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2005年7月 の投稿

北条政子

カテゴリー:未分類

著者:関 幸彦、出版社:ミネルヴァ書房
 源頼朝の妻であった北条政子の一生をたどった本です。昔から日本の女性は弱かったどころか、男どもをしたがえてきたことを象徴する女性のひとりとしてあまりにも有名です。
 室町時代の一条兼良(かねら)は「樵談治要」のなかで、「この日本国を姫氏国(ひめうじこく)といい、女の治むべき国という」とし、北条政子を「天下の道理」に明るいと賞賛しています。
 また、僧慈円の「愚管抄」には、「女人(にょにん)入眼(じゅがん)の日本国、いよいまことなりけと言うべきではないか」として、女性が力をもって日本を動かしていることを賛嘆しています。このときの女性は北条政子と、その協議相手として登場する後鳥羽上皇の側近として大きな権勢を誇っていた藤原兼子(けんし)でした。
 のちに後鳥羽上皇が北条義時の追討の宣旨を下した承久の乱のとき、北条政子は並みいる武将を前に大演説をぶって、御家人たちを奮いたたせたというのは、あまりに有名な話です。御家人たちに頼朝が幕府を開設する前のみじめな生活を思い出させ、そんな昔に戻ってよいのかとたきつけたのです。すごい演説です。

悲劇トロイア炎上

カテゴリー:未分類

著者:アネッロ・パウリッツ、出版社:而立書房
 16世紀のイタリア、ナポリのアネッロ・パウリッツによる劇「トロイア炎上」の台本が発掘され、本になったものです。イタリアの古書店の通販カタログで発見した日本人学者が10数年かけて解読・翻訳しました。
 私も映画「トロイ」を最近みていなければ、この本を読むことはなかったでしょう。
 トロイの木馬を疑うことなく城内に導き入れたことによって、トロイは一夜にして滅び去ります。男は子どもに至るまでみなごろしされ、女はすべて奴隷としてギリシアの地へ連れ去られてしまうのです。
 ギリシアの悲劇の台本として、しばし古典を味わうことができました。

田んぼの虫の言い分

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著者:むさしの里山研究会、出版社:農文協人間選書 
 英語でトンボをドラゴンフライと呼ぶ。ドラゴン(龍)はキリスト教ではサタンを意味するので、欧米人はトンボを忌み嫌う人が多い。ところが、日本人は世界でもたぐいまれなトンボ好きの民族だ。トンボ屋と呼ばれる愛好家は日本全国に300人はいる。
 たしかに、トンボは子どものころ大の仲良し昆虫でした。ギンヤンマのトンボ釣りが紹介されています。残念ながら私はやったことがありません。オニヤンマを捕まえたことは何度もあるのですが・・・。
 ギンヤンマは、メスと糸でくくり、おとりとしてオスの前に見せびらかすと、オスはメスにつるんで、容易につかまえることができる。これはギンヤンマの弱点を利用したもの。メスをみると、オスの警戒心は消え去り、性欲がむき出しになって、メスにとびかかってしまう。そこで捕まえられるわけ。でも、メスは一体どうやって捕まえるのか・・・。そんなときには、オスをメスのように見せかける。オスは腹部の付け根が水色をしているが、メスは緑色。そこで、オスの腹部を緑色に塗り替えて、メスに見せかけて、おとりに使うという仕掛け。ふーん、そうなんだー・・・、と思いました。
 わが家の庭にも、夏の終わりごろになるとたくさんのアキアカネが飛びかいます。そうです。赤いトンボ、アカトンボのことです。アキアカネが庭で飛ぶようになると、もうすぐ、夏も終わるんだなと思うのです。
 三面コンクリートをつかった直線的な深い側溝ではホタルは育ちません。今年は6月に雨が少なく、風の強い日が少なかったせいか、ホタルのあたり年でした。ホタルの乱舞する光景は、いつ見ても幻想的で、夢見る心地になります。
 大量の農薬によって多くの昆虫が姿を消しました。メダカの姿が見えなくなり、タガメが劇的に減ってしまいまった。またエサになるドジョウなどが減ったことから、サギ類も大幅に減少しました。わが家近くの田んぼにはアオサギがよくやって来ますが、ずい分減った気がします。山里に住んでいますから、ウグイスの鳴き声を聞くことができます。豊かな自然をたくさん子孫に伝え残したいものです。
 わが家は梅雨になると、緑色のアマガエルがなぜか門柱の上にあがっています。カエルも高いところから世の中を見たいのでしょうか。庭にカエルがたくさんいますので、当然のことながらヘビもいます。ちょっと気味が悪いのですが、わが家の守り神として、平和的に共存しています。
 今年は、わが家のすぐ下の田んぼが田植えされずに放置されてしまいました。いつかそうなると心配していましたが、ついに現実になってしまいました。60代半ばすぎのおじさんが頑張って米づくりをしてきましたので、いつも陰ながら応援していました。田んぼに水がはられていると、涼しさが違います。わが家にはクーラーがありません。いつも風通しを良くするだけで夏を過ごしてきました。文字どおりの水田になると、まってましたとばかりに蛙たちの大合唱が始まります。うるさいほどの鳴き声ですが、それもセミの声と同じで、いつのまにか慣れてしまいます。

いつか一緒にパリに行こう

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著者:辻 仁成、出版社:光文社
 著者は今パリに住んでいます。奥さんはパリで出産しました。
 フランスの出産は、麻酔をつかう無痛分娩だ。背中の硬膜外腔に直接針を刺し、ずっと麻酔の管を刺したままにしている。えーっ、少し怖いみたい・・・。
 フランスは今、空前の出産ブーム。高齢出産も多い。働く女性の産休制体は充実している。初産なら産前6週間、産後10週間。双子なら36週間の産休が認められていて、ほかに子どもがいたら、その数によって産休は倍々になっていく。夫にも、出産時3日間、生後4ヶ月以内に最大で連続11日間の産休が認められている。すごーい・・・。
 労働時間は週35時間。週休2日で1日7時間。残業なんて、とんでもない(といっても、超エリートは日本人と同じでモーレツに働いているそうです)。一生は一度しかなく、限りなく短い。精一杯楽しまなければ損というもの。なかなか、割り切れません・・・。
 パリは成熟した大人の街。自由というのは、まず他人を気にしないこと。自分の人生を謳歌すること。パリの人々は他人を気にしない。だから、ゴシップというのもはびこらない。うーん、そうですね・・・。ミッテラン大統領が愛人のことを記者から追及されて、それがどうした、と反問して沙汰やみになった話は有名です。
 バゲットは、表面が薄焼き煎餅のようにカリッとしているくせに、中がしっとりと柔らかく、もちもちしているものがいい。この相反する歯ごたえに、美味しさの秘密がある。さらに適度の塩加減と甘みが加わると、最高だ。
 そうなんです。私も10年前にカルチェラタンのプチホテルに泊まり、毎朝バゲットとカフェオレの朝食を楽しみました。表面がカリッとした固さで中味はほんわり柔らかく、絶妙の塩味がきいて、少しだけ甘みを感じさせるバゲットでした。
 プチホテルから歩いて10分も足らずのところにノートルダムの大聖堂があります。着いた日の夕方は、その近くのいかにも観光客向けのレストランでエスカルゴを食べました。おのぼりさんはおのぼりさんらしくと言いながら・・・。
 著者はフランスに住みはじめて1年たち、まだフランス語には悪戦苦闘中のようです。でも、言葉をもてば旅が変わると言っています。私もそのとおりだと思います。
 幸いなことに、私は日常会話レベルの簡単なフランス語ならなんとか会話することができます。プチホテルも私が日本からFAXで予約しましたし、レストラン(ビストロ)の予約も電話ですませました。
 かくいう私のフランス語歴は、なんと30年以上なのです。大学で第二外国語としてフランス語を選択して以来です。大学に入れることになったとき、私は迷わずフランス語を選びました。美味しいフランス料理がメニューを読めて食べられるようになること、フランス美人と親密な関係になること。この2つが理由でした。前者は達成しましたが、後者は残念ながら、可能性の手がかりすらありません。ですから、著者がビーズの挨拶したことを自慢げに書いているのがうらやましくてなりません。えっ、ビーズって何か、ですか。そう、頬と頬とをくっつけたり、左右の頬に口をつけて交互にチュッチュッとする挨拶のことです。フランス映画にはいつも出てきます。
 弁護士になって以来、NHKのラジオ講座を聴いています。頭がバカにならないようにと思って始めました。フランス語って、いつか分かるようになるのかなと、我ながら半信半疑でした。はじめのうちは、頭の上をスズメのさえずりが通り過ぎていくという感じでした。でも、今は違います。車のなかでフランス語のニュース(CNNみたいなものです)を聞いて、なんとか単語レベルでとらえられるようにまではなりました。仏検にも、10年来挑戦しています。準一級にも合格することができました。目下、一級にチャレンジしています。そのため、合格したあとも準一級は受け続けています。毎今年もペーパーテストは合格最低点の73点で(120点満点)でギリギリ合格しました。あとは口頭試問ですが、まったく自信がありません。毎週土曜日には、福岡の日仏学館でフランス人の先生による上級会話クラスに参加しています。いつも思うように話せず、劣等生の悲哀を味わっています。でもでも、いつか一緒にパリに行こうです。どうですか、皆さんも、ご一緒に・・・。

宮大工棟梁・西岡常一、口伝の重み

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著者:西岡常一、出版社:日本経済新聞社
 著者は10年も前に亡くなられましたが、法隆寺を修理し、薬師寺西塔を再建した宮大工として有名です。私は、これまでの何冊か著者の本を読みましたが、改めて深い感銘を受けました。
 宮大工の祖父は、著者が小学校を卒業して進路を考えているとき、農学校へ行くことを強くすすめました。父の方は、設計図を描ける大工になった方がよいという考えから、工業学校をすすめたのですが・・・。結局、祖父の主張が通りました。
 人間も木も草も、みんな土から育つ。宮大工はまず土のことを学んで、土をよく知らんといかん。土を知ってはじめて、そこから育った木のことが分かるのや、というのです。
 著者は、農学校の学生のとき1反半の田をまかされました。秋の収穫量は3石でした。学年100人中8位の成績です。ところが、祖父はおかしいと批判しました。1反半ならフツーの農民は4石5斗とれる。稲をつくりながら、稲と話し合いをせず、本と話し合っていたからだ。稲と話せるなら、いま稲が水を欲しがっているのか、こんな肥料をほしがっているのか分かる。本と話したから、稲が言うことをきかなかったんだ・・・。これって、すごい言葉ですよね。私も庭で花や野菜を育てていますし、声をかけてはいるのですが。対話しているってところまではいきません。ですから、よく失敗してしまいます。
 木というものは、土の性(さが)によって質が決まる。山のどこに生えているかで癖が生まれる。峠の木か、谷の木か。一目見て分かるようにならなあかん。
 堂塔の建立には木を買わず、山を買え。吉野の木、木曾の木と、あちこち混ぜてはいかん。同じ環境の木で組んでいく。
 木には陽おもてと陽うらがある。南側が陽おもてで、木は南東に向かって枝を伸ばすから、節が多く、木目は粗い。陽うらの方が木目はきれいに見える。日光に慣れていない陽うらを南にして柱に据えたりすると、乾燥しやすく、風化の速度ははやくなる。太陽にいわば訓練されている部分を、陽のさす方向におく。陽おもての方が木はかたい。
 山の頂上、中腹、斜面、南か北か、風の強弱、密林か疎林かで、それぞれに木質は異なる。そうした木の性(しょう)も考慮に入れて使い分け、組みあわす。
 木材を見直すと言いながら、外国の木の資源までつぶしてしまってはならない。木の文化を語るなら、まず山を緑にする。それも早く太くの造林ではなく、山全体に自然のままの強い木を育てること。木を生かすには、自然を生かさねばならず、自然を生かすには、自然の中で生きようとする人間の心がなくてはならない。その心とは、永遠なるものへの思いである。
 著者の2人の息子さんはいずれも後を継いでいません。しかし、弟子はおられます。
 棟梁は自分で仕事をしたらいけない。大きな仕事は、職人に仕事をさせて、それを見ているのが棟梁だ。自分で仕事をしたら、職人として、そこだけを見るようになる。もっと広く仕事全体を見るものなんだ。
 うーん、そうかー、そうなんだー・・・。つくづく感心してしましました。職人の芸(仕事)のすごさ、奥深さをつくづく感じさせる本です。

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