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2004年11月 の投稿

公安警察の手口

カテゴリー:未分類

著者:鈴木邦男、出版社:ちくま新書
 公然の右翼活動家だった人物が日本警察の実体を鋭く告発した本です。「新右翼」の代表としての活動をやめてなお、公安警察に何十回となくガサ入れされた体験をもつ人ならではの切々たる体験記でもあります。日本の警察批判は、たいてい左翼側からのことが多いなかで、珍しい本です。
 同伴尾行というのを初めて知りました。見えないように尾行するのではなく、すぐ隣りを歩き、公然と尾行するのです。喫茶店に行けば隣りの席に坐ります。電話をかけるときには、すぐそばで聞き耳をたてています。こんなことをされたら、フツーの人間ならカーッとなって突き飛ばすでしょう。それこそ公安の思うつぼです。待ってましたとばかり、公務執行妨害で逮捕します。そのあと恩を売ってスパイになるよう持ちかけるのです。
 公安はむかし活動していて、今はすっかり足を洗った人にもずっとつきまといます。きっとまた犯罪を起こすはずだというのです。まさに、『レ・ミゼラブル』の世界です。
 警視庁公安部に2000人の公安刑事がいて、警察庁に1000人。全国の警備部の公安課・公安係をあわせると全国に1万人からの公安がいる。ええーっ、と驚いてしまいます。公安の一番のターゲットは共産党です。合法政党なのに・・・。もちろん新左翼の各党派やオウムも対象ですし、最近はアルカイダなどもターゲットにしています。なにしろヒマだということになると、行政改革の対象になって削減されかねません。絶えず、そこには怖い団体だと恐怖をあおり、自分の存在意義を売り込む必要があります。
 日常的には、「対象者」ともちつもたれつ、の関係にあります。いえ、ときには公安の方がわざと事件を起こすこともしばしばのようです。ともかく、「過激派」が存在しないとリストラの対象になりかねないのですから・・・。
 優秀な公安刑事は、明るくて人当たりがいい。一見、遊び人に見え、「仕事」を相手に意識させない。そんな指摘があります。スパイを養成し接触するという暗い仕事を毎日のりこえていくわけでしょうから、相当タフな神経が求められることでしょう。でも、本当に、それってやり甲斐がある仕事なのでしょうか?
 私の親しかった弁護士(故人)の父親は公安刑事でした。なぜか家庭が暗い雰囲気だった、大人になってやっと理由が分かったとこぼしていました。人をスパイに引きずりこんだり、密告させたり、犯罪をしたりさせたりって、本当にいやな仕事ですよね。日本を守っているのは公安だという自負心にみちて活動しているそうですが、本当でしょうか。自分の保身ばっかりのような気がします・・・。

峠の落し文

カテゴリー:未分類

著者:樋口和博、自費出版
 94歳というので何年生まれかと思うと、私の亡父と同じ明治42年生まれだった。著者は38年間の裁判官生活のあと、東京で弁護士になった。この本は主として裁判官時代の思い出を描いている。弁護士になって、今(といっても昭和61年)の裁判官のあまりのひどさに唖然としつつ、淋しさを感じた体験が紹介されている。和解の席上、当事者の言い分をまったく聞かないまま、裁判官が突如として和解打ち切りを宣言したという。いるいる。今でも、こんな裁判官は珍しくない。私は、そう思った。
 裁判官として、どこまで人(ひと)を信じていいのか迷ったり、法廷での最後の一言で淡々と否認し、それが本当に無罪になったりと、人間心理の奥深いところまで考えさせる思い出が次々に語られていく。人が人を裁くとは、これほど難しいものなのか・・・。読みながらそういう思いにかられた。
 本林徹前日弁連会長や石川元也弁護士など、私の敬愛する先輩たちが再刊して自費出版した本だが、最近の司法修習生にぜひ広く読んでほしいと思った。

山田洋次×藤沢周平

カテゴリー:未分類

著者:吉村英夫、出版社:大月書店
 映画『隠し剣、鬼の爪』を封切り日にみた。満席とは言えないけれど、中年というより老年の男女で席はかなり埋まった。スクリーン一杯にしっとり落ち着いた映像が広がり、たちまち江戸時代末期の海坂藩に居合わせた気分になる。
 『たそがれ清兵衛』の真田広之もよかったが、今度の永瀬正敏もなかなかのものだ。東北の山々の遠景がロングショットで登場する。雪をいただく月山の雄姿だ。『阿弥陀堂だより』で信州の自然が丹念に紹介されたのを思い出す。この風景を見ただけでも、忘れかけていた幼いときの原体験に戻ることができて、なんとなくトクをした気分になる。
 山田洋次監督は映画『ラストサムライ』をみていないという。『ラストサムライ』では、新式の大砲や銃によってカツモト軍が倒される。今回の『鬼の爪』では、東北の田舎の藩でも新式銃を取り入れ、西洋式の軍隊に訓練している光景がコミカルに紹介されている。昔の人は両手を大きく振って足をあげて歩くことができなかった。すり足で歩いていたのだ。昔の人が着崩れしなかったのは、上半身を動かさず、下半身だけで動いていたからだ。うーん、なるほど・・・。
 斬り合いのシーンは真に迫っている。演じた役者は本番前に何度もケガをしたという。 藤沢周平は、いまブームだ。どれも似たようなパターンだが、それでも『男はつらいよ』シリーズと同じで、強く魅きつけるものがある。こんないい映画はぜひ多勢の人にみてほしいと思う。映画を興行的にヒットさせれば支持の表明になる。映画は文化だ。ぜひ、映画館へ足を運んでほしい。

セネカ、現代人への手紙

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著者:中野孝次、出版社:岩波書店
 2000年前の古代ローマに生きていた哲学者の言葉が、現代日本にも立派に通用することがよく分かります。
 金だの物だのは、真に自分のものではない。いくら惜しんでしがみついたところで、運命がその気になれば、いつでも取り戻してしまう。我々は、いわば一時それを預かっているだけだ。それに反し、時間は、これだけは完全に我々のもの、何人にも奪われない自分の所有物だ。よき人生を生きようと志すなら、まず時間をこそ惜しまねばならない。かき集め、大事に守って、おのれ一個の魂のためにのみ使用せよ。
 もっとも恥ずべきは、怠慢による喪失だ。人生の最大の部分は、悪事をしているあいだに、大部分は何もしないでいるあいだに、そして全人生は、どうでもいいことをしているあいだに、過ぎてしまっている。生きるときは、今このときしかないのだ。
 荷物を背負ったまま泳いでいて、助かった者は一人もいない。自分のこと、自分のすることについて、きちんとした計画を立てて行っている人は、ごくわずかしかいない。それ以外の人は、自分で歩いていくのではなく、運ばれていっているにすぎない。
 だから我々は、何をしたいかしっかり確かめ、それを堅持しなければならない。
 死が我々を追いかけ、生が逃げていく。我々は日々死んでいる。人生の一部分は、我々が成長しているときでさえ、一日一日と奪い去られている。過ぎ去ったときは、すべてなくなったのだ。いま我々が送っているこの日だって、我々はそれを死と分かちあっているのだ。我々が生存を止める最後の瞬間が死を完成させるのではなく、それはただ終わりの封印をするだけ。そのとき我々は死に到達したのであって、それまで長いあいだ我々は死に向かって歩み続けてきた。
 老人とは、すでに生涯のほとんどを死の側に引き渡している者ということになる。
 我々は今日、個人の領域ばかりでなく公共の領分においても狂気の愚行を行っている。我々は殺害を禁じている、とくに個人による人殺しは。ところが、戦争や民族殺戮というとき、個々人に禁止されていることが国家の命令によって行われる。ひそかに行われたことは死をもって償わされ、軍服の男たちがしたことは賞賛される。
 もっとも柔和な種族の人間たちが、相互の流血騒ぎには大喜びし、戦争をし、その継続を子孫に託して恬(てん)として恥じることがない。
 我々は連帯しよう。我々は共存するために生まれてきたのだ。
 最後のあたりは、あたかもイラク戦争をすすめてきたアメリカとイギリス、そしてそれを支えている日本に対するもののようです。古今東西、人間の本質はそれほど変わらないことを確信させてくれます。たまに古典にふれるのもいいものですね。

国税査察官

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著者:立石勝規、出版社:講談社
 政治家の裏ガネのからくりを国税局のノンキャリア査察官が追いかけるという小説です。金丸脱税事件をモデルにしています。
 政治家の裏ガネに税務当局がどれだけ迫っているのか、実は私は不信感を募らせています。ときどき、アリバイ的に摘発しているだけではないのか、ということです。巨額の裏ガネに利用されるのは、絵画のようです。絵画は、値段があってないようなものだからです。たった絵一枚が何十億円もするなんて、とても信じられません。絵画は、美術館で鑑賞すべきもので、個人が私蔵するべきものではないと思うのです。
 話が脱線しましたが、政治家と大企業の脱税の摘発にもっと税務当局は力を入れてほしいと思います。巨悪は眠らせない。いいセリフだと私は思います。

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