弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2023年11月19日

九州・琉球の戦国史

日本史(戦国)


(霧山昴)
著者 福島 金治 、 出版 ミネルヴァ書房

 戦国時代、火薬の原料となる硫黄の産地は薩摩の硫黄島(アメリカ軍と対決した硫黄島ではない)、豊後(大分)の硫黄岳(伽藍(がらん))岳などであり、中国の明王朝などが日本の硫黄を欲した。
 サツマイモとも呼ばれる唐芋が日本に定着したのは16世紀。わが家の庭にもサツマイモを植えていて、10月末に掘り上げるつもりです。
 室町幕府の九州統治は、九州探題を通して守護を管轄するのが原則だった。
 中世には、複数の主人をもつことが許されていた。しかし、主従関係は未来永劫(えいごう)と認識される時代に変わっていった。
 天文7(1538)年に秋月で和議(合意)が成立し、大友氏は筑後・肥後、大内氏は筑前・豊前を支配することになった。
 朝廷(京都)の公家にとって、九州の武士たちの交流は直接の収入源であった。そして、見返りに国人(武士)は権威やブランドを手に入れた。
 大永3(1523)年に、中国の寧波(ニンポー)で、細川と大内という両氏が武力衝突したのを「寧波の乱」と呼ぶ。
 イエズス会の宣教師ザビエルは、日本に来る前にアルヴァレスの報告を読んでいて、ザビエルは、日本人は識字率が高いから、教理の習得は可能と判断した。ただし、ザビエルは、2年あまり豊後に滞在したあと、インドに戻った。
 島津氏は宣教師もキリスト教徒もうまく対応できなかった。
文禄・慶長の役において、日本軍が緒戦で勝利したのは、朝鮮官軍の逃亡、戦闘回避、民衆の官物略奪、日本軍の主要武器である鉄砲への不慣れがあった。
 兵糧の需要増加によって、出撃基地である名護屋の米相場は京都方面より6割増しに高騰した。
 朝鮮出兵のとき、日本人捕虜が数千人規模で「降倭」となり、日本軍と戦った。
 戦後、日本から6000人あまりの人々が朝鮮半島へ帰還した。
戦国時代の九州・沖縄の動きを通覧・通読することができました。ここでは、特に印象的なところを紹介しています。
(2023年7月刊。3800円+税)

  • URL

カテゴリー

Backnumber

最近のエントリー