弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2023年10月11日

福田村事件

日本史(戦前)


(霧山昴)
著者 辻野 弥生 、 出版 五月書房新社

 映画『福田村事件』(森達也・監督)はみていません。その原作となった本です。
 関東大震災が起きたのは今から100年前の1923(大正12)年9月1日のことです。先日、NHKテレビが当時の白黒映像をカラー画像にして、その悲惨な被災状況を紹介していました。どうやって白黒をカラー化できるのか不思議でなりませんが、ともかくすごい迫力がありました。
 大地震の発生は正午になる寸前の11時58分のこと。マグニチュード7.9の直下型大地震でした。今も、この30年のうちに東京で再び直下型大地震が起きると予測されています。そのとき、タワーマンションは倒壊しなくても生活の拠点としては使えなくなるのは必至です。たとえ1室だけで数億円したとしても、周囲のライフラインが途絶してしまえば高層階に居住できるはずもありません。
 それはともかくとして、関東大震災では、大勢の人が被災し、亡くなりました。
 問題なのは、地震発生の翌日の9月2日午後2時に東京に戒厳令がしかれ、周辺に拡大されたことです。
水野錬太郎内相と赤池濃(あつし)警視総監の2人は、朝鮮総督府の政務総監、内務局長の経験者でした。この二人は、1919(大正8)年に朝鮮で起きた激しい独立運動(3.1運動)のころに朝鮮にいて、同じことが日本で起きるのを恐れ、戒厳令を早々と施行したのです。
 この本によると、日本敗戦の1945年8月の時点で、日本の刑務所に朝鮮人が2万人、朝鮮でも2万人が刑務所に入れられていて、すべて思想犯だったとのこと。それほど日本政府は朝鮮人の独立運動を恐れていたのでした。
 デマ・「流言(りゅうげん)蜚語(ひご)」をたれ流した張本人は国(内務省)でした。
 「朝鮮人が大挙して日本人を襲って来る」
 「朝鮮人が井戸に毒を入れた」
 「朝鮮人が爆弾を所持し、各地で石油を注いで放火している」
というのが9月3日午前8時15分、内務省警保局長名で各地に打電されているのです。とんでもないことです。
 このようなデマに踊らされた「善良なる」日本人は、各所で自警団を結成し、検問を始めます。そして、通行人に対して「パピプペポ」や「ガギグゲゴ」そして「10円50銭」を言わせたりして、発音がおかしいと、朝鮮人とみて、何もしていないのに、たちまち路上でよってたかって殺害していったのです。
 これによる朝鮮人の被害者は数千人にのぼるとみられています。そして、日本人なのに朝鮮人と間違えられて殺された人も60人近くいることが判明しているそうです。
 本書でとりあげている福田村事件が起きたのは9月6日、今の野田市です。殺されたのは香川県から薬売りの行商に来ていた日本人のグループ16人のうちの9人(うち1人は妊娠中でしたので、この胎児を含めると10人)です。6歳、4歳そして2歳の子どもまで虐殺されています。29歳の男性2人など、まだ若い人たちばかりで、もちろん何の武器も持っていません。それを福田村の住民など数百人が1人につき15人から20人で取り囲んで、鉄砲や刃物でなぶり殺したのです。
 大震災後の「混乱のなかとはいえ、これが同じ人間のなせるわざだろうかと、信じがたいこと」と著者は書いていますが、まったく同感です。殺害に手を下したような村人のうち8人が裁判にかけられ、懲役3年から10年の実刑となったが、2年後に恩赦で無罪放免され、そのうち1人は村長そして市民議員にまでなっている。
福田村の村人には、国家の言うとおりにやっただけなのに...という同情心があり今でも事件のことはタブーになっているとのこと。
 殺された6人の位牌のなかには、「千葉県の渡船場にて惨亡す」、「三ツ堀(福田村)にて殺せられたり」と書かれています。無念の死をとげた子ども(4歳と2歳)への寺の住職の思いやりと怒りが感じられます。
 東京都の小池百合子知事は朝鮮人犠牲者を追悼する式典への追悼文を拒絶しました。また、政府の松野官房長官も国として朝鮮人虐殺のあったことを認めていないなどシラを切りました。歴史を無視する、ひどい対応です。反省がありません。
私たちは、この福田村で起きた虐殺の事実から目をそむけてはいけません。記憶することなく忘れてしまえば、再び同じ過ちを繰り返す恐れがあるからです。このような森監督の指摘は大変重いものがあります。
(2023年10月刊。2200円)

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