白人リベラルは、冷酷非道な人種隔離主義者にまったく太刀打ちできなかった。
 人種差別の壁に体当たりしたのは南部に定住した北部人たち。彼らは黒人に関する南部の伝統を無視した。彼らは黒人に対して平気で敬称を用い、高い給料を支払い、平等の権利を支援した。
 ところが、黒人男性と白人女性との結婚は、昔から白人の心に埋めこまれた恐るべき悪夢だった。共産主義者が陰で人種統合の糸を操っているのに違いないと考えていた。
 今の日本でもまだアカ嫌いは少なからず残っていますが、アメリカの方がもっと極端のようです。レイチェル・カーソンの「沈黙の春」(1962年)は私も読みましたが、大々的に農薬をつかって引き起こされた恐るべき自然環境破壊には背筋も凍るほどの戦慄を覚えました。この本によると、南部農業は大量の化学薬品をつかい、巨大農場での単一農作物栽培、農耕機械によって支えられていたというのです。薬品会社が安全だと誇大広告し、それを農務省の安全宣言が促進していました。
 空中農薬散布機の墜落死亡事故が55件もあり、そのうち7件はパイロットが毒性農薬を吸引し、手がしびれ吐き気がして墜落したというのです。すさまじいものです。それでも国は薬品会社と一緒になって農薬の危険性を隠しつづけました。
 私は、庭でまったく農薬をつかいません。ですから、花も葉も、すぐに虫喰い常態になってしまいます。それが自然の状態なのです。
 1950年代のアメリカ南部に流行したのが、南部音楽とカーレーシングです。自動車レースは労働者階級の究極のスポーツでした。月曜日から金曜日まではおとなしく飼いならされているかに見える彼らも、週末の行事ともなれば、大いに羽目をはずすのだった。その後、世界的評価を得てからは商品化され、商業主義が下層文化をねじ曲げてしまった。
 人種隔離の壁をうち崩す役割を果たしたのは、地域のリーダーではなく、ミュージシャンやスポーツ選手たちだった。
 ロックンロールと同様に、黒人パフォーマンスが広い範囲で人々に受容されるようになったこと、とくに白人女性に歓迎された事実は、白人人種隔離主義者のイデオロギーと真っ向から衝突した。
 「どこへ行っても黒人ばかりだ。テレビ・ショー、野球、フットボール、ボクシング、まったく切りがない」と白人たちは嘆いた。電話回線を黒人と白人とで別のものに分けるよう申し入れたという。こんな、まるでバカげたことが横行していました。
 農場の機械化、化学薬品、それに南部を白色化しようとする野望が三つどもえになり、黒人農場主の数を激減させた。1940年には15万9000人だった黒人農場主は、1964年には3万8000人に落ち込んだ。
 白人は、子育てのときには、黒人女性の手を借りて、黒人の影響力が及ぶままにしておきながら、公共の乗り物や法廷などで、人種の純潔性を保つという名目で人種隔離を実行しようとする。これは、いかにも不合理だ。
 この本の白眉は、リトルロックの9人の生徒の話です。1956年9月、セントラル・ハイスクールに9人の黒人生徒が入学した。白人人種隔離主義者の群衆が学校の外に集まった。アイゼンハワー大統領は、ついに連邦軍を出動させた。
 校内でも人種隔離主義の生徒たちは、黒人生徒に嫌がらせをし、黒人生徒と仲良くする白人生徒を脅迫した。9人の黒人生徒のほとんどがきちんと中産階級か労働者階級の家庭の子どもだった。9人の生徒たちは、校内で一部の白人生徒たちから毎日ひどいいじめにあった。平手うち、小突き、にらみ、「クロンボはさっさと出ていけ」とトイレの鏡に口紅で書かれていた。9人は、やられてもやり返さず、じっと虐待に耐えた。女子生徒が階段から突き落とされたが、犯人の女子生徒は「私は本で彼女を押しただけ。彼女には指一本さわっちゃいないから」と主張した。スカートは昼休みにインクをまき散らされ、台なしになった。昼食時、熱いスープが肩にぶっかけられた。彼らはひたすら耐え、白人の権力に挑戦した。
 そして、全員ではなかったが、無事にハイスクールを卒業した。卒業式は何の妨害も受けなかった。人種隔離主義者は敗北した。
 40年後、9人の生徒たちをふくめて関係者が一同に再会した。そのとき、当時いじめの先頭に立っていた女子生徒も謝罪をして参加した。
 私は、この一連の出来事を知って、本当に9人の生徒たちの勇気に改めて心から敬意を表したいと思いました。といっても、彼らも今では60代前半です。つまり私よりは年長なのです。未来は青年のもの。青年が動けば世の中は変わる。こんな言葉を、私たちは 20歳前後ころによくつかっていました。久しぶりに思い出したことでした。
 この本の最後に「ミシシッピーバーニング」として映画にもなった3人のボランティア(うち2人が白人)が殺害された事件が紹介されています。つい最近、その犯人のひとりの裁判が始まったという記事を読みました。アメリカの深南部では、まだまだ差別がなくなったわけではないことを思い知らされるニュースでした。

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