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2004年8月 の投稿

バクダット・ブルー

カテゴリー:未分類

著者:村田信一、出版社:講談社
 バクダットの表情をとらえた写真集です。やはり、こんな写真を見ないとイラク現地の人々の様子は分かりません。
 イラクでは、ますます混迷が深まっている。戦闘が終わったとブッシュ大統領が宣言した03年5月以降のアメリカ軍の死者が500人をこえ、さらに増えつづけている。イギリス軍や国連・赤十字など、国際機関もすべて攻撃された。想像していた以上の事態だが、イラクという国を見誤り、その文化や宗教や人々の生活を軽視してきた当然の報いだ。
  日本の自衛隊もアメリカに追随してイラクに入った。イラク人が要請した派遣でない以上、占領軍であり、また無駄な血が流されることになるだろう。サダム・フセインは捕らわれたが、大勢に変わりはない。最初に死んだ2人の外交官だけでなく、私たちはみな敵とみなされることになる。自衛隊の犠牲者はもちろん、その自衛隊に殺されるかもしれないイラク人たちの不条理な死に、私たちは思いを馳せることができるだろうか。
 テレビや新聞などの大メディアは、アメリカのメディアの受け売りやアメリカ軍寄りの報道をくり返しているばかりで、イラクという国の実情やイラクの人々の表情は、ますます見えなくなっているような気がする。
 写真もいいけど、キャプション(説明文)もなかなか考えさせられるものでした。

伊勢詣と江戸の旅

カテゴリー:未分類

著者:金森敦子、出版社:文春新書
 江戸時代というと、今でも閉ざされた村のなかで自由に往来もできなかった社会だというイメージが強く残っています。でも、とんでもありません。江戸の人々は、町民も百姓(農民とは限りません)も、かなり自由に旅行を楽しんでいたのです。お伊勢参りは、1日だけで23万人の人が押しかけたというのです(1705年)。4ヶ月間で207万人が伊勢まいりをしました。当時の日本全国の人口は2952万人(江戸時代を通じて3000万人と、人口は変わりません)ですから、6人に1人の割合で伊勢まいりをやって来たということになります。
 当時の日本の街道は世界で一番安全だったと言われています。元禄4年(1691年)に長崎から江戸まで旅行した東インド会社のケンペルは街道が旅人であふれていて、子どもたちだけの旅行者までいることに驚いています。
 お金のある人は庶民を含めて旅行で大散財をし、なければないで旅行ができた。そんな世の中でした。江戸時代を暗黒の時代と思うのは間違いなのです。

カナダ、オーロラ紀行

カテゴリー:未分類

著者:吉沢博子、出版社:千早書房
 マイナス40度の世界。ただ寒いというより、痛いほどの寒さだろうと想像する。冬でもぬくぬくとした布団にしか寝れない私には、とても耐えられそうにもない。それでも、妖しげに輝くオーロラを一度は見たい気もする。怖いもの見たさ、の心境だ。
 アザラシの生ま肉を食べる。広場でアザラシが解体される。人々が一斉に群らがって手づかみで肉を食べはじめる。弾力があって、プリプリした肉だ。ちょうど新鮮な馬肉を食べる感覚、という。うーん、美味しそう・・・。
 カナダの極北地帯に3泊したら、オーロラを見れる確率は80%以上。うーん、どうしよう。頭をかかえてしまう。ハムレットの心境だ。行くべきか、行かざるべきか。

やわらかな遺伝子

カテゴリー:未分類

著者:マット・リドレー、出版社:紀伊国屋書店
 オビにこう書かれています。遺伝子は神でも、運命でも、設計図でもなく、時々刻々と環境から情報を引き出し、しなやかに自己改造していく装置だ。
 ヒトゲノムの解読から、ヒトは3万個の遺伝子からできていることが分かりました。たった3万個で人間のすべてが設計できるのか・・・。
  統合失調症患者が名家や頭のいい家系にあらわれることには、昔から多くの人が気づいていた。精神病の傾向がある人々を断種すると、多くの天才も抹消することになる。軽度の障害のある人、統合失調症型人間とも呼ばれる人は、並外れて賢く、自信と集中力があることが多い。ニュートンもカントも、今では統合失調症型とされている。
 教育とは、結局、頭に知識をいっぱいに詰めこむことではなく、生きていくうえで必要な脳の回路を鍛えあげることだ。鍛えあげることで、脳の回路は自在に動く。
 脳がなく、ニューロンが302個しかない線虫のような生物でも社会的経験の恩恵をこうむるのなら、人間の教育では、そうした経験の影響は、はるかに大きなものになるだろう。哺乳類では、幼いころに社会的な経験が豊富だと、その行動に長期的で
不可逆な影響がもたらされる。
 双子の研究では、家庭環境は離婚にまったく影響しないことが明らかになっている。一卵性双生児の片方が離婚すると、もう片方も離婚する割合は45%になる。つまり、離婚する可能性のおよそ半分は遺伝子によってもたらされ、残りは環境によってもたらされるわけだ。
 公平な社会では「生まれ」が強調され、不公平な社会では「育ち」が強調される。つまり、社会が平等になればなるほど、先天的な要因が重要になる。だれもが同じ食料を手に入れられる世界では、背丈や体重の遺伝性が高くなる一方、一部の人が贅沢に暮らし、ほかの人々が飢えているような世界では、体重の遺伝性は低くなる。
 うーん、いろいろ考えさせられます。要は、遺伝子がすべてを決めるというわけではないということです。

ナチスからの回心

カテゴリー:未分類

著者:クラウス・レゲヴィー、出版社:現代書館
 事実は小説より奇なり。ええっ、本当なの・・・。驚いてしまいました。ナチスの親衛隊の大尉にまでなった男が、戦後のドイツで左翼的知識人として大学の学長までつとめあげ、85歳になるまで過去を暴かれることがなかったというのです。もちろん、家族があります。妻は、戦後まもなくから過去を隠すことについての共犯でした。3人の子どもたちは、成人してから親の過去を知らされますが、沈黙を守り続けます。すごい家族です。
 しかも、本人は単なる親衛隊の大尉というのではありません。ヒムラーやハイドリヒとも親しく、アウシュヴィッツやヴーヘンヴァルト強制収容所とも深い関わりをもっていたのではないかというほどの人物なのです。
 彼は、終戦時35歳。戦死の届出を出して、別人になりすまして大学に入学します。そのうち、離ればなれになっていた妻と再会し、子どもをさらにもうけるのです。「故人とよく似たイトコ」になりすまし、妻は「再婚」するのです。事情を知っていた人は口をつぐみます。ドイツ中が焼け野が原になっていたので、別人になりすませました。親衛隊の隊員番号を腕に入れ墨していたのは、外科医で取りのぞいてもらいます。腕の反対側にもわざと傷をつけ、銃弾の貫通傷のように見せかけました。
 戦後、ナチスの戦争責任が問われたとき、彼はシンポジストとして、のうとうとナチスを他人事(ひとごと)のように糾弾します。ナチスから迫害されていたユダヤ人の隣りにすわって発言していたのです。ところで、彼が親衛隊に入ったのは偶然ではありませんでした。当時のドイツの経済不況のなか、出世するための早道だったからです。ナチスの側にも知識人を迎えいれてイメージアップをはかる必要がありました。
 それにしても、すごい「知識人」がいたものだと思います。「良心の呵責」という言葉が絵空事としか響かない実話です。

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